12/21/2024

[biz] 米で相次ぐスト、長年のツケを払わされるAmazon

Strikeです。

年の瀬の最中ですが、米国ではそんな事関係ないと言わんばかりにStrikeが頻発しています。

秋頃に長らく続いたBoeingのストがようやく終わったと思ったら、AmazonのDelivery Driverがスト、続いてStarbucksの一部でもストです。

要求内容はほぼ同じ。賃上げと労働環境の改善です。もちろんこの超のつきそうなインフレ下ですから賃上げが主たる目的である事は明らかです。

要求はBoeingの例に倣えば概ね通る見込みではあります。およそ30%〜が相場でしょうか。インフレ率からすればまだ控えめと言っていい位ではあるのですが、凄い率ですね。

ただ、Amazonだけはちょっと、いやかなり事情が違います。以前日本国内でも一部地域で発生したストの時と同様、 配送担当のドライバーは形式上Amazonに雇用されているのではなく、委託契約を受けた下請け業者の立場にあります。なので、AmazonはそもそもDriver達(及びその結成したUnion)を交渉相手と認めておらず、門前払いしている状況なのです。

日本の労働法で言えば、契約の形式によらず、実質的にAmazonの指揮命令下にあればその限りで雇用関係にあるものとして交渉権が認められるものと解されていますから、その拒否は違法という事になるだろうわけですが、米国の労働法は統一的なものではなく、しかも連邦法・州法によって様々な規定が分散していて一概にこう、という解釈が困難らしい感じなのですね。

だから門前払いも即違法とはならず、そこから裁判、もしくは実力行使で争う必要がある。何にせよ、時間稼ぎにはなるでしょうし、その間にAmazon側が個別に契約解除なりしてしまえば終わりだったわけです。これまでは。今回はそうなっていません。何故か?それは、Driver達をAmazonの被用者と認めるお墨付きが最近になって出たからです。

一般的な感覚では、注文から配送まで完全に一体のシステムとして組み上げられたAmazonの通販サービスの中で、機械的に委託を受けるドライバーに個別の裁量の余地などなく、実質的にAmazonの指揮命令下にある労働者と見るべき事は明らかですが、米国の労働関係局が最近になってAmazonを"joint employer"、つまり実質的な雇用者に分類する判断を示したのです。(もっとも、Amazonは不服として争っているそうですが。)

このお墨付きが与えられた事によって、これまで成立しづらかったUnionが成立し、ストが起こせるようになった、というわけですね。

とはいえ、Driver達のUnionは、Amazonの労働者の一部に過ぎず、ストの効果も限定的で、交渉力は弱く、要求をAmazonに飲ませるには不十分です。そこで、その弱い交渉力を補い、ストを効果的なものにすべく、Amazonの他の部門の労働者とも連携を進めており、その一環としてNY,California等の一部Hubの労働者がDriverのストに呼応してWalkoutを実施しました。

AmazonはDriverのストによる影響は殆どないとしていましたが、HubでのWalkoutについてはその配送への影響を認め、遅延等の発生を警告しています。つまり、ストが機能している。これまでのようにAmazon側が無視して終わり、とはいかなくなっているわけです。

今後の見通しは不透明です。決着の形以前に、そもそも交渉の席に未だついていない、という現状からして、Amazonのストが収まる見込み自体立っていません。しかし事業に無視できない支障が出ている以上、無視・放置を続けるわけにもいかないでしょう。

また、これまで交渉自体を拒否し、放置し続けて来た経緯上、労働者側の溜め込んだ不満は尋常なものではないだろう事は明らかで、その分要求は苛烈なものになるだろう事も必至です。Amazonにとって、その交渉は困難を極めるものになるでしょう。長年のツケを払わされる時が来た、という事なのかもしれません。であれば自業自得と言う他ないのですが。

委託契約を使って雇用・労働法制を潜脱し、不当な労働条件・環境を強いてきた搾取企業の代表であるAmazonの、その悪しき体制の終わりにつながるのか、労働者達の健闘を祈りつつストの行方に注目する次第なのです。

Amazon workers are striking at multiple facilities. Here’s what you should know

12/11/2024

[biz] GMが自動運転タクシー事業から撤退

米自動車大手GMが、自動運転タクシー事業からの撤退を決定したそうです。

同事業は、子会社のCruiseを通して実施されていたものですが、2023年にSan Franciscoで女性に重篤な怪我を負わせる人身事故を起こして以来その運行は停止され、罰金も課されていました。運行再開の目処も立たないまま、結果としてこれが致命傷になった格好です。

米国のrobotaxi事業自体はまだ黎明期にありますが、既にWaymoをはじめ、Teslaの参入も報じられるなど、技術的成熟も社会からの認容も待たず、早くも過当競争に陥る兆しを見せていました。収益など無いも同然であっただろう事は明白です。

GM社は、その市場環境の先行き見通しの不透明さに加え、技術的な課題の困難さ、開発コストの高さ、前記のような事故のリスク等を勘案した結果、事業としての成功が見込めないと判断したものと思われます。

今後は、ドライバーレス車の開発は全て中止し、通常の運転支援技術に注力するとの事。事故の際の責任が全てメーカーに降り掛かってくるその性質上、やはりドライバーレスの自動運転車はメーカーにとってあまりにもリスクが高すぎるのでしょうね。他社はどうするのでしょうか。

そもそもの話、ドライバーレス車をその高い追加コストを払い、諸々のリスクを許容してまで求める人ってそんなにいるんでしょうか。自分で運転が出来る人には少なくとも必須ではないでしょうし、そうでなくとも周囲の人や、それこそ通常のタクシー・uber等、従来通り人に運転を頼めば十分なケースが大半でしょう。

結局、運転手がおらず通常のタクシーもuberもなく、バスすら走っていないような過疎地域において自分で運転出来ない人がメインターゲット、という事になるわけですが、それは極めてニッチな需要でしかありません。ユーザーの密度や許容される単価を考えると、採算が取れるとは考えられませんね。その上技術的にも未熟で安全性も担保されないとなると、やはり事業としては厳しいと言わざるを得ず、今回のGMの判断にも首肯せざるを得ないのです。

GM is pulling the plug on its robotaxi efforts  

12/10/2024

[law] 石破総理のトンデモ憲法論に困惑

石破総理が、なんか変な事を口走ったそうで。

企業・団体献金の禁止の是非に巡る国会での議論の最中に、憲法21条規定の表現の自由に抵触する、との見解を述べた件についてです。

多くの人が疑問を感じたのではないでしょうか。特に法律論に明るくない一般の人には、企業・団体の政治献金が表現の自由で保障されている、と言われても、何を言ってるんだとしか思われないでしょう。 

法的に見ても結論としては似たような感想を持たざるを得ません。全く根拠がないというわけではないのがややこしいのですが、詳細に論ずると切りがないので要点だけ。

本見解は、おそらくは企業献金の合憲性を認めた八幡製鉄政治献金事件を念頭に置いたものかと思われますが、これは一般論として法人も憲法に規定された各種の権利・義務の主体となりうる事を認めたものであって、個々の権利に対する規制の可否とその審査基準については何ら審査も判示もしていません。従って上記見解の根拠にはなりえません。

また、表現の自由により保護される権利は広範に及びますが、その大部分は個人の尊厳を保護の根拠としており、それを観念する事の出来ない法人等については、自ずから憲法上の保護を受けるべき権利の範囲は個人のそれと比して狭く、かつ保護の必要性も小さいものと一般に解されます。

法人等では、その行為につき構成員間での意見の相違や個人の信条との不整合等、個人の人権との衝突も起こり得ます。その場合は、原則として個人の人権の保護が優先されます。すなわち、法人の行為に対する規制が合憲性を帯びるわけです。なお、その規制立法が他の人権を侵害する場合にはその限りで違憲となる事については言うまでもありません。

必然的に、法人等への規制に対する違憲審査においては、個人に対するそれより緩やかな審査基準が適用される傾向にあります。つまり、法人等の活動への規制は合憲とされやすい。というか、余程の明白な違憲性が認められるのでない限り、裁判所が違憲と判断する可能性は限りなく低いのですね。その意味で、個人と法人とは憲法上の保護の度合いが全く違うのです。

規制を違憲とする最高裁の判断が示されたのなら別ですが、それもない。である以上、表現の自由に抵触する、等と言える筈がないのです。現時点で言える事は、規制のやり方によってはその可能性が生じうる、といった程度でしょう。それにしたところで、その判断に際しては、法人独自の権利が保護されるのではなく、最終的にその大部分が個人の権利の侵害如何に帰着するのではないでしょうか。個人の人権を侵害しない限りにおいて合憲、といった形で。

そもそも、企業・団体による政治献金につき表現の自由として保護が及ぶ事と、他の人権の保護のために制限を加える事の是非とはレベルの異なる話なのですが、石破総理の発言ではこれらを混同しています。

石破総理の思い込みなのか、それとも意図的に混同したのかはわかりませんが、少なくとも一般には通じない言説には違いありませんし、あの文脈でわざわざ述べる必要も意味もなかったように思われます。企業・団体献金の規制をしたくない旨をもっともらしく主張したかっただけなのかもしれませんが、不適切と言わざるを得ませんね。困ったものです。

12/08/2024

[pol] また一人、中東から独裁者が消える

ついに、でしょうか。IraqのHussein,LibyaのGaddafiに続き、また一人、中東から独裁者が消えます。 

親子二代、50年以上に渡って中東Syriaの支配を続けてきたAssad家ですが、国内武装勢力に敗北し、その支配が終わろうとしています。既に首都Damascusは包囲され、事実上陥落したも同然の状況となり、Assad大統領は既に国外に脱出したとの情報も流れています。

Bashar al Assad。2000年に父のHafazの後を継いで以来、常に不安定な中東情勢にあって、その戦場の中心の一つとして、国内の武装勢力、Al QaedaやIslamic states等のイスラム諸勢力、Israel等の敵対国家まで、国内外の様々な勢力との戦争に明け暮れる一方、就任直後の粛清と知識人等の大量逮捕・収監に始まり、Sunni派の弾圧、また数多の虐殺といった明らかな犯罪にも頻繁に及び、多くの人を常に虐げ、殺し続けました。

それはまさに、血塗られた、と形容するにふさわしい独裁者のそれだったと言えるでしょう。情勢的にそれ以外に選択肢はなかった、というだけなのかもしれませんが、本当に戦争以外の話が全く聞こえてこない大統領でした。

永遠に続くかに思われたそのAssad家によるおぞましい支配も、終焉を迎えます。代わってSyriaの統治を担うのは、イスラム系の武装勢力の連合体です。AfghanistanのTalibanほど原理主義的ではありませんが、自由主義的な統治になるわけはなく、程度の差こそあれ前時代的なイスラム国家としての道を歩む事になるのでしょう。

直近の戦闘では、LebanonのHezbollahも参戦していたとの話もありますし、イランの影響が強まる可能性は高いものと推測されます。その場合、Israelとの戦争が本格化する可能性もあります。ただ、地域的にはSunni派が多数派なのと、その他の勢力も多数入り乱れている状況なので、どのような傾向が強く出るのか、また安定的な体制になるのか等、殆どの事が不確定な状況には違いありません。

長年の戦乱によって国内は荒廃しきっており、また今回の政権移行はIraqの時のそれと違い、西側諸国の意向があまり働いていない事もあって、安定や秩序、そして平和がかの地にもたらされる日は遠そうです。

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行方が判然とせず死亡説も流れていたAssad大統領ですが、Moscowに亡命して存命であるとの報が流れています。今のRussiaにそんな余裕があるのかという疑問も浮かびますが、流石に注目が集まっている今見捨てる、あるいは切り捨てるのは躊躇われたという事でしょうか。

なお、Iranの影響については、世間的にはどちらかというと減ると見る向きの方が多いようです。いわゆるShiaの孤の一角が崩れた、として。確かにそういう面はあります。Iranは長年Assad政権を援助し続けて来ましたし、そのラインを通じてLebanonに武器を供給もしてきました。それが消滅する影響はそれなりにあるでしょう。

しかし、今回政権を打倒した反政府勢力はその総意として反Shiaや反Iranを掲げているわけではなく、欧米やロシアを含め、特定の外部勢力の傘下にあるわけでもありません。現状は、単にAssadの支配が崩れ、地域の情勢が不安定化したものと見るべき状況のように思われます。しかるに、近隣のどの勢力が最も介入を強め、また今後強い影響を持ちそうかと言えば、それは長年実体的かつ密接な交流を通じて影響を保ち続けて来たIranであろうと思われるわけです。

政権が消えても、人やモノの流れを通じた実体的な繋がりはそう簡単に消えるものではありませんし、むしろ混乱に乗じて影響を強める可能性も低くはないでしょう。勿論、新政府のあり方如何によりますし、とりわけSunni派の意向が強く反映されるものになれば、Iranが排除される可能性もあります。ただ、実際問題としてあの地域でIranを排除するというのはそんな簡単な話ではないし、それが可能な程に一体性を有する、統制された政権になるのかすらわからない現状では、そこはまだ判然としません。

勿論Israelはありえません。Syriaの武装勢力は全てMuslimですから、むしろ対Israelで一致団結する可能性が高いでしょう。

12/05/2024

[pol] 息子を見捨てられなかったBiden大統領

米国のJoe Biden大統領が、息子のHunter Bidenに恩赦を与える大統領令に署名しました。

身内への恩赦。特段の正当な事由もなく行われたそれは、紛うことなき権力の濫用です。これまで度々その行使の是非を問われ、否定し続けていた前言を翻して踏み切った事もあり、背信行為と看做されてもいます。

当然、米国はほとんど非難一色です。身内である筈の民主党内からも、左派を中心に公然と批判の声が上がっています。

その長い政治家としてのキャリアを通じて受けた批判は数え切れない程あれども、このような明白な権力の濫用は一度たりともする事はなかった彼が、そのキャリアの最後に犯した、たった一度の過ち。

彼は、この過ちによって、間もなく訪れるそのキャリアの終わりに当然に得られた筈の、公正を貫いた政治家としての名誉を損なう事になりました。完全に失ったと見なす人も少なくはないでしょう。

このような結果を大統領が予想出来なかった、等という事はあり得ません。それは承知の上で、全ての応報を覚悟して踏み切ったのだろうと考えられます。

その事情は概ね理解できます。脱税等の容疑で訴追されていたHunterは、司法取引に失敗し、元々有罪となる見込みでしたが、次期大統領のTrumpから明らかに敵視されており、次期政権下でその意を受ける司法当局に恣意的かつ不当な厳罰を課される可能性が極めて高くなっていました。

その主たる原因は、TrumpがJoeを政敵として敵視しているから。それだけです。すなわちBiden大統領の息子であるという、Hunter自身にはどうする事もできない理由によるものです。Joeからすれば、自分のせいで息子が危機に晒されている状況にあったわけです。

そして、Joeには恩赦を出す権限があった。つまり、息子を助ける事は不可能ではなかった。その行使の是非は、Joeにとって、政争に巻き込んでしまった息子と自身の立場、そのどちらを取り、どちらを捨てるのかという、残酷な選択をJoeに強いるものになっていたのです。

Hunterにかけられた容疑は正当なものでした。である以上、それは法に則って裁かれるべきであり、罪が認められれば当然に罰せられなければならない。将来その罰が不当なものになる可能性があったとしても、それを理由に訴追自体の赦免などしてはならない。当然の事です。

また、正当な理由なき恩赦は権力の濫用であり、誰よりも公正であるべき大統領として厳に慎むべきもの。身内に対するそれであればなおさら。これもまた当然の事です。

大統領の立場からは、どうやっても正当化など出来はしません。もし行使すれば、自身のみならず大統領という立場の威信をも損ない、後世まで拭い難い汚点となる。多くの人の信頼を裏切った者として、名誉も信頼も、何もかもを失うだろう、論外の行為。大統領自身、その事は誰よりもよく理解していたでしょう。

しかし、最後の最後で。自分が原因で、その人生を破壊されようとしている息子を前にして。彼は、見捨てる事が出来なかった。これはそういう事なのでしょう。

そうでなければ、どうして彼が、その人生をかけて築き上げた輝かしい名誉を投げ捨て、信頼を裏切り、当然に予想されていた司法当局や国民、仲間達からの非難をも甘んじて受け、あまつさえTrumpに自己への恩赦の口実を与えてしまうような、大統領という立場そのものの威信、ひいては統治体制への信頼をも決定的に損なうだろう暴挙に及んだ事に説明がつくというのでしょう。

その立場や公益、自身の名誉と親子の情を秤にかけ、前者を捨てて後者を取った。大統領と言えど、否、大統領であるからこそ生まれたその葛藤の末、我が子に情をかけるために、全てを犠牲にしなければならなかったJoe。

その行いが批判を受ける事は必然という他はありません。

ただ、彼はまず間違いなく全てを承知の上で、Hunterへの恩赦に署名した筈です。名誉も信頼も全てを捨てて。そんな彼を、殊更に袋叩きにする事に正当性はあるのでしょうか。それ以前に、意味はあるのでしょうか。

民主党議員をはじめ、良識を重んじる点を自身の正当性の根拠にしている人達としては、この先、Trumpが権力の濫用、特に自己への恩赦をしようとした場合を想定して、その時に非難するためにはここでBidenを非難しておかなければならない、という事情もあるのでしょう。あるいは、Hunterが受けるべきだった刑罰の肩代わり、という意味合いもあるのかもしれません。

しかし、であればこそ、それは不当な行為であると言わねばなりません。味方も失って、反論の術さえない、たった一人の老人に過ぎない彼に寄って集って加えられる、法の歯止めもなく無秩序な非難。それらは、ただの私刑でしかないのです。

法治国家にあって、あらゆる行為の正当性は、法によってのみ担保されます。Trumpのそれと対峙する際に正当性を主張しようとするなら、法に基づかないそれらはなおさら厳に慎むべきものである筈です。Bidenの今回の恩赦にしても、あくまで大統領として法によって与えられた権限に基づいて恩赦を与えたのであって、違法な事をしたわけではないのですから。

そもそも、そんな事をしても、何も得られるものはないのです。 彼はそういう選択をした。もはや取り返しはつかず、非難を加えたところでその事実は動きません。大統領としての任期も間もなく終わりを迎え、同時に政治家としても引退する彼に、次はありません。年齢からすれば、この世から去る日も遠くはないでしょう。

そんな彼を痛めつける事に、意味も正当性もないのです。憤慨する人や、無念に思う人も少なくはないでしょうが、ここに至っては、もはやただ静かに見送る他ない、とそう思うのです。

願わくば、去りゆく彼に残された日々の中に、許しと救いの訪れんことを。

ただ、Hunterについては話は別です。そもそもの責任はほぼ彼にあるわけで、彼がまっとうな生き方をしていたならこんな悲しい事にはならずに済んだ筈なのです。それが無罪放免というのは納得しろと言う方が無理というものです。

実際のところ、彼に対する米国民のヘイトは半端なものではありませんから、自分の身を守るためにも、なにがしかの罰は受けておいた方がいいだろうとも思いますね。主要な容疑は脱税であって、たかが、とまでは言えませんが、強盗や殺人等の重犯罪が日常茶飯事な米国にあっては、それらと比較すれば遥かに軽い部類のありふれた経済犯に過ぎないのですし。

[pol] 増税と歳出削減はやはり鬼門。仏首相、不信任可決

仏でMichel Barnier首相の不信任が通ったんだそうです。

就任からわずか3ヶ月。Macron大統領が後任を指名するまではその任に留まりますが、もう何も出来ませんし、退任したも同然ではあります。お疲れ様でした。

原因は、600億Euro(約10兆円)規模の歳出削減及び増税を盛り込んだ2025年の予算案につき、与党が少数派であるために議会の承認を得られる見込みが立たず、専決処分的に議会の承認なしで予算を成立させようとした事によります。

予算を議会の承認なしで成立させる。それは暴挙と言う他ありません。というかそんな事が可能なの?と耳を疑うような話です。

ざっと確認してみたところでは、それが実際法的に可能なのかどうかについては、当のフランスでも微妙だそうです。憲法上明文で否定されているわけではないようですけれど、歳出削減は別にしても、増税等の国民に重大な義務を新たに負わせる措置は、その前提として国民の同意すなわち議会の承認が必須であり、一般に専決処分の対象にはなりえないものと考えられます。どう見ても無理筋ですね。

仏議会は当然の反応を示しました。到底受け入れられない、と反発し、そのまま本来不倶戴天の敵同士の筈の極右派と左派が不信任で一致してしまい、あっさり不信任が成立した、というわけです。Barnier首相は、私をクビにしてもフランスの債務は消えない、等とほとんど捨て台詞的な牽制等をしていましたが、無意味でした。これに伴い予算案も廃案。

要するに、債務の膨張に苦しむフランス政府がそれに対処すべく予算・税制に手を付けようとしたところ、ポピュリズムに傾斜する事で近年国民の支持を高めている極右派・左派に潰された、というだけの話です。

それで、今後はどうなるのか。Barnier首相の案は潰えましたが、後任はその路線を継承出来るのか。これについては、その継承・継続は困難だろうと思われるところです。

というのも、そもそもの話、Barnier首相とMacron大統領の立ち位置は中道右派です。一般に、全体のバランスを取って妥協案をまとめるには最も適している、筈です。とりわけ今回問題になった増税や歳出削減といった根本的に意見・方針が対立するシビアな政策について、極論さえ公然と掲げる各陣営を妥協に導く事は至難の業です。比較的中立性の高い筈の彼らにまとめられないのなら、他の誰もまとめる事は出来ないでしょう。

つまり、今のフランスでは、増税や歳出削減は実現不可能だという事です。よって、その方針の継承は無意味という他ないのです。

ではフランスはこれからどうなるのか。それは誰にもわかりません。ただ、おそらく明るいものにはならないでしょう。

フランスの債務は、年間GDPを越えたそうです。日本では遥か昔に通り過ぎ、最早手遅れとして対処も諦められたそれですが、激しいインフレ下で既に年3%を越え、さらに上昇する可能性も高い金利水準もあって、財政破綻の危険性は到底無視出来ないレベルにあると言えるでしょう。日本の二の轍を踏まないためには、今ここで踏みとどまるしかありません。相応の犠牲を払って。

にも関わらず、その対策は不可能。どころか、真逆の政策を主張する筆頭の極右派が政権奪取にあと一歩のところまで迫っています。おそらく現状のまま事態が膠着すれば、何も出来ない政府・与党への国民の不満・批判はさらに高まり、極右派への支持もまた強まるでしょう。 

そして、極右派が政権を奪取すれば、財政再建どころか、積極財政へと踏み切る見込みは極めて高い、というかほぼ確実です。そのあまりに無根拠で楽観的なスタンスに、これまで政権を担った事もないために稚拙・杜撰になるだろう政策が無秩序に実行に移されるでしょう。

バランスも考慮されず、もはや支出に歯止めをかける事すら出来なくなり、債務の底が抜ける。そして爆発的に進むインフレ。一方で、既に膨大な人数に及んだ移民の排斥が始まり、社会は混乱を極める。 米国でTrumpがもたらしたものとある程度類似するだろうそれらの混沌とした状況が、政権が一体として推し進める事で、さらにスケールを拡大する形でフランスに訪れる、のかもしれません。

しかし、何も出来ない。どうにもならない。今のフランスは、そんな絶望的な状況にあるわけです。

あるいは極右派ではなく、左派が伸びて、社会保障政策の強化が志向される可能性もあるのかもしれませんが、そちらにしたところで、積極財政に傾斜するだろう点では変わりませんし、経済政策面の懸念に関しては極右派のそれと大差があるわけでもありません。

自由の国。人権の国。その行き着いた先が、分裂と対立に溢れ、終わりの見えない争いが続き、ただひたすら破綻へと向かう、しかしそれを避けるために犠牲を払おうとはしない、誰も彼もが我儘に振る舞うだけの社会だった。何とも皮肉な話です。

12/04/2024

[pol] 韓国大統領、発狂して戒厳令を宣言から即撤回、またしても弾劾へ

韓国で突然Martial lawが宣言されて世界中がびっくり。

何事だ、北朝鮮が何か仕掛けたのか、と身構えたのも束の間、数時間後にはあっさり解除されました。もちろん、北朝鮮は本件に関しては何もしていません。

大山鳴動して鼠一匹的な話で終わって一安心ではありますが、しかし、多くの人が一体何だったの?と首を傾げています。

その事情を簡単に言えば、国民の信任を失い、与党は選挙で敗北し、さらにその与党内での支持すら失(いつつあ)ってもはや何も出来なくなっていたYoon大統領が、後先考えず無理やり独裁に走ろうとしたものなのだそうです。なんじゃそら。

要するに追い詰められての発狂、いわゆるキチゲ解放とかいうやつですね。一国の大統領が。いやもう勘弁してほしいです。

その後の流れは言うまでもありません。国民の支持など得られるわけもなく、議会も与党含め総反発であっという間に取り下げに追い込まれ、さらに逆に辞職を迫られ、応じなければ弾劾による強制解任が確実視されています。

また弾劾ですか。。。Park大統領が弾劾により罷免されたのもそんなに昔の話ではないのですけれど、今回の状況はPark大統領の時より明らかに酷く、弾劾が提起されればその成立は確実とされています。

とりあえず今回の話はそれで終わりです。

しかし、なぜ韓国の大統領はこう、不祥事からのクビになるような形でしか終われないのか。韓国の大統領は再選禁止だから一期だけなのに、それを満足に務める事すら殆ど不可能というのは、個々の大統領の資質云々以前に、何か制度上根本的かつ構造的な問題があるというか、ぶっちゃけ政治体制として韓国社会に合っていないのではないかとの疑念を禁じえません。今後改善しそうな見込みも皆無ですし。

よその国の話ですから、もちろん他国の人間が口出し出来る筋合いはないのですが、流石に今回のような騒動はあまりに意味不明に迷惑だし、文句位は言いたくなりますね。もっとも、外野の声には耳を貸さないどころか逆に反発するのが常なお国柄でもあるし、そもそもなにがしか改善を図る事が出来るならとっくにそうしてるでしょうから、きっとこれからもこんな感じなんでしょう。困ったものです。他人事ですけれど。というか、いつまでも他人事であって欲しいものです。

<追記>

揉めに揉める事10日、一度は否決された弾劾決議案が2回目にして成立したそうです。一度目は与党が棄権という形で反対に回りましたが、その後大統領が戒厳令を正当化する旨の演説をした事で与党内からも反発が強まり、今回の結果に至ったとのこと。与党としては折角かばおうとしたのに裏切られた気持ちだったのでしょう。

これを以て大統領は権限を停止され、弾劾裁判に掛けられる事になるわけですが、この四面楚歌そのものの状況では罷免は免れないでしょう。お疲れ様でした。ともあれこれで一段落ですね。もう騒がせないで頂きたいと思います。まあ、韓国の国民の方が私達外野より余程泣きたい状況だろうとは思いますが。。。

11/29/2024

[note] ニュースの総ゴシップ化

ゴシップ。うわさ話。縁もゆかりもない他人についての、根も葉もない真偽不明の情報を、興味本位であげつらうもの。

ニュース情報の内にあっては、報道の対象となる公共の利害に関する事実と対極に位置付けられる、その大半が流布の正当性を欠き、それに伴ってプライバシーはじめ各種の人権侵害についてしばしば違法性を帯び、あるいは単なる虚偽・風説の流布として社会に害悪をもたらすもの。

昨今、そういう性質のニュース記事が増えているように思われます。それも、メディアの種類やニュースのジャンル等の区分を問わず、一般的に。

その種のニュースは、以前はその対象は芸能人を中心として、著名人の私生活に関する情報にほぼ限定されていました。マスメディアしか発信元がなかったのですから当然です。

しかし、近年はSNSを中心にYoutube等の動画サイトから各種のネット掲示板まで、多種多様な非マスメディアがニュースの伝達を担う場として隆盛し、マスメディアのシェアは相対的に低下を続けています。情報の種類・性質にもよりますが、多くの場合、非マスメディアで流れる二次以降の情報の情報流通に占める割合は圧倒的多数になっていさえします。

元々、ネット上の非マスメディアで流れる情報は、発信者と受信者がいずれも一次的な情報に接する事のない部外者であるために、その殆どが発信の時点で二次以降の伝聞であり、発信者の勝手な思い込み等の主観的な面も強く真偽の怪しい、すなわちゴシップ性が色濃いものです。

非マスメディア経由の情報が占める比率が増えるに従い、ゴシップ性の高いものの比率もそれだけ上がる。それは必然の結果です。しかし、それだけではない。

近年はマスメディアも含め、ニュースの流通プラットフォーム自体がネットへ移行しています。ネットがマスメディアと決定的に異なる点は、言うまでもなく、受け手側の各個人が個々のニュース(もしくはその発信元)を能動的に取捨選択する、という点です。

世に流れる情報はあまりに膨大であり、人間がその全てを見ることはおよそ不可能である以上、各個人は、基本的に自分の見たい記事しか見ません。見ることが出来ません。従って、ネット上のおよそ全てのニュースは、否応なく受け手の嗜好という容赦のない選別に晒される定めにあります。

どんな情報も、伝わらなければ無意味です。受け手に届かなければニュース事業は成立しません。受け手の興味を惹かなければそもそも見てもらえない以上、そこで最も重要なのは、記事の信頼性でも公共性の高さでもスクープ性でもなく、大量のニュースの中から受け手に選んでもらえるかどうかであり、その興味を惹けるかどうか、その一点に尽きる、という事になる。

興味を惹くためにはどうするか?

様々な試みが行われて来ましたし、今以て日夜絶えず行われてもいます。大手の新聞社等は、まず従来の紙媒体と同様に直接の閲覧料を徴収すべく独自の会員制サイトを作りユーザーを囲い込もうとしましたが、極めて限定的な効果に留まり、紙媒体の代替にはなりませんでした。次に大手のポータルと契約を結んで優先的な扱いを受けられる地位を手に入れ、こちらは概ね成功と評価出来るだけの閲覧者を得ているように思われます。しかし、ポータルの側が優越的な立場にある事から、そこで得られる広告収入等は十分なものとは必ずしも言えないようです。

それらの、情報流通の仕組み上の工夫による対処には、元より限界がありました。であれば、個々の情報の内容とその出し方を改良するより他に手立てはない、とそう考える業者が出たのも自然な流れです。興味を惹くにはどうするか、惹ける内容とはどういうものか、それらの検討がなされた結果、元々ゴシップをよく扱っていた週刊誌系を中心に少なからぬメディア事業者がゴシップに流れました。

今では、大規模な災害や政治的なイベント等の報道すべき題材が溢れている一部の時期を除き、何ら公益に関係しない、従って本来はニュースとも言えないような、取るに足りない単なる噂話や、現実性すらあやふやな予想・憶測、事実ですらない意義不明の一個人の感想や意見など、ゴシップ性の極めて強い情報がニュースとして当たり前に流されるようになっています。

その最たるものとして、スポーツ選手関連の報道が挙げられます。プロスポーツは興行であり、一事業者の私的事業に属するものです。その一環であるところの選手の情報は、本質的に芸能人の活動や生活の情報等と同種の、公共の利害とは無関係な、まさしくゴシップの代表と言えるものです。

にも関わらず、昨今では日々のトップニュースで政治・経済・社会の各種の公益に関する報道を差し置いて、いの一番に取り上げられるのです。それに辟易する人も多数発生し、知りたくもないのに強制的に情報に晒される事をハラスメントとして非難する人まで少なからず生まれている始末です。ネットニュースは勿論、従来型のマスメディアですら例外ではありません。

これは、ニュースの重要度・優先度が、受け手側の興味を惹く度合いによって決定付けられている事の象徴と言えるでしょう。つまるところ、今の社会にあっては、ニュースの本質とは話題性なのであって、内容は二の次なのです。換言すれば、内容は何でもいいのです。それが嘘であろうと。伝わる事こそが最も重要な点になっているのです。

まさしく本末転倒です。

見出しにも、"たった一つの"、"本当の"、"驚きの"、 "真実"、"ウソ"、などなど、胡散臭い誇張的な表現を用いるものが増えました。ネット普及以前は、一部の、信憑性が極めて低いとされるゴシップ系の週刊誌等でしか見られなかったようなそれらが、ニュースサイトでは報道記事と区別される事なく、同列のものとして並べて表示されています。そして、アクセス数の上位にはむしろ通常の報道記事よりゴシップ系の方が遥かに多くランクインするのです。

アクセス数の多さ少なさは、そのまま収益の高さ低さに直結します。でっち上げの記事より、一次情報に近く、裏取り等も行う報道機関等の記事の方が遥かにコストは高い筈ですが、受け手の興味を惹かなければ、その胡散臭い記事よりも劣った収益しか得られません。

結果、マスメディア等の側も、収益を得るために、ゴシップ記事に負けない程に受け手の興味を惹くような外観を個々の記事に備えさせる必要に迫られる。かくしてマスメディアの発するニュースも、ゴシップのような外観を呈するに至るのです。

その上、受け手の獲得競争は、ニュースの発信から撤退しない限り、際限なく続きます。最初は外観の調整から始まったそれは、あっという間にエスカレートするでしょう。何せ競争相手は殆ど無限にいるのです。総量も膨大。溢れるゴシップに埋もれないよう対抗するには、こちらも量が必要。以前のように一つの記事に時間をかけてもいられない。となれば、情報の質は犠牲にせざるを得ない。

そして、マスメディアの発する情報にも大量のゴシップが入り込むようになります。

背に腹は代えられない。以前であれば、報道機関の倫理等で歯止めがかけられていたそれも、事業の存続のためには仕方ない、と正当化されるでしょう。明らかな犯罪以外は何でもやる。やらなければ生き残れないのだから。製造販売業等のその他の事業者と同じです。メディアの営む報道事業の公共性がいかに高かろうと、あくまで私の事業である以上、競争に晒された時点でそれは殆ど必然の成り行きなのです。

結果、溢れ返るゴシップ記事。ゴシップでない記事も、見出し等はゴシップと区別が困難なものが当たり前に流れ、もはやニュースサイトは総ゴシップ化してしまう。虚偽と事実が渾然として区別も困難になり、何を信じていいのかもわからなくなる。

それは、事実を伝える事で公益に資する、という本来のニュースの社会的機能が失われるに等しいのではないか。すなわち、ニュースの死と殆ど同義なのではないのか。 

まだ完全にそうなったわけではないようには見える。しかし、既にその時は目前に迫っているのではないのか。あるいは実質的には既に一線を越えてしまった後なのではないか。昨今のニュースの有り様を見ていると、そのような事を考えてしまうのです。

11/25/2024

[note] デマの沼に沈みゆく社会

今回はデマの話です。長いです。多分今まで書いた記事の中で最長。

要点だけ言えば、"陰謀論的なデマが盛んに流れるようになってしまった昨今、悪影響も甚だしくて遺憾な限りだけどどうしようもない、残念"というだけの話です。興味を持つ人なんていないでしょうけど、それでもいいという奇特な方はどうぞ。では。

 

Demagogy。主に政治的な目的の下、意図的に流布される虚偽情報の事です。単なる流言飛語を指す事も珍しくありませんが、要するに嘘です。

嘘なんて普通はすぐにそうとわかるし、真に受けて行動すれば馬鹿を見る事になる。周囲にも馬鹿なやつだと軽蔑される。相手にもするべきではない。

世間一般的に、そういうものだと思われて来た、筈です。殆ど誰もが、情報として、あるいは実体験を通じて、多かれ少なかれ理解しているでしょう。嘘をつくのは悪い事だし、嘘に騙されるのも良くない事だと。デマなんて無視されて、あるいはそれを流した者もろとも軽蔑されて終わりだと。

しかし、近頃では必ずしもそうではないようなのです。

近年、やけにデマが流れる事が増えたと思うんです。特に陰謀論的なものが。いえ、増えたという表現は控えめにすぎるかもしれません。何か不祥事や事件が起きると、ほぼ決まってどこそこの組織の陰謀だとか、情報操作だとか、何の根拠もなく無関係な第三者を非難し、容疑者らを擁護し、被害者や告発者を貶めようとする言説が飛び交う様を目にするようになりました。公然と。

それどころか、別段事件とも言えない、単なる日常的な利害関係の衝突や意見の相違でしかないような些細な争いにも、外国や官僚、宗教団体、果ては架空の勢力やらまで持ち出して、その陰謀だと断定さえする言説が公然と流れる始末です。何らの具体的な証拠も根拠もなく。もちろん合理性もない。

そして、それを真に受け、真実だと信じ込み、その扇動に加わる人が多数派になる、等という極めて遺憾な事態さえ起こっているというのです。

リテラシー教育の敗北とでも言えばいいんでしょうか。そういう面はあるでしょう。しかしそれだけで済むような、そんな単純な話とも思えません。

デマも情報、流す人、流した人が現実にいます。彼ら彼女らが、上記のようなデマを流す理由は容易に想像できます。金銭を主とする、その利益のためです。デマが流れるのは決まってネット上の情報サイトです。その多くは広告収入がほぼ唯一の収益源で、そこに記事等を提供するライター等も含め、その提供する情報に多数の人の注目を集める事が事業の主たる目的になっています。すなわち、多数の人の興味を惹く必要があるわけで、そのためにデマを利用している、それだけの事なのだろうと。

それは事業なのですから、瞬間的な興味を惹起するだけでは足りず、ある程度の継続性がなくてはなりません。そのためには、嘘だと見破られ難く、かつ嘘だとわかっていても興味が惹かれ、また信じたくなるような内容が適切であり、その条件を満たすものとして解となったのが陰謀論的なデマ、という事なのでしょう。

では、その陰謀論的なデマがなぜこのように社会現象と言えるだろうまでに広まるのか。そこを理解するには、その性質を明らかにする他はありません。

デマはでっちあげであり、嘘です。その真偽を明らかにするには、一般にそれと対立するところの真実に相当する命題との比較を必要とします。無論、詳細に比較するまでもなく一目瞭然な事も少なくありませんが、情報によっては、各種の機密やプライバシーに関するもの等、その性質上秘匿性が高く、真偽の検証が困難なものもあります。

陰謀論の主たる対象はまさにそのような秘密に類する情報です。本来、不特定多数は知り得ないもの。秘匿情報。そのような話は元々の性質として広く流布される必然性が低い筈です。何せ秘密なのですから。

逆に言えば、秘匿性が高いはずの情報が広く流布されるという事は、その時点で虚偽の可能性が非常に高いと言えるのです。しかし、実際にはデマとして成立しています。これは、まさにその秘匿性によるものだと思われます。その理由は以下の通りです。

デマが成立するために必須の条件として、その非真実性が(一目瞭然レベルで)証明されない、という点がある事に異論はないでしょう。一般人が前提情報なしに一見して嘘と断定出来ない、という事です。そうでなければ、そもそも殆ど真に受ける人が生じず、流布されないでしょう。その意味で必須の性質と言うべきものです。

秘匿性の高い(筈の)情報は、この点に合致します。

この種の秘匿情報に関するデマは、およそ完全なでっちあげにならざるを得ません。通常デマを流す側は実際に情報に接する当事者ではない以上、真実を知っている筈がないのですから当然です。しかし、完全な嘘であっても、その判定に必要な、対立命題であるところの真実自体が秘匿されているが故に、その虚偽性が明白には否定され難いのです。

さらに、真実の流布による否定を考慮する必要がなく、その内容全てを創作できる、つまりでっちあげられるという事は、デマの内容を流布者が何らの制約も受けず自由に調整出来るという事であり、すなわち内部的な矛盾をあらかじめ解消出来るという事でもあります。

それによりデマ自体の内容のみによるその真偽の判定が困難あるいは不可能になる。すなわち、その真偽の判別には、デマ以外の情報による整合性等の検証が必要になるわけです。それには多かれ少なかれ一般教養的な知識が必要になるし、手間もかかる。その種の知的活動に慣れた人なら息を吸うようにこなせるそれらも、一般の人にとってそのハードルは決して低くはない事もあるでしょう。こうして、デマはその完全な虚偽性の隠蔽に成功するのです。検証さえされなければそれらしく聞こえる話を、真実だと錯覚してくれる、騙されてくれる人が大勢いるのですね。

というわけで、秘匿情報を称するデマの内容は、必然的にでっちあげ、すなわち架空のものになるわけですが、無論架空のものなら何でもいいわけではありません。例えば神や宇宙人など、現実味が全く無いものを持ち出しても、流石にそれを広く信じてもらえる可能性は低いでしょう。(ゼロではないにせよ。)

ここに陰謀論が嵌まり込みます。必ずしも友好的とは言えない外国、上位官僚のような権力を持った組織、独自の価値観を持つ宗教団体、主義主張傾向の類似する個人の集団など、その陰謀を実行する動機と能力を持っていると設定し得る、しかし実際には存在せず、それでいて即座に否定されづらい程度にその確認が困難な、すなわち秘匿情報と同じ性質を持つような主体。デマの内容と矛盾しないように選ばれたそれは、デマの主題と調和し、内部的な整合性をもたらし、それがデマの自己完結的な真実味を強めるのです。

それらの架空の勢力の意図は、理論的には何でも良い筈ですが、ほとんどの場合は社会的な悪事が設定され、必然的に勢力の性質は社会悪的な属性を帯びる事になります。理由は色々考えられますが、端的に言えばこそこそと公の耳目から隠れて行われる活動である以上、その方が動機として自然で、人々に受け入れられやすいという事なのでしょう。後ろめたくないのなら公然と活動している筈だ、秘密にしているのは悪事だからだ、という理屈なんでしょうね。(空論と評する他ないような稚拙な理屈ですが。)

知られざる架空の勢力が企む架空の悪事。あらゆる面で嘘しかないけれど、嘘同士が整合している、ただそれだけの理由で真実味が出る。その意味で、陰謀論ほどデマの対象として都合がいいものもないのでしょう。これを隠された真実、等と称して流せば、そのように受け取ってもらえるというわけです。

さて。かくしてデマは生み出されて広まり、流布者は多数の信者を獲得して、サイトは広告収入で潤い、承認欲求は満たされ、愉快犯は流される人々を見て笑い、各々の経済的、政治的な目的も達成されるだろうわけですが。それらが不当な利益であるという点は別にしても、それら利益を遥かに超える損害、悪影響も生じます。

元より、デマを信じる事自体は個々人の内心に留まる限りは各人の自由です。ですが、実際には内心に留まらず、しばしば行動となって周囲・社会に直接的な影響を及ぼします。何せデマの多くが陰謀すなわち悪事に関するものなのですから、それに対する反応は反発的になり、必然的に攻撃性をも帯びやすくなります。正義の戦士になるとかいうやつですね。そしてその自己正当化された正義感に基づく行動は、誹謗中傷や謂れのない非難、諸々の妨害行為、時には暴力等という形を取り、直接間接に無関係な人が不当な被害を被ってしまうわけです。勝手に悪の組織認定された向きも含めて。

そのような事態は当然ながら許される事ではありません。多くの場合は刑法上の犯罪にも該当します。しかしながら、デマにより影響を受ける人はあまりに膨大であり、当然被害者も多数かつその実害の態様も多岐に渡り、事態の変化の速度も極めて速い事もあって、司法上の対処は極めて困難です。そのため被害を被る側にはそれを予防ないし防止する術がなく、少なくともそのデマが流布している間は、その被害を甘受せざるを得ない状況が続く事になる、というのが現状です。事後の対処にしても、かろうじて直接的な被害のあった場合に、その内の少数につき発信元の開示からの民事訴訟等の手続等を取り得る程度ですね。殆どの場合、損害賠償の請求すら困難です。

デマに流されている人にはその自覚はなく、根拠も整合性もない陰謀論を信じ込んでしまい、陰謀を企み不正を行う敵勢力と戦っているつもりなのであって、それを否定する言説はそれがどのようなものであれ陰謀の一環と捉えて拒絶してしまう状態なのです。要するに聞く耳を持たない。敵と看做されたが最後なのですから、被害者側からはどうしようもありません。

それどころか、デマを信じる彼ら彼女らは、内容の如何によらず、その事について批判を受けるとそれに反発します。その際、自分達は根拠もなくデマを信じ込んでいるにも関わらず、しばしば批判の根拠となる具体的な証拠の提示を求め、その一方で全く証拠性も信頼性もない動画等を根拠と称して自己の正当性を主張します。その動画の情報はなぜ信用出来るのか、少しでも自身の認識の実情とその根拠を省みて検証すればそこに何ら証拠性がない事は明らかなのにも関わらずです。

しかも、彼ら彼女らは、相互にデマを補強し合いさえします。私だけじゃない、仲間は大勢いるじゃないか、というわけです。そのような状態の彼ら彼女らに、客観性というものは存在しません。説得力もありません。自分の、自分たちの信じたい事、信じている事が真実であり、それに反するものは全て間違いなのだと。程度の差こそあれ、そのような状態になっています。周囲に同意や共感を求め、敵を排除し、団結を強める事もある、という事です。

ここに至って、デマを一種のカルト、すなわち宗教と同一視する事が正当化し得るわけです。宗教の一般的な概念になぞらえれば、デマは教義、ないしは神託であり、それを流した者は伝道者であり、そこに記された悪事を行う者は忌むべき悪魔であり敵、自身は神託に導かれた敬虔なる下僕。そのように表現できるでしょうか。

しかし、この宗教には、決定的に欠けているものがあります。神です。一体彼ら彼女らにとっての神は誰で、一体何処にいるのでしょうか? 

流布者ではないでしょう。流布者はあくまでデマすなわち教えを伝える役割を担っているに過ぎません。陰謀論?それも違います。彼ら彼女ら自身は陰謀論自体を認識すらしていません。では自分たち自身が神か?そうだとすればその精神は破綻していると言わざるを得ませんが、あるいはそうなのかもしれません。社会的な正義という抽象的な概念を神格化し、自らをそれに与する者ないし体現者としてその行いを正当化する。そういう見方も可能かもしれません。

眼前に晒された悪に対し、自ら正義の鉄槌を下すもの。その行いは純然たる私刑であり、法治国家にあっては違法行為に他なりません。それを公然と行い得る権限を持つのは法の授権を受けた司法機関のみであり、私人に過ぎない一般人にその権利はない。にも関わらず私刑に及ぶのであれば、そこには法を超える根拠が必要になります。

彼ら彼女らは、無意識の内に、自らを、法の上位にあるもの、すなわち神に等しいものと位置付け、正当化しているのではないでしょうか。自分が正義、すなわち法であり、個別の事件につきその正当性を担保するのがデマだというわけです。無論、そのような文字通りの狂人染みた思想を持っているというわけではないでしょうが、多少なりと類似した性質の論理に基づいて行動しているのではないかと思われるのです。

かくして、人はデマに流される。デマがその目的を達した後も、一度発生したその流れは止まらず、人々は流され続ける。一つのデマが終わろうが終わるまいが、毎日のようにデマは発生し続け、その度にまた流される。時にそれは濁流となって無関係な、何の罪もない人々を飲み込んで傷つけ、溺死させ、その生活を破壊する。流された者は戻らず、破壊されたものが修復される事も、償われる事もない。時に流れは合流してその勢力を拡大し、土地を汚染し、あるいはそこに住む人もろとも水没させる。残されるものは何もない。

常識も倫理も論理さえもデマに飲み込まれる、そんな社会でいいのでしょうか。いいわけはない。だけれど、止められない。デマの沼、いや濁流に飲み込まれゆく社会を前に、傍観者として無力感と絶望感を抱く日々なのです。

11/14/2024

[pol] インフレに翻弄される米国、その先に待つもの

米国の選挙が(ほぼ)終わりました。共和党の完勝という形で。

要因はもちろん多岐に渡りますが、本質的には激しいインフレに伴う一般市民の生活苦に起因する民主党政権への不信任によるものと思われます。

現大統領Joe Bidenはインフレにはほとんど無力だった上に認知症による醜態を晒して失望を深め、その後継として擁立されたKamala Harrisもその主張が理念優先で具体性に欠け、実生活の改善を期待し得るものではなかった事で、今まさに生活に苦しんでいる層から決定的に見放される事になったのでしょう。

また、大統領選では通常は現職が知名度で勝り、実績をアピール出来る分有利なところ、知名度は圧倒的にTrumpの方が有利であり、現職の副大統領であるHarrisは、やろうと思えば今すぐ政策を実行出来る立場にありながら何もしようとしない、従って実績は皆無な上に期待も出来ない、との評価を覆す事が出来ず、むしろTrumpの方が有利な状況でした。

結果、その母体である民主党もろとも不信任を突き付けられた、とそれだけの事なのだろうと思われます。インフレ下では現政権は負ける、というセオリーに従った、至極当然の結果と言ってよいのでしょう。

それで、要するにインフレを何とかしろとの米国民の意思を受けてTrumpと共和党は次期政権を担うことになるわけなのですが。。。正直言って、彼ら彼女らが、それが果たせると本気で考えている人はどれくらいいるんでしょう。

周知の通り、米国の物価は、ここ数年で2倍3倍と急激に上昇しています。ただでさえ自由経済下での物価の制御というのは困難極まりない話ですし、一度インフレしたものを元に戻すのはとりわけ困難というか、ほとんど不可能なのです。それも今のような状況を修正するなど、どうすればそんな事が出来るのか、想像するのも難しい。

そもそもの話、Trumpと共和党はインフレ対策についてはほとんど何もコミットしていません。明言しているのは、移民の排斥と関税を増やす事だけです。それらは(安価な)人的リソースの減少並びに輸入品価格の上昇を招き、インフレを加速させる方向にしか作用しないでしょう。

また、Elon MuskがTrump支援者の代表のような立ち位置にいますが、彼は常にTesla株をはじめとした(自己の有する)各種資産の評価額の上昇を図り続けるバブルの申し子であり、すなわちインフレを主導する立場の人間です。今回のTrump支援も、(EVバブルの終了で陰りが見え始めていた)保有資産の価値を維持する事がその主たる目的の一つだったと見て間違いないでしょう。そんな彼が政権の中枢にいて、インフレの抑制が図られるわけがありません。

結局のところ、インフレに苦しむ一般市民が、その苦しみから現政権に失望して不信任を出したわけなのですが、反射的に信任を受け、次の政権を担う事になった共和党とTrumpは、インフレを修正するどころか、さらに悪化させるだろうとしか考えられないのですね。

そして、その想像が現実になった時、当然に再び政権に失望するだろう多くの米国民は、次は一体どうするのでしょうか。また今回と同じように共和党に不信任を突きつけ、漫然と民主党政権に回帰するのでしょうか。それとも、誰にもどうする事も出来ないという現実に絶望し、もはや期待する事すらしなくなってしまうのでしょうか。

いずれにせよ、大した違いはないのかもしれません。結局のところ、人々の抱える苦しみを取り除く事は誰にも出来ないという事なのですから。そして、その苦難が厳しさを増す一方で、苦難とは無縁の、圧倒的少数派の資産家達はその富を膨張させ続けるのです。自由の国アメリカ、その名の下に。

[pol] Old man leaves. Who comes next?

10/28/2024

[pol] 混迷の時代を迎えるにあたって

2024衆議院選挙が終わりました。結果は事前の予想通り、自民公明の与党の過半数割れです。

しかしこれは政権交代を必ずしも意味しません。とりわけ維新と国民民主の2党は立民や他の野党と様々な面で対立しており、連立政権の構築・運営には相当な困難が見込まれます。一方で、自民政権が続くとも言えません。今回の選挙の主たる性質、すなわち与党への不信任の結果として議席を得た野党各党が、その有権者の意思に明らかに反するだろう自民との連立を許容するわけにはいかないでしょうから。

と言っても、自公と立民の協力はおよそあり得ない以上、結局のところ基本的には二択です。自公+野党の一部の連立か、立民軸の全野党連立か。いずれにせよその成立は容易ではなく、仮に成立したとしても極めて不安定なものになるでしょう。離合集散が頻発する可能性は極めて高く、従来はよく起こったところの自公共以外からの一部議員の離党からの自民への合流での決着が今回は経緯的に困難な事も相俟って、相当の期間に渡って混迷が続くだろうと予想されています。

が、従来の与党、自公政権に明確に不信任が示されたのですから、それも致し方なしです。米英のような歴史に裏打ちされた政権交代の仕組みを育ててこなかった日本においては、政権の不信任に混乱や機能不全が伴う事は避け得ない、それは自明という他ないのです。

もっとも、それは必ずしも悪い事ではありません。おそらくは個々の議題毎に各々が是々非々で臨む事になるのではないかと思われますが、そうだとしたらそれはある意味、国会が本来の意味で機能するという事でもありますから。言うまでもなく大変な仕事ですが、国会議員には、その職責に耐えうる人を全国民の代表として選んでいる、筈です。少なくとも建前上は。高齢だから困難だとか、世襲だから能力が足りない等という言い訳は通用しません。もちろん経験不足とかいう泣き言も論外です。

当然ながら、内閣も作らねばなりません。首相は誰にするのか、大臣はどこからどう選ぶのか。政策はどう作るのか。野党がとりあえず一度は諸々飲み込んで連立するとして、即内部対立から不信任で再び解散、などという不毛な事態を暫くの間でも避ける事は出来るのか。首相公選制ならその心配の大部分は無用だったはずなのですが、日本がそれを承知で議院内閣制を採っている以上はどうにもなりません。制度の枠組み内で最善を追求する他ないのです。

ともあれ、今回選出された議員諸氏には、徒に感情や建前に固執する事なく、各々の課題・問題・議題に応じて、対話をもって譲るべき所は譲り合い、現実的で合理的な落とし所を見出すという議会と議員の本来的かつ基本的な仕事を粘り強く遂行される事を願います。

その結果、何も決まらない、行政の運営にも難儀する、というのであれば、それはそれで仕方ない事なのだろうと思うのです。その困難から逃げ続け、漫然と自公に政権を委ね続けた結果が今なのであって、その悲惨な帰結に直面し、国民として拒否の意思を示した以上は、どんなに苦しくとも立ち向かうべきなのだろうと思うのです。この先にどんな挫折や後悔があろうとも、あるべき姿を求めて努力を続ける、後戻りだけはしない、そういう強い意思を、議員ひいては日本国民が備える事を願うのです。斜陽の国、日本の先行きに幸いのあらんことを。

[pol] 国政を放棄した自民党、虚しく醜い内ゲバ選挙

10/15/2024

[pol] 国政を放棄した自民党、虚しく醜い内ゲバ選挙

衆議院が解散され、選挙が告示されました。

建前上は国民に信を問うなどと言ってはいますが、実質的に自民党内の勢力争いが主要因・主目的である事は明らかです。要するに、裏金関連での数々の犯罪行為の責任転嫁&切り捨てを兼ねた内ゲバあるいは粛清の手段として衆院選を利用しようとしているわけです。かつてこんな醜くも虚しい選挙があったでしょうか。無論選挙区単位なら幾度となくありましたが、主要な派閥単位、すなわち全国的にというのは記憶にありません。

言語道断という他はありませんね。そんな自民党内部の事情を国会に持ち込み、立法府としての責務を放棄するのみならず、数百億は下らないだろう選挙費用を浪費し、国民に負担を強いようというのですから。自民党議員に国会議員としての資格はなく、また自民党に政権与党以前に国政政党としての資格すらないものと断ぜざるを得ません。

率直に言って不快です。その存在ごと、この世から消えてくれませんかね。

10/02/2024

[pc] Ubuntu22.04LTS->24.04.1のアップグレードが途中で落ちて再インストールの憂き目

色々酷い24.04LTSですが。またしてもトラブルに遭遇してしまいました。

何かというと、22.04LTSからのアップグレード失敗です。サブPCのアップグレードをしようとしたら失敗してしまったのです。

当該PCは、十年以上前からサーバー兼作業用として使用していたものですが、流石に古くなったので時折以前の環境を確認するためのサブとして保守しているだけのものでした。なので、現在はサポートされていない古いバージョンのアプリや、既に存在しないサードパーティのリポジトリから取得したパッケージ等も色々残っていました。どうもそれが24.04.1のアップグレーダーのバグに引っかかったらしいのです。

きっかけになったパッケージは古いpostgresqlです。具体的には、update-manager実行時に、

"アップグレード作業を見積もれません。アップグレードの計算中に解決できない問題が発生しました。postgresql-9.3は削除対象としてマークされていますが、削除拒否リストに含まれています。"

というメッセージが出て、アップグレードが進まなくなったのです。で、当該パッケージ(postgresql-9.3)を削除して再試行すると、今度はpostgresql-9.5で同様のメッセージが出て止まります。

そして、postgresql-9.5を削除して再実行すると、今度はupdate-managerが(エラーメッセージを出すこともなく)クラッシュしたのですね。

で、その後にupdate-managerを起動してみると、リポジトリ等は既に24.04.1用に切り替わっていて、多数のパッケージがアップデート(アップグレードではなく)の対象になっている旨が表示されます。つまり、アップグレードプロセスが中途半端に進んだ状態で、パッケージの更新等が行われる前にぶっ壊れてしまったというわけです。システム上は24.04.1になってしまっているので、アップグレードをやり直すことも出来ません。

しかも迂闊な事に、当該システムのバックアップは取っていなかったのです。滅多に使うこともないサブPCのアップデート作業にそんな手間をかける気にならなかったからなのですが、甘かったと反省せざるを得ません。無念です。

これはもうaptの修復等でどうにかなるレベルではないと判断し、諦めて別のシステム用ストレージを用意して、クリーンインストールのち必要な部分を手動でコピー&再構築する羽目になってしまったのです。あーあ。

もっとも、既にほぼ使用していないPCではあったので、流石にもういらないだろうという所も多く、再構築にはさほどの時間や手間がかかったわけではないのですが、完全に徒労でしかないという事もあって、精神的にはこの上なく疲弊しました。

無理やりポジティブに考えるなら、LTS版間のアップグレードですら古いパッケージやリポジトリ類が不整合を起こすようなら、仮にアップグレードが成功していても早晩同様の問題が発生してクリーンインストールをする羽目にはなっていた可能性は高いだろうし、いい機会だったと思うべきなのかもしれませんね。皆様もお気をつけ下さい。あるいはお覚悟を?

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース 

[pc] Ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴うDNS周りの障害について

9/20/2024

[pc] Ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴うDNS周りの障害について

 色々、そう色々ありましたが、実施してきました。22.04LTSから24.04LTSへのアップグレード。それもserver版です。正確には24.04.1へのアップグレードですが。

致命的バグが発覚したために一旦取り下げになっていた24.04.1へのアップグレードパスですが、それほど時間を置く事もなく再開されました。ので、ストレージをまるごとバックアップしていざ実行。普通にdo-release-upgradeです。

結果は一応成功。しかし当然のように問題がいくつも発生しました。以下にその中でもひどかったものを2点抜粋します。いずれもDNS関連です。

1.  ローカルホストの名前解決に失敗

 これは意味がわからないかもしれません。私も意味がわかりません。具体的には、アップグレード後に、sudo等の、おそらくはホスト内の特定プロセスにアクセスする際にローカルホストのIPにアクセスする類の操作の際に、遅延が生じ、ローカルホストの名前解決に失敗した旨のエラーを吐くようになったのです。その結果、各コマンドの実行の度に何十秒から遅延するので、まともに作業が出来ません。改めて書いても意味がわかりません。何で・・・?

 まあ、バグに理由を求めても仕方ありません。解決方法は簡単です。/etc/hostnameと/etc/hostsを修正するだけです。

/etc/hostnameの方は、私の環境ではなぜかホスト名の前に謎の文字列が数文字追加されていました。余計な文字列を削除してホスト名だけに。

 それでも解決しなかったので、/etc/hostsの、localhostが記載されているところ(127.0.0.1と::1のところ)にローカルホスト名を挿入しました。これで解決。

 しかし何なんでしょうね。ホスト名の名前解決のルーチンにバグが入ったっぽいですけど、何でそんな事になるんだろう。

2. DNSの機能不全

 こちらはだいぶ深刻です。全ての名前解決に失敗するようになったのです。アップグレード直後は問題なかったのですが、そこから一度アップデート->再起動をしたらその後から発生するようになりました。もはや何も出来ません。推測される原因は、24.04LTSではDNS関連はsystemd-resolvedに移行しているのですが、その辺のアップグレード(もしくはコンポーネントそのもの)に不具合がある、という事なのだろうと思うのですが。

 なお、先にアップグレードしたクライアントPCでは同様の問題は生じていません。ここから考えられる事としては、クライアントPCではネットワークインターフェースはイーサネット1つのみですが、当該サーバーでは複数のネットワークインターフェースを有しているのでその辺りが原因じゃないかと推測されます。

 補足すると、今回採用されたsystemd-resolvedでは、複数のネットワークインターフェースがあってそれぞれdhcp等で別のDNSが割り当てられる場合、デフォルトで各々のDNSを参照するようになっているのですが、そのルーティング等が上手く動作していないんじゃないかと。また、この他にGLOBALのDNSサーバも設定できるようになっています。チェックしてみたところ、GLOBALも含めいずれのDNSサーバーも有効な状態でした。にも関わらず名前解決は失敗するのです。わけがわかりません。が、考えてもどうにもなりません。何なんでしょうね。

 解決方法は、本来的にはsystemd-resolvedの設定修正等で解決するのが正攻法だと思うのですが、そのやり方は色々試したものの今の所成功していません。ので、差し当たり従来のresolv.confに戻しています。手順は簡単ですが、一応記載しておきます。以下の通り。

2-1. /etc/resolv.confの書き換え

 /etc/resolv.confは、24.04のバージョンではシンボリックリンクになっています。ので、リンク先を別のファイルに変更します。例えばresolv.tmpfix.confというファイルにするなら、

 $ sudo ln -sf /etc/resolv.tmpfix.conf /etc/resolv.conf

等とした上で、/etc/resolv.conf(/etc/resolv.tmpfix.conf)に従来の通りにDNSサーバーを書き込みます。

 例: nameserver 8.8.8.8 nameserver 1.1.1.1

 ※上記は、cloudflare提供のDNSサーバー(8.8.8.8,1.1.1.1)を設定する場合

 普通は各々適切なDNSがあるでしょうからそれを設定します。

そしてDNSを再起動。(別にしなくてもいいかもしれません。念の為)

 $ sudo systemctl restart systemd-resolved.service 

これで一時的にDNSが復旧します。

なお、DNSが設定されているかどうかを確認するには、下記コマンドを使います。

 $ resolvectl status

他にも色々問題はありますが、とりあえず大きなものはこの辺り。お疲れ様でした。

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

<追記>

さらに別のPCでひどい目に。

[pc] Ubuntu22.04LTS->24.04.1のアップグレードが途中で落ちた 

9/06/2024

[note] 不相応は不幸の元

だと思うのです。

何かというと、秋篠宮悠仁親王の進学先についてなんですけれども。東大にAOで推薦入学するつもりとかいうアレです。

筑駒にほとんど裏口同然で入学し、さらに東大にAO枠で推薦入学する。真偽は定かではありませんが、それが本当なら、事実として学力面の客観的評価抜きで入学する事になるわけです。

勿論、皇室特権云々の面からの非難も免れませんし、それはそれで相当な問題ですが、それ以前の問題として、そんな無理して東大に入ったとしても、純粋な能力が追いついていなければ、ついていけないんじゃないでしょうか。

というのも、このクラスの、純然たる学力面でのトップクラス層というのは、タイプは様々ですが、皆一様に頭がいい人ばかりです。理解力は抜群で、かつ頭の回転は早く、いわゆる一を聞いて十を知る、を当たり前に出来るし、その上学ぶ事について貪欲です。要するに、才能があって、努力も出来る。そんな人ばかりです。

そして、東大や京大のようなトップクラスの大学というのは、基本的に各分野での次世代を担う研究者や開発者の卵が集う場所です。特に理系はそうです。

勿論、東大卒、京大卒という肩書に一定の価値があるのは事実ですし、その取得を目的とする人がいないわけではないでしょうけれども、それはあくまで結果に過ぎません。学問を追求し、最先端の研究開発を担い得るレベルまで到達するというのは、言うまでもなく特別な事です。相応の、特別な能力を備えた人が、さらにその人生を捧げる程の努力をして初めて成し得るのです。そこまでしてもなお夢破れる事も当然にありますが、その逆はない。そのプロセスなしに結果だけを求めて得られるような甘いものではないのです。

高校での勉強、また大学入試というのは、その常人では到底ついていけないだろう大学での制限・制約の一切ない難解かつ膨大な勉学、またその後の研究開発等の仕事を成し得るだけの素養、知的能力面の前提を備える人を選別しているに過ぎません。実際、筑駒の生徒レベルであれば、大学入学は目標ではなく、その先にある本当の目標を目指すための、ただの通過点と捉える子が殆どでしょう。 

筑駒等の最上位の進学校は、そういう、実体を備えた文字通りの知的エリートを目指す、才能も意欲もある学生達が集い、各々の目指す未来に向けて競い合って勉学に励み、元より非凡な能力をさらに高め合う場所です。そのような環境にあって、その目指す所を考えれば、大学入試など乗り越えて当然のものな筈です。

実際、入試の問題には大学以降では知っていて当然の基礎的な内容しか出題されません。それも、高校までの学習内容を元に解けるように調整されています。その大学に入るなら、それが解けるようでなければいけない、その基準を示すものです。

にも関わらず、その受験そのものを回避しようとする事自体、適正がない事の証明でしょう。必要な水準に達していれば解けるように調整された入試問題を解く事すら出来ないのに、どうしてその後の、入試とは比較にもならない、大学以降での高度かつ果てしない勉学や研究活動をこなしていけると言うのでしょうか。

どの分野でもそうですが、能力の差、適正の有無というのは残酷です。人は平等ではない、その事を厳然たる事実として現実に突き付けられるからです。とりわけ、誰もが子供の頃から最低限は平等に機会が与えられ、そこで他者との比較を余儀なくされる学力の差は最も残酷なものと言えるでしょう。

どうにかしようとしても、どうにもならない。不可能。その最たるものが、個々人の知的能力の差というものです。秋篠宮悠仁親王の進学先とその方法を巡る一連の問題は、結局のところ、その残酷な事実を受け入れられない周囲がなまじ(事実上の)権力を持っているがために、その政治的権力によってその絶望的な格差の壁を回避させようとして起こった悲劇、という事のように思われるのです。

そんな無理をしても、誰にとってもいい事はありません。無論、本人にとっても。

想像してみればいいでしょう。分不相応な期待、立場を押し付けられ、最上位の進学校に放り込まれて出来る筈のないレベルの学問をこなす事を求められる。当然出来ない。しかし周囲は当たり前に出来る。同級生とは理解し合えず、その立場も相俟って腫れ物扱い。同情する者もいれば、軽蔑する者もいる。いずれにせよ互いに尊敬し合うような対等な関係は望むべくもない。もちろん、陰口は数え切れず。推薦入試関係では、そのあまりの不平等・不公正から憎悪の対象にすらなっているかもしれません。

地獄です。しかも、その格差は先に進めば進む程広がっていき、最終的に研究者等になれば、各人の生み出す結果が全てになるのです。皆が同じ道を歩んでいるように見える高校位なら、裸の王様のように気づかずにいられるかもしれませんが、各人で道の分かれる大学以降ではそれも不可能です。いつまでも一人、皆が遥か以前に乗り越えた壁の前で取り残されるだけになるでしょう。

そして残るのは、権力の濫用によって不正に手に入れたと評価されるだろう学歴だけです。それは名誉とはなり得ず、むしろ拭い難い汚点として認識されるでしょう。憲法の改正がない限り、将来の天皇、日本の象徴となるだろう人がです。立場上、忘れてもらう事さえ出来ません。

もっとも、そういうあれこれが全て外野の妄想で、実際には十分な能力があり、一般入試を受験して普通に合格する、というなら何の問題もないわけですけれども。その場合は、全て杞憂だったという事になります。残念ながらその可能性は極めて小さいでしょうけれども。もしそうなら、今のような状況にはそもそもなっていなかったでしょうから。

何事も、分相応にして、無理はしない事です。権力はそんな常識も歪めてしまうのだという事を突き付ける一件だと言えるでしょう。少なくとも周囲は目を覚ますべきですね。

9/05/2024

[note] 長く続けたソシャゲを見限った

※ 本項は、純然たる私的な話題です。

ふと気まぐれに始めてから6年以上。結構長いこと続けていたソシャゲに、先日とうとう見切りをつけた。

理由は色々とあるが、詳細は改めて書く程の事でもない。要するに飽きたという事だろう。多分。

思い返せば、始めた時もなんとなくだった。当時、既にギャンブル顔負けに数多の中毒者を出し、社会問題にもなっていたそのソシャゲの仕組みにふと興味が湧いた、それだけだった。

それから、当初抱いた興味は早々に満たされたのだが、周囲の狂騒はまだ続いていた頃の事、まだ何か先があるかも、と若干の期待を抱いてしまったのが運の尽き。ずるずると、意外に長い間付き合いを続けてしまった。費やした金銭は年当たり数千円、総計でも2万かそこらと中毒には程遠いが、時間については一日当たりはわずかでも塵も積もれば、でそれなりに使った。自然、多少なりと愛着も湧いていた筈だが、夢中とまではいかなかったと思う。

それで、先日とうとう、その残っていた僅かな期待も綺麗に解消された、というわけだ。

終わりは本当に唐突だった。ああ、もういいや。そう思って、最新の、公開されたばかりのメインストーリーのテキストを読まずにスキップした、その瞬間だった。

それまで、どれだけ使いまわしやパクリ、身内の悪ふざけ的な駄文に満ちた、読む意味が無い事が明らかな枝葉末節のテキストでも最低限流し読みでも目を通していた。なのに、最も読み甲斐がある筈のメインストーリーを飛ばした。

しかもそのストーリーのライターは、そのソシャゲの元になったIPの作者、いわゆる原作者というやつで、そのライターの書くメインストーリーは、当然ながらそのソシャゲのコア中のコア、一番の売りと言って然るべきものだった。他のプレイヤーからは、それを読まないなんて、何のためにこのゲームをやってるの?と言われるに違いないものだ。

にも関わらず、それをスキップした後に、しまったとかいう後悔や、プレイヤーとしての義務に背いた罪悪感といった類の感情が一切湧いてこなかったのだ。もちろん読み返す気など欠片も起きない。それを自覚した時に、ああ、終わったんだと、そう悟った。だから辞めた。

元より、ソシャゲは所詮ゲームだ。やる義務はなく、やる事によって得られる利益の類もない。それどころかやる意味もない。むしろ、世間一般の常識的な向きからは、変人や変態、異常者の類として見られる事もしばしばだ。辞める事で得られるメリットはあっても、デメリットはない。少なくとも対外的には。

だから、喪失感の類は全くない。失望感もない。恋が冷めたというのとも違う。ただなんとなく繰り返していた習慣を、やらなくなった。それだけだ。

ついでに言えば、解放感もない。それで空いた時間は、既に他の作業等で埋まっているからだろう。それに何の違和感もない。ソシャゲなんて最初から無かったかのようだ。

なるほど、本当の終わりというのは、こういうものなのだろうか。結局のところ、その体験だけが、そのソシャゲを長い間プレイし、自然と辞めるに至った事で得られた経験、その中で唯一特別なものと言えるのかもしれない。 それに何の意味があるのかはわからないけれど。

8/31/2024

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

ついにこの日がやって来てしまいました。当初予定の2週間遅れです。 

LTS版にも関わらず、バグまみれのβ版同然の状態でリリースされてしまった24.04。案の定というか、頻繁に固まるだの、アップグレードに失敗するだの、音が出ないだのと、大量の致命的な不具合の報告が溢れていて、安定的な動作を望む一般ユーザとしてはとても手を出せる状態ではありませんでした。

通常はリリース後に発覚したバグを修正した安定版としてリリースされる.1版ですら、アップグレード時の致命的な不具合が残っているとしてリリースが延期される始末で、ユーザとしては殆ど恐怖を感じる状況でしたが、なんとか24.04.1の再延期は免れました。そして運命の時がやって来たのです。

リリース後に一日様子を見たところでは、明らかに致命的な問題は生じていない様子。あくまで修正版なのだし、それは当たり前でしょうけれども、とりあえず一安心。

とはいえ、流石にいきなりサーバー(22.04LTS)に適用するのは怖すぎます。幸いというか、クライアント利用が中心の作業用PCはLTS以外もアップグレード適用してきていて現在は23.10。23.10は既にサポートは切れているので嫌が応にもアップグレードするしかありません。というわけで、こちらのアップグレードを恐る恐る適用してみた次第です。

結論から言えば、成功しました。

ただ、アップグレードインストーラの挙動は怪しいところがあり、実際に致命的ではないものの問題も発生しました。以下にそれをいくつか。

手順はいつもの通り、update-managerからアップグレードを選択しました。概ねいつもと同じような挙動なのですが、途中で2点、終了時に1点割とシャレにならない問題が発生。

問題1.  一部パッケージのインストールに失敗

 そのまんまです。thunderbirdパッケージがインストール前のsubprocessでエラーが出て、インストールできない旨メッセージが出ました。"アップグレードを続けますが、パッケージが動かない状態にある可能性があります。この件に関してバグレポートを送信することを検討してください。"的なメッセージも出て、実際インストール完了後にはaptの修復等を行う必要も生じました。致命的なものではありませんが、肝は冷えましたね。24.04からthunderbirdもsnapに移行しているのですが、それ関係の不整合によるものでしょう。

 なお、aptの修復等は、

  $ sudo apt --fix-broken install 

 とかです。autoremoveなんかも、普通のアップデートコマンドをやればOK。

問題2. grubのインストール先設定要求

 これは厳密には問題とは言えないかもしれません。何かと言うと、これまでアップグレードではgrubのインストール先、すなわちプートローダ周りをどの記憶媒体に入れるかを聞かれる事はなく、単に従来の設定を踏襲するようになっていて、例外的にgrubのバージョン変更時に以前のバージョンを保持するか否かを聞かれる事がある程度でした。

 それが、PCに接続されている、grubを設定可能なHDDやSSDとそのパーティションを検出し、その内のどれにgrubを入れるかを選択するよう要求するようになっていたのです。具体的には、/dev/sda,/dev/sda3,/dev/sdbとかが表示されて、それぞれの横にあるチェックボックスをチェックする形ですね。

 当然、困惑させられたわけです。何だこれはと。こちらとしては特に変更するメリットもないし、従来通りにして欲しいだけです。わざわざ聞くという事はユーザーにとって意味がある話な筈なのですが、それが何なのかわかりません。なので、最初はどれにもチェックボックスを入れずに進めようとしたのですが、そうすると、"grubをインストールせずに進めますが、よろしいですか"的な警告が表示されたのです。これは最悪起動出来なくなるやばいやつだ、と理解したので、慌てて戻って従来grubを入れていた筈のドライブをチェックして進めました。結果としては別段問題はありませんでした。何だったんでしょう。

 なおチェックして進めた時、即時にgrubの設定をしているのか、数分間程度ダイアログが先に進まず固まります。これも心臓に悪いので表示をどうにかした方がいいと思います。

問題3. 終了時に、"インストールに失敗しました。"的な表示が出る

 これもまんまです。おそらくは問題1.のパッケージインストール失敗に起因するものだと思うのですが、そんな細かい事情は示されず、ただ失敗した旨だけが表示されます。そりゃもう血の気が引きましたね。ロールバックする旨も表示されましたし、アップグレード全体が失敗したとしか読めないものでしたから。しかし、実はこれは表示だけだった様で、実際にロールバック等が行われる事はなく、すぐにアップグレード完了の旨表示され、そのままインストーラは終了しました。

 ただ、途中終了の形にはなっていたのか、パッケージのクリーンアップ等は行われず、その後(再起動後)に手動でする必要がありました。結果的にはアップグレード自体は成功したと言って良い結果ではあります。ほんと一安心。この間の私の気持ちは、久しく感じた事がない程つらいものでした。勘弁してほしいです。

その他、ライブラリのバージョンが変わっていて自作プログラムの一部をリビルドする必要があったりはしましたが、基本的にビルトインのアプリケーション等には目立った不具合は見当たりません。日本語やビデオ・オーディオ周りも特に問題はありません。

というわけで、23.10からのアップグレードは致命的な問題はなく終了。結果だけ見れば拍子抜けとも言えなくもないですが、やってる最中はそんな事はわかりませんから、精神的には非常に消耗しました。サーバーについてはもっとシビアだし色々準備も必要なので、また後日。 というわけで、今回はこれでおしまい。お疲れ様でした。

[note] Ubuntu24.04LTSリリース、いつになくやばげ?

[note] Ubuntu24.04.1のリリースが延期、やはりヤバい模様

<追記>

やっぱり(22.04からの)アップグレードにはバグがあるようです。特にserverでのアップグレードに使うubuntu-release-upgraderにはcriticalなbugがある、との事で、現在24.04.1はLTSリリースから一時的に取り下げられており、通常のコマンドではアップグレード出来なくなっているとの事。

一応develop版としてなら24.04.1にアップグレードする事は出来るとの報告もありますが、いずれにせよサーバーへの適用は修正版のリリースを待った方が良さそうです。というわけで私の所もサーバーのアップグレードはペンディング。やれやれです。

Unable to upgrade from Ubuntu Server 22.04 to 24.04.1

Noble missing from meta-release-lts

<追記2>

22.04->24.04.1のアップグレードパスが復活したので、サーバーについてもアップグレードを実施しました。しかし問題だらけのようです。

[pc] ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴う障害について

8/15/2024

[note] Ubuntu24.04.1のリリースが延期、やはりヤバい模様

LTS版にも関わらず、基本部分の仕様変更に伴うリビルドが追いついておらず、デバッグも満足にされないままにリリースされ、当然にバグだらけでとてもアップグレードする気にはなれなかった24.04LTSですが。

そのあまりのヤバさから、22.04LTSからのアップグレードは一通りのfixが反映される24.04.1で実装される事とされていました。そして、その24.04.1のリリースは2024年8月19日に予定されていた・・・のですが、これが延期になったそうです。延期先は8月29日、10日間の延期ですね。

理由はインストーラの深刻なバグ等の修正のためとのこと。要するにまだデバッグが終わっていないというわけです。ひどい話ですね。そもそも、そのレベルの不具合というのは最初のリリースまでに解消されていなければならない筈です。少なくとも、LTS版である以上はそんなバグを残したままリリースしていいものではありません。

それが放置されたままリリースされ、あまつさえリリースから四ヶ月近く経っても修正できていない、というのは、もはやCanonicalのマネジメントは破綻していると言わざるを得ません。そんな体たらくで、あと2週間で完璧な状態になる等と、どうして信じられるでしょうか。

率直に言って、24.04.1が29日にリリースされたとして、依然としてバグまみれである可能性は極めて高いでしょう。少なくとも、リリース直後にアップグレードに踏み切る勇気は私にはありません。引き続きしばらく様子見ですかね。バックアップ用の記憶媒体等も調達して、移行の準備を進めていたのですが。。。

23.10のPCについても悩ましいです。サポート期限までにまともになるのでしょうか。

Ubuntu 24.04.1 point-release delayed until August 29 

[note] Ubuntu24.04LTSリリース、いつになくやばげ? 

※当初のリリース日が間違っていました。8/15ではなく8/19でした。

<追記>

24.04.1がリリースされました。が、アップグレードツールに深刻なバグがあるとの事で、一旦LTSリリースから取り下げられており、通常のupgradeコマンドでは(22.04LTSからの)アップグレードが出来なくなっています。困ったものです。

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

8/09/2024

[law] 検察官の違法取り調べにつき刑事裁判開始決定

画期的な決定が下されました。検察官がその職務上の言動に関して刑事事件の被告人となる裁判が行われる事になりました。

今回被告となるのは元特捜の、田渕大輔検察官です。容疑は、2019年に不動産会社社長の山岸忍氏に対する横領容疑の捜査に関し、共犯の容疑者として山岸氏の元部下を取り調べた際に、机を叩き、大声で恫喝する等の威圧的な言動を行った事が特別公務員暴行陵虐にあたる疑いがあるというものです。

山岸氏の容疑は2021年に地裁で無罪判決が下され、検察は控訴せず無罪が確定しています。これを受けて山岸氏は国家賠償請求訴訟を提起し、それに併せて検察官2名に対し証人威迫の容疑で刑事告発をしました。が、大阪地裁及び検察審査会で不起訴とされ、山岸氏がさらに大阪地裁へ付審判請求をしてこれも退けられ、さらに大阪高裁へ付審判請求をして、今回これがようやく認められたものです。山岸氏の執念の賜物と言えるでしょう。まだこれからが本番ですが、ひとまず山岸氏にはお疲れ様でした。

しかし、検察官は明らかに保護されすぎですね。問題となった当該検察官の言動については、当然ながら全て記録が残っています。つまり動かぬ証拠があるわけで、容疑も明確です。勿論刑事事件として起訴される為の要件は全て揃っている。にも関わらず、被害者がここまでしないと検察官を罪に問う、すなわち裁判にかけることすら出来ないというのは、制度上の欠陥と言わざるを得ません。山岸氏のように追求に労力を注ぎ込める人はそうはいないでしょうし、ほとんどの場合において、一般人に対する検察官の違法行為の追求はほとんど事実上不可能と言ってよいものなわけですから。

検察官の職務上の言動について、一般人のそれと同様に扱う事には難しい面もあるでしょう。容疑者は罪を逃れようとするものですから、その取り調べは基本的に容易ならざるものになり、それを乗り越えて犯罪者の罪を問うためには容疑者の心を折るような言動が効果的だろうし、それ以外に有効な手段がないという事もあり得るのでしょう。何より、有罪が立証出来なかった場合に、検察官がその職務の執行について容易に責任を問われるようでは検察官の職務の安定性が損なわれるだろう事も理解出来ます。

しかし、です。当然ながら、それは目的のためなら手段が正当化されるという事は意味しないのです。容疑者はあくまで容疑者であり、自ら罪を認めているので無い限り、取り調べ時点では犯罪者ではない一市民です。犯罪者同然に扱われる謂れはありません。それ以前に、犯罪者であっても人権は侵すべからざる権利です。冤罪の虞が大いに生じるような方法でなければ自白を引き出せないというのなら、それはもはや追求をあきらめる他ないのです。そもそも威迫によって引き出された自白や証言など、意味がないのですし。

その、司法に携わる者であれば当然にわきまえていなければならない筈の原則を忘れ、自分勝手な、独善的正義を優先して、絶対的に守られるべき人権を侵害する。そのような者にはもはや法の中でも最も公正かつ厳格たるべき刑事法の執行者たる検察官としての資格などありません。

そうは言っても、おそらく程度の差こそあれ、同様の違法な取り調べは他でも、というか至る所で横行しているんでしょうね。。。それは、検察組織が司法上の聖域となってしまっているという我が国の司法制度の構造上の問題であると言えるでしょう。この点は改善が必要です。すなわち、抑止力として、検察官と言えども法を犯せば罰せられるという、当たり前の仕組みが必要なのです。何人たりとも、法の上には立たないのです。裁判官も、検察官も。制度の改正が強く望まれるところですね。

8/05/2024

[biz] 令和のブラックマンデー記念。

はい。本格的にバブルが弾けたようです。すなわち本日、令和6年8月5日は最新のブラックマンデーに(多分)なりました。日本が世界の歴史に残る(かもしれない)よ、おめでとう!

というわけでブラックマンデーです。もっとも下落は先週末から始まっていたので、オリジナルのブラックマンデーと比較するのは適切ではないかもしれませんが、まあ株価・為替相場の変動幅が格段に大きい点で本日の方が決定的な感はありますから、間違いというわけでもないでしょう。

きっかけは、先週末の米国の雇用統計で失業率の大幅な悪化が出た事です。そこから当然のように米国株は下落し、元々予想されていた秋頃の利下げの見込みにつき確信を抱いた向きが大勢を占めた事からドル安が起こり、その直前に日銀による利上げ実施と今後の追加利上げ見通しの発表がなされていた事と相まって、ここ数年の円安と歩調を合わせて、主に日銀の投信の購入による公的資金と近々でのNISAの拡充による無知な一般人の資産をも吸い込んで膨張を続けていた国内株式市場及び為替市場のバブルが諸共に一気に弾けた、というわけですね。

日銀は投信の購入を既に縮小していましたから、買い支えがなく、また今後もない見通しである事も明らかであり、それが底が抜ける要因になった事も疑いようのないところでしょう。

何より、バブルはいつか弾けるもの。そしてその膨らみが大きければ大きいほど、弾けた時の反動は大きくなる、それが形になって現れたという事です。つまり、極めて合理的な結果という他はないわけです。

なのですが、取引関係者は当然に阿鼻叫喚です。とりわけ、信用取引をしていた、また今もしている向きはとんでもない地獄になっているでしょうね。ここまで変動が大きいと、買いも売りも読み切る事はほぼ不可能でしょうし、いわゆる落ちてくるナイフを掴んだ哀れな者も多かろうと思います。一時的に利益を出す幸運に恵まれた者もいるでしょうが、ここまで無茶苦茶な動きだと、何人たりとも参加し続ければいつかは破滅が避けられないでしょうし。常識的にはポジション解消のリスクオフ一択です。

一方で、取引云々は別にしても、単純に株価の大幅な下落は、当然ながらその権利者にとって金融資産の減少を意味します。株式を担保にした取引については、すべからく追加担保を求められるか、あるいは差し替えや清算を余儀なくされる事になるでしょうし、多くの企業が保有株式について評価損の処理を迫られます。

それは大手金融機関や日銀も例外ではありません。というか今や日銀がその影響を受ける筆頭です。日銀が購入した投信は大半がまだ含み益がある状態だとは思われますが、今後の下落の程度次第では、利上げで日銀が債務超過になる前に、株式の評価損で債務超過に陥りかねないわけです。本格的な利上げもこれからだというのに。一体日銀はどうなってしまうのでしょうか。まさか本当に破綻してしまうのでしょうか。日銀が公的資金のお世話になる、とか冗談みたいな話が本当になるのかもしれません。そんな資金をどこからどうやって持ってくるのかは知りませんが。

しかしまあ、見事に弾けたものです。馬鹿は死んでも治らないというか、バブル崩壊を経験しておきながら、再発を防ぐどころか目先の利益に見事に目が眩み、アベノミクス等と寝言を言ってバブルを膨らませる事に全力を尽くし続けた日本政府と日銀、それに全力で乗った金融界隈の面々、そしてそれに粛々と従った多くの日本国民、みんなほんとアホばかりです。それらの全てが自らの浅はかさと欲深さの報いを存分に受けるのかと思うと、清々しい思いがしますね。

とはいえ、諸々の市場に直接の関係を持たない第三者としては、馬鹿馬鹿しくも非情に興味深い一大事象ではあります。その行く末を、高みの見物的に観察させてもらうとしましょう。さしあたってはどこまで広がるのか、そこに注目ですかね。

7/22/2024

[pol] Old man leaves. Who comes next?

ようやく、です。Joe Bidenが次期大統領選からの撤退を表明しました。お疲れ様でした。

後継指名は当然に副大統領のKamala Harris。人気がない、Trumpには勝てない、と言われ続けて来た彼女ですが、そういったよくない評価は、そのBidenの影に控えるべき立場から来る制約によるところもあったでしょう。

選挙までさほど日数はありませんが、Harrisはこれから制約のない立場で、先頭に立って自由に言葉を発する事が出来るようになります。そこで、自らの、国民を導く指導者たる資質を証明できるならば、逆転の可能性は残されているでしょう。

そもそも、Trumpはあまりにも瑕疵にまみれた候補です。年齢もBidenと大差はなく、その主張に合理的な根拠はなく、社会に無用の争いや対立、また混乱を招き、自身も在職時から今まで収監されていないのが不思議な位の紛争を抱えてもいます。Trump自身の人気は健在ですが、多くの人にとって、未来を託す事の出来る、その期待を持てる候補ではない事も疑いようのない事実でしょう。

年老いた、過去の栄光に縋る老人を選ぶより、不確かでも未来を切り開く事を望む人は数多くいます。彼ら彼女らは、これまでの大統領選には殆ど絶望していたでしょう。長く続いた閉塞を打ち払い、人々の期待に応え、アメリカを、世界を導くに足る指導者としての姿が示される事を望みます。

もっとも、まだHarrisで確定したわけではありませんけどね。しかし誰が出るにしても同じ事です。 偉大なるアメリカに幸いあれ。

[pol] Joe Bidenに救いあれ

7/12/2024

[pol] Joe Bidenに救いあれ

Joe Bidenに決断の時が迫っています。迫っている筈なのです。もしかしたら、本来訪れるべきだったその時は既に過ぎ去っているのかもしれません。しかしまだその決断はなされていません。果たしてその時は来るのでしょうか。だとしたらどのような形で?

彼の歴代最高齢での大統領就任から3年余り、その間にもしばしば明らかな加齢に伴う認知症から来る痛ましい姿を見せ続け、殆どの人がもはや次の4年には耐えられないだろうと予感し、そして先日のDonald Trumpとの公開討論で全世界に無残な姿を晒した事で、公然と立候補を取りやめるべきだと支持者からも主張されるようになった事は周知の通りです。

もはや人の名前を覚える事も、正確に思い出す事も出来ず、公の場にあってさえ頻繁に自失の態を見せるようになった彼に、指導者としての責務を果たす事を期待するのは酷と言うより不可能です。 

何より、誰もが知る通り、大統領選では競争相手、比較相手がおり、例え本人が万全かつ支持層が強固であったとしても相手の評価と情勢如何でギリギリ勝てるかどうかというシビアな選挙です。民主党支持層ですら公然と不安を覚えるような状況で、Trumpを上回る票を集められるわけはありません。その意味でBidenはとっくに詰んでいます。議論の余地もありません。

しかし、そんな状況でも、本人は未だ撤退しようとはしていません。少しでも迷いを口に出したり弱気な態度でも見せたりしようものなら、その時点で終わってしまう事がわかっているから、撤退を決断するその時までそのそぶりは見せない、それは当然の事ではあります。そして、そのあまりに重く残酷な決断をするにも相応の時間が必要、それはその通りなのでしょう。

ただ、彼のあのあまりにあまりな衰えぶりを見るにつけ、不安を感じずにはいられません。そもそも彼は本当にそういう、撤退を検討するにあたっての合理的な判断、そのための多岐に渡る要素を総合検討するといった、合理的な思考が出来ているのでしょうか。出来る状態なのでしょうか。

認知症は、本当に残酷なものです。程度の差こそあれ、その名の通り自分の置かれている状況を認識出来なくなるのですから。抗う事も許されず、時に世界で一番大切な人の事すら容易く永遠に奪い去ってしまう。認知症に侵された彼は、一体どこまで自分の置かれている状況、殊に周囲の人の彼に対する評価を把握出来ているのか。おそらく短期記憶は壊滅的で、長期記憶の部分もかなり破損が進んでいるようですから、もはや彼がリーダーシップを取れるとは思われていない、その現状を把握出来ていなくても全くおかしくはありません。むしろ正確に把握出来ているわけはないでしょう。

今の彼は、現在を正確に認識出来ず、壊れつつある過去の記憶によって立つだけの、まさに全てに別れを告げ、人生の終わりを迎えようとしている一人の老人に過ぎません。その、彼に残された、公僕としての仕事に一生の大半を捧げた記憶から、大統領としての、あるいは大統領候補としての責務を全うせねばならないとの、殆ど妄執のような思考に取り憑かれて、そこから抜け出せなくなっているだけなのだとしたら。

彼には、もはや大統領選からの撤退を、撤退せざるを得ない自らの現状を、認識する事すら出来なくなっているのかも知れないのです。そんな彼に、社会は容赦なく大統領としての責任を課し、再選を目指す候補としての振る舞いを要求し、それに応えられない彼を、その振る舞いをあげつらって批判するのです。だとしたら、それはなんと言う残酷な事なのでしょうか。

その悲劇の責任は、もはや彼にはありません。その年齢から、彼がそうなるかもしれないと知っていながら現在の状況に追い込んだ周囲の責任です。この上は、速やかに彼が解放され、他の多くの老人と同じく、心安らかに人生の最期を迎えられるよう、その周囲の者がケアするのが責任というものでしょう。もちろん簡単な事ではないでしょうけれども。

それで彼の代わりの大統領候補を今から立てるのは大変でしょうし、Kamala Harrisをはじめ、その代替として名前の上がる候補は誰一人として全米で広範な支持を得られるとは考えられず、高確率でDonald Trumpに負けるでしょうが、それも致し方のない事、言ってしまえば自業自得だと思うのです。

他の候補者達が名乗りを上げない、上がらないのは、負けるとわかっているから、Trumpに負けたらキャリアやイメージに傷が付いて今後の戦略上好ましくない、とかそういう理由で、Bidenに敗北を押し付けようとしているのかもしれません。そうだとしたら、卑劣と断ぜざるを得ません。そんな卑怯者が大衆の支持を受ける事は未来永劫ないでしょう。

Highlights from Biden’s high-stakes news conference

 <追記>

それから粘る事しばらく。Bidenは次期大統領選からの撤退を表明しました。一安心と言っていいのか。お疲れ様でした。

[pol] Old man leaves. Who comes next? 

7/11/2024

[note] シャレにならない(かもしれない)石丸氏

先日都知事選に出ていた石丸伸二氏が、その後のメディアへの露出時の言動を巡って各所で話題になり続けているようです。

取り上げられ方は、その話をはぐらかす詭弁的な応答をネタにして茶化すもの、話し相手によって露骨に態度を変える様を指して眉をひそめるもの、そして大半の相手を見下しつつ小馬鹿にしたりして貶めようとする様を非難するもの等、様々ですが、いずれにも共通するのは、到底肯定的なものとは言えない事です。

もちろん全てではなく、ごく一部に共感を示す人もいますが、明らかに少数で、その他の大勢からは石丸氏のそれと同様の扱い、すなわち否定的な反応か無視かを受けています。

公職に就いていたもの、就こうとしたものとして、その言動が注目され、また広く厳しく批判にさらされるのは当然の事ではありますが、行き過ぎはしないか心配になるほどです。もっとも、私自身も先日否定的な評価をブログに書いたのであまり言えた口ではないのですが。

今の所、当の本人はあまり気にした様子でもなく、むしろ嬉々として批判する人達を小馬鹿にし続けているようにも見えますし、実際のところ問題はないのかもしれません。

ただ、彼の言動を嗜めるとか、擁護しようとしたりする味方とか、つまりは仲間とか友人的な人が皆無なのですよね。肯定的になるにしても一部の発言に限って理解を示すとか位がせいぜいです。第三者的な立場からの擁護すらほとんどありません。という事はつまり、ほとんどの人が、他人事としてではなく、自ら石丸氏とその言動について否定的な感情を抱いているということなのではないでしょうか。もしこんな人が近くにいたら到底受け入れられない、といった類の。

そこから推測される事は、要するにこの人はこれまでずっとこうやって、ひたすら自分の衝動のままに周囲の人を意味もなく攻撃し続けて、誰の事も理解しようともせず、当然の結果として距離を置かれ、言ってしまえば嫌われて生きてきたのだろうという事です。直接関わったわけでもなく、選挙とそれに関連する報道を通じて見聞きしただけでこれだけ嫌われるのですから、直に接してあのような言動を浴びせられればどうなるか、それはあまりにも想像に容易いことです。

誰からも距離を置かれる、嫌われる、というのは、場合によってはいじめのような状況になる事もあったかもしれません。しかしそれを非難する事は出来ません。誰彼構わずあのような振る舞いをしていれば、そうなる事は当然の結果と言う他はないのです。それでも今なおそうしているのだから、きっと彼自身かけらも気にしてはいないのでしょう。あるいは人と馴れ合うような真似は死んでもしたくない、位にさえ思っているかも知れません。

だったら何故人と関わる仕事に就こうとするのか、あまつさえ全体の奉仕者たるべき公務員、しかもその責任者になどなろうとするのか、という疑問も生じますが、もしかしたら真逆で、権力を得て人を見下したい、苦しめてやりたい、気に入らない人を排除してやりたい、とか考えているのかも知れませんね。安芸高田市長時代の振る舞いはまさにそんな感じでしたし。

つまりパワハラや権力の濫用こそがしたい事で、それが出来る権力者になりたいから首長に立候補した、とか。そうだとしたら最悪なのですが、ある程度辻褄は合ってしまうのがなんとも。自己満足以外に何の意味もないというか社会的には害悪にしかならないし、第一基本多数決の論理で動く政治の場で周囲の支持もなしにそんな事をしようとしても、自分が排除されるだけでしょうに。

とはいえ、孤独であろう事は間違いないし、ある種の痛々しさも感じずにはいられないのです。少なくとも、面白半分で茶化したり、いくら嫌悪感があったとしても人格への批判を無制限に加え続ける事には、健全な社会の倫理からの躊躇いがあってしかるべきでしょう。

個人的には、そもそも彼は誰もが目にするようなメディアには出てほしくないですね。子供の教育にもよくないと思います。子供が彼の真似をしたりすれば、彼のように友人を無くすだろうし、下手をすれば社会に適応出来なくなってしまいます。シャレになりません。youtubeで動画を配信する位ならフィルタ等で目に入らないように出来るので、それ位に留めておいてもらいたいと思います。多分無理なんでしょうけれども。

 [pol] 大山鳴動した都知事選

7/10/2024

[pol] パワハラ告発者を逆ギレの末に殺した兵庫・斎藤知事と維新

やはり維新の人間だったか、というか。兵庫県の斎藤知事と維新所属議員が人を死なせたようです。胸糞の悪い話ですが一応。

経緯はさんざん報道されているので省略しますが、簡単に言えば、県職員相手に散々パワハラをし、それを元県幹部職員に告発され、事実無根の嘘八百だとして告発者に逆ギレし、あまつさえ罵詈雑言を浴びせていたところ、告発に事実が含まれている事が明らかになり、それ以外の点についても告発内容の真偽を問うために地方自治法100条に基づく委員会が県議会に設置され、追求の手続きが進められていたところ、まさにその開催直前になって証人として出席する筈だった告発者が死亡したという話です。

おそらくは自殺、という事ですが、自殺か他殺かはさておき、その原因が斎藤知事はじめ維新議員のパワハラ告発・100条委員会開催に向けての、告発者たる元県幹部職員への対応というか仕打ちにある事は殆ど疑いようがない状況です。

というのも、当該委員会の審議等は裁判に準ずるものであり、証人の出頭義務や偽証への罰則等も法定されているため、当然ながらその権限を目的外に濫用する事は許されないところ、維新所属の議員は告発書以外の、告発書と共に押収された告発者のプライバシーに属する事項についてもいわゆる黒塗りをせず公開し、審理の対象にしようとしたのだそうです。

これは純然たる人権侵害に他なりません。もちろん違法です。そもそもの前提として、100条委員会の喚問は刑事事件のそれにも等しいものです。証人には出頭義務があり、各種書面の提出義務もあり、黙秘権も制限されます。この場で上記のような事が証人に対してなされる、というのは、例えれば、刑事事件の裁判で、その告訴者が証人として出廷するとして、事件とは何ら関係のない、証人のプライベートな事柄の開示を被告弁護人が求め、あまつさえ裁判長がそれを認めたようなものです。ありえません。公の裁きの場を何だと思っているのでしょうか。

それを知った告発者は、プライバシーへの配慮すなわち告発に関係ない事項の非開示を求め、しかし聞き入れられず、追い込まれていたとのこと。当たり前です。公益性も正当性も何もない、単なる報復のために、そのプライベートな事柄を、公の、しかも証言の拒絶も許されない裁きの場であげつらわれ、理不尽な人格的非難を知事と維新から受けるだろう事になった告発者の心情は察するに余りあります。まさしく絶望と言うにふさわしいものだったでしょう。それこそ自殺を選んでも何ら不思議はありません。

被害者が亡くなった後、これはまずいと思ったのか、慌てて委員会の方では告発書の記載内容以外については非公開とし、審理の対象からも外す旨緊急決議を行ったそうですが、無意味です。委員会側の、特に唯一その公開を求めていたと言われる維新所属議員の泥縄の言い訳・取り繕い的な保身に出たものである事は疑いようがありませんし、むしろその卑劣さに吐き気がしますね。謝罪の言葉もありません。議員云々以前に、およそ人間の所業ではないと言わざるを得ませんね。

当の斎藤知事については何をか言わんや。自分が殺したも同然の相手に、お悔やみを、とかどの口が言うのか。人にお悔やみの言葉を述べる前に自分の行いを悔いるべきです。ショックを受けた?何に?自分が人殺しになってしまった事にですか?何を今更。

代表の馬場しかり、維新はゴロツキやらチンピラが政治やってるようなものとはよく言ったものです。よくこんなのが住民の、国民の代表になろうとするものですね。それをもてはやす人も含め、悔い改める必要があるんじゃないでしょうか。

これは関係ない蛇足ですが、先日終わった都知事選で、もし石丸氏が当選していたら、似たような事が起きていたのかもと思わずにはいられません。ぞっとします。もっとも、彼には維新のようなそのパワハラに加担し擁護するような仲間はいないので、ここまで酷いことにはなりにくいだろうとは思いますけれども。 

斎藤知事のパワハラを告発した兵庫県元幹部が死亡 百条委員会出席で紛糾していたプライバシー問題 

[pol] 大山鳴動した都知事選

7/09/2024

[pol] 大山鳴動した都知事選

東京都知事選が終わりました。

首都とはいえ、あくまで一地方自治体の首長選挙であって、それ以外の地域の住民には基本関係ない話の筈だったのですが、それ以外の地域でも国政選挙であるかのような報道されっぷりでした。その事に多少の違和感はあります。

が、地方選挙の中では群を抜く注目度・影響度がもたらす副作用として、それもある程度までは自然な事だったと言えるでしょう。選挙広告の目的外利用や選挙妨害のような、多分に今後他の地域の地方選や国政選挙にも波及しかねず、それ故に規制の是非が議論され得るだろう事象もありましたし。

しかしそれ以上に、蓮舫氏と石丸氏という特徴的な対立軸を象徴する候補が立候補していた事がその過熱の主たる要因であったのだろうと思います。往々にして単に著名人であるというだけの候補が乱立し、単なる人気投票と化す事も珍しくない都知事選ですが、その2人は程度の差はあまりに大きいにしても、他分野の著名人というわけではなく、いずれも元より政治家として認識されている候補でした。結果、本命・対抗ともに全員が政治家同士の対決という構図になったのです。人気投票の要素は副次的なものとなりました。

この違いは大きいものでした。何故かというと、「現状に不満はあるが、それでも政治の素人はダメ」と考える、投票に関心は十分にあるが消極的に現職か、いなければ最有力候補に投票していた層に現実的な選択肢が出来たのです。実際、小池氏の得票は前回より数割減少し、石丸・蓮舫両氏の得票の合計数は小池氏を上回っています。

これはもちろん歓迎すべき変化です。単に選択肢がないために消去法的に信任を受けるだけの無意味な選挙とは意味合いが全く異なります。況や、人気投票とは比べるべくもありません。無論、有力候補が数人増えたところで、その体現しうる選択肢の軸はたかが知れていると言えばその通りではあるのでしょうが、単なる消去法よりは随分とマシです。

実際問題としては、現職が一定以上の支持を受けている場合等に、その選択肢が現実性を持つには対立候補は一人でなければ共倒れになるという問題もあります。これはジレンマですが、一発勝負の現行の選挙制度の下ではどうにもなりません。決選投票制を導入する他に解決の方法はないように思われます。選挙コストは上がりますが、私は必要なコストだと思います。

話が逸れました。かように、今回の選挙は地方選と言えども現在の日本国内で行われる直接選挙の最も重要なものとして、あるべき姿を指し示すいい選挙だったのではないでしょうか。こういうのを見ると、首相についても直接選挙による公選制を導入したくなりますね。もちろん議院内閣制の(ほぼ)廃止、すなわち憲法の大幅な改正が必要なので、現実問題としておよそ不可能なのですけれども。

ところで、今回の選挙の結果について、負けた側では色々敗因等の分析がなされています。個人的にはあまり意味はないと思いますが、石丸氏、蓮舫氏についてそれぞれ一点だけ触れておきます。

まず蓮舫氏。彼女については、当初対立候補の筆頭と目されていた氏が3番手になったという点が注目されています。それを受けて、その所属団体であるところの立憲民主党では、蓮舫氏や立憲民主党は支持されていないのかと落胆する向きも多数出ているようです。

が、これは的外れだと思います。今回の選挙を通じて、蓮舫氏や立憲民主党の側に、殊更これまでの実績やそれに基づく評価を大きく変動させるような要素はありませんでした。ではなぜこうなったのかと言えば、それは蓮舫氏とその属する立憲民主党という組織の元々の立ち位置によるものであると言う他ないでしょう。

すなわち、氏も立民も、元々、批判票の受け皿になる、という以上の評価を受ける存在ではないからです。これまでも、おそらくこれからも、現状に不満があって、現職等を支持したくない人の消極的な選択肢、その中での(それなりに)相対的な優位を得ているに過ぎないのです。

であるから、他に選択肢が現れれば、そしてそれが積極的な選択肢として成立し得るならば、元より消極的な選択肢が太刀打ちできる筈もなかった。これはただそれだけの話です。仮に石丸氏が立候補していなければ、おそらく蓮舫氏は善戦していたでしょう。場合によっては当選していた可能性も否定出来ません。そうであれば、自身の関係ない要素に左右される、あまりにも不安定な立ち位置と言わざるを得ません。

蓮舫氏というか同党については、その消極的で脆い立ち位置を、積極的な支持を受ける確固たるものに変える事が出来なければ、おそらく今後の選挙でも同じ事になるでしょう。つまり、他に有力な選択肢が現れれば支持されず、現れなければ与党への支持の有無・程度に結果が左右されるのです。いずれにせよ、そこに立民自身の寄与するところは殆どないでしょう。

従って、次の衆院選で立民が勝利する可能性は十分にあります。維新は未だ積極的な選択肢とは言い難く、むしろ万博絡みを中心に将来性への期待さえも失いつつあるようですから。ただ、仮にそうなったとしても、おそらくそれは全く長続きしないでしょう。与党への批判だけを頼りに票を得ても、それは党や政権への支持とは言えません。そんな党が与党になる、という事は、すなわち票を失うという事を意味します。そしてすぐさま議席を、政権を失う。元々実質的な信任がないのだから当然の事です。

そんな見え透いた、誰にとっても不幸にしかならない未来を回避するには、彼ら自身が責任を持って積極的な支持を受けられるだけの、すなわち与党よりよい政権、行政組織を構築・統括し、立法・行政ともに他者に左右されない絶対的な信任を得るに足る実体を備える他はありません。

今更そんなことが可能なのか、正直不可能なのでは、と思わざるを得ませんが、それでもそうするしかないのです。でなければ、実質的に選択肢にはなり得ないし、文句を言う口だけの無責任な人たち、といった不名誉な評価も拭えないでしょう。汚職や不正行為も、単に政権を担っていないから出来ないし追求もされにくいというだけで、自民議員のそれよりマシかというとそんなわけはないでしょうしね。むしろ自民より酷くなる可能性も小さくはないでしょう。評価出来るところが全くない、というわけでは無論ないのですが。それでは全然足りないのです。

次に石丸氏。彼については、色々と批判もそれへの反論も激しくなされています。パワハラ気質だとかアスペだとか、色々言われてもいるようです。どれも自治体の首長たるべき者として、問題なしというわけではありません。しかし、個々の点は、程度問題もあるにせよそれ自体がさほど大きな問題とは思いません。行政を担う者としては、その職務を全うする事が最も重要なのですから。極論すれば、違法の性質を帯びない限り、仕事が出来るならそれ以外は二の次です。

逆に言えば、仕事に支障が出るような点があればそれは問題と言わざるを得ないわけです。で、彼の場合はどう見ても仕事、すなわち行政機関の運営が出来るようには思われないのです。何故か?およそ人と協力する事が出来ないだろうからです。

彼の振る舞い、特に言動を見る限り、彼はそもそも他者とコミュニケーションを取る能力に深刻な障害を抱えています。なぜその言葉を受けてその応答なのか、相手が理解出来ず困惑する事態も頻繁に起こっています。

行政機関は言うまでもなく人の組織です。行政機関の事務の相手も地域の住民を中心とした人です。その運営において、何よりも必要なものはコミュニケーションの能力です。多種多様で時に複雑な人々の話を理解し、適切に対応出来なければならないのですから。そこで誤れば、場合によっては人命にも関わります。当然ながら、この点を軽視する人は、少なくとも自治体の首長としては失格です。

翻って、石丸氏はかなり極端な理想主義者のようです。やり取りを見ると、何事につけ「こうあるべきだ」という理想があって、それに沿わない発言があると、そのやり取りのコンテキストを無視してその点を批判し出します。

確固とした理想がある事、それ自体は美点と言えるでしょうが、状況によらずそれに拘り、話の本題をも無視するようでは本末転倒というもの。しかも石丸氏にはその理想やそれに拘る理由を相手にわかるように説明する気もなく、また相手の事を理解する気もないのだから、相手にとっては普通に(常識的な言葉で)話をしていた筈なのに、わけもわからず突然非難を受けるだけの状況に追い込まれるわけです。文字通り話になりません。

そんな彼が行政組織に入り、決定権や指揮権を持つとどうなるか。確実に機能不全を起こすでしょう。本来そんな事にかかずらわっていてはキリがないというかそんな暇はない筈の些末な事にこだわって時間を浪費し、無駄に事務を停滞させ、組織内の人員を疲弊させ、事務の遅延・遅滞により地域に損害を生じさせ、住民に不満を生じさせるでしょう。議会・議員と協力関係はかけらも築けず、最初から決定的に対立し、予算・人事の承認すらままならなくなるでしょう。

組織・設備等の改廃を独断かつ安易に強行しようとし、地域社会にリスクをもたらす可能性も小さくはないでしょう。もっともこの点については、偶然成功する場合もあるかもしれません。が、多数の経験豊富なスタッフによる行政組織の施策と素人の賭けとでは常識的に考えてそのリスクは比較になりません。相対的に悪い結果になる可能性は極めて高いでしょう。

そして必然的にその過程で受けるべき膨大な正当な非難と、それ以上に膨大な理不尽な非難を受け、その尽くと対立し、何もできなくなるでしょう。

そんな未来が見える、それが彼の決定的な問題だと思うのです。もちろん、実際に職につけばそれなりに現実的な対応をするようになるのかもしれませんが、今の時点ではその期待を持つ事は出来ません。単なる希望的観測による妄想に過ぎないのですから。

以上、簡単にと思いつつも長々と考えを巡らせてみたわけですが、結局のところ、小池氏の再選は妥当だったのだろうと言わざるを得ないですね。学歴詐称問題だとか、公約無視だとか色々非難は受けていますが、知事として最も重要な実績、すなわち安定的に知事職を全うしてきた事実はやはり何よりも重かった、それだけの事なのでしょうから。いかに知名度や話題性、そこそこの対立軸があろうとも、それを凌駕するのは容易ではないのです。

結果としては、大山鳴動して鼠一匹、いや狸一匹か、な感じではあるので、無駄に騒ぎすぎだとの思いも消えませんけどね。それでは。

6/23/2024

[IT biz] KADOKAWA・ドワンゴ経営陣発狂の理由

KADOKAWA、派手に逝ってますね。 

ニコニコ動画を中心にサービスがほぼ完全に壊滅し、復旧の目処すら立たない同社ですが、殆ど対外的な説明はなされておらず不明なために混乱に拍車がかかる一方の中、状況的に具体的な原因は恐らくはランサムウェアに引っかかったのだろうと言われていましたが、どうもそれが正しかったようです。

で、あろうことかKADOKAWAは要求された身代金を払ってしまったのだというのです。当然、味をしめた犯人側は要求を追加し、そこで話は止まっているのだとか。アホですね。

その旨を報じたのはNewspicksというニュースサイトですが、ざっと見る限りありそうな話だなという印象は受けました。一般市民としては、普通に怖いなと思うだけの、言ってしまえば普通の報道記事です。スクープに舞い上がっているのか、いささか誇張気味というか煽り気味な感じはしますが、1を100万位にするのが当たり前なYoutubeの動画やそれこそニコニコ動画上に溢れていたそれらよりはまだしも普通の感じです。つまり、現時点で報道の内容等に特段の法的な問題等があるようには思われません。ありふれたニュースの一つでしかないわけです。

ですが、KADOKAWAというかドワンゴの夏野社長(とKADOKAWA取締役の川上氏ら)がこれに噛み付いたのだそうです。曰く、「犯罪者の脅迫に加担する」等として。

もちろん意味不明です。少なくとも一般の第三者にとっては。事件を報道したからと言って、脅迫者に有利になると考える理由は一般にはありませんし、むしろ公的機関等の出動が促されたり、世間一般に対する教訓・警告・啓発等となって将来の被害を減少させる効果も期待できるだろう、と考える事も可能でしょう。というかそう考えるのが普通です。夏野社長の言う通りなら、脅迫事件一般の報道が不可能になってしまいます。そんなわけがないでしょう。誘拐事件のように、報道によって人命に危険が及ぶような恐れもありません。

夏野社長達の非難は不可解に見えます。では、夏野社長も川上氏も非常識なのでしょうか?勿論そんなわけはないでしょう。知識経験ともに豊富で、世間一般の平均以上には頭も回るだろう人達です。その事は承知の上で、それでもそういう発言をせずにはいられなかった、と考えるのが自然です。それはなぜでしょうか?

まず本件の状況を確認すると、KADOKAWAとドワンゴ、またニコニコ等のサービスがこれからどうなるのかはいまだに不明ですが、過去のランサムウェア被害の事例に倣えば、抜かれた諸々の情報は戻らないし、ロックの解除も行われない可能性がきわめて高いでしょう。つまり、もう取り返しがつかないという事です。この種の犯罪について、身代金を払えば解除してもらえる、等と期待するほうがどうかしているのです。従って、もうリカバリーは諦めて後始末をするしかないだろうわけです。再構築にもコストがかかりますから、見合わなければ事業を終わらせる事も決断せざるを得ないでしょう。これが発生直後の状況です。

この時点での損害は、主にユーザー情報の漏洩とシステムの破壊の2点で、損害は大きいもののいずれもKADOKAWAとその経営陣側には過失はあっても故意の損害は存在しません。ですので、ここで諦めて後始末に入っていれば、痛恨かつ残念無念、だけど仕方がない損害だ、としてそれで終わっていた筈の話なわけです。

なのに、身代金を払ってしまった。ほぼ確実に無駄になる金を。しかもおそらくは独断で。これは外部からの攻撃による単純な被害ではありません。経営陣の判断ミスによって会社に新たに生じた損害です。つまり、株主に損害を与えたものとして、取締役としての背任を法的に追求され得るのです。

経営陣としては、身代金を払っていなくても株主の責任追及、非難は避けられなかったでしょうが、単なるサイバー攻撃の被害という事であれば、取締役の注意義務には違反していないとの釈明が可能だったでしょう。つまり法的には何も問題がなかった。しかし、身代金を払ってしまった事で、取締役としての注意義務違反の疑いがかかってしまう状況になっているのです。KADOKAWA位の大企業であれば、大勢いる株主の中にそう判断する人がいる可能性は高いでしょう。現実に告訴される可能性は小さくないものと予想されます。

社会的にも、犯罪者ないし犯罪組織への利益提供を行い、犯罪を成功させ、もって犯罪行為の助長に寄与したとの評価も免れないでしょう。夏野社長は報道を指して脅迫に加担すると非難しましたが、自分たちこそが犯罪に加担するに等しい事をしていたと言えるわけです。もっともこの点は必ずしも法的に責任を問われるものではないでしょうからただちに致命傷とまでは言えないかもしれませんが、経営者として不適格との烙印を押されかねない失態ではあって、株主の信任喪失、すなわち解任につながる恐れも否定できないものと思われます。(なお、利益の提供先やその方法によってはこちらも普通に犯罪になっている可能性もあります。例えば送金先がロシアとか北朝鮮だった場合等)

無論、夏野社長達経営陣にそれがわからないわけはありません。当然にそれを認識し、しまったと思っても後の祭り、なんとか株主からの告訴等を免れたいと思っている事でしょう。顧問の弁護士は何をやっていたんでしょうね?弁護士に相談する余裕すらなかったのでしょうか。経営陣の誰かがランサムウェアを踏んで、その事実自体も隠蔽しようとして失敗したとか?まさかね。

ともあれ、もはや彼らには、できる限り身代金を支払ったという事実を隠蔽し、株主の注意をそらす位しかできることが無いのでしょう。それが件の意味不明な発言につながったと言えるのではないでしょうか。あるいは、この期に及んで犯人との交渉で解決する事で、身代金支払いが正当化される事を期待しているのでしょうか。まさかそんな無茶な。でも声明の文面はそうとも読めるんですよね。。。

おそらくKADOKAWA経営陣は今本当に追い詰められています。身代金支払いしかり、その後の意味不明な発言しかり、錯乱していると言っても過言ではないだろうテンパり具合です。流石にちょっと気の毒な感じはしますね。まあ、彼らについては、これまで莫大な報酬を得てきているのだから、こういう時に責任を取るのも当然というだけの話なのですが、その発狂に付き合わされる社員はじめ関係者には地獄でしょう。くわばらくわばら。

【極秘文書】ハッカーが要求する「身代金」の全容 

【検証】専門家は、KADOKAWAをどう見るか

KADOKAWA、一部報道に抗議 

5/11/2024

[note] Ubuntu24.04LTSリリース、いつになくやばげ?

UbuntuのLTS版、24.04がリリースされています。 

しかしこれが長らく見なかった位に不具合の恐れがてんこ盛りのリリースらしいのです。何でも、time_t型の64bit化のために大量のリビルドが発生し、それに伴うデバッグ等の検証修正が満足に行われていない様子なのですね。リリース直前までまともにパッケージが揃っていなかったとか、インストールやアップグレードが失敗する状態だったとかいう信じがたい話も聞こえてきます。

当然ながらLTS版はサーバー等の基本不具合等が許されない環境で使われるものなわけで、それがこの状態というのではとてもアップグレードする気にはなれません。恐ろしすぎます。

それに加えて、インストーラ等の刷新も加わっているというのですから、尚更です。失敗する気しかしません。以前snapが入った時にサーバーのアップグレードが上手く行かず、何度もやり直して四苦八苦した時の事を思い出しました。あんな怖い思いは出来れば二度としたくありません。

というわけで、今回はアップグレードを見送ります。勿論LTS版につき最終的には上げざるを得ないだろうのですが、通常通りなら夏頃に修正版が出る筈なので、それが出て、かつ問題ないと確信出来てからにしようと思います。

<追記>

修正版がリリースされました。 が、アップグレードプログラムに深刻なバグがあり、数日後に一旦取り下げられてしまいました。通常のコマンドからは22.04LTS->24.04.1LTSのアップグレードが出来なくなっています。駄目だこりゃ。

[note] Ubuntu24.04.1のリリースが延期、やはりヤバい模様

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

5/10/2024

[IT biz] Dellの顧客情報漏洩のお知らせが責任逃れ一色な件

やりやがった。そしてやられました。

先程、[Dellからの重要なお知らせ]とかいう怪しげな題名のメールが届いたのです。

詐欺かと疑いつつヘッダーを確認したところ、経路情報等からして珍しく本物らしかったので内容を確認したのですが、以前利用した際の私の個人情報が漏洩した、との極めて残念なお知らせでした。

調べてみると、2017年から2024年の間に利用した顧客の情報約4900万人分が漏れたそうです。私はその間にノートPCを購入していたので、ばっちり該当しています。

Dell曰く、漏洩したのは下記の情報だそうです。

・氏名

・所在地

・Dell製ハードウェアと注文情報

 (サービス タグ、製品説明、注文日、関連する保証の情報など)

併せて、財務情報・支払情報・Eメールアドレス・電話番号・その他機密性の高いお客様情報は含まれていない、との注意書きがありました。

つまり、Dellとしては氏名と所在地は機密性が低い、と主張しているわけですが、勿論そんなわけはなく、個人情報保護法に規定されている、保護されるべき個人情報に該当します。そして、Dellのような企業がその顧客情報(のデータベース等)をマーケティング等事業活動に利用していないわけはありませんから、諸々の規制の対象に該当する事にも疑問の余地はありません。漏洩時の個人情報保護委員会への報告義務等も発生している筈ですし、行政処分の対象になる可能性も否定出来ないものと思われます。

なのに、当該メール中では、一貫して「影響を受けた情報は限定的」で、「お客様への重大なリスクはないと考えています」等として問題を矮小化しようと詭弁を弄しています。謝罪はおろか、非を認める言葉すら一言もありません。

さらに、[Dellの対応]の項目では、調査・(今後の)対策・法的機関への通知を行った旨を告げ、「今後は状況を注視する」としています。要するに、顧客が被る損害に対する責任は何も取らない、というわけです。

まさしく無責任という他ありません。

何がどうすれば、こんな不誠実な対応が出来るのでしょうか。顧客の大半は納得しないでしょう。私も納得していません。強い憤りを覚えています。二度とDellとの取引はしないと思う位に。そんな人は他にも沢山いるでしょう。多分に、被害に遭った4900万人の相当割合がそう思っているのではないでしょうか。全く以て不愉快な話です。

Dell discloses data breach of customers’ physical addresses

4/25/2024

[IT] SNS上の投資詐欺について

ここ最近、Facebookや旧Twitter等のSNS上での投資詐欺について盛んに報道されています。

それ自体は以前からありふれた話でしたが、有名な企業経営者や起業家、また投資家等を騙るものが頻発したために、騙られた側の有名人側がSNSの運営側を非難したり、対応が不十分だとして訴える等の積極的な行動に出るのに併せ、各種メディア上で個別に一種のプロパガンダ的な発信をし始めたのがきっかけとなって広く報道されるようになったようです。

個々の詐欺の内容自体は以前からあったものと何ら変わりません。要するに非現実的なレベルの収益率を示して容易に莫大な利益が得られると騙り、投資資金もしくは手数料と称して金銭を騙し取るだけの話です。率直に言って騙される方がどうかしている、と言わざるを得ない程の使い古された稚拙なものです。

今回の詐欺は、それに著名な投資家の肩書がついただけで、勿論内容を見れば嘘だとすぐに分かります。専門知識など要りません。にも関わらず、それに騙される人が後を絶たないと言うのです。欲に目が眩む人というのは何時の時代も変わらず多いのですね。信じがたい事ですが。

昔なら、そういうリテラシーの低い人と詐欺師の接点があまりなかったために起こらなかっただろう被害が、SNSという個人同士が容易に濃密な情報のやり取りを行える場を得て顕在化してしまったのが現状という事なのでしょう。その意味では時代的に必然の結果だとも言えそうです。

その必然的な現状に対し、SNS業者等は否応無しに対応を求められているわけです。彼らは勿論この種の問題について昔から把握していたでしょうし、おそらく今のような、被害が看過出来ない程に拡大し、抜本的な対処を社会的に迫られる事態も想定していたでしょう。ですが、実際にはなかなか対応は出来ていないようです。そして、それを非難されている。サービスの管理運営者として、またそのサービスから収益を得る者として、責任を負っている以上はある程度はそれも仕方ないのでしょう。実際問題として、彼らがシステム的に対処する以外に有効な手段がないというのも事実です。

ただ、今回の話で一義的に非難されるべきは詐欺師です。SNSはあくまで不特定多数が相互に自由なやり取りをするコミュニケーションの場であって、SNS事業者は、その場上で行われるコミュニケーションの内容には原則として中立であるべき立場にあります。通信の秘密や表現の自由の観点からは、内容には立ち入るべきではないし、その義務があるとも言えます。

言い換えれば、SNS事業者による介入は、必然的に検閲の性質を帯びるのです。とりわけ、今回問題になっているような投資詐欺への対処のためには、個別のやり取りの内容をリアルタイムにチェックし、詐欺行為が行われているかどうかを判断する必要があります。

著名人を騙っているかどうかを判断するにも、前提として投稿される全ての画像や音声等を解析し、かつそれぞれの投稿者の素性を調べておき、本人かどうかを照合する必要があります。まさしく検閲です。

疑わしい場合のみチェックすればいいじゃないかと言う人がいるかもしれませんが、疑わしい場合というのを洗い出す時点で、全ての投稿データを調べる必要があるのです。調べなければ、疑わしいかどうかもわからないのですから。

当然、その処理には莫大なリソースが必要です。悪名高い中国の検閲システムと同等かそれ以上の事をしようというのですから当然です。国家権力の裏付けのない一民間事業者には、地理的な優位性も、SNS外のユーザーのバックグラウンドデータ等もありません。そもそも個別のデータをチェックし、詐欺かどうかを判断するのにも、技術的にも著しい困難を伴うでしょう。

NGワードを設定すれば済むような話ではないのです。通常の投資関連の話題と投資詐欺を正確に区別し、かつ厳密な本人確認もしなければなりません。完全な対処はおよそ不可能で、典型的なパターンをフィルタリングする経験的方法による対処もいたちごっこになるのは目に見えているし、事実上不可能と言ってもいいかもしれません。なお汎用的なAIは正確性が不十分なため、補助的にしか使えません。

 つまり、SNS上での投資詐欺へのシステム的な対処は、法的な面と技術的な面の両方で容易ならざる障害を抱えていると言えるのです。対処がなかなか進まないのも無理からぬところと言うべきでしょう。

今回の件で著名人やそれに倣うメディアはSNS事業者を非難しています。対応が遅い、甚だ不十分だ、等として。しかし、上記のようなSNS事業者の置かれた立場とその困難さを考えれば、それは理不尽な要求であり、やってはいけない事だと思うのです。あくまで要望のレベルに留めるべきでしょう。

詐欺行為に自身の名前や画像を利用される著名人の方々が不満を覚えるのは当然の事だとは思いますし、それにメディアが同調するのも自然な事だとは思いますが、詐欺を行っているのはあくまで個々の悪意あるユーザーであって、SNS事業者ではないという前提を改めて認識する必要があるのではないでしょうか。

個人的には、あの程度の、およそありえない投資話に騙されるようなアホな人を減らす方が現実的だと思いますね。あと、詐欺師を積極的に摘発するとか。

そういう事を思うのです。

3/20/2024

[biz] マイナス金利政策終了で開く地獄の釜

ようやく。長きに渡り続いたマイナス金利が終わりました。もっとも、事実上は既に終わっていて、それを今回ようやく追認したというだけの事なのですけれども。

当初は異次元の金融緩和の一環として、短期間の例外措置という体で始まった同政策ですが、その目的であった経済の成長が全く得られないまま、従って止め時を見失い、失敗を認められない政府・日銀の無能によって、延々と続いていた事は誰もが知っている通りです。

得られたものは株式等のバブルだけと言っても過言ではないでしょう。

一方、債権市場の機能喪失をはじめ、ゾンビ企業の大量発生に各種のバブル等、その副作用により決定的に取り返しがつかなくなったものの大きさも尋常なものではありませんでした。ただ、これだけ長く続けばそれも恒常的なものとなり、表面的にはそれなりに安定を見せるようになっていたのも事実です。バブルが安定というのもおかしな話ですが。

しかし、その歪で危うい安定もとうとう終わります。

原因は複合的ですが、直接の原因はインフレと言ってよいでしょう。ただ、目標としていた経済成長に伴うそれではなく、世界的な物価高と円安の二重要因による単純な物価上昇です。それによる国内経済への影響、特に国内消費の減少は既に深刻なレベルにあります。もはや輸出の増加では補えないほどに。

この状況を作り出した張本人である故安倍元首相と黒田元日銀総裁は、既に退場しました。安倍元首相が暗殺された事が、この異常な経済政策を終わらせる契機になった事に疑いの余地はありません。逆に言えば、氏が退場させられる事がなければ、今もまだマイナス金利は続いていた事でしょう。

それが良い事だったのか、悪い事だったのかは誰にもわかりません。個人的には、ここまで諸々の債務が膨張し、売ることも出来ない資産を日銀が抱えて身動きが取れなくなってしまっていては、多少時期が前後したところで大した違いはないだろうと思いますが。

ところで、マイナス金利解除の影響はどういうものでしょうか。既に各所で山ほど議論されているように、その予測は非常に困難です。言うまでもなく、各種の要素が絡み合って、時に増幅したり反発したりで混沌的な挙動を見せる関係にあるからです。例えば以下のような。

・円金利上昇=円の価値上昇

 主な影響 円高・円建て資産の価値上昇

      輸入コスト減・輸出減・国内物価低下・消費増

・資金調達コスト上昇 

 主な影響 投資減・経済活動縮小・倒産増・不動産市場縮小・バブル崩壊

      債権価値減

      金融機関増収(利息のみ)

上記の項目だけを見ても、各種の資産や通貨の価格への影響はプラスに働くものとマイナスに働くものが混在している事は明らかです。例えば、金利上昇により通貨単体として見た円の価値は上がりますが、国内経済の縮小や債権の価値下落(の見込み)によって経済活動と結合した資金としての円の価値は下がります。また同時に、消費の増加により資金としての円の価値は上がる側面もあります。さらに、為替市場を通じて投機的な動き等も加わりますし、貿易を行う企業はそれぞれレートを一定期間固定して実質的に独自の金利を用いた取引を行います。

本来なら、金利はその予測も制御も困難な経済活動を規律するための数少ないツールとして決定的な役割を果たす筈のものだったのですが、その喪失を政府・中央銀行が自ら進んでやってしまっていたのです。日銀があの状況、政府も債務で押しつぶされそうな現状にあっては、今更その機能を取り戻す事が出来るのかすら怪しいでしょう。

特に資金調達コストの増加は、およそ全ての商取引の現場に甚大な影響を及ぼします。長らくほぼ0だったものがそうでなくなるとなれば尚更です。

ゼロ金利解除と言っても、当然ながら金利が上がれば、1000兆円を越えて積み上がったあの国債残高は利払い費という形で政府の支出を破滅的に増大させます。他国のように数%の水準にまで上げる事は極めて困難というか、そこまで上がった時点で既に財政は破綻しているでしょう。1%の利払いにつき国家予算の1割超を持っていくのですから、数%となれば利払いだけで当然に支出の半分とかになります。無理です。借り換え前に償還すればいいと言うかもしれませんが、それはそもそも不可能です。

当然、その引受を担っている日銀も道連れになります。つまり国家の財政部門は崩壊します。従って、逆に言えば、破綻を避けるために金利は上げられない筈です。実際、それこそがこれまでマイナス金利が維持されてきた主たる理由なのですし。

しかし、だからと言って、例えば1%以内等の低水準に留めておけるものでしょうか。海外各国は当然のようにそれを遥かに超える水準にまで利上げをし、それでもインフレを制御出来ていないというのに。繰り返しますが、経済活動は元々制御困難なものです。今回の措置に追い込まれた原因たるインフレ等の流れが、金利を少々上げただけで落ち着くと楽観できる根拠は何もありません。

金利を本格的に上げる他に術がない、という残酷な現実が明らかになった時、政府・日銀は、どうするのでしょうか。何が出来るのでしょうか。何も出来ないのでしょうか。

要するに、溜まりに溜まったツケを払わされる時が、迫っているのかもしれません。

[gov] 日銀がゼロ金利放棄

2/01/2024

[biz] トヨタ本体も消えそう

・・・と言ってしかるべき状況になったわけですが。 

流石の影響力というか資金力というかスポンサー力というか。日野・ダイハツの場合と比べ、非難・追求の動きが明らかに鈍いようです。

今回不正が発覚したのは豊田自動織機で、内容は前2社と同じく検査不正、すなわち性能偽装による認証の不正取得です。対象のディーゼルエンジンを搭載する10車種が生産・出荷停止となり、その中にはランクル・ハイエース等の主力車種が含まれています。特にハイエースはトヨタを代表する主力中の主力です。やっぱりというか、ついに来たかとかいう感じがしますね。

豊田自動織機は形式的には子会社ではありますが、周知の通りそれは形式的なもので、実質的にトヨタ本体の一部、すなわち今回の件はトヨタ本体の不正と言えるものです。対象車種からもそれは明らかです。

そして、不正の内容やその原因たる企業体質等はまず間違いなく日野・ダイハツの場合と同様であろうと思われるわけです。というか、2社の体質等はトヨタ本体の体質・方針が波及したものと考えるべきでしょう。本体が子会社を支配し、人事権や組織の編成権も握っている以上、その逆はあり得ませんし、2社が本体の影響を受けず独立に同体質になったというのはもっと考えられません。

まあ、ぶっちゃけ日野とダイハツのあの上から下まで腐り切った状態を見せられて、その親玉であるトヨタ本体は違うと思える人なんて、最低限の認知・判断能力さえあればありえないでしょうけど。 やっぱりね、と納得するだけの事です。

そうである以上は、トヨタ本体も当然に日野・ダイハツと同様の末路を辿って然るべきなわけです。少なくとも、そうでないと考える理由はなく、そうだろうと予想する理由・前例は既に十分です。

そもそも、今回対象になった豊田自動織機はトヨタの巨大な開発部門のごく一部に過ぎません。その他の各子会社や本体の開発部門・検査部門等でも同様の不正はまず間違いなくあったでしょう。少なくともその疑いは非常に強い。これから広範に捜査・摘発がなされて然るべきだし、そうなれば山ほど違法行為が発覚するだろうと思われます。当然予想される結果として、世界有数かつ国内トップの生産台数を誇る自動車メーカー、その生産の全部とまではいかずとも、相当部分が停止する事になるものと思われます。信用も失墜します。

その影響は言うまでもなく甚大です。トヨタ側も役員・部門・各社員共に保身に走るだろうし、利害関係者は追求に及び腰にもなるでしょうね。何しろ自分が失職したり、会社・部門が潰れたりする可能性があるわけですから。トヨタレベルの得意先が消滅でもすれば、立ち行かなくなる会社も多々あるでしょう。

お得意様No.1の攻撃に及び腰になったメディア各社はじめ、国交省や財界、全国・全世界に散らばる数多の取引先等がこぞって忖度という名の擁護・自己防衛に励む姿が目に浮かぶようです。

クソ喰らえです。スペックの偽装などという自動車メーカーとして絶対にやってはいけない犯罪を組織ぐるみで犯し、それが一部発覚してなお改めようとしない姿勢は到底容認できるものではありません。お得意のカイゼン、その対象は自分の目先の利益になる事だけだったようです。

そうであれば、この惨状も、TPSの結果と言えるのでしょう。果てしなく思えたカイゼンの行き着いた先が粉飾まみれ、犯罪組織になっての破滅とは、皮肉が効き過ぎてませんかね。

それを擁護するメディア・政財界・取引先等も同罪と言う他ありません。ユーザーや社会の事なんかよりトヨタ様の方が、正確にはトヨタ様との商売の方が大事って事なんでしょう。そんなに大事なら、一緒に破滅すればいいと思います。

[biz] 日野に続いてダイハツも消えそう

[biz] 日野自動車、全車販売不能・・・まさか廃業?