1月末に発表され、生物学の定説を覆す大発見として広く衝撃を与えたstimulus-triggered acquisition of pluripotency cell、略称STAP細胞が、全方位的に非常に強い懐疑を受けているそうで。本件、私は生物学全般において門外漢につき、元よりさほど興味も抱かず、山ほど取り組まれるだろう各専門機関の検証結果を見れば良いだけの話か、と思って放置していたんですけれども。
しかし、発表から一ヶ月近くが経ち、その間まさに全世界の機関がこぞって追試検証に取り組んだにも関わらず、現時点で全て失敗し、部分的なものも含め肯定的な報告は未だ一切無し。あげく論文の中にあれこれと作為や捏造、盗用までもが確認されている、とあって、それが事実なら当然に発見自体にも捏造が疑われる話なわけで、そうであれば理研とHavardはじめ、nature誌から、学会、社会に至るまで、およそ全世界が派手に担がれた事件という事になるわけです。それは流石に珍しいし、どういう経緯でそんな事になるのか、と逆に興味が沸いてきた次第で。
何はともあれ原論文を見ない事には始まりません。というわけで、幸いにもフリー公開になっていたnature誌掲載の原論文をざっと読んでみました。門外漢には分からない専門的な単語がずらずら並びますが、疑惑を検証するには中核部分が理解できればよし、ということで。
Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency
論旨の概要は、これまで遺伝子操作を施す場合を除いて非可逆とされていた動物性細胞の分化について、その外部刺激による(stimulus-triggered)逆行すなわち多分化性(pluripotency)を再獲得(acquisition)させる手法を確立した、というもの。具体的には、CD45なる抗体を持つ造血細胞について、pH5.7程度の、致死に近い(sub-lethal)酸性液にほぼ常温で25分程度晒す事で、生き残った細胞にCD45減少と引換にOct4-GFPという多分化性を司る因子を獲得させる事が出来る、としています。Oct4は既存の広く知られた因子であり、これが得られる事がすなわち万能細胞の生成に成功した事に他ならない、というわけです。実験にはマウスを用いていますが、実際に上記処理後、一週間程培養した細胞を用いて、キメラを生成する事にも成功した、としてその写真等を掲載していますね。その写真等に捏造があると疑われているわけですが、それはともかく。
無論、手順の中には各種の細胞の選別手法やそれに用いる機材等、実験に際しての細かい手順も記載されているのですが、骨子としては概ね以上のようです。なお、論文の内容として、何故その処理でその現象すなわち多分化性獲得が起きるのか、そのメカニズムについてはおよそ言及が無いようでした。これはいささか奇妙にも思われますが、ともあれ、本論文は実験結果としての現象とそれを発生させるための手法を報告するものと理解すべきものでしょう。最も重要な点は結果の真実性にある、という事です。
さて。改めて見てみると、その手法自体は極めて簡単なもののように見えます。要するに特定の因子を持つ細胞を選別し、グループに分けてから一部を液体に短時間晒し、培養にかけた後に処置有りと無しのグループ間の因子に関する差異を比較するだけです。無論技術的にはシンプルな方法が一般に優れているとされていますし、それ自体は問題ないどころか歓迎すべき事なのですけれども、しかしそれなら再現は容易な筈で、培養に必要な時間を考慮しても、専門機関であればまず10日あればある程度の検証は可能に違いないわけです。事実、多くの機関が既に一次的な実験結果を報告しています。そして、それが全てネガティブな結果なのですね。まだ確定的な判断を出すには早計に過ぎる事は間違いありませんが、捏造との嫌疑を掛けられるのも致し方ないところでしょう。
その上、共著者たる若山照彦教授(山梨大)ですら現時点で再現出来ない、という信じ難い話もあるのですから、むしろ逆に論文の内容を真実と信じる理由を見出す事の方が困難、というべきでしょう。私個人としては、根本から真っ黒なのでは、との疑念を抱かずにはいられません。
それで。まだ真偽の確定までは出来ませんが、かような状況に至ってしまった時点で、少なくとも、今回の研究内容が客観的検証に欠け、かつ論文単体としても甚だ杜撰で不適切なものであるという事は間違いないものと思われるところです。とりわけバイオ関連ではベンチャー等事業絡みで詐欺すら横行する昨今にあって、そのような研究、また論文自体は残念な事に珍しい事ではありませんが、本件の問題は、その発表者が理研なりHarvardなり、間違いなく学術界を代表する組織の正規の所属員であり、当然にその組織の研究成果として公示されたものであり、かつ媒体もこれまた最高峰たるNature誌と、いずれもおよそ考えうる最高の権威によって成された点にあります。従って、本件は単に一研究チームによる愚かな論文発表というに止まるものではなく、学会そのものによる自己否定、自殺的行為に他ならないわけです。事実の検証は科学の基本中の基本、栄光に目が眩んだか知りませんが、それを怠り、自ら組織全体の信用までもを失わせるとは、揃いも揃って愚かにも程があるだろう、と呆れざるを得ません。
あまつさえ、筆頭著者の小保方晴子氏はおろか、理研もHarvardもNature誌も説明すらせず、揃って調査中として延々と沈黙を決め込み、疑念が膨らむに任せるだけとあっては、もはや救い難いものと言うべきでしょう。責任の押し付け合いでもやってるんでしょうか。何であれ、残念です。せめて発見の一部でも真実であれば、と期待する事すら過分と思えるのには殊更。
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後日。そしてさらに一週間以上経過し、ようやく手順書が理研から公開されました。というわけで、一度関心を抱いてしまった以上、毒を喰らわば、と半ば義務感に押されて読んでみたわけです。当然の事ですが大筋は原論文と同じ、それを詳細に記述したものであって、検証出来ない門外漢には意味が無い代物ではありました。なので、同じく進められるであろう専門機関の検証を待つよりないわけですね。それは元より分かっていた事ですけど。
ただ、それでもあえて付け加えるなら、手順書中では多数[Important]と銘打って処理中で特に注意を要するとされる点を記述しているのですけれども、それに多少なりと違和感は感じました。細胞を採取するマウスの個体は若い(生後一週間以内)ものでなければ駄目、というのはまだしも、異なる性質の細胞が混ざらないようよく分離すること、だとか、密度に注意する、だとか、pH値等、環境条件の管理が重要だとか、大半がごく基礎的な実験、検証一般の手順に関するもので、専門家なら当然に弁えているだろうもののように思えたのです。何故それがpluripotencyの獲得の成否に影響するのか、その理由の説明があれば別だったのでしょうけれども、それは相変わらずありませんでしたし。
もっとも専門家向けの手順書なのだし、専門家なら言わずとも分かるという事なのかもしれませんが、それにしても、と眉唾な感じが拭えません。もやもやしますね。こういう時は自分で検証出来ない素人の身が残念に思われますが仕方ない。さて。
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検証の報告を前に、若山教授が論文の取り下げ提案を表明。いよいよ、おそらくは残念な終幕が近づいて来たようです。
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