今回の福島原発の惨事においては、政府、東電は言うに及ばず、ある程度利害からは独立し、客観性を備えていた筈の、東大、東工大を初めとする関連研究・調査機関も、状況の認識を欠いたまま、政策的配慮の下に偏った解釈、予測をし、その上に詭弁を弄し続けました。その挙句、最も決定的で必要な、具体的、定量的な情報の隠蔽に走った事も明らかになりつつある、との事。
その帰結として、当然に、専門機関に対する信頼も失われました。今更、客観的で不偏な情報を発信しようとしても、多くの人はそれを信用せず、拒絶する事でしょう。それは、政府にしても例外ではありえません。素人集団に過ぎない政府要人と、その信頼を失った専門家達。当然、政府は専門家の言を容れず、その安直な思い込み、思いつきを手当たり次第に実行に移し続け、絶望的な状況をさらに悪化させるでしょう。
もちろん、一義的な責任は、最終的な判断権を持つ政府、東電等にあります。しかし、専門家には、その責任を担保する義務があった筈です。
政治的なしがらみに流され、その本来の責務を忘れたか、それとも、そもそも状況を把握し、分析し、判断し、行動する能力に欠けていたのか。今となってはもはやそれを問う事に意味は無いでしょうけれど、無残なものです。