東京都知事選が終わりました。
首都とはいえ、あくまで一地方自治体の首長選挙であって、それ以外の地域の住民には基本関係ない話の筈だったのですが、それ以外の地域でも国政選挙であるかのような報道されっぷりでした。その事に多少の違和感はあります。
が、地方選挙の中では群を抜く注目度・影響度がもたらす副作用として、それもある程度までは自然な事だったと言えるでしょう。選挙広告の目的外利用や選挙妨害のような、多分に今後他の地域の地方選や国政選挙にも波及しかねず、それ故に規制の是非が議論され得るだろう事象もありましたし。
しかしそれ以上に、蓮舫氏と石丸氏という特徴的な対立軸を象徴する候補が立候補していた事がその過熱の主たる要因であったのだろうと思います。往々にして単に著名人であるというだけの候補が乱立し、単なる人気投票と化す事も珍しくない都知事選ですが、その2人は程度の差はあまりに大きいにしても、他分野の著名人というわけではなく、いずれも元より政治家として認識されている候補でした。結果、本命・対抗ともに全員が政治家同士の対決という構図になったのです。人気投票の要素は副次的なものとなりました。
この違いは大きいものでした。何故かというと、「現状に不満はあるが、それでも政治の素人はダメ」と考える、投票に関心は十分にあるが消極的に現職か、いなければ最有力候補に投票していた層に現実的な選択肢が出来たのです。実際、小池氏の得票は前回より数割減少し、石丸・蓮舫両氏の得票の合計数は小池氏を上回っています。
これはもちろん歓迎すべき変化です。単に選択肢がないために消去法的に信任を受けるだけの無意味な選挙とは意味合いが全く異なります。況や、人気投票とは比べるべくもありません。無論、有力候補が数人増えたところで、その体現しうる選択肢の軸はたかが知れていると言えばその通りではあるのでしょうが、単なる消去法よりは随分とマシです。
実際問題としては、現職が一定以上の支持を受けている場合等に、その選択肢が現実性を持つには対立候補は一人でなければ共倒れになるという問題もあります。これはジレンマですが、一発勝負の現行の選挙制度の下ではどうにもなりません。決選投票制を導入する他に解決の方法はないように思われます。選挙コストは上がりますが、私は必要なコストだと思います。
話が逸れました。かように、今回の選挙は地方選と言えども現在の日本国内で行われる直接選挙の最も重要なものとして、あるべき姿を指し示すいい選挙だったのではないでしょうか。こういうのを見ると、首相についても直接選挙による公選制を導入したくなりますね。もちろん議院内閣制の(ほぼ)廃止、すなわち憲法の大幅な改正が必要なので、現実問題としておよそ不可能なのですけれども。
ところで、今回の選挙の結果について、負けた側では色々敗因等の分析がなされています。個人的にはあまり意味はないと思いますが、石丸氏、蓮舫氏についてそれぞれ一点だけ触れておきます。
まず蓮舫氏。彼女については、当初対立候補の筆頭と目されていた氏が3番手になったという点が注目されています。それを受けて、その所属団体であるところの立憲民主党では、蓮舫氏や立憲民主党は支持されていないのかと落胆する向きも多数出ているようです。
が、これは的外れだと思います。今回の選挙を通じて、蓮舫氏や立憲民主党の側に、殊更これまでの実績やそれに基づく評価を大きく変動させるような要素はありませんでした。ではなぜこうなったのかと言えば、それは蓮舫氏とその属する立憲民主党という組織の元々の立ち位置によるものであると言う他ないでしょう。
すなわち、氏も立民も、元々、批判票の受け皿になる、という以上の評価を受ける存在ではないからです。これまでも、おそらくこれからも、現状に不満があって、現職等を支持したくない人の消極的な選択肢、その中での(それなりに)相対的な優位を得ているに過ぎないのです。
であるから、他に選択肢が現れれば、そしてそれが積極的な選択肢として成立し得るならば、元より消極的な選択肢が太刀打ちできる筈もなかった。これはただそれだけの話です。仮に石丸氏が立候補していなければ、おそらく蓮舫氏は善戦していたでしょう。場合によっては当選していた可能性も否定出来ません。そうであれば、自身の関係ない要素に左右される、あまりにも不安定な立ち位置と言わざるを得ません。
蓮舫氏というか同党については、その消極的で脆い立ち位置を、積極的な支持を受ける確固たるものに変える事が出来なければ、おそらく今後の選挙でも同じ事になるでしょう。つまり、他に有力な選択肢が現れれば支持されず、現れなければ与党への支持の有無・程度に結果が左右されるのです。いずれにせよ、そこに立民自身の寄与するところは殆どないでしょう。
従って、次の衆院選で立民が勝利する可能性は十分にあります。維新は未だ積極的な選択肢とは言い難く、むしろ万博絡みを中心に将来性への期待さえも失いつつあるようですから。ただ、仮にそうなったとしても、おそらくそれは全く長続きしないでしょう。与党への批判だけを頼りに票を得ても、それは党や政権への支持とは言えません。そんな党が与党になる、という事は、すなわち票を失うという事を意味します。そしてすぐさま議席を、政権を失う。元々実質的な信任がないのだから当然の事です。
そんな見え透いた、誰にとっても不幸にしかならない未来を回避するには、彼ら自身が責任を持って積極的な支持を受けられるだけの、すなわち与党よりよい政権、行政組織を構築・統括し、立法・行政ともに他者に左右されない絶対的な信任を得るに足る実体を備える他はありません。
今更そんなことが可能なのか、正直不可能なのでは、と思わざるを得ませんが、それでもそうするしかないのです。でなければ、実質的に選択肢にはなり得ないし、文句を言う口だけの無責任な人たち、といった不名誉な評価も拭えないでしょう。汚職や不正行為も、単に政権を担っていないから出来ないし追求もされにくいというだけで、自民議員のそれよりマシかというとそんなわけはないでしょうしね。むしろ自民より酷くなる可能性も小さくはないでしょう。評価出来るところが全くない、というわけでは無論ないのですが。それでは全然足りないのです。
次に石丸氏。彼については、色々と批判もそれへの反論も激しくなされています。パワハラ気質だとかアスペだとか、色々言われてもいるようです。どれも自治体の首長たるべき者として、問題なしというわけではありません。しかし、個々の点は、程度問題もあるにせよそれ自体がさほど大きな問題とは思いません。行政を担う者としては、その職務を全うする事が最も重要なのですから。極論すれば、違法の性質を帯びない限り、仕事が出来るならそれ以外は二の次です。
逆に言えば、仕事に支障が出るような点があればそれは問題と言わざるを得ないわけです。で、彼の場合はどう見ても仕事、すなわち行政機関の運営が出来るようには思われないのです。何故か?およそ人と協力する事が出来ないだろうからです。
彼の振る舞い、特に言動を見る限り、彼はそもそも他者とコミュニケーションを取る能力に深刻な障害を抱えています。なぜその言葉を受けてその応答なのか、相手が理解出来ず困惑する事態も頻繁に起こっています。
行政機関は言うまでもなく人の組織です。行政機関の事務の相手も地域の住民を中心とした人です。その運営において、何よりも必要なものはコミュニケーションの能力です。多種多様で時に複雑な人々の話を理解し、適切に対応出来なければならないのですから。そこで誤れば、場合によっては人命にも関わります。当然ながら、この点を軽視する人は、少なくとも自治体の首長としては失格です。
翻って、石丸氏はかなり極端な理想主義者のようです。やり取りを見ると、何事につけ「こうあるべきだ」という理想があって、それに沿わない発言があると、そのやり取りのコンテキストを無視してその点を批判し出します。
確固とした理想がある事、それ自体は美点と言えるでしょうが、状況によらずそれに拘り、話の本題をも無視するようでは本末転倒というもの。しかも石丸氏にはその理想やそれに拘る理由を相手にわかるように説明する気もなく、また相手の事を理解する気もないのだから、相手にとっては普通に(常識的な言葉で)話をしていた筈なのに、わけもわからず突然非難を受けるだけの状況に追い込まれるわけです。文字通り話になりません。
そんな彼が行政組織に入り、決定権や指揮権を持つとどうなるか。確実に機能不全を起こすでしょう。本来そんな事にかかずらわっていてはキリがないというかそんな暇はない筈の些末な事にこだわって時間を浪費し、無駄に事務を停滞させ、組織内の人員を疲弊させ、事務の遅延・遅滞により地域に損害を生じさせ、住民に不満を生じさせるでしょう。議会・議員と協力関係はかけらも築けず、最初から決定的に対立し、予算・人事の承認すらままならなくなるでしょう。
組織・設備等の改廃を独断かつ安易に強行しようとし、地域社会にリスクをもたらす可能性も小さくはないでしょう。もっともこの点については、偶然成功する場合もあるかもしれません。が、多数の経験豊富なスタッフによる行政組織の施策と素人の賭けとでは常識的に考えてそのリスクは比較になりません。相対的に悪い結果になる可能性は極めて高いでしょう。
そして必然的にその過程で受けるべき膨大な正当な非難と、それ以上に膨大な理不尽な非難を受け、その尽くと対立し、何もできなくなるでしょう。
そんな未来が見える、それが彼の決定的な問題だと思うのです。もちろん、実際に職につけばそれなりに現実的な対応をするようになるのかもしれませんが、今の時点ではその期待を持つ事は出来ません。単なる希望的観測による妄想に過ぎないのですから。
以上、簡単にと思いつつも長々と考えを巡らせてみたわけですが、結局のところ、小池氏の再選は妥当だったのだろうと言わざるを得ないですね。学歴詐称問題だとか、公約無視だとか色々非難は受けていますが、知事として最も重要な実績、すなわち安定的に知事職を全うしてきた事実はやはり何よりも重かった、それだけの事なのでしょうから。いかに知名度や話題性、そこそこの対立軸があろうとも、それを凌駕するのは容易ではないのです。
結果としては、大山鳴動して鼠一匹、いや狸一匹か、な感じではあるので、無駄に騒ぎすぎだとの思いも消えませんけどね。それでは。