と思う今日この頃。取調べ可視化の件についてです。
本件については先日、調書読み聞かせのみの可視化、という中途半端な方針が報じられました。しかし、取調べの手法自体、またその前段階の逮捕拘禁の手続きに問題があって、最終的にはそれらも含めた全過程における不法行為の防止、抑止が求められる以上、それは全く不適切不十分なものです。本来、逮捕ないし任意出頭の時点から公権力とのやり取りを全て記録してチェックすべきものであると思うのです。
そして当然これは特捜案件に限る話でもないのであって。先日の警察官による取調べ時の脅迫の件にしても、本件原告が録音していた事によってかろうじて発覚したものですが、記録されない大半の取調べの中では、類似の違法行為が公然と行われている事は間違いないのであって、その防止は絶対に必要であるし、記録の有無による影響の差はあまりにも明らかかつ致命的に大きいのですから、個々人の自衛に任せるべき話でも全くありません。単に記録しておけば防止が期待出来る事も明白であり、そのための機材、技術も揃っていて、従って必要性も実現性も十分なのですから、それを怠る事は明らかに不法であり、司法の側としても、不作為の責を免れないものと言えるでしょう。
大体ね、記録の範囲を限定する理由として、捜査への支障云々とか言ってますが、順序が全く逆です。まず全ての前提として警察組織とその活動が合法である必要があって、次にそれらが十分担保できる場合の例外として考慮すべき話であるわけで。現在進行形で前科が積み上がり、違法の疑いも強まるばかりの現状にあっては論外です。しかしそれらの主張が公然となされ、あまつさえそれに沿った方針が採られる現状には、そこまで愚かなのかと、愕然たる思いを抱かざるを得ません。
勿論、記録内容の管理方法、また公開の範囲、時期、方法等の手続き面では、諸々の副作用が起こらないよう配慮して制度を作る必要があるのは当然ですが、それは既に情報公開一般の法制でも実績のある部分の話でもあるし、十分合理的で受容される制度が実現出来る事もまた明らかだと思うのです。
あと、警察活動の全記録というと、レコーダー等の機材関連ビジネスも結構なものになるでしょうし、今は亡きライフログ系の実用化、それもエンタープライズ系という事で、新分野かつ発展性も高く、社会的にも経済的にも望ましい話だと思うのですけれども。もっとも現政権はそれどころではないでしょうし、次の政権に期待、でしょうか。
大阪府警警部補、任意聴取での暴言認める 地裁初公判
取り調べ可視化「自白調書読み聞かせ」のみ