7/31/2022

[law] 統一教会と自民党の癒着について

長年、公然の秘密であった元祖反社会的組織たる統一教会と自民党の癒着。その自民党側の中核的存在であった安倍元首相の殺害事件、その犯人の動機を通じて否応なく世間の注目が寄せられ、その悲惨な実情が曝け出されつつあります。それに伴い、両者にその他のあらゆる方面から非難が寄せられると共に、両者の側からはそれを封じようとする動きが起こり、混沌とした状況になりつつあるわけですが。

そもそも統一教会とは何ぞや、というと、韓国で1950年代に発生し、日本を中心に海外にも広がったキリスト教をベースにしたカルト宗教というのが正しいのでしょう。サタンが云々、地獄に落ちる云々の無根拠にして荒唐無稽かつ意味不明な言葉で迷信深い信者の恐怖を煽り、その対策や救済と称して壺等を提示し、その対価として常軌を逸した寄付を要求する、要するに悪質な霊感商法の元祖的な存在です。実際に1980年代には日本国内で社会問題化し、宗教系の反社会的組織としての評価を確立しました。オウム真理教と違い破防法等の指定を受けていないのは、テロ等のあからさまな暴力行為には手を出さない、という一点のみによります。とはいえ、一般人にとってはその被る経済的・精神的・社会的な意味での危害・被害とその危険性の点ではオウムも統一教会も大差ない認識であろう事は間違いないでしょう。つまり、暴力団・半グレ・マルチ商法・特殊詐欺等と同類の組織と言えるわけです。

自民党と統一教会の関係、その歴史的な経緯の詳細については各所で解説がなされていますから、ここでは省略します。一言で言えば、安倍元首相の祖父である岸信介元首相の時代から30年以上に渡り互助関係を築いて来た、という事です。自民党の所属議員は、統一教会の式典や機関誌等に顔を出し、ある種の広告塔として、教会に対し権威や正当性を与える事で信者の獲得すなわち収入の維持・増加をもたらし、教会側はその見返りとして、日本人信者の票の取りまとめを行って来た事はよく知られているところです。他にも、議員等はあからさまでない形で様々な口利き等を行って来たとも言われていますね。

要するに、反社たる統一教会と、日本政府すなわち国家権力とほぼ同義である自民党及びその所属議員が、長年に渡り、恒常的に癒着していた、それはもはや疑いようのない事実であるわけです。そもそもこの事がここに至るまで公の非難すら免れて来たという事自体、日本政府には政教分離以前に基本的な最低限の倫理のかけらもないという事を証明していると言えるでしょう。

政教分離。そう、カルトかつ反社とは言え、統一教会は宗教団体なのです。 言うまでもなく、宗教活動及びそれを行う団体には、憲法上の強固な保護が与えられています。具体的には憲法20条の前段ですね。「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」例えその思想が終末的だろうと、反社会的であろうと、本部が外国で運営主体が外国人で占められていようと、それが宗教活動である限り、原則として自由が保障されています。それがマインドコントロールによるものであっても、信者本人がその信じるところに従って自発的に行う限りは、侵されるべきではない、というのが基本なのです。

実際、その教義やそれに伴う寄付が如何に客観的に見て不当であろうと、当人が正当と信じ込んでしまっている場合、それを制限する権利は他人にはありません。だからこそ、統一教会の活動が反社的である事はわかっていても、その存在は容認されて来たし、安倍元首相殺害犯の母親のように第三者から見ての被害者も依然として無くならず、二次的・三次的な被害も生じ続けているわけです。

ところが、今回問題になっている、自民党との癒着については話が別です。統一教会が宗教団体としてその保護を享受している以上、政教分離の制約も同時に受ける事になるわけで、自民党との協力関係は、これに抵触してしまうのです。具体的には、憲法20条後段の、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」ですね。宗教の(絶対的な)価値観は民主主義にそぐわず、他の権利を侵害するおそれが大きい事等から設けられている規定です。

ここで言う特権とは、典型的には玉串料や香典等の公金の交付を意味しますが、当然ながら金銭的なものには限られません。有形と無形とを問わず、およそ便益と言えるものが該当します。各種の口利き等は勿論、反社会性を理由に差し止められていた名称変更を容認した事等も当然該当するでしょう。自民党は与党です。政治上の権力主体そのものでもあります。その活動は、個人的かつ私的なものを除き、政治上の権力行使にも該当するでしょう。つまり、統一教会が自民党及びその議員と公的・組織的に協力関係にある以上、そこに当然に発生する諸々の利益・便益は、原則として違憲行為に該当するわけです。本件の違法性はほとんどそこに集約されるように思われます。

通常、政治絡みでこの種の違法行為が明るみになった場合、対価もない一方的かつ単なる儀礼的なものとしたり、議員個人の私的な宗教的行為として切り捨てたりして収拾を図るものですが、自民党も統一教会も、これまでの関係が長く深すぎました。積み重なった事実の山を前に、今更関係自体を無かったことにしたり、組織的な関係を否定する事は到底出来ないだろう以上、開き直る他ないのです。だから、現防衛相の岸信夫や自民党総務会長の福田達夫らは、「協力してもらうのは当然の事」 だとか「何が問題かわからない」等と言うしかないのですね。まさしく言うに事欠いて、というやつです。

統一教会も自民党も、こうなってはやることは唯一つ。メディアを中心とした口封じです。スポンサー企業等にも働きかけをしているだろう事は疑いようがありません。安倍元総理の国葬の手配を電通に任せる、というのも、メディア対策の一環なのでしょう。実際、複数のメディアでは統一教会の名前は出さないようにしていたりするそうですし、それなりに効果もあるのかもしれませんね。

とはいえ、何せ30年以上公然の秘密とされ、延々と燻り続けて来て、ついに炎上したのが本件です。メディアの一部を一時的に抑えたとしても、そのまま風化するとは到底考えられません。果たして統一教会と自民党、両者がこの長年の癒着の報いを受ける事になるのか、受けるとすればどのような形で受けることになるのか、これから長く醜い争いが続きそうで、いささかげんなりする次第なのです。

ただ、ようやく訪れた統一教会の害を社会から取り除けるかもしれない機会です。ぜひとも排除までたどり着いてもらいたいものだ、とは思います。