5/30/2011

[law] 国旗・君が代起立命令、最高裁が合憲判断

違憲判断もあるかと注目されていた国旗・君が代訴訟、職務命令自体は合憲との判断が出たとの事で。結論自体は過去の公務員の政治活動を中心とした服務規律への措置に関する判例に沿ったものですが、本件は個人性が強く、思想・良心の自由との関係が問題とされていたところ、特に区別すべきものとは判断されなかった、という事になりますね。先日東京都の方の訴訟では高裁で通達は合憲、処分は違法との判断がなされましたが、そちらの上告審への影響も必至です。

法的には特に驚くべき結論でもないわけですけれども、しかし歓迎出来る話ではないように思われるのです。というのも、当然ながらこれに納得出来ない人は非常に多く、かつその意志は既に思想信条そのものとなって強固な場合も多いだろうから、逆に反発が強まる可能性は高いだろうし、折しも大阪府の免職による罰則までも含めた急進的で過激とも言える強制強化の動きと合わせて、それらの人達と行政との間の軋轢、衝突が急速に深刻化する事態が懸念されるからです。

教育の場と言えども行政権の監督下にあって、公務を担う者として、教師の裁量にも自ずから一定の制約はある、それは当然の事です。ただ、本件は教師個々人の個人的、一身専属的な性格が強く、現代社会においてもっとも重要とされる個人の自由権、特に社会から一義的には独立している筈の、良心の自由の発露そのものとも思えるし、その涵養の場でもある教育組織にあっては、ナショナリズムに対して距離を取るもので、むしろ中立の態度とも言えるのだから、社会的に中立性のない政治活動等と同視すべきものではないように見えます。少なくとも、良心の自由を規制する以上、その規制は必要最小限でなければならない。しかるに本件における必要性、その目的は、行政的な規律の維持そのものに過ぎないし、免職までも及ぶ罰則を伴う、殆ど絶対的な規制というのは、目的に比して過剰に過ぎるものと言わざるを得ません。

実際問題、国旗とか君が代を断固拒絶する先生がいようが、生徒からすればどうでもいい話なわけで。しかもその目的たる秩序維持の面から見れば逆効果と思われるし、結局の所、得るものがない話に見えるのですよ。規制を導入する側が一時的に溜飲を下げるだけの事です。

かように、改めて考えても、やはり歓迎出来る話ではないと思うのです。そもそも、どうして行政組織というのはこう安易に人を押さえ付けようとするんですかね。規制の強化で得られる秩序というのはハリボテに過ぎない事位、皆知っているし、往々にしてそのハリボテ自体が主体化して組織内での乖離を生み、本末転倒な結果になるもの、それは経験的によく知られた事なのにね。

少なくとも、罰則等によって単に規制を強めるだけのやり方は論外です。組織の秩序を求めるのであれば、それに必要なのは、正当妥当で皆が納得出来るよう構成された目的、理由、またその具体的かつ現実的な根拠と、多様性を受け入れた上でそれらを融和させる、誠実さを備えたコミュニケーションです。それは出来ない、というのであれば、手段、またそれ以前にそもそも目的も正当性を欠くのであって、どうしたって結局は破綻する筈のものなのに、どうして行政組織というのはその強行を繰り返すのか。どうにも馬鹿馬鹿しく、気が滅入る話です。

君が代訴訟、起立命じる職務命令「合憲」 最高裁初判断

[過去記事 [law] 君が代不起立訴訟の教員側逆転勝訴]