9/05/2024

[note] 長く続けたソシャゲを見限った

※ 本項は、純然たる私的な話題です。

ふと気まぐれに始めてから6年以上。結構長いこと続けていたソシャゲに、先日とうとう見切りをつけた。

理由は色々とあるが、詳細は改めて書く程の事でもない。要するに飽きたという事だろう。多分。

思い返せば、始めた時もなんとなくだった。当時、既にギャンブル顔負けに数多の中毒者を出し、社会問題にもなっていたそのソシャゲの仕組みにふと興味が湧いた、それだけだった。

それから、当初抱いた興味は早々に満たされたのだが、周囲の狂騒はまだ続いていた頃の事、まだ何か先があるかも、と若干の期待を抱いてしまったのが運の尽き。ずるずると、意外に長い間付き合いを続けてしまった。費やした金銭は年当たり数千円、総計でも2万かそこらと中毒には程遠いが、時間については一日当たりはわずかでも塵も積もれば、でそれなりに使った。自然、多少なりと愛着も湧いていた筈だが、夢中とまではいかなかったと思う。

それで、先日とうとう、その残っていた僅かな期待も綺麗に解消された、というわけだ。

終わりは本当に唐突だった。ああ、もういいや。そう思って、最新の、公開されたばかりのメインストーリーのテキストを読まずにスキップした、その瞬間だった。

それまで、どれだけ使いまわしやパクリ、身内の悪ふざけ的な駄文に満ちた、読む意味が無い事が明らかな枝葉末節のテキストでも最低限流し読みでも目を通していた。なのに、最も読み甲斐がある筈のメインストーリーを飛ばした。

しかもそのストーリーのライターは、そのソシャゲの元になったIPの作者、いわゆる原作者というやつで、そのライターの書くメインストーリーは、当然ながらそのソシャゲのコア中のコア、一番の売りと言って然るべきものだった。他のプレイヤーからは、それを読まないなんて、何のためにこのゲームをやってるの?と言われるに違いないものだ。

にも関わらず、それをスキップした後に、しまったとかいう後悔や、プレイヤーとしての義務に背いた罪悪感といった類の感情が一切湧いてこなかったのだ。もちろん読み返す気など欠片も起きない。それを自覚した時に、ああ、終わったんだと、そう悟った。だから辞めた。

元より、ソシャゲは所詮ゲームだ。やる義務はなく、やる事によって得られる利益の類もない。それどころかやる意味もない。むしろ、世間一般の常識的な向きからは、変人や変態、異常者の類として見られる事もしばしばだ。辞める事で得られるメリットはあっても、デメリットはない。少なくとも対外的には。

だから、喪失感の類は全くない。失望感もない。恋が冷めたというのとも違う。ただなんとなく繰り返していた習慣を、やらなくなった。それだけだ。

ついでに言えば、解放感もない。それで空いた時間は、既に他の作業等で埋まっているからだろう。それに何の違和感もない。ソシャゲなんて最初から無かったかのようだ。

なるほど、本当の終わりというのは、こういうものなのだろうか。結局のところ、その体験だけが、そのソシャゲを長い間プレイし、自然と辞めるに至った事で得られた経験、その中で唯一特別なものと言えるのかもしれない。 それに何の意味があるのかはわからないけれど。