ひどかったですね。Zelensky大統領とアメリカ首脳連との会談。
話が全く噛み合っておらず、あまりに醜悪で、見るに耐えませんでした。
特にVance副大統領は一体何がしたかったんでしょうか。最初からまともに話をするつもりもなく、もちろん援助を続けるつもりもなく、ただ自身の嗜虐性を満たすために、相手の窮状に付け込み理不尽な難癖を付けて、挑発し辱めた上で屈服させて悦に入ろうとしていたように映りました。
そして当然に決裂。もはや米国には頼れない。期待する事も出来ない。米国にその意思がないのだから。苦悩に満ち、悲壮感も色濃いZelensky大統領の言動には、そういう諦めがありありと見て取れました。おそらくは、他の殆ど全ての国の指導者や市民も、同様の思いを抱いたのではないでしょうか。
UkraineとRussiaに対する一連の振る舞いを見る限り、米国は、自国領土の近隣地域とIsraelのような自国内で影響力を確保しているごく少数の例外を除く、ほぼ全ての地域について、その安全保障に関わる事を放棄しようとしているように見えます。
否、それどころか、GreenlandやPanama等の近隣諸国、それにGazaやUkraine等の紛争地域に対する姿勢は、武力行使にこそ及んではいないものの、明らかに侵略者のそれです。もはや米国はRussia、Chinaと同様の、ならず者国家の一員に成り下がりました。
善意の協力者としての建前を捨て、圧倒的な暴力を盾にして、財産を差し出せ、領土をよこせ、属国になれと要求する。しかもあらゆる発言、提案、約束を、その時の都合に合わせてなかった事にさえする。
このような振る舞いを見て、米国を信頼できると考えるような者はいないでしょう。最低限の判断力があれば、要求に従ったところで裏切られるだけ、そう悟り、どうやってその侵略・干渉を回避ないし緩和するか、身の振り方に頭を悩ませる事になるのです。
Russia、China、そして米国。大国が揃って武力による侵略に傾斜するのは、ある種の必然なのでしょうか。おそらくそうなのでしょう。倫理の欠如した権力者にとって、武力はあまりに便利なツールです。面倒な交渉も政策もすっとばして、およそ全ての犯罪が思いのままなのですから。脅迫も強盗も、もちろん殺人も。ほとんど全ての独裁者が、善良な市民の敵に堕ちる所以はそこにあるのでしょう。その点、米国も例外ではなかったというだけの事です。
米国では、国連からの脱退さえ現実的な選択肢として取り沙汰されています。米国が世界の警察と言われた時代は、既に過去のものになりました。多極化を強める世界にあっては、むしろそれは自然な事なのかもしれません。
欧州の事は欧州が。中東の事は中東が。アフリカの事はアフリカが。アジアの事はアジアが。そして、米国の事は米国が。その地に住む人がそれぞれに決める。争う。自国を脅かす者は誰であろうと打ち倒すべき敵となる。米国もその例外ではなく、むしろRussia、Chinaと同列の侵略者に位置づけられる。
かくして大国は独裁的な覇権主義に染まり、それぞれの利益のみを追求し、その国土を拡大させるべく侵略を目論む。侵略を受ける近隣諸国はその脅威に怯えながらも生存をかけて抗う。存亡の危機を前にして、必然的に各国は軍事力の強化を際限なく進め、生産力を低下させ、生存に必須ではないものを切り捨てる。
訪れようとしている世界のあり方が、近代化以前の、原始的な世界のあり方に回帰していくように見えるのは、多極化のもたらす自然な帰結と言うべきなのか、それとも退化と言うべきなのか。いずれにせよ、米国中心の世界秩序は終わろうとしています。
その行き着く先に、悲劇の少なからん事を、そして、避け得ない破滅が訪れない事を願いつつ。