石破総理が、なんか変な事を口走ったそうで。
企業・団体献金の禁止の是非に巡る国会での議論の最中に、憲法21条規定の表現の自由に抵触する、との見解を述べた件についてです。
多くの人が疑問を感じたのではないでしょうか。特に法律論に明るくない一般の人には、企業・団体の政治献金が表現の自由で保障されている、と言われても、何を言ってるんだとしか思われないでしょう。
法的に見ても結論としては似たような感想を持たざるを得ません。全く根拠がないというわけではないのがややこしいのですが、詳細に論ずると切りがないので要点だけ。
本見解は、おそらくは企業献金の合憲性を認めた八幡製鉄政治献金事件を念頭に置いたものかと思われますが、これは一般論として法人も憲法に規定された各種の権利・義務の主体となりうる事を認めたものであって、個々の権利に対する規制の可否とその審査基準については何ら審査も判示もしていません。従って上記見解の根拠にはなりえません。
また、表現の自由により保護される権利は広範に及びますが、その大部分は個人の尊厳を保護の根拠としており、それを観念する事の出来ない法人等については、自ずから憲法上の保護を受けるべき権利の範囲は個人のそれと比して狭く、かつ保護の必要性も小さいものと一般に解されます。
法人等では、その行為につき構成員間での意見の相違や個人の信条との不整合等、個人の人権との衝突も起こり得ます。その場合は、原則として個人の人権の保護が優先されます。すなわち、法人の行為に対する規制が合憲性を帯びるわけです。なお、その規制立法が他の人権を侵害する場合にはその限りで違憲となる事については言うまでもありません。
必然的に、法人等への規制に対する違憲審査においては、個人に対するそれより緩やかな審査基準が適用される傾向にあります。つまり、法人等の活動への規制は合憲とされやすい。というか、余程の明白な違憲性が認められるのでない限り、裁判所が違憲と判断する可能性は限りなく低いのですね。その意味で、個人と法人とは憲法上の保護の度合いが全く違うのです。
規制を違憲とする最高裁の判断が示されたのなら別ですが、それもない。である以上、表現の自由に抵触する、等と言える筈がないのです。現時点で言える事は、規制のやり方によってはその可能性が生じうる、といった程度でしょう。それにしたところで、その判断に際しては、法人独自の権利が保護されるのではなく、最終的にその大部分が個人の権利の侵害如何に帰着するのではないでしょうか。個人の人権を侵害しない限りにおいて合憲、といった形で。
そもそも、企業・団体による政治献金につき表現の自由として保護が及ぶ事と、他の人権の保護のために制限を加える事の是非とはレベルの異なる話なのですが、石破総理の発言ではこれらを混同しています。
石破総理の思い込みなのか、それとも意図的に混同したのかはわかりませんが、少なくとも一般には通じない言説には違いありませんし、あの文脈でわざわざ述べる必要も意味もなかったように思われます。企業・団体献金の規制をしたくない旨をもっともらしく主張したかっただけなのかもしれませんが、不適切と言わざるを得ませんね。困ったものです。