7/11/2024

[note] シャレにならない(かもしれない)石丸氏

先日都知事選に出ていた石丸伸二氏が、その後のメディアへの露出時の言動を巡って各所で話題になり続けているようです。

取り上げられ方は、その話をはぐらかす詭弁的な応答をネタにして茶化すもの、話し相手によって露骨に態度を変える様を指して眉をひそめるもの、そして大半の相手を見下しつつ小馬鹿にしたりして貶めようとする様を非難するもの等、様々ですが、いずれにも共通するのは、到底肯定的なものとは言えない事です。

もちろん全てではなく、ごく一部に共感を示す人もいますが、明らかに少数で、その他の大勢からは石丸氏のそれと同様の扱い、すなわち否定的な反応か無視かを受けています。

公職に就いていたもの、就こうとしたものとして、その言動が注目され、また広く厳しく批判にさらされるのは当然の事ではありますが、行き過ぎはしないか心配になるほどです。もっとも、私自身も先日否定的な評価をブログに書いたのであまり言えた口ではないのですが。

今の所、当の本人はあまり気にした様子でもなく、むしろ嬉々として批判する人達を小馬鹿にし続けているようにも見えますし、実際のところ問題はないのかもしれません。

ただ、彼の言動を嗜めるとか、擁護しようとしたりする味方とか、つまりは仲間とか友人的な人が皆無なのですよね。肯定的になるにしても一部の発言に限って理解を示すとか位がせいぜいです。第三者的な立場からの擁護すらほとんどありません。という事はつまり、ほとんどの人が、他人事としてではなく、自ら石丸氏とその言動について否定的な感情を抱いているということなのではないでしょうか。もしこんな人が近くにいたら到底受け入れられない、といった類の。

そこから推測される事は、要するにこの人はこれまでずっとこうやって、ひたすら自分の衝動のままに周囲の人を意味もなく攻撃し続けて、誰の事も理解しようともせず、当然の結果として距離を置かれ、言ってしまえば嫌われて生きてきたのだろうという事です。直接関わったわけでもなく、選挙とそれに関連する報道を通じて見聞きしただけでこれだけ嫌われるのですから、直に接してあのような言動を浴びせられればどうなるか、それはあまりにも想像に容易いことです。

誰からも距離を置かれる、嫌われる、というのは、場合によってはいじめのような状況になる事もあったかもしれません。しかしそれを非難する事は出来ません。誰彼構わずあのような振る舞いをしていれば、そうなる事は当然の結果と言う他はないのです。それでも今なおそうしているのだから、きっと彼自身かけらも気にしてはいないのでしょう。あるいは人と馴れ合うような真似は死んでもしたくない、位にさえ思っているかも知れません。

だったら何故人と関わる仕事に就こうとするのか、あまつさえ全体の奉仕者たるべき公務員、しかもその責任者になどなろうとするのか、という疑問も生じますが、もしかしたら真逆で、権力を得て人を見下したい、苦しめてやりたい、気に入らない人を排除してやりたい、とか考えているのかも知れませんね。安芸高田市長時代の振る舞いはまさにそんな感じでしたし。

つまりパワハラや権力の濫用こそがしたい事で、それが出来る権力者になりたいから首長に立候補した、とか。そうだとしたら最悪なのですが、ある程度辻褄は合ってしまうのがなんとも。自己満足以外に何の意味もないというか社会的には害悪にしかならないし、第一基本多数決の論理で動く政治の場で周囲の支持もなしにそんな事をしようとしても、自分が排除されるだけでしょうに。

とはいえ、孤独であろう事は間違いないし、ある種の痛々しさも感じずにはいられないのです。少なくとも、面白半分で茶化したり、いくら嫌悪感があったとしても人格への批判を無制限に加え続ける事には、健全な社会の倫理からの躊躇いがあってしかるべきでしょう。

個人的には、そもそも彼は誰もが目にするようなメディアには出てほしくないですね。子供の教育にもよくないと思います。子供が彼の真似をしたりすれば、彼のように友人を無くすだろうし、下手をすれば社会に適応出来なくなってしまいます。シャレになりません。youtubeで動画を配信する位ならフィルタ等で目に入らないように出来るので、それ位に留めておいてもらいたいと思います。多分無理なんでしょうけれども。

 [pol] 大山鳴動した都知事選