10/28/2024

[pol] 混迷の時代を迎えるにあたって

2024衆議院選挙が終わりました。結果は事前の予想通り、自民公明の与党の過半数割れです。

しかしこれは政権交代を必ずしも意味しません。とりわけ維新と国民民主の2党は立民や他の野党と様々な面で対立しており、連立政権の構築・運営には相当な困難が見込まれます。一方で、自民政権が続くとも言えません。今回の選挙の主たる性質、すなわち与党への不信任の結果として議席を得た野党各党が、その有権者の意思に明らかに反するだろう自民との連立を許容するわけにはいかないでしょうから。

と言っても、自公と立民の協力はおよそあり得ない以上、結局のところ基本的には二択です。自公+野党の一部の連立か、立民軸の全野党連立か。いずれにせよその成立は容易ではなく、仮に成立したとしても極めて不安定なものになるでしょう。離合集散が頻発する可能性は極めて高く、従来はよく起こったところの自公共以外からの一部議員の離党からの自民への合流での決着が今回は経緯的に困難な事も相俟って、相当の期間に渡って混迷が続くだろうと予想されています。

が、従来の与党、自公政権に明確に不信任が示されたのですから、それも致し方なしです。米英のような歴史に裏打ちされた政権交代の仕組みを育ててこなかった日本においては、政権の不信任に混乱や機能不全が伴う事は避け得ない、それは自明という他ないのです。

もっとも、それは必ずしも悪い事ではありません。おそらくは個々の議題毎に各々が是々非々で臨む事になるのではないかと思われますが、そうだとしたらそれはある意味、国会が本来の意味で機能するという事でもありますから。言うまでもなく大変な仕事ですが、国会議員には、その職責に耐えうる人を全国民の代表として選んでいる、筈です。少なくとも建前上は。高齢だから困難だとか、世襲だから能力が足りない等という言い訳は通用しません。もちろん経験不足とかいう泣き言も論外です。

当然ながら、内閣も作らねばなりません。首相は誰にするのか、大臣はどこからどう選ぶのか。政策はどう作るのか。野党がとりあえず一度は諸々飲み込んで連立するとして、即内部対立から不信任で再び解散、などという不毛な事態を暫くの間でも避ける事は出来るのか。首相公選制ならその心配の大部分は無用だったはずなのですが、日本がそれを承知で議院内閣制を採っている以上はどうにもなりません。制度の枠組み内で最善を追求する他ないのです。

ともあれ、今回選出された議員諸氏には、徒に感情や建前に固執する事なく、各々の課題・問題・議題に応じて、対話をもって譲るべき所は譲り合い、現実的で合理的な落とし所を見出すという議会と議員の本来的かつ基本的な仕事を粘り強く遂行される事を願います。

その結果、何も決まらない、行政の運営にも難儀する、というのであれば、それはそれで仕方ない事なのだろうと思うのです。その困難から逃げ続け、漫然と自公に政権を委ね続けた結果が今なのであって、その悲惨な帰結に直面し、国民として拒否の意思を示した以上は、どんなに苦しくとも立ち向かうべきなのだろうと思うのです。この先にどんな挫折や後悔があろうとも、あるべき姿を求めて努力を続ける、後戻りだけはしない、そういう強い意思を、議員ひいては日本国民が備える事を願うのです。斜陽の国、日本の先行きに幸いのあらんことを。

[pol] 国政を放棄した自民党、虚しく醜い内ゲバ選挙

10/15/2024

[pol] 国政を放棄した自民党、虚しく醜い内ゲバ選挙

衆議院が解散され、選挙が告示されました。

建前上は国民に信を問うなどと言ってはいますが、実質的に自民党内の勢力争いが主要因・主目的である事は明らかです。要するに、裏金関連での数々の犯罪行為の責任転嫁&切り捨てを兼ねた内ゲバあるいは粛清の手段として衆院選を利用しようとしているわけです。かつてこんな醜くも虚しい選挙があったでしょうか。無論選挙区単位なら幾度となくありましたが、主要な派閥単位、すなわち全国的にというのは記憶にありません。

言語道断という他はありませんね。そんな自民党内部の事情を国会に持ち込み、立法府としての責務を放棄するのみならず、数百億は下らないだろう選挙費用を浪費し、国民に負担を強いようというのですから。自民党議員に国会議員としての資格はなく、また自民党に政権与党以前に国政政党としての資格すらないものと断ぜざるを得ません。

率直に言って不快です。その存在ごと、この世から消えてくれませんかね。

10/02/2024

[pc] Ubuntu22.04LTS->24.04.1のアップグレードが途中で落ちて再インストールの憂き目

色々酷い24.04LTSですが。またしてもトラブルに遭遇してしまいました。

何かというと、22.04LTSからのアップグレード失敗です。サブPCのアップグレードをしようとしたら失敗してしまったのです。

当該PCは、十年以上前からサーバー兼作業用として使用していたものですが、流石に古くなったので時折以前の環境を確認するためのサブとして保守しているだけのものでした。なので、現在はサポートされていない古いバージョンのアプリや、既に存在しないサードパーティのリポジトリから取得したパッケージ等も色々残っていました。どうもそれが24.04.1のアップグレーダーのバグに引っかかったらしいのです。

きっかけになったパッケージは古いpostgresqlです。具体的には、update-manager実行時に、

"アップグレード作業を見積もれません。アップグレードの計算中に解決できない問題が発生しました。postgresql-9.3は削除対象としてマークされていますが、削除拒否リストに含まれています。"

というメッセージが出て、アップグレードが進まなくなったのです。で、当該パッケージ(postgresql-9.3)を削除して再試行すると、今度はpostgresql-9.5で同様のメッセージが出て止まります。

そして、postgresql-9.5を削除して再実行すると、今度はupdate-managerが(エラーメッセージを出すこともなく)クラッシュしたのですね。

で、その後にupdate-managerを起動してみると、リポジトリ等は既に24.04.1用に切り替わっていて、多数のパッケージがアップデート(アップグレードではなく)の対象になっている旨が表示されます。つまり、アップグレードプロセスが中途半端に進んだ状態で、パッケージの更新等が行われる前にぶっ壊れてしまったというわけです。システム上は24.04.1になってしまっているので、アップグレードをやり直すことも出来ません。

しかも迂闊な事に、当該システムのバックアップは取っていなかったのです。滅多に使うこともないサブPCのアップデート作業にそんな手間をかける気にならなかったからなのですが、甘かったと反省せざるを得ません。無念です。

これはもうaptの修復等でどうにかなるレベルではないと判断し、諦めて別のシステム用ストレージを用意して、クリーンインストールのち必要な部分を手動でコピー&再構築する羽目になってしまったのです。あーあ。

もっとも、既にほぼ使用していないPCではあったので、流石にもういらないだろうという所も多く、再構築にはさほどの時間や手間がかかったわけではないのですが、完全に徒労でしかないという事もあって、精神的にはこの上なく疲弊しました。

無理やりポジティブに考えるなら、LTS版間のアップグレードですら古いパッケージやリポジトリ類が不整合を起こすようなら、仮にアップグレードが成功していても早晩同様の問題が発生してクリーンインストールをする羽目にはなっていた可能性は高いだろうし、いい機会だったと思うべきなのかもしれませんね。皆様もお気をつけ下さい。あるいはお覚悟を?

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース 

[pc] Ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴うDNS周りの障害について

9/20/2024

[pc] Ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴うDNS周りの障害について

 色々、そう色々ありましたが、実施してきました。22.04LTSから24.04LTSへのアップグレード。それもserver版です。正確には24.04.1へのアップグレードですが。

致命的バグが発覚したために一旦取り下げになっていた24.04.1へのアップグレードパスですが、それほど時間を置く事もなく再開されました。ので、ストレージをまるごとバックアップしていざ実行。普通にdo-release-upgradeです。

結果は一応成功。しかし当然のように問題がいくつも発生しました。以下にその中でもひどかったものを2点抜粋します。いずれもDNS関連です。

1.  ローカルホストの名前解決に失敗

 これは意味がわからないかもしれません。私も意味がわかりません。具体的には、アップグレード後に、sudo等の、おそらくはホスト内の特定プロセスにアクセスする際にローカルホストのIPにアクセスする類の操作の際に、遅延が生じ、ローカルホストの名前解決に失敗した旨のエラーを吐くようになったのです。その結果、各コマンドの実行の度に何十秒から遅延するので、まともに作業が出来ません。改めて書いても意味がわかりません。何で・・・?

 まあ、バグに理由を求めても仕方ありません。解決方法は簡単です。/etc/hostnameと/etc/hostsを修正するだけです。

/etc/hostnameの方は、私の環境ではなぜかホスト名の前に謎の文字列が数文字追加されていました。余計な文字列を削除してホスト名だけに。

 それでも解決しなかったので、/etc/hostsの、localhostが記載されているところ(127.0.0.1と::1のところ)にローカルホスト名を挿入しました。これで解決。

 しかし何なんでしょうね。ホスト名の名前解決のルーチンにバグが入ったっぽいですけど、何でそんな事になるんだろう。

2. DNSの機能不全

 こちらはだいぶ深刻です。全ての名前解決に失敗するようになったのです。アップグレード直後は問題なかったのですが、そこから一度アップデート->再起動をしたらその後から発生するようになりました。もはや何も出来ません。推測される原因は、24.04LTSではDNS関連はsystemd-resolvedに移行しているのですが、その辺のアップグレード(もしくはコンポーネントそのもの)に不具合がある、という事なのだろうと思うのですが。

 なお、先にアップグレードしたクライアントPCでは同様の問題は生じていません。ここから考えられる事としては、クライアントPCではネットワークインターフェースはイーサネット1つのみですが、当該サーバーでは複数のネットワークインターフェースを有しているのでその辺りが原因じゃないかと推測されます。

 補足すると、今回採用されたsystemd-resolvedでは、複数のネットワークインターフェースがあってそれぞれdhcp等で別のDNSが割り当てられる場合、デフォルトで各々のDNSを参照するようになっているのですが、そのルーティング等が上手く動作していないんじゃないかと。また、この他にGLOBALのDNSサーバも設定できるようになっています。チェックしてみたところ、GLOBALも含めいずれのDNSサーバーも有効な状態でした。にも関わらず名前解決は失敗するのです。わけがわかりません。が、考えてもどうにもなりません。何なんでしょうね。

 解決方法は、本来的にはsystemd-resolvedの設定修正等で解決するのが正攻法だと思うのですが、そのやり方は色々試したものの今の所成功していません。ので、差し当たり従来のresolv.confに戻しています。手順は簡単ですが、一応記載しておきます。以下の通り。

2-1. /etc/resolv.confの書き換え

 /etc/resolv.confは、24.04のバージョンではシンボリックリンクになっています。ので、リンク先を別のファイルに変更します。例えばresolv.tmpfix.confというファイルにするなら、

 $ sudo ln -sf /etc/resolv.tmpfix.conf /etc/resolv.conf

等とした上で、/etc/resolv.conf(/etc/resolv.tmpfix.conf)に従来の通りにDNSサーバーを書き込みます。

 例: nameserver 8.8.8.8 nameserver 1.1.1.1

 ※上記は、cloudflare提供のDNSサーバー(8.8.8.8,1.1.1.1)を設定する場合

 普通は各々適切なDNSがあるでしょうからそれを設定します。

そしてDNSを再起動。(別にしなくてもいいかもしれません。念の為)

 $ sudo systemctl restart systemd-resolved.service 

これで一時的にDNSが復旧します。

なお、DNSが設定されているかどうかを確認するには、下記コマンドを使います。

 $ resolvectl status

他にも色々問題はありますが、とりあえず大きなものはこの辺り。お疲れ様でした。

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

<追記>

さらに別のPCでひどい目に。

[pc] Ubuntu22.04LTS->24.04.1のアップグレードが途中で落ちた 

9/06/2024

[note] 不相応は不幸の元

だと思うのです。

何かというと、秋篠宮悠仁親王の進学先についてなんですけれども。東大にAOで推薦入学するつもりとかいうアレです。

筑駒にほとんど裏口同然で入学し、さらに東大にAO枠で推薦入学する。真偽は定かではありませんが、それが本当なら、事実として学力面の客観的評価抜きで入学する事になるわけです。

勿論、皇室特権云々の面からの非難も免れませんし、それはそれで相当な問題ですが、それ以前の問題として、そんな無理して東大に入ったとしても、純粋な能力が追いついていなければ、ついていけないんじゃないでしょうか。

というのも、このクラスの、純然たる学力面でのトップクラス層というのは、タイプは様々ですが、皆一様に頭がいい人ばかりです。理解力は抜群で、かつ頭の回転は早く、いわゆる一を聞いて十を知る、を当たり前に出来るし、その上学ぶ事について貪欲です。要するに、才能があって、努力も出来る。そんな人ばかりです。

そして、東大や京大のようなトップクラスの大学というのは、基本的に各分野での次世代を担う研究者や開発者の卵が集う場所です。特に理系はそうです。

勿論、東大卒、京大卒という肩書に一定の価値があるのは事実ですし、その取得を目的とする人がいないわけではないでしょうけれども、それはあくまで結果に過ぎません。学問を追求し、最先端の研究開発を担い得るレベルまで到達するというのは、言うまでもなく特別な事です。相応の、特別な能力を備えた人が、さらにその人生を捧げる程の努力をして初めて成し得るのです。そこまでしてもなお夢破れる事も当然にありますが、その逆はない。そのプロセスなしに結果だけを求めて得られるような甘いものではないのです。

高校での勉強、また大学入試というのは、その常人では到底ついていけないだろう大学での制限・制約の一切ない難解かつ膨大な勉学、またその後の研究開発等の仕事を成し得るだけの素養、知的能力面の前提を備える人を選別しているに過ぎません。実際、筑駒の生徒レベルであれば、大学入学は目標ではなく、その先にある本当の目標を目指すための、ただの通過点と捉える子が殆どでしょう。 

筑駒等の最上位の進学校は、そういう、実体を備えた文字通りの知的エリートを目指す、才能も意欲もある学生達が集い、各々の目指す未来に向けて競い合って勉学に励み、元より非凡な能力をさらに高め合う場所です。そのような環境にあって、その目指す所を考えれば、大学入試など乗り越えて当然のものな筈です。

実際、入試の問題には大学以降では知っていて当然の基礎的な内容しか出題されません。それも、高校までの学習内容を元に解けるように調整されています。その大学に入るなら、それが解けるようでなければいけない、その基準を示すものです。

にも関わらず、その受験そのものを回避しようとする事自体、適正がない事の証明でしょう。必要な水準に達していれば解けるように調整された入試問題を解く事すら出来ないのに、どうしてその後の、入試とは比較にもならない、大学以降での高度かつ果てしない勉学や研究活動をこなしていけると言うのでしょうか。

どの分野でもそうですが、能力の差、適正の有無というのは残酷です。人は平等ではない、その事を厳然たる事実として現実に突き付けられるからです。とりわけ、誰もが子供の頃から最低限は平等に機会が与えられ、そこで他者との比較を余儀なくされる学力の差は最も残酷なものと言えるでしょう。

どうにかしようとしても、どうにもならない。不可能。その最たるものが、個々人の知的能力の差というものです。秋篠宮悠仁親王の進学先とその方法を巡る一連の問題は、結局のところ、その残酷な事実を受け入れられない周囲がなまじ(事実上の)権力を持っているがために、その政治的権力によってその絶望的な格差の壁を回避させようとして起こった悲劇、という事のように思われるのです。

そんな無理をしても、誰にとってもいい事はありません。無論、本人にとっても。

想像してみればいいでしょう。分不相応な期待、立場を押し付けられ、最上位の進学校に放り込まれて出来る筈のないレベルの学問をこなす事を求められる。当然出来ない。しかし周囲は当たり前に出来る。同級生とは理解し合えず、その立場も相俟って腫れ物扱い。同情する者もいれば、軽蔑する者もいる。いずれにせよ互いに尊敬し合うような対等な関係は望むべくもない。もちろん、陰口は数え切れず。推薦入試関係では、そのあまりの不平等・不公正から憎悪の対象にすらなっているかもしれません。

地獄です。しかも、その格差は先に進めば進む程広がっていき、最終的に研究者等になれば、各人の生み出す結果が全てになるのです。皆が同じ道を歩んでいるように見える高校位なら、裸の王様のように気づかずにいられるかもしれませんが、各人で道の分かれる大学以降ではそれも不可能です。いつまでも一人、皆が遥か以前に乗り越えた壁の前で取り残されるだけになるでしょう。

そして残るのは、権力の濫用によって不正に手に入れたと評価されるだろう学歴だけです。それは名誉とはなり得ず、むしろ拭い難い汚点として認識されるでしょう。憲法の改正がない限り、将来の天皇、日本の象徴となるだろう人がです。立場上、忘れてもらう事さえ出来ません。

もっとも、そういうあれこれが全て外野の妄想で、実際には十分な能力があり、一般入試を受験して普通に合格する、というなら何の問題もないわけですけれども。その場合は、全て杞憂だったという事になります。残念ながらその可能性は極めて小さいでしょうけれども。もしそうなら、今のような状況にはそもそもなっていなかったでしょうから。

何事も、分相応にして、無理はしない事です。権力はそんな常識も歪めてしまうのだという事を突き付ける一件だと言えるでしょう。少なくとも周囲は目を覚ますべきですね。

9/05/2024

[note] 長く続けたソシャゲを見限った

※ 本項は、純然たる私的な話題です。

ふと気まぐれに始めてから6年以上。結構長いこと続けていたソシャゲに、先日とうとう見切りをつけた。

理由は色々とあるが、詳細は改めて書く程の事でもない。要するに飽きたという事だろう。多分。

思い返せば、始めた時もなんとなくだった。当時、既にギャンブル顔負けに数多の中毒者を出し、社会問題にもなっていたそのソシャゲの仕組みにふと興味が湧いた、それだけだった。

それから、当初抱いた興味は早々に満たされたのだが、周囲の狂騒はまだ続いていた頃の事、まだ何か先があるかも、と若干の期待を抱いてしまったのが運の尽き。ずるずると、意外に長い間付き合いを続けてしまった。費やした金銭は年当たり数千円、総計でも2万かそこらと中毒には程遠いが、時間については一日当たりはわずかでも塵も積もれば、でそれなりに使った。自然、多少なりと愛着も湧いていた筈だが、夢中とまではいかなかったと思う。

それで、先日とうとう、その残っていた僅かな期待も綺麗に解消された、というわけだ。

終わりは本当に唐突だった。ああ、もういいや。そう思って、最新の、公開されたばかりのメインストーリーのテキストを読まずにスキップした、その瞬間だった。

それまで、どれだけ使いまわしやパクリ、身内の悪ふざけ的な駄文に満ちた、読む意味が無い事が明らかな枝葉末節のテキストでも最低限流し読みでも目を通していた。なのに、最も読み甲斐がある筈のメインストーリーを飛ばした。

しかもそのストーリーのライターは、そのソシャゲの元になったIPの作者、いわゆる原作者というやつで、そのライターの書くメインストーリーは、当然ながらそのソシャゲのコア中のコア、一番の売りと言って然るべきものだった。他のプレイヤーからは、それを読まないなんて、何のためにこのゲームをやってるの?と言われるに違いないものだ。

にも関わらず、それをスキップした後に、しまったとかいう後悔や、プレイヤーとしての義務に背いた罪悪感といった類の感情が一切湧いてこなかったのだ。もちろん読み返す気など欠片も起きない。それを自覚した時に、ああ、終わったんだと、そう悟った。だから辞めた。

元より、ソシャゲは所詮ゲームだ。やる義務はなく、やる事によって得られる利益の類もない。それどころかやる意味もない。むしろ、世間一般の常識的な向きからは、変人や変態、異常者の類として見られる事もしばしばだ。辞める事で得られるメリットはあっても、デメリットはない。少なくとも対外的には。

だから、喪失感の類は全くない。失望感もない。恋が冷めたというのとも違う。ただなんとなく繰り返していた習慣を、やらなくなった。それだけだ。

ついでに言えば、解放感もない。それで空いた時間は、既に他の作業等で埋まっているからだろう。それに何の違和感もない。ソシャゲなんて最初から無かったかのようだ。

なるほど、本当の終わりというのは、こういうものなのだろうか。結局のところ、その体験だけが、そのソシャゲを長い間プレイし、自然と辞めるに至った事で得られた経験、その中で唯一特別なものと言えるのかもしれない。 それに何の意味があるのかはわからないけれど。

8/31/2024

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

ついにこの日がやって来てしまいました。当初予定の2週間遅れです。 

LTS版にも関わらず、バグまみれのβ版同然の状態でリリースされてしまった24.04。案の定というか、頻繁に固まるだの、アップグレードに失敗するだの、音が出ないだのと、大量の致命的な不具合の報告が溢れていて、安定的な動作を望む一般ユーザとしてはとても手を出せる状態ではありませんでした。

通常はリリース後に発覚したバグを修正した安定版としてリリースされる.1版ですら、アップグレード時の致命的な不具合が残っているとしてリリースが延期される始末で、ユーザとしては殆ど恐怖を感じる状況でしたが、なんとか24.04.1の再延期は免れました。そして運命の時がやって来たのです。

リリース後に一日様子を見たところでは、明らかに致命的な問題は生じていない様子。あくまで修正版なのだし、それは当たり前でしょうけれども、とりあえず一安心。

とはいえ、流石にいきなりサーバー(22.04LTS)に適用するのは怖すぎます。幸いというか、クライアント利用が中心の作業用PCはLTS以外もアップグレード適用してきていて現在は23.10。23.10は既にサポートは切れているので嫌が応にもアップグレードするしかありません。というわけで、こちらのアップグレードを恐る恐る適用してみた次第です。

結論から言えば、成功しました。

ただ、アップグレードインストーラの挙動は怪しいところがあり、実際に致命的ではないものの問題も発生しました。以下にそれをいくつか。

手順はいつもの通り、update-managerからアップグレードを選択しました。概ねいつもと同じような挙動なのですが、途中で2点、終了時に1点割とシャレにならない問題が発生。

問題1.  一部パッケージのインストールに失敗

 そのまんまです。thunderbirdパッケージがインストール前のsubprocessでエラーが出て、インストールできない旨メッセージが出ました。"アップグレードを続けますが、パッケージが動かない状態にある可能性があります。この件に関してバグレポートを送信することを検討してください。"的なメッセージも出て、実際インストール完了後にはaptの修復等を行う必要も生じました。致命的なものではありませんが、肝は冷えましたね。24.04からthunderbirdもsnapに移行しているのですが、それ関係の不整合によるものでしょう。

 なお、aptの修復等は、

  $ sudo apt --fix-broken install 

 とかです。autoremoveなんかも、普通のアップデートコマンドをやればOK。

問題2. grubのインストール先設定要求

 これは厳密には問題とは言えないかもしれません。何かと言うと、これまでアップグレードではgrubのインストール先、すなわちプートローダ周りをどの記憶媒体に入れるかを聞かれる事はなく、単に従来の設定を踏襲するようになっていて、例外的にgrubのバージョン変更時に以前のバージョンを保持するか否かを聞かれる事がある程度でした。

 それが、PCに接続されている、grubを設定可能なHDDやSSDとそのパーティションを検出し、その内のどれにgrubを入れるかを選択するよう要求するようになっていたのです。具体的には、/dev/sda,/dev/sda3,/dev/sdbとかが表示されて、それぞれの横にあるチェックボックスをチェックする形ですね。

 当然、困惑させられたわけです。何だこれはと。こちらとしては特に変更するメリットもないし、従来通りにして欲しいだけです。わざわざ聞くという事はユーザーにとって意味がある話な筈なのですが、それが何なのかわかりません。なので、最初はどれにもチェックボックスを入れずに進めようとしたのですが、そうすると、"grubをインストールせずに進めますが、よろしいですか"的な警告が表示されたのです。これは最悪起動出来なくなるやばいやつだ、と理解したので、慌てて戻って従来grubを入れていた筈のドライブをチェックして進めました。結果としては別段問題はありませんでした。何だったんでしょう。

 なおチェックして進めた時、即時にgrubの設定をしているのか、数分間程度ダイアログが先に進まず固まります。これも心臓に悪いので表示をどうにかした方がいいと思います。

問題3. 終了時に、"インストールに失敗しました。"的な表示が出る

 これもまんまです。おそらくは問題1.のパッケージインストール失敗に起因するものだと思うのですが、そんな細かい事情は示されず、ただ失敗した旨だけが表示されます。そりゃもう血の気が引きましたね。ロールバックする旨も表示されましたし、アップグレード全体が失敗したとしか読めないものでしたから。しかし、実はこれは表示だけだった様で、実際にロールバック等が行われる事はなく、すぐにアップグレード完了の旨表示され、そのままインストーラは終了しました。

 ただ、途中終了の形にはなっていたのか、パッケージのクリーンアップ等は行われず、その後(再起動後)に手動でする必要がありました。結果的にはアップグレード自体は成功したと言って良い結果ではあります。ほんと一安心。この間の私の気持ちは、久しく感じた事がない程つらいものでした。勘弁してほしいです。

その他、ライブラリのバージョンが変わっていて自作プログラムの一部をリビルドする必要があったりはしましたが、基本的にビルトインのアプリケーション等には目立った不具合は見当たりません。日本語やビデオ・オーディオ周りも特に問題はありません。

というわけで、23.10からのアップグレードは致命的な問題はなく終了。結果だけ見れば拍子抜けとも言えなくもないですが、やってる最中はそんな事はわかりませんから、精神的には非常に消耗しました。サーバーについてはもっとシビアだし色々準備も必要なので、また後日。 というわけで、今回はこれでおしまい。お疲れ様でした。

[note] Ubuntu24.04LTSリリース、いつになくやばげ?

[note] Ubuntu24.04.1のリリースが延期、やはりヤバい模様

<追記>

やっぱり(22.04からの)アップグレードにはバグがあるようです。特にserverでのアップグレードに使うubuntu-release-upgraderにはcriticalなbugがある、との事で、現在24.04.1はLTSリリースから一時的に取り下げられており、通常のコマンドではアップグレード出来なくなっているとの事。

一応develop版としてなら24.04.1にアップグレードする事は出来るとの報告もありますが、いずれにせよサーバーへの適用は修正版のリリースを待った方が良さそうです。というわけで私の所もサーバーのアップグレードはペンディング。やれやれです。

Unable to upgrade from Ubuntu Server 22.04 to 24.04.1

Noble missing from meta-release-lts

<追記2>

22.04->24.04.1のアップグレードパスが復活したので、サーバーについてもアップグレードを実施しました。しかし問題だらけのようです。

[pc] ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴う障害について

8/15/2024

[note] Ubuntu24.04.1のリリースが延期、やはりヤバい模様

LTS版にも関わらず、基本部分の仕様変更に伴うリビルドが追いついておらず、デバッグも満足にされないままにリリースされ、当然にバグだらけでとてもアップグレードする気にはなれなかった24.04LTSですが。

そのあまりのヤバさから、22.04LTSからのアップグレードは一通りのfixが反映される24.04.1で実装される事とされていました。そして、その24.04.1のリリースは2024年8月19日に予定されていた・・・のですが、これが延期になったそうです。延期先は8月29日、10日間の延期ですね。

理由はインストーラの深刻なバグ等の修正のためとのこと。要するにまだデバッグが終わっていないというわけです。ひどい話ですね。そもそも、そのレベルの不具合というのは最初のリリースまでに解消されていなければならない筈です。少なくとも、LTS版である以上はそんなバグを残したままリリースしていいものではありません。

それが放置されたままリリースされ、あまつさえリリースから四ヶ月近く経っても修正できていない、というのは、もはやCanonicalのマネジメントは破綻していると言わざるを得ません。そんな体たらくで、あと2週間で完璧な状態になる等と、どうして信じられるでしょうか。

率直に言って、24.04.1が29日にリリースされたとして、依然としてバグまみれである可能性は極めて高いでしょう。少なくとも、リリース直後にアップグレードに踏み切る勇気は私にはありません。引き続きしばらく様子見ですかね。バックアップ用の記憶媒体等も調達して、移行の準備を進めていたのですが。。。

23.10のPCについても悩ましいです。サポート期限までにまともになるのでしょうか。

Ubuntu 24.04.1 point-release delayed until August 29 

[note] Ubuntu24.04LTSリリース、いつになくやばげ? 

※当初のリリース日が間違っていました。8/15ではなく8/19でした。

<追記>

24.04.1がリリースされました。が、アップグレードツールに深刻なバグがあるとの事で、一旦LTSリリースから取り下げられており、通常のupgradeコマンドでは(22.04LTSからの)アップグレードが出来なくなっています。困ったものです。

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

8/09/2024

[law] 検察官の違法取り調べにつき刑事裁判開始決定

画期的な決定が下されました。検察官がその職務上の言動に関して刑事事件の被告人となる裁判が行われる事になりました。

今回被告となるのは元特捜の、田渕大輔検察官です。容疑は、2019年に不動産会社社長の山岸忍氏に対する横領容疑の捜査に関し、共犯の容疑者として山岸氏の元部下を取り調べた際に、机を叩き、大声で恫喝する等の威圧的な言動を行った事が特別公務員暴行陵虐にあたる疑いがあるというものです。

山岸氏の容疑は2021年に地裁で無罪判決が下され、検察は控訴せず無罪が確定しています。これを受けて山岸氏は国家賠償請求訴訟を提起し、それに併せて検察官2名に対し証人威迫の容疑で刑事告発をしました。が、大阪地裁及び検察審査会で不起訴とされ、山岸氏がさらに大阪地裁へ付審判請求をしてこれも退けられ、さらに大阪高裁へ付審判請求をして、今回これがようやく認められたものです。山岸氏の執念の賜物と言えるでしょう。まだこれからが本番ですが、ひとまず山岸氏にはお疲れ様でした。

しかし、検察官は明らかに保護されすぎですね。問題となった当該検察官の言動については、当然ながら全て記録が残っています。つまり動かぬ証拠があるわけで、容疑も明確です。勿論刑事事件として起訴される為の要件は全て揃っている。にも関わらず、被害者がここまでしないと検察官を罪に問う、すなわち裁判にかけることすら出来ないというのは、制度上の欠陥と言わざるを得ません。山岸氏のように追求に労力を注ぎ込める人はそうはいないでしょうし、ほとんどの場合において、一般人に対する検察官の違法行為の追求はほとんど事実上不可能と言ってよいものなわけですから。

検察官の職務上の言動について、一般人のそれと同様に扱う事には難しい面もあるでしょう。容疑者は罪を逃れようとするものですから、その取り調べは基本的に容易ならざるものになり、それを乗り越えて犯罪者の罪を問うためには容疑者の心を折るような言動が効果的だろうし、それ以外に有効な手段がないという事もあり得るのでしょう。何より、有罪が立証出来なかった場合に、検察官がその職務の執行について容易に責任を問われるようでは検察官の職務の安定性が損なわれるだろう事も理解出来ます。

しかし、です。当然ながら、それは目的のためなら手段が正当化されるという事は意味しないのです。容疑者はあくまで容疑者であり、自ら罪を認めているので無い限り、取り調べ時点では犯罪者ではない一市民です。犯罪者同然に扱われる謂れはありません。それ以前に、犯罪者であっても人権は侵すべからざる権利です。冤罪の虞が大いに生じるような方法でなければ自白を引き出せないというのなら、それはもはや追求をあきらめる他ないのです。そもそも威迫によって引き出された自白や証言など、意味がないのですし。

その、司法に携わる者であれば当然にわきまえていなければならない筈の原則を忘れ、自分勝手な、独善的正義を優先して、絶対的に守られるべき人権を侵害する。そのような者にはもはや法の中でも最も公正かつ厳格たるべき刑事法の執行者たる検察官としての資格などありません。

そうは言っても、おそらく程度の差こそあれ、同様の違法な取り調べは他でも、というか至る所で横行しているんでしょうね。。。それは、検察組織が司法上の聖域となってしまっているという我が国の司法制度の構造上の問題であると言えるでしょう。この点は改善が必要です。すなわち、抑止力として、検察官と言えども法を犯せば罰せられるという、当たり前の仕組みが必要なのです。何人たりとも、法の上には立たないのです。裁判官も、検察官も。制度の改正が強く望まれるところですね。

8/05/2024

[biz] 令和のブラックマンデー記念。

はい。本格的にバブルが弾けたようです。すなわち本日、令和6年8月5日は最新のブラックマンデーに(多分)なりました。日本が世界の歴史に残る(かもしれない)よ、おめでとう!

というわけでブラックマンデーです。もっとも下落は先週末から始まっていたので、オリジナルのブラックマンデーと比較するのは適切ではないかもしれませんが、まあ株価・為替相場の変動幅が格段に大きい点で本日の方が決定的な感はありますから、間違いというわけでもないでしょう。

きっかけは、先週末の米国の雇用統計で失業率の大幅な悪化が出た事です。そこから当然のように米国株は下落し、元々予想されていた秋頃の利下げの見込みにつき確信を抱いた向きが大勢を占めた事からドル安が起こり、その直前に日銀による利上げ実施と今後の追加利上げ見通しの発表がなされていた事と相まって、ここ数年の円安と歩調を合わせて、主に日銀の投信の購入による公的資金と近々でのNISAの拡充による無知な一般人の資産をも吸い込んで膨張を続けていた国内株式市場及び為替市場のバブルが諸共に一気に弾けた、というわけですね。

日銀は投信の購入を既に縮小していましたから、買い支えがなく、また今後もない見通しである事も明らかであり、それが底が抜ける要因になった事も疑いようのないところでしょう。

何より、バブルはいつか弾けるもの。そしてその膨らみが大きければ大きいほど、弾けた時の反動は大きくなる、それが形になって現れたという事です。つまり、極めて合理的な結果という他はないわけです。

なのですが、取引関係者は当然に阿鼻叫喚です。とりわけ、信用取引をしていた、また今もしている向きはとんでもない地獄になっているでしょうね。ここまで変動が大きいと、買いも売りも読み切る事はほぼ不可能でしょうし、いわゆる落ちてくるナイフを掴んだ哀れな者も多かろうと思います。一時的に利益を出す幸運に恵まれた者もいるでしょうが、ここまで無茶苦茶な動きだと、何人たりとも参加し続ければいつかは破滅が避けられないでしょうし。常識的にはポジション解消のリスクオフ一択です。

一方で、取引云々は別にしても、単純に株価の大幅な下落は、当然ながらその権利者にとって金融資産の減少を意味します。株式を担保にした取引については、すべからく追加担保を求められるか、あるいは差し替えや清算を余儀なくされる事になるでしょうし、多くの企業が保有株式について評価損の処理を迫られます。

それは大手金融機関や日銀も例外ではありません。というか今や日銀がその影響を受ける筆頭です。日銀が購入した投信は大半がまだ含み益がある状態だとは思われますが、今後の下落の程度次第では、利上げで日銀が債務超過になる前に、株式の評価損で債務超過に陥りかねないわけです。本格的な利上げもこれからだというのに。一体日銀はどうなってしまうのでしょうか。まさか本当に破綻してしまうのでしょうか。日銀が公的資金のお世話になる、とか冗談みたいな話が本当になるのかもしれません。そんな資金をどこからどうやって持ってくるのかは知りませんが。

しかしまあ、見事に弾けたものです。馬鹿は死んでも治らないというか、バブル崩壊を経験しておきながら、再発を防ぐどころか目先の利益に見事に目が眩み、アベノミクス等と寝言を言ってバブルを膨らませる事に全力を尽くし続けた日本政府と日銀、それに全力で乗った金融界隈の面々、そしてそれに粛々と従った多くの日本国民、みんなほんとアホばかりです。それらの全てが自らの浅はかさと欲深さの報いを存分に受けるのかと思うと、清々しい思いがしますね。

とはいえ、諸々の市場に直接の関係を持たない第三者としては、馬鹿馬鹿しくも非情に興味深い一大事象ではあります。その行く末を、高みの見物的に観察させてもらうとしましょう。さしあたってはどこまで広がるのか、そこに注目ですかね。

7/22/2024

[pol] Old man leaves. Who comes next?

ようやく、です。Joe Bidenが次期大統領選からの撤退を表明しました。お疲れ様でした。

後継指名は当然に副大統領のKamala Harris。人気がない、Trumpには勝てない、と言われ続けて来た彼女ですが、そういったよくない評価は、そのBidenの影に控えるべき立場から来る制約によるところもあったでしょう。

選挙までさほど日数はありませんが、Harrisはこれから制約のない立場で、先頭に立って自由に言葉を発する事が出来るようになります。そこで、自らの、国民を導く指導者たる資質を証明できるならば、逆転の可能性は残されているでしょう。

そもそも、Trumpはあまりにも瑕疵にまみれた候補です。年齢もBidenと大差はなく、その主張に合理的な根拠はなく、社会に無用の争いや対立、また混乱を招き、自身も在職時から今まで収監されていないのが不思議な位の紛争を抱えてもいます。Trump自身の人気は健在ですが、多くの人にとって、未来を託す事の出来る、その期待を持てる候補ではない事も疑いようのない事実でしょう。

年老いた、過去の栄光に縋る老人を選ぶより、不確かでも未来を切り開く事を望む人は数多くいます。彼ら彼女らは、これまでの大統領選には殆ど絶望していたでしょう。長く続いた閉塞を打ち払い、人々の期待に応え、アメリカを、世界を導くに足る指導者としての姿が示される事を望みます。

もっとも、まだHarrisで確定したわけではありませんけどね。しかし誰が出るにしても同じ事です。 偉大なるアメリカに幸いあれ。

[pol] Joe Bidenに救いあれ

7/12/2024

[pol] Joe Bidenに救いあれ

Joe Bidenに決断の時が迫っています。迫っている筈なのです。もしかしたら、本来訪れるべきだったその時は既に過ぎ去っているのかもしれません。しかしまだその決断はなされていません。果たしてその時は来るのでしょうか。だとしたらどのような形で?

彼の歴代最高齢での大統領就任から3年余り、その間にもしばしば明らかな加齢に伴う認知症から来る痛ましい姿を見せ続け、殆どの人がもはや次の4年には耐えられないだろうと予感し、そして先日のDonald Trumpとの公開討論で全世界に無残な姿を晒した事で、公然と立候補を取りやめるべきだと支持者からも主張されるようになった事は周知の通りです。

もはや人の名前を覚える事も、正確に思い出す事も出来ず、公の場にあってさえ頻繁に自失の態を見せるようになった彼に、指導者としての責務を果たす事を期待するのは酷と言うより不可能です。 

何より、誰もが知る通り、大統領選では競争相手、比較相手がおり、例え本人が万全かつ支持層が強固であったとしても相手の評価と情勢如何でギリギリ勝てるかどうかというシビアな選挙です。民主党支持層ですら公然と不安を覚えるような状況で、Trumpを上回る票を集められるわけはありません。その意味でBidenはとっくに詰んでいます。議論の余地もありません。

しかし、そんな状況でも、本人は未だ撤退しようとはしていません。少しでも迷いを口に出したり弱気な態度でも見せたりしようものなら、その時点で終わってしまう事がわかっているから、撤退を決断するその時までそのそぶりは見せない、それは当然の事ではあります。そして、そのあまりに重く残酷な決断をするにも相応の時間が必要、それはその通りなのでしょう。

ただ、彼のあのあまりにあまりな衰えぶりを見るにつけ、不安を感じずにはいられません。そもそも彼は本当にそういう、撤退を検討するにあたっての合理的な判断、そのための多岐に渡る要素を総合検討するといった、合理的な思考が出来ているのでしょうか。出来る状態なのでしょうか。

認知症は、本当に残酷なものです。程度の差こそあれ、その名の通り自分の置かれている状況を認識出来なくなるのですから。抗う事も許されず、時に世界で一番大切な人の事すら容易く永遠に奪い去ってしまう。認知症に侵された彼は、一体どこまで自分の置かれている状況、殊に周囲の人の彼に対する評価を把握出来ているのか。おそらく短期記憶は壊滅的で、長期記憶の部分もかなり破損が進んでいるようですから、もはや彼がリーダーシップを取れるとは思われていない、その現状を把握出来ていなくても全くおかしくはありません。むしろ正確に把握出来ているわけはないでしょう。

今の彼は、現在を正確に認識出来ず、壊れつつある過去の記憶によって立つだけの、まさに全てに別れを告げ、人生の終わりを迎えようとしている一人の老人に過ぎません。その、彼に残された、公僕としての仕事に一生の大半を捧げた記憶から、大統領としての、あるいは大統領候補としての責務を全うせねばならないとの、殆ど妄執のような思考に取り憑かれて、そこから抜け出せなくなっているだけなのだとしたら。

彼には、もはや大統領選からの撤退を、撤退せざるを得ない自らの現状を、認識する事すら出来なくなっているのかも知れないのです。そんな彼に、社会は容赦なく大統領としての責任を課し、再選を目指す候補としての振る舞いを要求し、それに応えられない彼を、その振る舞いをあげつらって批判するのです。だとしたら、それはなんと言う残酷な事なのでしょうか。

その悲劇の責任は、もはや彼にはありません。その年齢から、彼がそうなるかもしれないと知っていながら現在の状況に追い込んだ周囲の責任です。この上は、速やかに彼が解放され、他の多くの老人と同じく、心安らかに人生の最期を迎えられるよう、その周囲の者がケアするのが責任というものでしょう。もちろん簡単な事ではないでしょうけれども。

それで彼の代わりの大統領候補を今から立てるのは大変でしょうし、Kamala Harrisをはじめ、その代替として名前の上がる候補は誰一人として全米で広範な支持を得られるとは考えられず、高確率でDonald Trumpに負けるでしょうが、それも致し方のない事、言ってしまえば自業自得だと思うのです。

他の候補者達が名乗りを上げない、上がらないのは、負けるとわかっているから、Trumpに負けたらキャリアやイメージに傷が付いて今後の戦略上好ましくない、とかそういう理由で、Bidenに敗北を押し付けようとしているのかもしれません。そうだとしたら、卑劣と断ぜざるを得ません。そんな卑怯者が大衆の支持を受ける事は未来永劫ないでしょう。

Highlights from Biden’s high-stakes news conference

 <追記>

それから粘る事しばらく。Bidenは次期大統領選からの撤退を表明しました。一安心と言っていいのか。お疲れ様でした。

[pol] Old man leaves. Who comes next? 

7/11/2024

[note] シャレにならない(かもしれない)石丸氏

先日都知事選に出ていた石丸伸二氏が、その後のメディアへの露出時の言動を巡って各所で話題になり続けているようです。

取り上げられ方は、その話をはぐらかす詭弁的な応答をネタにして茶化すもの、話し相手によって露骨に態度を変える様を指して眉をひそめるもの、そして大半の相手を見下しつつ小馬鹿にしたりして貶めようとする様を非難するもの等、様々ですが、いずれにも共通するのは、到底肯定的なものとは言えない事です。

もちろん全てではなく、ごく一部に共感を示す人もいますが、明らかに少数で、その他の大勢からは石丸氏のそれと同様の扱い、すなわち否定的な反応か無視かを受けています。

公職に就いていたもの、就こうとしたものとして、その言動が注目され、また広く厳しく批判にさらされるのは当然の事ではありますが、行き過ぎはしないか心配になるほどです。もっとも、私自身も先日否定的な評価をブログに書いたのであまり言えた口ではないのですが。

今の所、当の本人はあまり気にした様子でもなく、むしろ嬉々として批判する人達を小馬鹿にし続けているようにも見えますし、実際のところ問題はないのかもしれません。

ただ、彼の言動を嗜めるとか、擁護しようとしたりする味方とか、つまりは仲間とか友人的な人が皆無なのですよね。肯定的になるにしても一部の発言に限って理解を示すとか位がせいぜいです。第三者的な立場からの擁護すらほとんどありません。という事はつまり、ほとんどの人が、他人事としてではなく、自ら石丸氏とその言動について否定的な感情を抱いているということなのではないでしょうか。もしこんな人が近くにいたら到底受け入れられない、といった類の。

そこから推測される事は、要するにこの人はこれまでずっとこうやって、ひたすら自分の衝動のままに周囲の人を意味もなく攻撃し続けて、誰の事も理解しようともせず、当然の結果として距離を置かれ、言ってしまえば嫌われて生きてきたのだろうという事です。直接関わったわけでもなく、選挙とそれに関連する報道を通じて見聞きしただけでこれだけ嫌われるのですから、直に接してあのような言動を浴びせられればどうなるか、それはあまりにも想像に容易いことです。

誰からも距離を置かれる、嫌われる、というのは、場合によってはいじめのような状況になる事もあったかもしれません。しかしそれを非難する事は出来ません。誰彼構わずあのような振る舞いをしていれば、そうなる事は当然の結果と言う他はないのです。それでも今なおそうしているのだから、きっと彼自身かけらも気にしてはいないのでしょう。あるいは人と馴れ合うような真似は死んでもしたくない、位にさえ思っているかも知れません。

だったら何故人と関わる仕事に就こうとするのか、あまつさえ全体の奉仕者たるべき公務員、しかもその責任者になどなろうとするのか、という疑問も生じますが、もしかしたら真逆で、権力を得て人を見下したい、苦しめてやりたい、気に入らない人を排除してやりたい、とか考えているのかも知れませんね。安芸高田市長時代の振る舞いはまさにそんな感じでしたし。

つまりパワハラや権力の濫用こそがしたい事で、それが出来る権力者になりたいから首長に立候補した、とか。そうだとしたら最悪なのですが、ある程度辻褄は合ってしまうのがなんとも。自己満足以外に何の意味もないというか社会的には害悪にしかならないし、第一基本多数決の論理で動く政治の場で周囲の支持もなしにそんな事をしようとしても、自分が排除されるだけでしょうに。

とはいえ、孤独であろう事は間違いないし、ある種の痛々しさも感じずにはいられないのです。少なくとも、面白半分で茶化したり、いくら嫌悪感があったとしても人格への批判を無制限に加え続ける事には、健全な社会の倫理からの躊躇いがあってしかるべきでしょう。

個人的には、そもそも彼は誰もが目にするようなメディアには出てほしくないですね。子供の教育にもよくないと思います。子供が彼の真似をしたりすれば、彼のように友人を無くすだろうし、下手をすれば社会に適応出来なくなってしまいます。シャレになりません。youtubeで動画を配信する位ならフィルタ等で目に入らないように出来るので、それ位に留めておいてもらいたいと思います。多分無理なんでしょうけれども。

 [pol] 大山鳴動した都知事選

7/10/2024

[pol] パワハラ告発者を逆ギレの末に殺した兵庫・斎藤知事と維新

やはり維新の人間だったか、というか。兵庫県の斎藤知事と維新所属議員が人を死なせたようです。胸糞の悪い話ですが一応。

経緯はさんざん報道されているので省略しますが、簡単に言えば、県職員相手に散々パワハラをし、それを元県幹部職員に告発され、事実無根の嘘八百だとして告発者に逆ギレし、あまつさえ罵詈雑言を浴びせていたところ、告発に事実が含まれている事が明らかになり、それ以外の点についても告発内容の真偽を問うために地方自治法100条に基づく委員会が県議会に設置され、追求の手続きが進められていたところ、まさにその開催直前になって証人として出席する筈だった告発者が死亡したという話です。

おそらくは自殺、という事ですが、自殺か他殺かはさておき、その原因が斎藤知事はじめ維新議員のパワハラ告発・100条委員会開催に向けての、告発者たる元県幹部職員への対応というか仕打ちにある事は殆ど疑いようがない状況です。

というのも、当該委員会の審議等は裁判に準ずるものであり、証人の出頭義務や偽証への罰則等も法定されているため、当然ながらその権限を目的外に濫用する事は許されないところ、維新所属の議員は告発書以外の、告発書と共に押収された告発者のプライバシーに属する事項についてもいわゆる黒塗りをせず公開し、審理の対象にしようとしたのだそうです。

これは純然たる人権侵害に他なりません。もちろん違法です。そもそもの前提として、100条委員会の喚問は刑事事件のそれにも等しいものです。証人には出頭義務があり、各種書面の提出義務もあり、黙秘権も制限されます。この場で上記のような事が証人に対してなされる、というのは、例えれば、刑事事件の裁判で、その告訴者が証人として出廷するとして、事件とは何ら関係のない、証人のプライベートな事柄の開示を被告弁護人が求め、あまつさえ裁判長がそれを認めたようなものです。ありえません。公の裁きの場を何だと思っているのでしょうか。

それを知った告発者は、プライバシーへの配慮すなわち告発に関係ない事項の非開示を求め、しかし聞き入れられず、追い込まれていたとのこと。当たり前です。公益性も正当性も何もない、単なる報復のために、そのプライベートな事柄を、公の、しかも証言の拒絶も許されない裁きの場であげつらわれ、理不尽な人格的非難を知事と維新から受けるだろう事になった告発者の心情は察するに余りあります。まさしく絶望と言うにふさわしいものだったでしょう。それこそ自殺を選んでも何ら不思議はありません。

被害者が亡くなった後、これはまずいと思ったのか、慌てて委員会の方では告発書の記載内容以外については非公開とし、審理の対象からも外す旨緊急決議を行ったそうですが、無意味です。委員会側の、特に唯一その公開を求めていたと言われる維新所属議員の泥縄の言い訳・取り繕い的な保身に出たものである事は疑いようがありませんし、むしろその卑劣さに吐き気がしますね。謝罪の言葉もありません。議員云々以前に、およそ人間の所業ではないと言わざるを得ませんね。

当の斎藤知事については何をか言わんや。自分が殺したも同然の相手に、お悔やみを、とかどの口が言うのか。人にお悔やみの言葉を述べる前に自分の行いを悔いるべきです。ショックを受けた?何に?自分が人殺しになってしまった事にですか?何を今更。

代表の馬場しかり、維新はゴロツキやらチンピラが政治やってるようなものとはよく言ったものです。よくこんなのが住民の、国民の代表になろうとするものですね。それをもてはやす人も含め、悔い改める必要があるんじゃないでしょうか。

これは関係ない蛇足ですが、先日終わった都知事選で、もし石丸氏が当選していたら、似たような事が起きていたのかもと思わずにはいられません。ぞっとします。もっとも、彼には維新のようなそのパワハラに加担し擁護するような仲間はいないので、ここまで酷いことにはなりにくいだろうとは思いますけれども。 

斎藤知事のパワハラを告発した兵庫県元幹部が死亡 百条委員会出席で紛糾していたプライバシー問題 

[pol] 大山鳴動した都知事選

7/09/2024

[pol] 大山鳴動した都知事選

東京都知事選が終わりました。

首都とはいえ、あくまで一地方自治体の首長選挙であって、それ以外の地域の住民には基本関係ない話の筈だったのですが、それ以外の地域でも国政選挙であるかのような報道されっぷりでした。その事に多少の違和感はあります。

が、地方選挙の中では群を抜く注目度・影響度がもたらす副作用として、それもある程度までは自然な事だったと言えるでしょう。選挙広告の目的外利用や選挙妨害のような、多分に今後他の地域の地方選や国政選挙にも波及しかねず、それ故に規制の是非が議論され得るだろう事象もありましたし。

しかしそれ以上に、蓮舫氏と石丸氏という特徴的な対立軸を象徴する候補が立候補していた事がその過熱の主たる要因であったのだろうと思います。往々にして単に著名人であるというだけの候補が乱立し、単なる人気投票と化す事も珍しくない都知事選ですが、その2人は程度の差はあまりに大きいにしても、他分野の著名人というわけではなく、いずれも元より政治家として認識されている候補でした。結果、本命・対抗ともに全員が政治家同士の対決という構図になったのです。人気投票の要素は副次的なものとなりました。

この違いは大きいものでした。何故かというと、「現状に不満はあるが、それでも政治の素人はダメ」と考える、投票に関心は十分にあるが消極的に現職か、いなければ最有力候補に投票していた層に現実的な選択肢が出来たのです。実際、小池氏の得票は前回より数割減少し、石丸・蓮舫両氏の得票の合計数は小池氏を上回っています。

これはもちろん歓迎すべき変化です。単に選択肢がないために消去法的に信任を受けるだけの無意味な選挙とは意味合いが全く異なります。況や、人気投票とは比べるべくもありません。無論、有力候補が数人増えたところで、その体現しうる選択肢の軸はたかが知れていると言えばその通りではあるのでしょうが、単なる消去法よりは随分とマシです。

実際問題としては、現職が一定以上の支持を受けている場合等に、その選択肢が現実性を持つには対立候補は一人でなければ共倒れになるという問題もあります。これはジレンマですが、一発勝負の現行の選挙制度の下ではどうにもなりません。決選投票制を導入する他に解決の方法はないように思われます。選挙コストは上がりますが、私は必要なコストだと思います。

話が逸れました。かように、今回の選挙は地方選と言えども現在の日本国内で行われる直接選挙の最も重要なものとして、あるべき姿を指し示すいい選挙だったのではないでしょうか。こういうのを見ると、首相についても直接選挙による公選制を導入したくなりますね。もちろん議院内閣制の(ほぼ)廃止、すなわち憲法の大幅な改正が必要なので、現実問題としておよそ不可能なのですけれども。

ところで、今回の選挙の結果について、負けた側では色々敗因等の分析がなされています。個人的にはあまり意味はないと思いますが、石丸氏、蓮舫氏についてそれぞれ一点だけ触れておきます。

まず蓮舫氏。彼女については、当初対立候補の筆頭と目されていた氏が3番手になったという点が注目されています。それを受けて、その所属団体であるところの立憲民主党では、蓮舫氏や立憲民主党は支持されていないのかと落胆する向きも多数出ているようです。

が、これは的外れだと思います。今回の選挙を通じて、蓮舫氏や立憲民主党の側に、殊更これまでの実績やそれに基づく評価を大きく変動させるような要素はありませんでした。ではなぜこうなったのかと言えば、それは蓮舫氏とその属する立憲民主党という組織の元々の立ち位置によるものであると言う他ないでしょう。

すなわち、氏も立民も、元々、批判票の受け皿になる、という以上の評価を受ける存在ではないからです。これまでも、おそらくこれからも、現状に不満があって、現職等を支持したくない人の消極的な選択肢、その中での(それなりに)相対的な優位を得ているに過ぎないのです。

であるから、他に選択肢が現れれば、そしてそれが積極的な選択肢として成立し得るならば、元より消極的な選択肢が太刀打ちできる筈もなかった。これはただそれだけの話です。仮に石丸氏が立候補していなければ、おそらく蓮舫氏は善戦していたでしょう。場合によっては当選していた可能性も否定出来ません。そうであれば、自身の関係ない要素に左右される、あまりにも不安定な立ち位置と言わざるを得ません。

蓮舫氏というか同党については、その消極的で脆い立ち位置を、積極的な支持を受ける確固たるものに変える事が出来なければ、おそらく今後の選挙でも同じ事になるでしょう。つまり、他に有力な選択肢が現れれば支持されず、現れなければ与党への支持の有無・程度に結果が左右されるのです。いずれにせよ、そこに立民自身の寄与するところは殆どないでしょう。

従って、次の衆院選で立民が勝利する可能性は十分にあります。維新は未だ積極的な選択肢とは言い難く、むしろ万博絡みを中心に将来性への期待さえも失いつつあるようですから。ただ、仮にそうなったとしても、おそらくそれは全く長続きしないでしょう。与党への批判だけを頼りに票を得ても、それは党や政権への支持とは言えません。そんな党が与党になる、という事は、すなわち票を失うという事を意味します。そしてすぐさま議席を、政権を失う。元々実質的な信任がないのだから当然の事です。

そんな見え透いた、誰にとっても不幸にしかならない未来を回避するには、彼ら自身が責任を持って積極的な支持を受けられるだけの、すなわち与党よりよい政権、行政組織を構築・統括し、立法・行政ともに他者に左右されない絶対的な信任を得るに足る実体を備える他はありません。

今更そんなことが可能なのか、正直不可能なのでは、と思わざるを得ませんが、それでもそうするしかないのです。でなければ、実質的に選択肢にはなり得ないし、文句を言う口だけの無責任な人たち、といった不名誉な評価も拭えないでしょう。汚職や不正行為も、単に政権を担っていないから出来ないし追求もされにくいというだけで、自民議員のそれよりマシかというとそんなわけはないでしょうしね。むしろ自民より酷くなる可能性も小さくはないでしょう。評価出来るところが全くない、というわけでは無論ないのですが。それでは全然足りないのです。

次に石丸氏。彼については、色々と批判もそれへの反論も激しくなされています。パワハラ気質だとかアスペだとか、色々言われてもいるようです。どれも自治体の首長たるべき者として、問題なしというわけではありません。しかし、個々の点は、程度問題もあるにせよそれ自体がさほど大きな問題とは思いません。行政を担う者としては、その職務を全うする事が最も重要なのですから。極論すれば、違法の性質を帯びない限り、仕事が出来るならそれ以外は二の次です。

逆に言えば、仕事に支障が出るような点があればそれは問題と言わざるを得ないわけです。で、彼の場合はどう見ても仕事、すなわち行政機関の運営が出来るようには思われないのです。何故か?およそ人と協力する事が出来ないだろうからです。

彼の振る舞い、特に言動を見る限り、彼はそもそも他者とコミュニケーションを取る能力に深刻な障害を抱えています。なぜその言葉を受けてその応答なのか、相手が理解出来ず困惑する事態も頻繁に起こっています。

行政機関は言うまでもなく人の組織です。行政機関の事務の相手も地域の住民を中心とした人です。その運営において、何よりも必要なものはコミュニケーションの能力です。多種多様で時に複雑な人々の話を理解し、適切に対応出来なければならないのですから。そこで誤れば、場合によっては人命にも関わります。当然ながら、この点を軽視する人は、少なくとも自治体の首長としては失格です。

翻って、石丸氏はかなり極端な理想主義者のようです。やり取りを見ると、何事につけ「こうあるべきだ」という理想があって、それに沿わない発言があると、そのやり取りのコンテキストを無視してその点を批判し出します。

確固とした理想がある事、それ自体は美点と言えるでしょうが、状況によらずそれに拘り、話の本題をも無視するようでは本末転倒というもの。しかも石丸氏にはその理想やそれに拘る理由を相手にわかるように説明する気もなく、また相手の事を理解する気もないのだから、相手にとっては普通に(常識的な言葉で)話をしていた筈なのに、わけもわからず突然非難を受けるだけの状況に追い込まれるわけです。文字通り話になりません。

そんな彼が行政組織に入り、決定権や指揮権を持つとどうなるか。確実に機能不全を起こすでしょう。本来そんな事にかかずらわっていてはキリがないというかそんな暇はない筈の些末な事にこだわって時間を浪費し、無駄に事務を停滞させ、組織内の人員を疲弊させ、事務の遅延・遅滞により地域に損害を生じさせ、住民に不満を生じさせるでしょう。議会・議員と協力関係はかけらも築けず、最初から決定的に対立し、予算・人事の承認すらままならなくなるでしょう。

組織・設備等の改廃を独断かつ安易に強行しようとし、地域社会にリスクをもたらす可能性も小さくはないでしょう。もっともこの点については、偶然成功する場合もあるかもしれません。が、多数の経験豊富なスタッフによる行政組織の施策と素人の賭けとでは常識的に考えてそのリスクは比較になりません。相対的に悪い結果になる可能性は極めて高いでしょう。

そして必然的にその過程で受けるべき膨大な正当な非難と、それ以上に膨大な理不尽な非難を受け、その尽くと対立し、何もできなくなるでしょう。

そんな未来が見える、それが彼の決定的な問題だと思うのです。もちろん、実際に職につけばそれなりに現実的な対応をするようになるのかもしれませんが、今の時点ではその期待を持つ事は出来ません。単なる希望的観測による妄想に過ぎないのですから。

以上、簡単にと思いつつも長々と考えを巡らせてみたわけですが、結局のところ、小池氏の再選は妥当だったのだろうと言わざるを得ないですね。学歴詐称問題だとか、公約無視だとか色々非難は受けていますが、知事として最も重要な実績、すなわち安定的に知事職を全うしてきた事実はやはり何よりも重かった、それだけの事なのでしょうから。いかに知名度や話題性、そこそこの対立軸があろうとも、それを凌駕するのは容易ではないのです。

結果としては、大山鳴動して鼠一匹、いや狸一匹か、な感じではあるので、無駄に騒ぎすぎだとの思いも消えませんけどね。それでは。