7/29/2016

[biz] ソフトバンクのARM買収は外国人の不動産投資と同じようなものか

softbankによる衝撃の英ARM買収発表からしばらく経ちましたが、未だにその余波は続いている、というか多くの人が今ひとつ理解出来ずにどう捉えていいものか、今以って戸惑っていると言うべきでしょうか。何にせよ影響は治まっておらず、何ともお騒がせな事です。

話の大前提として、ARMは純然たるデバイスアーキテクチャの設計のみを行う開発会社であり、softbankの事業には直接の関係は一切ないわけです。組み込みはじめ、ゲーム機やスマホ等の携帯機器も含め、所謂IoT関連のデバイスのほぼ全てに独占的なシェアを持つ同社のアーキテクチャの持つ価値、またそれを背景にした同社の極めて高い純利益率からすれば、その3兆円を超えるとされる買収額も高すぎるとは言えない事は間違いありませんが、下手をしなくても会社が傾きかねない額である事もまた事実です。事業規模が売上高にして年1000億のオーダーでしかない以上、いくら利益率が高くともそこから得られる現実の収益は年数百億の規模が限界であり、また今は低金利による資金調達が可能だと言っても、特に付加価値の発生がなく、現状維持のままという事であれば差し引きして債務超過に陥るリスクも決して小さくはないところでしょう。

となれば、本来ならば当然に今後のARMの設計事業の成長を見込まなければ成立し得ない買収の筈なのですけれども、周知の通りARMはその事業分野において既に独占的なシェアを有しており、スマホやタブレットの需要も頭打ちになりつつある現状、新規かつ大口の出口が生まれない限り、飛躍的な成長は見込みづらい状況にあるわけです。

その成長のアテとしてsoftbankはIoT分野の成長を挙げたのですけれども、そのIoT自体、現時点というかここ数年、数百兆円の市場に成長するとは各所で散々主張され、その先行きが話題になってはいるものの、一向に具体的な形にならず、buzzwordに留まり続けているものなわけで。正直眉唾と言わざるを得ないのですね。どうにも、IoTが成長するという主張自体、その筋の受け売りのように感じられてなりません。

実際のところ、その成長を見込むにあたって、おそらくは自動運転車やドローン等のロボット類の普及、それによるインフラ回りのIT化等を念頭に置いているのだろうとは思うのですが、それらにしたところで、個別に見ればそれぞれに一般に普及するには致命的とも言うべき障害が多々あり、ドローンに至っては一般向けに規模を拡大する前に早くもブームが去りつつあるのが現状なのであって。

現状、ARM関連でそれなり以上の規模での持続性が期待し得る分野は、以前とさほど変わらず、やはりスマホ等の携帯デバイスが中心になるものと考えざるを得ないのです。であれば、ライセンス収入は安定的かつ継続的に得られる反面、飛躍的な成長は望むべくもない事になります。

その点、あまりにも事業上の接点の薄いというかほぼ皆無なsoftbankでは、それを補うような提案、協業関係の構築を期待する事は出来ません。結局の所、資本関係はあるけれども、事業上の関係は極めて薄いまま、両者の事業はほぼ完全に独立した関係とならざるを得ない筈なのです。従って、通常事業買収に期待されるような事業の成長は期待出来ないところとなるでしょう。

勿論、それなりの時間が経過した後、例えば10年もすれば、その間に現時点で形になっていない新事業が発生し、それによってIoT分野が飛躍を遂げる可能性はあり、その場合にARMがその高いシェアから価値を増大させるだろう事には、疑いを差し入れる余地は乏しいところです。しかし、softbankの事業形態、特に巨額の負債を負って投資をし、キャピタルゲインの形で回収を繰り返す手法上、そこまで長期間、兆単位の資金を単にベットし続けるだけ、というのはいささか不自然と言わざるを得ませんし、まず市場もそこまで待ってはくれず、長くとも二年単位位で期待に見合うだけの目に見える成果が要求される事になるでしょう。が、それだけの成果を得られるだろう具体的な見込みについては、抽象的で曖昧な発言を繰り返すばかりで、未だに何らの説明もなされていません。

この点、色々言い訳染みた主張を繰り返してはいるけれども、結局のところ、softbankとしては現実の事業上のメリットはあまり考慮しておらず、単に目先の投資先として有望であり、英pound及びEuroが暴落してドル・円建てで見れば数割程度割安になったこの時期に、ほぼ純粋に資金の投資先として手頃に思われたから買った、というだけなのかな、と考えざるを得ないのです。特定の通貨が暴落した時に、目先の割安感から外国人がその発行国の不動産を買い漁るのと同じような事なのだろうと。

買収発表から数週間が経過した今でもsoftbankがARMの事業を巡って具体的な施策等は一切公表せず、疑問の声に対しては、やはり何らの説明もせずに"分かる人には分かる"的な無意味かつ逆ギレ的返答を繰り返し続ける、というのを見るにつけ、やはりそうなのかと、残念に思いつつ確信せざるを得ないわけです。

しかしsoftbankも大変ですね。その自転車操業的な運営手法は、それこそリスクの塊のような危険なものばかりであって、ここまで成功を収めた事にむしろ驚嘆せざるを得ない程のものなわけですが、ここ数年はAlibaba関連を除いて殆ど成功しておらず、米Sprintの明らかな失敗と国内市場の縮小に直面して、実際はあまり余裕はないんだろうと思われるところです。その"次の行き先"をなんとか作り出さなければ即死してしまう恐怖、またそれに常に追い立てられる状況により当事者にかかるストレスは尋常ではないでしょう。本件の賭けはその規模から絶対に失敗は許されない部類のものになってしまったわけですが、成功して生き延びるのか、それともあえなく裏目に出て終了してしまうのか。他人事として、余波も及ばない位に離れたところから観察させてもらおうと思うわけです。

[pc] win10無償アップグレード期間がようやく終わる

という事で、改めて恨みつらみなどを軽く吐き出しておこうかと思うわけです。

この1年、色々と面倒を掛けさせられました。姑息としか言いようがない事実上の強制アップグレードを強いるパッチの数々には嫌な思い出しかありません。windowsupdateでパッチが配信される度に、一つ一つパッチの内容を確認し、win10関連等の有無によって選別する手間は文字通りうんざりする他ないものでした。複数PCで同じ作業を繰り返す虚しさはもうね。。。何故現状維持するだけの事にこんな手間を掛けなければならないのかと、積もり積もったmicrosoftへの不満はもう憎悪とも言うべき程に膨らみ、確固たるものになってしまいました。倒産してしまえ、とmicrosoftの関係者に面と向かって言い切る事が出来る位です。私にとって、この1年は"強制アップグレード警戒期間"とでもいうべき忌まわしいものでした。

加えて、microsoftの今後の方針が今一よくわからない事が面倒さ加減にさらに拍車をかけてくれるわけで、とても苛立たされます。win10の普及台数が大幅な目標未達に終わった事は周知の通りですが、無料期間は延長しない旨散々公言してきた経緯上、一旦ここで普及は打ち止めにせざるを得ない一方、対android及びiOSの戦略上、今更win10を中途半端で放り出すわけにもいかず、事業戦略的に立ち往生する状況に陥る事は避けられないわけですが、未だに期間終了後の方針について明確なポリシーは公表されていません。最後の追い込み期間につきユーザの不安を煽ってアップグレード適用台数の積み増しに集中するというのはわからなくもありませんが、やはり稚拙な印象は否めません。主要OSの供給者としての責任がある以上、そんな自己中心的で勝手なやりようが許される立場ではない筈なのですが・・・。困ったものです。

予想される今後の展開としては、しばらく時間を開けた後で適当な理由を付けて再び無料アップグレードを登録制で再開するだとか、でなければオフィス等の機能制限版のwin10限定での無料配布だとかの追加のインセンティブを導入して有償での移行を推進するだとか、色々と考えられるわけですけれども、それでもこの1年に取ってきた施策の無茶苦茶さ加減を思えば、その程度では劇的な改善は期待出来ないでしょう。そもそもwin7やwin8.1の環境からwin10に変える必要性に乏しく、逆にリスクも相応にあるのだから当然ではあるのですけれども。結局のところ、特に問題なければ現状維持を望むユーザが多数だったというだけの、当然の帰結に落ち着いた、という事です。

従来ならPCのアーキテクチャの進歩のスピードが速く、その分本体の買い替えサイクルも短く、それに伴ってOSの移行も頻繁かつ当然に行われていたものが、アーキテクチャの進歩が頭打ちになり、買い替え需要は消失し、加えてパーソナルデバイス需要のスマホ等他の新興デバイスへの移行が進んだ結果、microsoftのPC用OSを更新する必要性も契機も無くなってしまった、そういったOS事業の環境の変化が決定的なものである、その事が、microsoftの一連の醜態を通じて改めて晒されたものが本件だった、とも言えそうです。IT界を長年支配した巨人と言えども、時代の変化には抗いようもなく、あれだけなりふり構わず強引な手段に訴えてなお悪あがきに留まったというのには、如何にも象徴的なものを感じずにはいられないのです。

何にせよお疲れでした。microsoftはさっさとOSのソースコードを公開して滅びてしまえばいいと思います。

なお本件における私の対応としては、アップグレード実行の直前と直後のシステムHDDをまるごとバックアップを作成し、必要に応じて書き戻しや更新等を行いました。周辺の管理を担当するPC全てについて。非常に面倒でしたが、任意にwin7もしくはwin8.1とwin10の入れ替えが出来、ついでにそこそこの頻度で完全なバックアップも作成出来るので、手間をかけただけの意味はあったと思っています。 でもそもそも本件がなければそんな事をする必要もなかったわけで、やっぱりmicrosoft死ねと思う気持ちに変わりはないわけなのですけれどもね。

microsoftには、中途半端に終わったwin10の普及、それと引き換えに負った全世界のユーザの恨みと損害、それに伴う賠償請求訴訟の山にせいぜい苦しめられればいいと心から思う次第なのです。

[過去記事 [PC] win10強制アップグレードによる被害に初の損害賠償認容判決]
[過去記事 [note] Windows10の表示周りに不具合頻発]
[過去記事 [note] Win10アップグレードという名の地雷を踏み抜いてみました]
[過去記事 [note] Windows10アップグレードはやはり地雷]
[過去記事 [note] Windows10アップグレードの無効化]

[biz] ポケモンGo、狂騒の陰で積み重なる弊害と軋轢、規制は不可避か

突如としてブームになった任天堂のARゲーム、Pokemon Goもリリースからしばらく経ち、そろそろ落ち着いて来た感がするこの頃。それでも、街のそこかしこでスマホをいじっている人は若年層を中心に今以って結構な割合を維持しているようで、特に未成年から中年位までの男性のプレイ率は凄いですね。誰も彼もといった感じです。

なのですが、落ち着いて見ると、やはり色々と問題も多いわけで、果たしてこれが一過性のブーム以上の、継続発展する新しい経済の循環として定着するか否かは、正直なところ現時点ではよく分からないように思います。

現時点で認識されている本アプリの特質としては、ポジティブな面から言えば、

・世界的に認知された初のARサービス
・ゲーム産業界の最重要プレイヤー任天堂のスマホアプリでの初の世界的ヒット作

であり、それを支えるところの、

・キャラクター等コンテンツの知名度等の高さによる極めて高い集客力
・屋外(GPSの届く範囲)全域を網羅するフィールドの広さ、体験の多様性

あたりがポイントになっている、と言えるでしょうか。無論プラットフォームとしてのスマホの普及率の高さによる新規・ライトユーザの獲得の容易性も主要因ではあるのでしょうけれども、本アプリに特徴的なものとは言えないでしょう。

対して、ネガティブな面から言えば、

・"ながら"プレイが前提につき、不可避的に不注意を誘発するため、事故等の危険が生じる
・ゲーム内チェックポイントに現実の名所等を先方の同意を取らず、かつ施設等の状況等に一切配慮せず設定するため、結果として業務妨害等の不法行為にあたるケースが頻発する

あたりが主要なポイントというか、問題点になっているように見えます。

ポジ・ネガ双方とも中々に興味深い論点であって、是非を一概に判ずる事は難しい事は明らかなわけです。ポジティブ要素のうち、フィールドの広さは確かに大きな魅力と言えるだろう一方、一々移動しなければプレイ出来ないというのは制約でもあるわけですし。また、少なくとも、ネガティブな面は現実の危険や不法行為の要因になる以上、被害を受ける側や公の立場からすれば看過し難いものには違いないでしょう。すなわち、このままだと、遠からず何らかの規制・制限は免れないものと予想されるわけです。仮に深刻な事故や損害が生じ、それが明るみになれば、具体的な立法もしくは自主規制が行われる事になるだろう点に異論は挟み難いものと言わざるを得ないでしょう。

ただ、オプトアウトについては結局のところ除外申請の窓口を設ければ済む話ですが、不注意による事故の誘発については、スマホベースのARの仕組み自体に内在する危険につき、事故が起こりそうな状況でのプレイを禁止する以外におそらく防止する方法はないだろう点は如何ともし難いように思われるところです。

例えば、プレイ可能なエリアをオプトイン形式で許可を得た施設等の周辺かつ公道上を除外した範囲に限定等すれば、両方の問題点を一気に解決し得る、と少し考えればすぐに思い浮かぶだろう話ではあるのです。けれども、その種の措置をとったが最後、主要な特性であるところのフィールドの広さ、すなわち屋外であれば何処でもプレイ出来るという、特にライト寄りのユーザの獲得・維持に欠くべからざる性質を失う事になってしまうわけです。そうなれば、フィールドは歯抜けの状態となって、ユーザにしてみれば何処がポイントかもよくわからなくなり、プレイの連続性、継続性が著しく損なわれ、当然にユーザのモチベーションも著しく減退し、その結果この種のサービスの肝であるところのコミュニティの形成・維持も困難になってしまうだろう事も容易に予想されます。その場合、フィールドが広大であるという要素が、エリアあたりのユーザ数、すなわち密度が疎になる、という形で弊害に転じもするでしょう。結果、本サービスの肝とも言える要素が決定的に失われてしまうわけです。

なお、無論その設定・管理、またそれに伴う各施設等との同意交渉にかかるコストも到底無視し得ないものになるでしょうけれども、本アプリの特徴が消えてなくなる弊害に比べればさほど決定的な問題とは言えないのではないかと。

結局のところ、これらの問題の解決はなかなかに難しい、というかスマホベースARの仕組みに内在する問題であって、その形態をとっている以上、価値が損なわれない形での解決は原理的に不可能なようにも見えるわけです。
 
思うに、たかがゲーム、と言うと語弊があるかもしれませんが、事故の危険や業務妨害の被害は防止されなければならないし、個々人のゲームをプレイする楽しみや任天堂等企業の利益と引換えに容認出来るものではない事は間違いないところであって、少なくとも、今のように何処でも大抵の名所や施設が登録されていて、近くに行けばゲーム上のポイントとしてアクセス出来るような状況は、そう長くは続けられないだろう、とそう言わざるを得ないのではないでしょうか。いくらそれによって失われるだろうARの飛躍等の可能性を惜しんだところで、実際に社会問題化しつつある以上、それはもう仕方ない話だと思うのです。

そもそも問題はそれだけではありません。他にも、季節柄、炎天下の下、屋外で長時間ゲームをプレイする事自体にも熱中症等の危険はあるわけです。通常でも多少の油断で起こりうる事故が、ゲームに夢中なプレイヤーに起こらない筈はなく、むしろ当然の帰結であり発生は時間の問題であろうところ、実際に重症者あるいは死者などが発生すれば、危険行為と認定されて一斉バッシング、という事態も起こりうるでしょう。

一市民としては、そのような事態に至る前に、致命的な事故等を回避する対策があらかじめ採られるよう願いたいところですが、ブームに目が眩んでいるだろう任天堂やら関連業界には正直期待し難い事なのでしょう。長年この種のサービスに慎重だった任天堂の事ですから、警戒はしているのかもしれませんが、それだけに経験も対処のノウハウもないわけで、仮に警戒していてもあまり意味はないでしょう。もっとも、物珍しさで始めた大多数のライト寄りのプレイヤーは、各自の生活圏内のポイントを一通り回り終えたあたりで落ち着くだろうし、あるいは飽きて離脱する向きも多いでしょうから、もうしばらく事故が起こらなければ、それほどピリピリせずともよくなるのかもしれませんけれども。いずれにせよ、任天堂にはユーザの安全を第一として極力慎重かつ迅速な事前の手当がなされるよう願いたいところです。

しかし今年はVRあるいはARの年だ、等と年初に色々なところで予想されていましたが、ある意味半分位はその通りになった、と言っていいんでしょうか。その種の予想は往々にして外れるものなところ、珍しい事もあるものです。もちろん、その予想で想定されていたのはOculusやSonyのHMDによる没入型のデバイスの普及であって、本件のような形態のものでは決してなかったわけで、その意味では実質的には予想とは別の話ではあり、予想が的中した、とはまだ言えないわけですけれども。いやはや。

[過去記事 [biz] 審判の日が迫るHMD型VRデバイス達]

7/12/2016

[pol] 鳥越俊太郎の都知事選出馬に漂う不安

ついにこの時が来た、というべきか、来てしまった、というべきか。都知事選、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が立候補する運びになった、とのことだそうで。

かつて選挙の度にその出馬が取り沙汰された筑紫鉄也亡き後、彼のポジションを乗っ取ったかのようにリベラル寄りジャーナリズムの象徴的立場に収まり、知名度の面ではおそらく今以って最高の位置にある彼は、それだけで十分に有力候補足りえる事は疑いようもないところです。一度限りの選挙なら、これほど有力な候補もそうそうないでしょう。

しかしその一方で、おそらく彼ほど不安を感じさせる候補者も少ないだろうのも間違いないでしょう。彼は紛れもない理想論者であり、かつ当然に現実の問題への対処を求められる公的立場に就くにあたって、欠くべからざる諸々の架橋的な理論面・経験面の準備は全くと言っていいほど無いに等しいように見えるわけです。とりわけ、これまで立候補及び政界に身を投じた経験がない、という点は、致命的な失敗の実績がない、という意味で選挙にはポジティブな意味合いも帯びる面はあるかもしれないものの、現実との乖離が著しい程の理想論者、という彼の性質と合わせれば、当然ながら不安要素の最たるものの一つと認識されるでしょう。年齢とそれに伴う健康面の不安も無視出来ませんけれども。

彼がメディアの取材で語ったとされる立候補の動機が、先日の参院選の結果、改憲の可能性が高まったため、というのにも、動機に対する手段の選択において当然あるべき論理的思考を欠いている事は明らかですし、仮に就任したとして、彼の政治的な判断と現実の対応に生じるだろう齟齬を想像させられて、非常に不安を覚えざるを得ないわけです。何故改憲への信任の意味合いも明らかにあった参院選には出ず、それが決してから、本来的に国政には関係ない地方自治体の首長選に出馬するにあたって改憲云々を理由の第一に持ち出すのか、全く以って意味不明で、理解のしようもありません。自治体の運営への意欲が十分にあること、それが何よりもまず必要な、前提としての資質であり、少なくとも改憲云々より先に来るべき動機でなければならない筈なのです。

その辺の齟齬を鳥越氏が自身で認識しているのか否かはさておき、内心には氏なりの考えもあるのだろうし、判断するのは有権者なのだから、動機が何であれ選挙で選出されればそれで正当化されるとも言えるし、決定的な問題とまでは言えないのかもしれません。しかし、氏を担ぎあげる側の態度についてはいささか看過し難いところです。与党側が分裂とはいえ強力な候補を擁立しようとしている現状、対抗するには純粋に知名度で負けないだけの候補が必要で、元々選択肢は殆どなかったところに鳥越氏の立候補の受諾を取り付けられたのだから、上記のような不安は二の次という事なのでしょう。しかし、仮にも自治体の長を務めるからには、本来欠くべからざる為政者の資質をなおざりにして、肝心の自治体の運営自体には経験もなければ意欲も十分とは言えない人物を担ぎ上げて後は知らない、というのはやはり無責任というものだと思うのです。まさに資質の面で前任者達が続けて辞職に追い込まれた後の本件なのですし。

などと言っても、あれよという間に氏の立候補は既定路線になってしまったようです。もう引っ込みがつかない、というのなら、せめてこれから、出来る限りの実務にあたるための準備が出来るよう、その体制を整え、維持出来るよう、担ぎ上げた側は責任を持って面倒を見てもらいたいと思う次第なのです。しかしやっぱりこれだけ不安が先に立つ有力候補というのも珍しいですね。難儀なことです。

[関連記事 [pol] 舛添知事の汚職追求を不毛にする法と社会の齟齬について]

7/07/2016

[biz] 自動運転を責任を持って利用しろとか無茶言うな

先日発生した米Teslaの自動運転機能の誤作動による死亡事故の発生以降、自動運転を巡って世間に広がる恐怖と懐疑、それに対抗しようとする業界側のステマ的な擁護論が喧しいところですが、流石に放置しておけなくなったらしい国土交通省が、"自動運転は完全な自動運転ではなく、運転者は責任を持って利用しなければならない"的な、全く以って今更かつ意味不明なコメントを出しています。監督官庁として何も言わないわけにはいかないからって、それはないでしょうと。

現在実用化されている「自動運転」機能は、完全な自動運転ではありません!!

言うまでもなく、自動運転というのは、運転を自動で行う、すなわち運転作業自体を自動車に丸投げ出来る機能の事を指します。それに責任を持つというのはどういう事か。大雑把に言えば、誤動作をしないよう、常に注意・監視をし、兆候があればコンマ秒以下の瞬時に察知してマニュアルに切り替え、事故を回避する、という事になるでしょうか。そうだとすると、運転手は常に自分が運転しているものとして周囲の状況を把握し続け、瞬間的に操作を奪えるよう、手足をペダルやハンドルに掛けて状況毎に各々の動作の準備をしておかなければなりません。であれば、自動運転と通常のマニュアル運転の違いは、個々のハンドルやペダルの操作の際、ドライバーが身体を動かすか否か位の違いでしかなくなってしまいます。そこまでするなら、却って面倒になるだけだから、最初からマニュアルで運転しておくべきだと思うし、それを自動運転と呼ぶのは実質的に矛盾しているとも思うのです。

そもそもの話、一般論として利用者が機器とその機能の利用にあたって責任を持つには、対象の機能、殊にその状況毎の挙動の特性と限界について十分に正しくかつ具体的な理解をしている事が前提になるわけです。いつどんな状況で正常に動作して、どういう時にどう誤動作するのか、それを把握していなければ注意のしようもありません。しかし、ただでさえ画像処理や電波技術の集積であり、世間ではAIの一言でまとめてそれ以上理解しようとする事すら稀な技術について、そのような十分な理解をし得る運転手がどれだけいるというのでしょうか。あり得ません。それ以上に、日々改変も加えられている真っ最中でもあるのだし、おそらく開発者自身ですら、正確に挙動を予測できない状況の方が多い位でしょう。

理解が及ばないものに責任の持ちようなんてないし、状況によって使い分ける事はもとより、オンオフの切り替えすら判断出来ない、というわけです。そのようなものは、盲目的に信頼して使うか、リスクを嫌って使わないか、その2択しかあり得ません。そこに、上記のように不完全なものだから頼らず責任を持って利用しろ、と言ったところで何の意味もないし、事実上、無条件の自己責任の強制と、利用禁止勧告の意味を持つものと解釈せざるを得ないのです。要は監督官庁としての責任逃れのための予防線的宣言でしかない、というわけですね。

もっとも、勧告を出した当の官庁側の担当者からしておそらくは一般人と同程度、すなわち自動運転について具体的に理解出来ていないのでしょうから仕方ないのかもしれませんが、それすなわち理解のないままさも理解出来ているかのような立場を装って勧告を出したという事で、それはそれで無責任極まりない話だと思うのです。あのような言い方では、まるで責任を持って利用する事が可能なように伝わって、それを受けた人は、正しく使えばいいんだ、と根拠もなく認識し、その正しい使い方とは何か、実際には何も理解しないまま漫然と利用を続け、当然のように事故を起こすだろうし、不安を感じる人は使わなくもなるだろうしと、結果として混乱するだけでしょう。責任を持てないなら使うな、位の言い回しでないといけないと思うのです。今自動運転が下火になると困る自動車業界に配慮したんでしょうが、公共の安全の確保に責任を持つべき立場からの勧告としては、極めて不適切と言わざるを得ません。

しかしTeslaはどうするのか。今のところは責任はドライバーにある、の一点張りですけれども、あの機能の万能性や完全性を主張するばかりな売り方をしておいて今更そんな建前が通用するわけはないのです。誤動作の可能性とその条件等についてドライバーへの具体的で十分な注意があったとは到底言えず、またそもそもドライバーが十全に管理し、誤動作時の事故を防止し得るシステムになっていない事は明らかなのですから。システムが事象を認識出来ない以上警告もないのに、しかも高速運転中につき何が起こるにしても一瞬の間に、自動運転に制御を預けて大なり小なり注意レベルを下げているドライバーに何が出来るというのでしょう。システムの基本設計思想からして欠陥があるのです。

技術の進歩には犠牲がつきもの、というような事を言う向きもあるようですが、論外と言わざるを得ません。その技術を一刻も早く普及させなければ膨大な人命が失われる、といったような、犠牲に釣り合うだけの理由があり、かつその開発・普及にはそのような方法しか取り得ないというのであれば格別、現状は、製品が高く売れるからと、単に検証も保証もないまま未熟な技術をぶっつけ本番で投入し、その当然に発生する短慮の報いをユーザーが被ってしまっている、というだけに過ぎないのですから。ユーザーの安全確保を何よりも優先すべき自動車メーカーとして当然の慎重さがあれば起こり得なかった死であり、到底容認する事など出来よう筈もありません。しかしその種の詭弁は少なくはないというし、どれほど破綻した思想と短慮があれば、そんな事が言えるのかと、愕然とするとともに、極めて残念に思う次第なのです。今からこの調子では、自動運転自体の先行きも怪しいものと言わざるを得ません。本件は、自動運転技術、ひいては自動車産業にとって、長く消えない呪いになるのではないでしょうか。

[前記事 [biz] 米TeslaのModelSが自動運転による死亡事故]

7/01/2016

[biz] 米TeslaのModelSが自動運転による死亡事故

遅かれ早かれだとはわかっていましたが、起こってしまいました。

Floridaのハイウェイ上を自動モードで走行中、側道から入ってきたトレーラーを識別出来ず、そのまま減速せずに突っ込んで大破し、運転手は即死したそうです。

具体的な理由は色々あるんでしょうけど、限定的・理想的な環境条件の元でしか挙動を保証出来ず、開発時に十分に想定していない事象に対して誤認識もしくは認識不能を起こし、それによって人間ではあり得ないような挙動をしてしまう自動認識技術の脆弱性、それがオープンな環境において当然に露呈したものには違いないでしょう。必然の結果と評価する他ありません。

一応、建前として自動運転は補助機能につきその機能を使用した運転手の責任、という事にはなっているのですけれども、自動運転中、それも高速走行中に常に注意を払うというのは現実的に期待し得ないものであるわけで、実質的に見れば当然その責任はメーカーにある事に疑問の余地はないように思われるところです。

おそらく世界中で最も自動運転車の実適用に積極的な同社には、技術面で未熟にもかかわらずあまりに投入を焦りすぎていると危惧の声が上がっていたところですし、いい繕いようもないでしょう。ちょっと前には、自動駐車の逆的なガレージから自動で出てきてくれる"summon"機能が誤動作して、これまたトレーラーに勝手に突っ込んだという事故がありましたけれども、幸い無人だったので物損で済み、それほど深刻には騒がれませんでしたが、今回は死亡事故です。白っぽいから反応出来なかった、とかそんな言い訳が通る筈もありません。そんな製品を作ったエンジニアも、搭載を決定した経営陣も、自分たちが殺人に等しい罪を犯したのだと知るべきです。少なくとも、遺族はそう言って非難するでしょう。

おそらくは社会や当局からは自動運転機能は欠陥機能につき廃止せよとの声も上がるでしょう。そうでなくともユーザーは怖すぎて使えなくなってしまいますから、機能も価値も激減します。損害賠償の訴えにも発展するのではないでしょうか。何かにつけ自社の非は頑として認めない事で有名な同社が、この逃れようのない失態に対しどう対応するのか、流石に観念するのか、要注目なのです。

しかし他のメーカーも冷や汗ものでしょうね。自社じゃなかった事で安堵はしつつ、自社製品でも普通に起こりうるだろう事も分かるでしょうから。 これで自動運転自体が縮退する格好になるのか、もしそうなら、ここ数年で本機能の開発につぎ込まれた莫大な人的・物的投資が一転して大変な負債になってしまうわけですが、さて。

米テスラ、自動走行で初の死亡事故 相手車の色が原因か

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