12/04/2024

[pol] 韓国大統領、発狂して戒厳令を宣言から即撤回、またしても弾劾へ

韓国で突然Martial lawが宣言されて世界中がびっくり。

何事だ、北朝鮮が何か仕掛けたのか、と身構えたのも束の間、数時間後にはあっさり解除されました。もちろん、北朝鮮は本件に関しては何もしていません。

大山鳴動して鼠一匹的な話で終わって一安心ではありますが、しかし、多くの人が一体何だったの?と首を傾げています。

その事情を簡単に言えば、国民の信任を失い、与党は選挙で敗北し、さらにその与党内での支持すら失(いつつあ)ってもはや何も出来なくなっていたYoon大統領が、後先考えず無理やり独裁に走ろうとしたものなのだそうです。なんじゃそら。

要するに追い詰められての発狂、いわゆるキチゲ解放とかいうやつですね。一国の大統領が。いやもう勘弁してほしいです。

その後の流れは言うまでもありません。国民の支持など得られるわけもなく、議会も与党含め総反発であっという間に取り下げに追い込まれ、さらに逆に辞職を迫られ、応じなければ弾劾による強制解任が確実視されています。

また弾劾ですか。。。Park大統領が弾劾により罷免されたのもそんなに昔の話ではないのですけれど、今回の状況はPark大統領の時より明らかに酷く、弾劾が提起されればその成立は確実とされています。

とりあえず今回の話はそれで終わりです。

しかし、なぜ韓国の大統領はこう、不祥事からのクビになるような形でしか終われないのか。韓国の大統領は再選禁止だから一期だけなのに、それを満足に務める事すら殆ど不可能というのは、個々の大統領の資質云々以前に、何か制度上根本的かつ構造的な問題があるというか、ぶっちゃけ政治体制として韓国社会に合っていないのではないかとの疑念を禁じえません。今後改善しそうな見込みも皆無ですし。

よその国の話ですから、もちろん他国の人間が口出し出来る筋合いはないのですが、流石に今回のような騒動はあまりに意味不明に迷惑だし、文句位は言いたくなりますね。もっとも、外野の声には耳を貸さないどころか逆に反発するのが常なお国柄でもあるし、そもそもなにがしか改善を図る事が出来るならとっくにそうしてるでしょうから、きっとこれからもこんな感じなんでしょう。困ったものです。他人事ですけれど。というか、いつまでも他人事であって欲しいものです。

<追記>

揉めに揉める事10日、一度は否決された弾劾決議案が2回目にして成立したそうです。一度目は与党が棄権という形で反対に回りましたが、その後大統領が戒厳令を正当化する旨の演説をした事で与党内からも反発が強まり、今回の結果に至ったとのこと。与党としては折角かばおうとしたのに裏切られた気持ちだったのでしょう。

これを以て大統領は権限を停止され、弾劾裁判に掛けられる事になるわけですが、この四面楚歌そのものの状況では罷免は免れないでしょう。お疲れ様でした。ともあれこれで一段落ですね。もう騒がせないで頂きたいと思います。まあ、韓国の国民の方が私達外野より余程泣きたい状況だろうとは思いますが。。。

11/29/2024

[note] ニュースの総ゴシップ化

ゴシップ。うわさ話。縁もゆかりもない他人についての、根も葉もない真偽不明の情報を、興味本位であげつらうもの。

ニュース情報の内にあっては、報道の対象となる公共の利害に関する事実と対極に位置付けられる、その大半が流布の正当性を欠き、それに伴ってプライバシーはじめ各種の人権侵害についてしばしば違法性を帯び、あるいは単なる虚偽・風説の流布として社会に害悪をもたらすもの。

昨今、そういう性質のニュース記事が増えているように思われます。それも、メディアの種類やニュースのジャンル等の区分を問わず、一般的に。

その種のニュースは、以前はその対象は芸能人を中心として、著名人の私生活に関する情報にほぼ限定されていました。マスメディアしか発信元がなかったのですから当然です。

しかし、近年はSNSを中心にYoutube等の動画サイトから各種のネット掲示板まで、多種多様な非マスメディアがニュースの伝達を担う場として隆盛し、マスメディアのシェアは相対的に低下を続けています。情報の種類・性質にもよりますが、多くの場合、非マスメディアで流れる二次以降の情報の情報流通に占める割合は圧倒的多数になっていさえします。

元々、ネット上の非マスメディアで流れる情報は、発信者と受信者がいずれも一次的な情報に接する事のない部外者であるために、その殆どが発信の時点で二次以降の伝聞であり、発信者の勝手な思い込み等の主観的な面も強く真偽の怪しい、すなわちゴシップ性が色濃いものです。

非マスメディア経由の情報が占める比率が増えるに従い、ゴシップ性の高いものの比率もそれだけ上がる。それは必然の結果です。しかし、それだけではない。

近年はマスメディアも含め、ニュースの流通プラットフォーム自体がネットへ移行しています。ネットがマスメディアと決定的に異なる点は、言うまでもなく、受け手側の各個人が個々のニュース(もしくはその発信元)を能動的に取捨選択する、という点です。

世に流れる情報はあまりに膨大であり、人間がその全てを見ることはおよそ不可能である以上、各個人は、基本的に自分の見たい記事しか見ません。見ることが出来ません。従って、ネット上のおよそ全てのニュースは、否応なく受け手の嗜好という容赦のない選別に晒される定めにあります。

どんな情報も、伝わらなければ無意味です。受け手に届かなければニュース事業は成立しません。受け手の興味を惹かなければそもそも見てもらえない以上、そこで最も重要なのは、記事の信頼性でも公共性の高さでもスクープ性でもなく、大量のニュースの中から受け手に選んでもらえるかどうかであり、その興味を惹けるかどうか、その一点に尽きる、という事になる。

興味を惹くためにはどうするか?

様々な試みが行われて来ましたし、今以て日夜絶えず行われてもいます。大手の新聞社等は、まず従来の紙媒体と同様に直接の閲覧料を徴収すべく独自の会員制サイトを作りユーザーを囲い込もうとしましたが、極めて限定的な効果に留まり、紙媒体の代替にはなりませんでした。次に大手のポータルと契約を結んで優先的な扱いを受けられる地位を手に入れ、こちらは概ね成功と評価出来るだけの閲覧者を得ているように思われます。しかし、ポータルの側が優越的な立場にある事から、そこで得られる広告収入等は十分なものとは必ずしも言えないようです。

それらの、情報流通の仕組み上の工夫による対処には、元より限界がありました。であれば、個々の情報の内容とその出し方を改良するより他に手立てはない、とそう考える業者が出たのも自然な流れです。興味を惹くにはどうするか、惹ける内容とはどういうものか、それらの検討がなされた結果、元々ゴシップをよく扱っていた週刊誌系を中心に少なからぬメディア事業者がゴシップに流れました。

今では、大規模な災害や政治的なイベント等の報道すべき題材が溢れている一部の時期を除き、何ら公益に関係しない、従って本来はニュースとも言えないような、取るに足りない単なる噂話や、現実性すらあやふやな予想・憶測、事実ですらない意義不明の一個人の感想や意見など、ゴシップ性の極めて強い情報がニュースとして当たり前に流されるようになっています。

その最たるものとして、スポーツ選手関連の報道が挙げられます。プロスポーツは興行であり、一事業者の私的事業に属するものです。その一環であるところの選手の情報は、本質的に芸能人の活動や生活の情報等と同種の、公共の利害とは無関係な、まさしくゴシップの代表と言えるものです。

にも関わらず、昨今では日々のトップニュースで政治・経済・社会の各種の公益に関する報道を差し置いて、いの一番に取り上げられるのです。それに辟易する人も多数発生し、知りたくもないのに強制的に情報に晒される事をハラスメントとして非難する人まで少なからず生まれている始末です。ネットニュースは勿論、従来型のマスメディアですら例外ではありません。

これは、ニュースの重要度・優先度が、受け手側の興味を惹く度合いによって決定付けられている事の象徴と言えるでしょう。つまるところ、今の社会にあっては、ニュースの本質とは話題性なのであって、内容は二の次なのです。換言すれば、内容は何でもいいのです。それが嘘であろうと。伝わる事こそが最も重要な点になっているのです。

まさしく本末転倒です。

見出しにも、"たった一つの"、"本当の"、"驚きの"、 "真実"、"ウソ"、などなど、胡散臭い誇張的な表現を用いるものが増えました。ネット普及以前は、一部の、信憑性が極めて低いとされるゴシップ系の週刊誌等でしか見られなかったようなそれらが、ニュースサイトでは報道記事と区別される事なく、同列のものとして並べて表示されています。そして、アクセス数の上位にはむしろ通常の報道記事よりゴシップ系の方が遥かに多くランクインするのです。

アクセス数の多さ少なさは、そのまま収益の高さ低さに直結します。でっち上げの記事より、一次情報に近く、裏取り等も行う報道機関等の記事の方が遥かにコストは高い筈ですが、受け手の興味を惹かなければ、その胡散臭い記事よりも劣った収益しか得られません。

結果、マスメディア等の側も、収益を得るために、ゴシップ記事に負けない程に受け手の興味を惹くような外観を個々の記事に備えさせる必要に迫られる。かくしてマスメディアの発するニュースも、ゴシップのような外観を呈するに至るのです。

その上、受け手の獲得競争は、ニュースの発信から撤退しない限り、際限なく続きます。最初は外観の調整から始まったそれは、あっという間にエスカレートするでしょう。何せ競争相手は殆ど無限にいるのです。総量も膨大。溢れるゴシップに埋もれないよう対抗するには、こちらも量が必要。以前のように一つの記事に時間をかけてもいられない。となれば、情報の質は犠牲にせざるを得ない。

そして、マスメディアの発する情報にも大量のゴシップが入り込むようになります。

背に腹は代えられない。以前であれば、報道機関の倫理等で歯止めがかけられていたそれも、事業の存続のためには仕方ない、と正当化されるでしょう。明らかな犯罪以外は何でもやる。やらなければ生き残れないのだから。製造販売業等のその他の事業者と同じです。メディアの営む報道事業の公共性がいかに高かろうと、あくまで私の事業である以上、競争に晒された時点でそれは殆ど必然の成り行きなのです。

結果、溢れ返るゴシップ記事。ゴシップでない記事も、見出し等はゴシップと区別が困難なものが当たり前に流れ、もはやニュースサイトは総ゴシップ化してしまう。虚偽と事実が渾然として区別も困難になり、何を信じていいのかもわからなくなる。

それは、事実を伝える事で公益に資する、という本来のニュースの社会的機能が失われるに等しいのではないか。すなわち、ニュースの死と殆ど同義なのではないのか。 

まだ完全にそうなったわけではないようには見える。しかし、既にその時は目前に迫っているのではないのか。あるいは実質的には既に一線を越えてしまった後なのではないか。昨今のニュースの有り様を見ていると、そのような事を考えてしまうのです。

11/25/2024

[note] デマの沼に沈みゆく社会

今回はデマの話です。長いです。多分今まで書いた記事の中で最長。

要点だけ言えば、"陰謀論的なデマが盛んに流れるようになってしまった昨今、悪影響も甚だしくて遺憾な限りだけどどうしようもない、残念"というだけの話です。興味を持つ人なんていないでしょうけど、それでもいいという奇特な方はどうぞ。では。

 

Demagogy。主に政治的な目的の下、意図的に流布される虚偽情報の事です。単なる流言飛語を指す事も珍しくありませんが、要するに嘘です。

嘘なんて普通はすぐにそうとわかるし、真に受けて行動すれば馬鹿を見る事になる。周囲にも馬鹿なやつだと軽蔑される。相手にもするべきではない。

世間一般的に、そういうものだと思われて来た、筈です。殆ど誰もが、情報として、あるいは実体験を通じて、多かれ少なかれ理解しているでしょう。嘘をつくのは悪い事だし、嘘に騙されるのも良くない事だと。デマなんて無視されて、あるいはそれを流した者もろとも軽蔑されて終わりだと。

しかし、近頃では必ずしもそうではないようなのです。

近年、やけにデマが流れる事が増えたと思うんです。特に陰謀論的なものが。いえ、増えたという表現は控えめにすぎるかもしれません。何か不祥事や事件が起きると、ほぼ決まってどこそこの組織の陰謀だとか、情報操作だとか、何の根拠もなく無関係な第三者を非難し、容疑者らを擁護し、被害者や告発者を貶めようとする言説が飛び交う様を目にするようになりました。公然と。

それどころか、別段事件とも言えない、単なる日常的な利害関係の衝突や意見の相違でしかないような些細な争いにも、外国や官僚、宗教団体、果ては架空の勢力やらまで持ち出して、その陰謀だと断定さえする言説が公然と流れる始末です。何らの具体的な証拠も根拠もなく。もちろん合理性もない。

そして、それを真に受け、真実だと信じ込み、その扇動に加わる人が多数派になる、等という極めて遺憾な事態さえ起こっているというのです。

リテラシー教育の敗北とでも言えばいいんでしょうか。そういう面はあるでしょう。しかしそれだけで済むような、そんな単純な話とも思えません。

デマも情報、流す人、流した人が現実にいます。彼ら彼女らが、上記のようなデマを流す理由は容易に想像できます。金銭を主とする、その利益のためです。デマが流れるのは決まってネット上の情報サイトです。その多くは広告収入がほぼ唯一の収益源で、そこに記事等を提供するライター等も含め、その提供する情報に多数の人の注目を集める事が事業の主たる目的になっています。すなわち、多数の人の興味を惹く必要があるわけで、そのためにデマを利用している、それだけの事なのだろうと。

それは事業なのですから、瞬間的な興味を惹起するだけでは足りず、ある程度の継続性がなくてはなりません。そのためには、嘘だと見破られ難く、かつ嘘だとわかっていても興味が惹かれ、また信じたくなるような内容が適切であり、その条件を満たすものとして解となったのが陰謀論的なデマ、という事なのでしょう。

では、その陰謀論的なデマがなぜこのように社会現象と言えるだろうまでに広まるのか。そこを理解するには、その性質を明らかにする他はありません。

デマはでっちあげであり、嘘です。その真偽を明らかにするには、一般にそれと対立するところの真実に相当する命題との比較を必要とします。無論、詳細に比較するまでもなく一目瞭然な事も少なくありませんが、情報によっては、各種の機密やプライバシーに関するもの等、その性質上秘匿性が高く、真偽の検証が困難なものもあります。

陰謀論の主たる対象はまさにそのような秘密に類する情報です。本来、不特定多数は知り得ないもの。秘匿情報。そのような話は元々の性質として広く流布される必然性が低い筈です。何せ秘密なのですから。

逆に言えば、秘匿性が高いはずの情報が広く流布されるという事は、その時点で虚偽の可能性が非常に高いと言えるのです。しかし、実際にはデマとして成立しています。これは、まさにその秘匿性によるものだと思われます。その理由は以下の通りです。

デマが成立するために必須の条件として、その非真実性が(一目瞭然レベルで)証明されない、という点がある事に異論はないでしょう。一般人が前提情報なしに一見して嘘と断定出来ない、という事です。そうでなければ、そもそも殆ど真に受ける人が生じず、流布されないでしょう。その意味で必須の性質と言うべきものです。

秘匿性の高い(筈の)情報は、この点に合致します。

この種の秘匿情報に関するデマは、およそ完全なでっちあげにならざるを得ません。通常デマを流す側は実際に情報に接する当事者ではない以上、真実を知っている筈がないのですから当然です。しかし、完全な嘘であっても、その判定に必要な、対立命題であるところの真実自体が秘匿されているが故に、その虚偽性が明白には否定され難いのです。

さらに、真実の流布による否定を考慮する必要がなく、その内容全てを創作できる、つまりでっちあげられるという事は、デマの内容を流布者が何らの制約も受けず自由に調整出来るという事であり、すなわち内部的な矛盾をあらかじめ解消出来るという事でもあります。

それによりデマ自体の内容のみによるその真偽の判定が困難あるいは不可能になる。すなわち、その真偽の判別には、デマ以外の情報による整合性等の検証が必要になるわけです。それには多かれ少なかれ一般教養的な知識が必要になるし、手間もかかる。その種の知的活動に慣れた人なら息を吸うようにこなせるそれらも、一般の人にとってそのハードルは決して低くはない事もあるでしょう。こうして、デマはその完全な虚偽性の隠蔽に成功するのです。検証さえされなければそれらしく聞こえる話を、真実だと錯覚してくれる、騙されてくれる人が大勢いるのですね。

というわけで、秘匿情報を称するデマの内容は、必然的にでっちあげ、すなわち架空のものになるわけですが、無論架空のものなら何でもいいわけではありません。例えば神や宇宙人など、現実味が全く無いものを持ち出しても、流石にそれを広く信じてもらえる可能性は低いでしょう。(ゼロではないにせよ。)

ここに陰謀論が嵌まり込みます。必ずしも友好的とは言えない外国、上位官僚のような権力を持った組織、独自の価値観を持つ宗教団体、主義主張傾向の類似する個人の集団など、その陰謀を実行する動機と能力を持っていると設定し得る、しかし実際には存在せず、それでいて即座に否定されづらい程度にその確認が困難な、すなわち秘匿情報と同じ性質を持つような主体。デマの内容と矛盾しないように選ばれたそれは、デマの主題と調和し、内部的な整合性をもたらし、それがデマの自己完結的な真実味を強めるのです。

それらの架空の勢力の意図は、理論的には何でも良い筈ですが、ほとんどの場合は社会的な悪事が設定され、必然的に勢力の性質は社会悪的な属性を帯びる事になります。理由は色々考えられますが、端的に言えばこそこそと公の耳目から隠れて行われる活動である以上、その方が動機として自然で、人々に受け入れられやすいという事なのでしょう。後ろめたくないのなら公然と活動している筈だ、秘密にしているのは悪事だからだ、という理屈なんでしょうね。(空論と評する他ないような稚拙な理屈ですが。)

知られざる架空の勢力が企む架空の悪事。あらゆる面で嘘しかないけれど、嘘同士が整合している、ただそれだけの理由で真実味が出る。その意味で、陰謀論ほどデマの対象として都合がいいものもないのでしょう。これを隠された真実、等と称して流せば、そのように受け取ってもらえるというわけです。

さて。かくしてデマは生み出されて広まり、流布者は多数の信者を獲得して、サイトは広告収入で潤い、承認欲求は満たされ、愉快犯は流される人々を見て笑い、各々の経済的、政治的な目的も達成されるだろうわけですが。それらが不当な利益であるという点は別にしても、それら利益を遥かに超える損害、悪影響も生じます。

元より、デマを信じる事自体は個々人の内心に留まる限りは各人の自由です。ですが、実際には内心に留まらず、しばしば行動となって周囲・社会に直接的な影響を及ぼします。何せデマの多くが陰謀すなわち悪事に関するものなのですから、それに対する反応は反発的になり、必然的に攻撃性をも帯びやすくなります。正義の戦士になるとかいうやつですね。そしてその自己正当化された正義感に基づく行動は、誹謗中傷や謂れのない非難、諸々の妨害行為、時には暴力等という形を取り、直接間接に無関係な人が不当な被害を被ってしまうわけです。勝手に悪の組織認定された向きも含めて。

そのような事態は当然ながら許される事ではありません。多くの場合は刑法上の犯罪にも該当します。しかしながら、デマにより影響を受ける人はあまりに膨大であり、当然被害者も多数かつその実害の態様も多岐に渡り、事態の変化の速度も極めて速い事もあって、司法上の対処は極めて困難です。そのため被害を被る側にはそれを予防ないし防止する術がなく、少なくともそのデマが流布している間は、その被害を甘受せざるを得ない状況が続く事になる、というのが現状です。事後の対処にしても、かろうじて直接的な被害のあった場合に、その内の少数につき発信元の開示からの民事訴訟等の手続等を取り得る程度ですね。殆どの場合、損害賠償の請求すら困難です。

デマに流されている人にはその自覚はなく、根拠も整合性もない陰謀論を信じ込んでしまい、陰謀を企み不正を行う敵勢力と戦っているつもりなのであって、それを否定する言説はそれがどのようなものであれ陰謀の一環と捉えて拒絶してしまう状態なのです。要するに聞く耳を持たない。敵と看做されたが最後なのですから、被害者側からはどうしようもありません。

それどころか、デマを信じる彼ら彼女らは、内容の如何によらず、その事について批判を受けるとそれに反発します。その際、自分達は根拠もなくデマを信じ込んでいるにも関わらず、しばしば批判の根拠となる具体的な証拠の提示を求め、その一方で全く証拠性も信頼性もない動画等を根拠と称して自己の正当性を主張します。その動画の情報はなぜ信用出来るのか、少しでも自身の認識の実情とその根拠を省みて検証すればそこに何ら証拠性がない事は明らかなのにも関わらずです。

しかも、彼ら彼女らは、相互にデマを補強し合いさえします。私だけじゃない、仲間は大勢いるじゃないか、というわけです。そのような状態の彼ら彼女らに、客観性というものは存在しません。説得力もありません。自分の、自分たちの信じたい事、信じている事が真実であり、それに反するものは全て間違いなのだと。程度の差こそあれ、そのような状態になっています。周囲に同意や共感を求め、敵を排除し、団結を強める事もある、という事です。

ここに至って、デマを一種のカルト、すなわち宗教と同一視する事が正当化し得るわけです。宗教の一般的な概念になぞらえれば、デマは教義、ないしは神託であり、それを流した者は伝道者であり、そこに記された悪事を行う者は忌むべき悪魔であり敵、自身は神託に導かれた敬虔なる下僕。そのように表現できるでしょうか。

しかし、この宗教には、決定的に欠けているものがあります。神です。一体彼ら彼女らにとっての神は誰で、一体何処にいるのでしょうか? 

流布者ではないでしょう。流布者はあくまでデマすなわち教えを伝える役割を担っているに過ぎません。陰謀論?それも違います。彼ら彼女ら自身は陰謀論自体を認識すらしていません。では自分たち自身が神か?そうだとすればその精神は破綻していると言わざるを得ませんが、あるいはそうなのかもしれません。社会的な正義という抽象的な概念を神格化し、自らをそれに与する者ないし体現者としてその行いを正当化する。そういう見方も可能かもしれません。

眼前に晒された悪に対し、自ら正義の鉄槌を下すもの。その行いは純然たる私刑であり、法治国家にあっては違法行為に他なりません。それを公然と行い得る権限を持つのは法の授権を受けた司法機関のみであり、私人に過ぎない一般人にその権利はない。にも関わらず私刑に及ぶのであれば、そこには法を超える根拠が必要になります。

彼ら彼女らは、無意識の内に、自らを、法の上位にあるもの、すなわち神に等しいものと位置付け、正当化しているのではないでしょうか。自分が正義、すなわち法であり、個別の事件につきその正当性を担保するのがデマだというわけです。無論、そのような文字通りの狂人染みた思想を持っているというわけではないでしょうが、多少なりと類似した性質の論理に基づいて行動しているのではないかと思われるのです。

かくして、人はデマに流される。デマがその目的を達した後も、一度発生したその流れは止まらず、人々は流され続ける。一つのデマが終わろうが終わるまいが、毎日のようにデマは発生し続け、その度にまた流される。時にそれは濁流となって無関係な、何の罪もない人々を飲み込んで傷つけ、溺死させ、その生活を破壊する。流された者は戻らず、破壊されたものが修復される事も、償われる事もない。時に流れは合流してその勢力を拡大し、土地を汚染し、あるいはそこに住む人もろとも水没させる。残されるものは何もない。

常識も倫理も論理さえもデマに飲み込まれる、そんな社会でいいのでしょうか。いいわけはない。だけれど、止められない。デマの沼、いや濁流に飲み込まれゆく社会を前に、傍観者として無力感と絶望感を抱く日々なのです。

11/14/2024

[pol] インフレに翻弄される米国、その先に待つもの

米国の選挙が(ほぼ)終わりました。共和党の完勝という形で。

要因はもちろん多岐に渡りますが、本質的には激しいインフレに伴う一般市民の生活苦に起因する民主党政権への不信任によるものと思われます。

現大統領Joe Bidenはインフレにはほとんど無力だった上に認知症による醜態を晒して失望を深め、その後継として擁立されたKamala Harrisもその主張が理念優先で具体性に欠け、実生活の改善を期待し得るものではなかった事で、今まさに生活に苦しんでいる層から決定的に見放される事になったのでしょう。

また、大統領選では通常は現職が知名度で勝り、実績をアピール出来る分有利なところ、知名度は圧倒的にTrumpの方が有利であり、現職の副大統領であるHarrisは、やろうと思えば今すぐ政策を実行出来る立場にありながら何もしようとしない、従って実績は皆無な上に期待も出来ない、との評価を覆す事が出来ず、むしろTrumpの方が有利な状況でした。

結果、その母体である民主党もろとも不信任を突き付けられた、とそれだけの事なのだろうと思われます。インフレ下では現政権は負ける、というセオリーに従った、至極当然の結果と言ってよいのでしょう。

それで、要するにインフレを何とかしろとの米国民の意思を受けてTrumpと共和党は次期政権を担うことになるわけなのですが。。。正直言って、彼ら彼女らが、それが果たせると本気で考えている人はどれくらいいるんでしょう。

周知の通り、米国の物価は、ここ数年で2倍3倍と急激に上昇しています。ただでさえ自由経済下での物価の制御というのは困難極まりない話ですし、一度インフレしたものを元に戻すのはとりわけ困難というか、ほとんど不可能なのです。それも今のような状況を修正するなど、どうすればそんな事が出来るのか、想像するのも難しい。

そもそもの話、Trumpと共和党はインフレ対策についてはほとんど何もコミットしていません。明言しているのは、移民の排斥と関税を増やす事だけです。それらは(安価な)人的リソースの減少並びに輸入品価格の上昇を招き、インフレを加速させる方向にしか作用しないでしょう。

また、Elon MuskがTrump支援者の代表のような立ち位置にいますが、彼は常にTesla株をはじめとした(自己の有する)各種資産の評価額の上昇を図り続けるバブルの申し子であり、すなわちインフレを主導する立場の人間です。今回のTrump支援も、(EVバブルの終了で陰りが見え始めていた)保有資産の価値を維持する事がその主たる目的の一つだったと見て間違いないでしょう。そんな彼が政権の中枢にいて、インフレの抑制が図られるわけがありません。

結局のところ、インフレに苦しむ一般市民が、その苦しみから現政権に失望して不信任を出したわけなのですが、反射的に信任を受け、次の政権を担う事になった共和党とTrumpは、インフレを修正するどころか、さらに悪化させるだろうとしか考えられないのですね。

そして、その想像が現実になった時、当然に再び政権に失望するだろう多くの米国民は、次は一体どうするのでしょうか。また今回と同じように共和党に不信任を突きつけ、漫然と民主党政権に回帰するのでしょうか。それとも、誰にもどうする事も出来ないという現実に絶望し、もはや期待する事すらしなくなってしまうのでしょうか。

いずれにせよ、大した違いはないのかもしれません。結局のところ、人々の抱える苦しみを取り除く事は誰にも出来ないという事なのですから。そして、その苦難が厳しさを増す一方で、苦難とは無縁の、圧倒的少数派の資産家達はその富を膨張させ続けるのです。自由の国アメリカ、その名の下に。

[pol] Old man leaves. Who comes next?

10/28/2024

[pol] 混迷の時代を迎えるにあたって

2024衆議院選挙が終わりました。結果は事前の予想通り、自民公明の与党の過半数割れです。

しかしこれは政権交代を必ずしも意味しません。とりわけ維新と国民民主の2党は立民や他の野党と様々な面で対立しており、連立政権の構築・運営には相当な困難が見込まれます。一方で、自民政権が続くとも言えません。今回の選挙の主たる性質、すなわち与党への不信任の結果として議席を得た野党各党が、その有権者の意思に明らかに反するだろう自民との連立を許容するわけにはいかないでしょうから。

と言っても、自公と立民の協力はおよそあり得ない以上、結局のところ基本的には二択です。自公+野党の一部の連立か、立民軸の全野党連立か。いずれにせよその成立は容易ではなく、仮に成立したとしても極めて不安定なものになるでしょう。離合集散が頻発する可能性は極めて高く、従来はよく起こったところの自公共以外からの一部議員の離党からの自民への合流での決着が今回は経緯的に困難な事も相俟って、相当の期間に渡って混迷が続くだろうと予想されています。

が、従来の与党、自公政権に明確に不信任が示されたのですから、それも致し方なしです。米英のような歴史に裏打ちされた政権交代の仕組みを育ててこなかった日本においては、政権の不信任に混乱や機能不全が伴う事は避け得ない、それは自明という他ないのです。

もっとも、それは必ずしも悪い事ではありません。おそらくは個々の議題毎に各々が是々非々で臨む事になるのではないかと思われますが、そうだとしたらそれはある意味、国会が本来の意味で機能するという事でもありますから。言うまでもなく大変な仕事ですが、国会議員には、その職責に耐えうる人を全国民の代表として選んでいる、筈です。少なくとも建前上は。高齢だから困難だとか、世襲だから能力が足りない等という言い訳は通用しません。もちろん経験不足とかいう泣き言も論外です。

当然ながら、内閣も作らねばなりません。首相は誰にするのか、大臣はどこからどう選ぶのか。政策はどう作るのか。野党がとりあえず一度は諸々飲み込んで連立するとして、即内部対立から不信任で再び解散、などという不毛な事態を暫くの間でも避ける事は出来るのか。首相公選制ならその心配の大部分は無用だったはずなのですが、日本がそれを承知で議院内閣制を採っている以上はどうにもなりません。制度の枠組み内で最善を追求する他ないのです。

ともあれ、今回選出された議員諸氏には、徒に感情や建前に固執する事なく、各々の課題・問題・議題に応じて、対話をもって譲るべき所は譲り合い、現実的で合理的な落とし所を見出すという議会と議員の本来的かつ基本的な仕事を粘り強く遂行される事を願います。

その結果、何も決まらない、行政の運営にも難儀する、というのであれば、それはそれで仕方ない事なのだろうと思うのです。その困難から逃げ続け、漫然と自公に政権を委ね続けた結果が今なのであって、その悲惨な帰結に直面し、国民として拒否の意思を示した以上は、どんなに苦しくとも立ち向かうべきなのだろうと思うのです。この先にどんな挫折や後悔があろうとも、あるべき姿を求めて努力を続ける、後戻りだけはしない、そういう強い意思を、議員ひいては日本国民が備える事を願うのです。斜陽の国、日本の先行きに幸いのあらんことを。

[pol] 国政を放棄した自民党、虚しく醜い内ゲバ選挙

10/15/2024

[pol] 国政を放棄した自民党、虚しく醜い内ゲバ選挙

衆議院が解散され、選挙が告示されました。

建前上は国民に信を問うなどと言ってはいますが、実質的に自民党内の勢力争いが主要因・主目的である事は明らかです。要するに、裏金関連での数々の犯罪行為の責任転嫁&切り捨てを兼ねた内ゲバあるいは粛清の手段として衆院選を利用しようとしているわけです。かつてこんな醜くも虚しい選挙があったでしょうか。無論選挙区単位なら幾度となくありましたが、主要な派閥単位、すなわち全国的にというのは記憶にありません。

言語道断という他はありませんね。そんな自民党内部の事情を国会に持ち込み、立法府としての責務を放棄するのみならず、数百億は下らないだろう選挙費用を浪費し、国民に負担を強いようというのですから。自民党議員に国会議員としての資格はなく、また自民党に政権与党以前に国政政党としての資格すらないものと断ぜざるを得ません。

率直に言って不快です。その存在ごと、この世から消えてくれませんかね。

10/02/2024

[pc] Ubuntu22.04LTS->24.04.1のアップグレードが途中で落ちて再インストールの憂き目

色々酷い24.04LTSですが。またしてもトラブルに遭遇してしまいました。

何かというと、22.04LTSからのアップグレード失敗です。サブPCのアップグレードをしようとしたら失敗してしまったのです。

当該PCは、十年以上前からサーバー兼作業用として使用していたものですが、流石に古くなったので時折以前の環境を確認するためのサブとして保守しているだけのものでした。なので、現在はサポートされていない古いバージョンのアプリや、既に存在しないサードパーティのリポジトリから取得したパッケージ等も色々残っていました。どうもそれが24.04.1のアップグレーダーのバグに引っかかったらしいのです。

きっかけになったパッケージは古いpostgresqlです。具体的には、update-manager実行時に、

"アップグレード作業を見積もれません。アップグレードの計算中に解決できない問題が発生しました。postgresql-9.3は削除対象としてマークされていますが、削除拒否リストに含まれています。"

というメッセージが出て、アップグレードが進まなくなったのです。で、当該パッケージ(postgresql-9.3)を削除して再試行すると、今度はpostgresql-9.5で同様のメッセージが出て止まります。

そして、postgresql-9.5を削除して再実行すると、今度はupdate-managerが(エラーメッセージを出すこともなく)クラッシュしたのですね。

で、その後にupdate-managerを起動してみると、リポジトリ等は既に24.04.1用に切り替わっていて、多数のパッケージがアップデート(アップグレードではなく)の対象になっている旨が表示されます。つまり、アップグレードプロセスが中途半端に進んだ状態で、パッケージの更新等が行われる前にぶっ壊れてしまったというわけです。システム上は24.04.1になってしまっているので、アップグレードをやり直すことも出来ません。

しかも迂闊な事に、当該システムのバックアップは取っていなかったのです。滅多に使うこともないサブPCのアップデート作業にそんな手間をかける気にならなかったからなのですが、甘かったと反省せざるを得ません。無念です。

これはもうaptの修復等でどうにかなるレベルではないと判断し、諦めて別のシステム用ストレージを用意して、クリーンインストールのち必要な部分を手動でコピー&再構築する羽目になってしまったのです。あーあ。

もっとも、既にほぼ使用していないPCではあったので、流石にもういらないだろうという所も多く、再構築にはさほどの時間や手間がかかったわけではないのですが、完全に徒労でしかないという事もあって、精神的にはこの上なく疲弊しました。

無理やりポジティブに考えるなら、LTS版間のアップグレードですら古いパッケージやリポジトリ類が不整合を起こすようなら、仮にアップグレードが成功していても早晩同様の問題が発生してクリーンインストールをする羽目にはなっていた可能性は高いだろうし、いい機会だったと思うべきなのかもしれませんね。皆様もお気をつけ下さい。あるいはお覚悟を?

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース 

[pc] Ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴うDNS周りの障害について

9/20/2024

[pc] Ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴うDNS周りの障害について

 色々、そう色々ありましたが、実施してきました。22.04LTSから24.04LTSへのアップグレード。それもserver版です。正確には24.04.1へのアップグレードですが。

致命的バグが発覚したために一旦取り下げになっていた24.04.1へのアップグレードパスですが、それほど時間を置く事もなく再開されました。ので、ストレージをまるごとバックアップしていざ実行。普通にdo-release-upgradeです。

結果は一応成功。しかし当然のように問題がいくつも発生しました。以下にその中でもひどかったものを2点抜粋します。いずれもDNS関連です。

1.  ローカルホストの名前解決に失敗

 これは意味がわからないかもしれません。私も意味がわかりません。具体的には、アップグレード後に、sudo等の、おそらくはホスト内の特定プロセスにアクセスする際にローカルホストのIPにアクセスする類の操作の際に、遅延が生じ、ローカルホストの名前解決に失敗した旨のエラーを吐くようになったのです。その結果、各コマンドの実行の度に何十秒から遅延するので、まともに作業が出来ません。改めて書いても意味がわかりません。何で・・・?

 まあ、バグに理由を求めても仕方ありません。解決方法は簡単です。/etc/hostnameと/etc/hostsを修正するだけです。

/etc/hostnameの方は、私の環境ではなぜかホスト名の前に謎の文字列が数文字追加されていました。余計な文字列を削除してホスト名だけに。

 それでも解決しなかったので、/etc/hostsの、localhostが記載されているところ(127.0.0.1と::1のところ)にローカルホスト名を挿入しました。これで解決。

 しかし何なんでしょうね。ホスト名の名前解決のルーチンにバグが入ったっぽいですけど、何でそんな事になるんだろう。

2. DNSの機能不全

 こちらはだいぶ深刻です。全ての名前解決に失敗するようになったのです。アップグレード直後は問題なかったのですが、そこから一度アップデート->再起動をしたらその後から発生するようになりました。もはや何も出来ません。推測される原因は、24.04LTSではDNS関連はsystemd-resolvedに移行しているのですが、その辺のアップグレード(もしくはコンポーネントそのもの)に不具合がある、という事なのだろうと思うのですが。

 なお、先にアップグレードしたクライアントPCでは同様の問題は生じていません。ここから考えられる事としては、クライアントPCではネットワークインターフェースはイーサネット1つのみですが、当該サーバーでは複数のネットワークインターフェースを有しているのでその辺りが原因じゃないかと推測されます。

 補足すると、今回採用されたsystemd-resolvedでは、複数のネットワークインターフェースがあってそれぞれdhcp等で別のDNSが割り当てられる場合、デフォルトで各々のDNSを参照するようになっているのですが、そのルーティング等が上手く動作していないんじゃないかと。また、この他にGLOBALのDNSサーバも設定できるようになっています。チェックしてみたところ、GLOBALも含めいずれのDNSサーバーも有効な状態でした。にも関わらず名前解決は失敗するのです。わけがわかりません。が、考えてもどうにもなりません。何なんでしょうね。

 解決方法は、本来的にはsystemd-resolvedの設定修正等で解決するのが正攻法だと思うのですが、そのやり方は色々試したものの今の所成功していません。ので、差し当たり従来のresolv.confに戻しています。手順は簡単ですが、一応記載しておきます。以下の通り。

2-1. /etc/resolv.confの書き換え

 /etc/resolv.confは、24.04のバージョンではシンボリックリンクになっています。ので、リンク先を別のファイルに変更します。例えばresolv.tmpfix.confというファイルにするなら、

 $ sudo ln -sf /etc/resolv.tmpfix.conf /etc/resolv.conf

等とした上で、/etc/resolv.conf(/etc/resolv.tmpfix.conf)に従来の通りにDNSサーバーを書き込みます。

 例: nameserver 8.8.8.8 nameserver 1.1.1.1

 ※上記は、cloudflare提供のDNSサーバー(8.8.8.8,1.1.1.1)を設定する場合

 普通は各々適切なDNSがあるでしょうからそれを設定します。

そしてDNSを再起動。(別にしなくてもいいかもしれません。念の為)

 $ sudo systemctl restart systemd-resolved.service 

これで一時的にDNSが復旧します。

なお、DNSが設定されているかどうかを確認するには、下記コマンドを使います。

 $ resolvectl status

他にも色々問題はありますが、とりあえず大きなものはこの辺り。お疲れ様でした。

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

<追記>

さらに別のPCでひどい目に。

[pc] Ubuntu22.04LTS->24.04.1のアップグレードが途中で落ちた 

9/06/2024

[note] 不相応は不幸の元

だと思うのです。

何かというと、秋篠宮悠仁親王の進学先についてなんですけれども。東大にAOで推薦入学するつもりとかいうアレです。

筑駒にほとんど裏口同然で入学し、さらに東大にAO枠で推薦入学する。真偽は定かではありませんが、それが本当なら、事実として学力面の客観的評価抜きで入学する事になるわけです。

勿論、皇室特権云々の面からの非難も免れませんし、それはそれで相当な問題ですが、それ以前の問題として、そんな無理して東大に入ったとしても、純粋な能力が追いついていなければ、ついていけないんじゃないでしょうか。

というのも、このクラスの、純然たる学力面でのトップクラス層というのは、タイプは様々ですが、皆一様に頭がいい人ばかりです。理解力は抜群で、かつ頭の回転は早く、いわゆる一を聞いて十を知る、を当たり前に出来るし、その上学ぶ事について貪欲です。要するに、才能があって、努力も出来る。そんな人ばかりです。

そして、東大や京大のようなトップクラスの大学というのは、基本的に各分野での次世代を担う研究者や開発者の卵が集う場所です。特に理系はそうです。

勿論、東大卒、京大卒という肩書に一定の価値があるのは事実ですし、その取得を目的とする人がいないわけではないでしょうけれども、それはあくまで結果に過ぎません。学問を追求し、最先端の研究開発を担い得るレベルまで到達するというのは、言うまでもなく特別な事です。相応の、特別な能力を備えた人が、さらにその人生を捧げる程の努力をして初めて成し得るのです。そこまでしてもなお夢破れる事も当然にありますが、その逆はない。そのプロセスなしに結果だけを求めて得られるような甘いものではないのです。

高校での勉強、また大学入試というのは、その常人では到底ついていけないだろう大学での制限・制約の一切ない難解かつ膨大な勉学、またその後の研究開発等の仕事を成し得るだけの素養、知的能力面の前提を備える人を選別しているに過ぎません。実際、筑駒の生徒レベルであれば、大学入学は目標ではなく、その先にある本当の目標を目指すための、ただの通過点と捉える子が殆どでしょう。 

筑駒等の最上位の進学校は、そういう、実体を備えた文字通りの知的エリートを目指す、才能も意欲もある学生達が集い、各々の目指す未来に向けて競い合って勉学に励み、元より非凡な能力をさらに高め合う場所です。そのような環境にあって、その目指す所を考えれば、大学入試など乗り越えて当然のものな筈です。

実際、入試の問題には大学以降では知っていて当然の基礎的な内容しか出題されません。それも、高校までの学習内容を元に解けるように調整されています。その大学に入るなら、それが解けるようでなければいけない、その基準を示すものです。

にも関わらず、その受験そのものを回避しようとする事自体、適正がない事の証明でしょう。必要な水準に達していれば解けるように調整された入試問題を解く事すら出来ないのに、どうしてその後の、入試とは比較にもならない、大学以降での高度かつ果てしない勉学や研究活動をこなしていけると言うのでしょうか。

どの分野でもそうですが、能力の差、適正の有無というのは残酷です。人は平等ではない、その事を厳然たる事実として現実に突き付けられるからです。とりわけ、誰もが子供の頃から最低限は平等に機会が与えられ、そこで他者との比較を余儀なくされる学力の差は最も残酷なものと言えるでしょう。

どうにかしようとしても、どうにもならない。不可能。その最たるものが、個々人の知的能力の差というものです。秋篠宮悠仁親王の進学先とその方法を巡る一連の問題は、結局のところ、その残酷な事実を受け入れられない周囲がなまじ(事実上の)権力を持っているがために、その政治的権力によってその絶望的な格差の壁を回避させようとして起こった悲劇、という事のように思われるのです。

そんな無理をしても、誰にとってもいい事はありません。無論、本人にとっても。

想像してみればいいでしょう。分不相応な期待、立場を押し付けられ、最上位の進学校に放り込まれて出来る筈のないレベルの学問をこなす事を求められる。当然出来ない。しかし周囲は当たり前に出来る。同級生とは理解し合えず、その立場も相俟って腫れ物扱い。同情する者もいれば、軽蔑する者もいる。いずれにせよ互いに尊敬し合うような対等な関係は望むべくもない。もちろん、陰口は数え切れず。推薦入試関係では、そのあまりの不平等・不公正から憎悪の対象にすらなっているかもしれません。

地獄です。しかも、その格差は先に進めば進む程広がっていき、最終的に研究者等になれば、各人の生み出す結果が全てになるのです。皆が同じ道を歩んでいるように見える高校位なら、裸の王様のように気づかずにいられるかもしれませんが、各人で道の分かれる大学以降ではそれも不可能です。いつまでも一人、皆が遥か以前に乗り越えた壁の前で取り残されるだけになるでしょう。

そして残るのは、権力の濫用によって不正に手に入れたと評価されるだろう学歴だけです。それは名誉とはなり得ず、むしろ拭い難い汚点として認識されるでしょう。憲法の改正がない限り、将来の天皇、日本の象徴となるだろう人がです。立場上、忘れてもらう事さえ出来ません。

もっとも、そういうあれこれが全て外野の妄想で、実際には十分な能力があり、一般入試を受験して普通に合格する、というなら何の問題もないわけですけれども。その場合は、全て杞憂だったという事になります。残念ながらその可能性は極めて小さいでしょうけれども。もしそうなら、今のような状況にはそもそもなっていなかったでしょうから。

何事も、分相応にして、無理はしない事です。権力はそんな常識も歪めてしまうのだという事を突き付ける一件だと言えるでしょう。少なくとも周囲は目を覚ますべきですね。

9/05/2024

[note] 長く続けたソシャゲを見限った

※ 本項は、純然たる私的な話題です。

ふと気まぐれに始めてから6年以上。結構長いこと続けていたソシャゲに、先日とうとう見切りをつけた。

理由は色々とあるが、詳細は改めて書く程の事でもない。要するに飽きたという事だろう。多分。

思い返せば、始めた時もなんとなくだった。当時、既にギャンブル顔負けに数多の中毒者を出し、社会問題にもなっていたそのソシャゲの仕組みにふと興味が湧いた、それだけだった。

それから、当初抱いた興味は早々に満たされたのだが、周囲の狂騒はまだ続いていた頃の事、まだ何か先があるかも、と若干の期待を抱いてしまったのが運の尽き。ずるずると、意外に長い間付き合いを続けてしまった。費やした金銭は年当たり数千円、総計でも2万かそこらと中毒には程遠いが、時間については一日当たりはわずかでも塵も積もれば、でそれなりに使った。自然、多少なりと愛着も湧いていた筈だが、夢中とまではいかなかったと思う。

それで、先日とうとう、その残っていた僅かな期待も綺麗に解消された、というわけだ。

終わりは本当に唐突だった。ああ、もういいや。そう思って、最新の、公開されたばかりのメインストーリーのテキストを読まずにスキップした、その瞬間だった。

それまで、どれだけ使いまわしやパクリ、身内の悪ふざけ的な駄文に満ちた、読む意味が無い事が明らかな枝葉末節のテキストでも最低限流し読みでも目を通していた。なのに、最も読み甲斐がある筈のメインストーリーを飛ばした。

しかもそのストーリーのライターは、そのソシャゲの元になったIPの作者、いわゆる原作者というやつで、そのライターの書くメインストーリーは、当然ながらそのソシャゲのコア中のコア、一番の売りと言って然るべきものだった。他のプレイヤーからは、それを読まないなんて、何のためにこのゲームをやってるの?と言われるに違いないものだ。

にも関わらず、それをスキップした後に、しまったとかいう後悔や、プレイヤーとしての義務に背いた罪悪感といった類の感情が一切湧いてこなかったのだ。もちろん読み返す気など欠片も起きない。それを自覚した時に、ああ、終わったんだと、そう悟った。だから辞めた。

元より、ソシャゲは所詮ゲームだ。やる義務はなく、やる事によって得られる利益の類もない。それどころかやる意味もない。むしろ、世間一般の常識的な向きからは、変人や変態、異常者の類として見られる事もしばしばだ。辞める事で得られるメリットはあっても、デメリットはない。少なくとも対外的には。

だから、喪失感の類は全くない。失望感もない。恋が冷めたというのとも違う。ただなんとなく繰り返していた習慣を、やらなくなった。それだけだ。

ついでに言えば、解放感もない。それで空いた時間は、既に他の作業等で埋まっているからだろう。それに何の違和感もない。ソシャゲなんて最初から無かったかのようだ。

なるほど、本当の終わりというのは、こういうものなのだろうか。結局のところ、その体験だけが、そのソシャゲを長い間プレイし、自然と辞めるに至った事で得られた経験、その中で唯一特別なものと言えるのかもしれない。 それに何の意味があるのかはわからないけれど。

8/31/2024

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

ついにこの日がやって来てしまいました。当初予定の2週間遅れです。 

LTS版にも関わらず、バグまみれのβ版同然の状態でリリースされてしまった24.04。案の定というか、頻繁に固まるだの、アップグレードに失敗するだの、音が出ないだのと、大量の致命的な不具合の報告が溢れていて、安定的な動作を望む一般ユーザとしてはとても手を出せる状態ではありませんでした。

通常はリリース後に発覚したバグを修正した安定版としてリリースされる.1版ですら、アップグレード時の致命的な不具合が残っているとしてリリースが延期される始末で、ユーザとしては殆ど恐怖を感じる状況でしたが、なんとか24.04.1の再延期は免れました。そして運命の時がやって来たのです。

リリース後に一日様子を見たところでは、明らかに致命的な問題は生じていない様子。あくまで修正版なのだし、それは当たり前でしょうけれども、とりあえず一安心。

とはいえ、流石にいきなりサーバー(22.04LTS)に適用するのは怖すぎます。幸いというか、クライアント利用が中心の作業用PCはLTS以外もアップグレード適用してきていて現在は23.10。23.10は既にサポートは切れているので嫌が応にもアップグレードするしかありません。というわけで、こちらのアップグレードを恐る恐る適用してみた次第です。

結論から言えば、成功しました。

ただ、アップグレードインストーラの挙動は怪しいところがあり、実際に致命的ではないものの問題も発生しました。以下にそれをいくつか。

手順はいつもの通り、update-managerからアップグレードを選択しました。概ねいつもと同じような挙動なのですが、途中で2点、終了時に1点割とシャレにならない問題が発生。

問題1.  一部パッケージのインストールに失敗

 そのまんまです。thunderbirdパッケージがインストール前のsubprocessでエラーが出て、インストールできない旨メッセージが出ました。"アップグレードを続けますが、パッケージが動かない状態にある可能性があります。この件に関してバグレポートを送信することを検討してください。"的なメッセージも出て、実際インストール完了後にはaptの修復等を行う必要も生じました。致命的なものではありませんが、肝は冷えましたね。24.04からthunderbirdもsnapに移行しているのですが、それ関係の不整合によるものでしょう。

 なお、aptの修復等は、

  $ sudo apt --fix-broken install 

 とかです。autoremoveなんかも、普通のアップデートコマンドをやればOK。

問題2. grubのインストール先設定要求

 これは厳密には問題とは言えないかもしれません。何かと言うと、これまでアップグレードではgrubのインストール先、すなわちプートローダ周りをどの記憶媒体に入れるかを聞かれる事はなく、単に従来の設定を踏襲するようになっていて、例外的にgrubのバージョン変更時に以前のバージョンを保持するか否かを聞かれる事がある程度でした。

 それが、PCに接続されている、grubを設定可能なHDDやSSDとそのパーティションを検出し、その内のどれにgrubを入れるかを選択するよう要求するようになっていたのです。具体的には、/dev/sda,/dev/sda3,/dev/sdbとかが表示されて、それぞれの横にあるチェックボックスをチェックする形ですね。

 当然、困惑させられたわけです。何だこれはと。こちらとしては特に変更するメリットもないし、従来通りにして欲しいだけです。わざわざ聞くという事はユーザーにとって意味がある話な筈なのですが、それが何なのかわかりません。なので、最初はどれにもチェックボックスを入れずに進めようとしたのですが、そうすると、"grubをインストールせずに進めますが、よろしいですか"的な警告が表示されたのです。これは最悪起動出来なくなるやばいやつだ、と理解したので、慌てて戻って従来grubを入れていた筈のドライブをチェックして進めました。結果としては別段問題はありませんでした。何だったんでしょう。

 なおチェックして進めた時、即時にgrubの設定をしているのか、数分間程度ダイアログが先に進まず固まります。これも心臓に悪いので表示をどうにかした方がいいと思います。

問題3. 終了時に、"インストールに失敗しました。"的な表示が出る

 これもまんまです。おそらくは問題1.のパッケージインストール失敗に起因するものだと思うのですが、そんな細かい事情は示されず、ただ失敗した旨だけが表示されます。そりゃもう血の気が引きましたね。ロールバックする旨も表示されましたし、アップグレード全体が失敗したとしか読めないものでしたから。しかし、実はこれは表示だけだった様で、実際にロールバック等が行われる事はなく、すぐにアップグレード完了の旨表示され、そのままインストーラは終了しました。

 ただ、途中終了の形にはなっていたのか、パッケージのクリーンアップ等は行われず、その後(再起動後)に手動でする必要がありました。結果的にはアップグレード自体は成功したと言って良い結果ではあります。ほんと一安心。この間の私の気持ちは、久しく感じた事がない程つらいものでした。勘弁してほしいです。

その他、ライブラリのバージョンが変わっていて自作プログラムの一部をリビルドする必要があったりはしましたが、基本的にビルトインのアプリケーション等には目立った不具合は見当たりません。日本語やビデオ・オーディオ周りも特に問題はありません。

というわけで、23.10からのアップグレードは致命的な問題はなく終了。結果だけ見れば拍子抜けとも言えなくもないですが、やってる最中はそんな事はわかりませんから、精神的には非常に消耗しました。サーバーについてはもっとシビアだし色々準備も必要なので、また後日。 というわけで、今回はこれでおしまい。お疲れ様でした。

[note] Ubuntu24.04LTSリリース、いつになくやばげ?

[note] Ubuntu24.04.1のリリースが延期、やはりヤバい模様

<追記>

やっぱり(22.04からの)アップグレードにはバグがあるようです。特にserverでのアップグレードに使うubuntu-release-upgraderにはcriticalなbugがある、との事で、現在24.04.1はLTSリリースから一時的に取り下げられており、通常のコマンドではアップグレード出来なくなっているとの事。

一応develop版としてなら24.04.1にアップグレードする事は出来るとの報告もありますが、いずれにせよサーバーへの適用は修正版のリリースを待った方が良さそうです。というわけで私の所もサーバーのアップグレードはペンディング。やれやれです。

Unable to upgrade from Ubuntu Server 22.04 to 24.04.1

Noble missing from meta-release-lts

<追記2>

22.04->24.04.1のアップグレードパスが復活したので、サーバーについてもアップグレードを実施しました。しかし問題だらけのようです。

[pc] ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴う障害について

8/15/2024

[note] Ubuntu24.04.1のリリースが延期、やはりヤバい模様

LTS版にも関わらず、基本部分の仕様変更に伴うリビルドが追いついておらず、デバッグも満足にされないままにリリースされ、当然にバグだらけでとてもアップグレードする気にはなれなかった24.04LTSですが。

そのあまりのヤバさから、22.04LTSからのアップグレードは一通りのfixが反映される24.04.1で実装される事とされていました。そして、その24.04.1のリリースは2024年8月19日に予定されていた・・・のですが、これが延期になったそうです。延期先は8月29日、10日間の延期ですね。

理由はインストーラの深刻なバグ等の修正のためとのこと。要するにまだデバッグが終わっていないというわけです。ひどい話ですね。そもそも、そのレベルの不具合というのは最初のリリースまでに解消されていなければならない筈です。少なくとも、LTS版である以上はそんなバグを残したままリリースしていいものではありません。

それが放置されたままリリースされ、あまつさえリリースから四ヶ月近く経っても修正できていない、というのは、もはやCanonicalのマネジメントは破綻していると言わざるを得ません。そんな体たらくで、あと2週間で完璧な状態になる等と、どうして信じられるでしょうか。

率直に言って、24.04.1が29日にリリースされたとして、依然としてバグまみれである可能性は極めて高いでしょう。少なくとも、リリース直後にアップグレードに踏み切る勇気は私にはありません。引き続きしばらく様子見ですかね。バックアップ用の記憶媒体等も調達して、移行の準備を進めていたのですが。。。

23.10のPCについても悩ましいです。サポート期限までにまともになるのでしょうか。

Ubuntu 24.04.1 point-release delayed until August 29 

[note] Ubuntu24.04LTSリリース、いつになくやばげ? 

※当初のリリース日が間違っていました。8/15ではなく8/19でした。

<追記>

24.04.1がリリースされました。が、アップグレードツールに深刻なバグがあるとの事で、一旦LTSリリースから取り下げられており、通常のupgradeコマンドでは(22.04LTSからの)アップグレードが出来なくなっています。困ったものです。

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

8/09/2024

[law] 検察官の違法取り調べにつき刑事裁判開始決定

画期的な決定が下されました。検察官がその職務上の言動に関して刑事事件の被告人となる裁判が行われる事になりました。

今回被告となるのは元特捜の、田渕大輔検察官です。容疑は、2019年に不動産会社社長の山岸忍氏に対する横領容疑の捜査に関し、共犯の容疑者として山岸氏の元部下を取り調べた際に、机を叩き、大声で恫喝する等の威圧的な言動を行った事が特別公務員暴行陵虐にあたる疑いがあるというものです。

山岸氏の容疑は2021年に地裁で無罪判決が下され、検察は控訴せず無罪が確定しています。これを受けて山岸氏は国家賠償請求訴訟を提起し、それに併せて検察官2名に対し証人威迫の容疑で刑事告発をしました。が、大阪地裁及び検察審査会で不起訴とされ、山岸氏がさらに大阪地裁へ付審判請求をしてこれも退けられ、さらに大阪高裁へ付審判請求をして、今回これがようやく認められたものです。山岸氏の執念の賜物と言えるでしょう。まだこれからが本番ですが、ひとまず山岸氏にはお疲れ様でした。

しかし、検察官は明らかに保護されすぎですね。問題となった当該検察官の言動については、当然ながら全て記録が残っています。つまり動かぬ証拠があるわけで、容疑も明確です。勿論刑事事件として起訴される為の要件は全て揃っている。にも関わらず、被害者がここまでしないと検察官を罪に問う、すなわち裁判にかけることすら出来ないというのは、制度上の欠陥と言わざるを得ません。山岸氏のように追求に労力を注ぎ込める人はそうはいないでしょうし、ほとんどの場合において、一般人に対する検察官の違法行為の追求はほとんど事実上不可能と言ってよいものなわけですから。

検察官の職務上の言動について、一般人のそれと同様に扱う事には難しい面もあるでしょう。容疑者は罪を逃れようとするものですから、その取り調べは基本的に容易ならざるものになり、それを乗り越えて犯罪者の罪を問うためには容疑者の心を折るような言動が効果的だろうし、それ以外に有効な手段がないという事もあり得るのでしょう。何より、有罪が立証出来なかった場合に、検察官がその職務の執行について容易に責任を問われるようでは検察官の職務の安定性が損なわれるだろう事も理解出来ます。

しかし、です。当然ながら、それは目的のためなら手段が正当化されるという事は意味しないのです。容疑者はあくまで容疑者であり、自ら罪を認めているので無い限り、取り調べ時点では犯罪者ではない一市民です。犯罪者同然に扱われる謂れはありません。それ以前に、犯罪者であっても人権は侵すべからざる権利です。冤罪の虞が大いに生じるような方法でなければ自白を引き出せないというのなら、それはもはや追求をあきらめる他ないのです。そもそも威迫によって引き出された自白や証言など、意味がないのですし。

その、司法に携わる者であれば当然にわきまえていなければならない筈の原則を忘れ、自分勝手な、独善的正義を優先して、絶対的に守られるべき人権を侵害する。そのような者にはもはや法の中でも最も公正かつ厳格たるべき刑事法の執行者たる検察官としての資格などありません。

そうは言っても、おそらく程度の差こそあれ、同様の違法な取り調べは他でも、というか至る所で横行しているんでしょうね。。。それは、検察組織が司法上の聖域となってしまっているという我が国の司法制度の構造上の問題であると言えるでしょう。この点は改善が必要です。すなわち、抑止力として、検察官と言えども法を犯せば罰せられるという、当たり前の仕組みが必要なのです。何人たりとも、法の上には立たないのです。裁判官も、検察官も。制度の改正が強く望まれるところですね。

8/05/2024

[biz] 令和のブラックマンデー記念。

はい。本格的にバブルが弾けたようです。すなわち本日、令和6年8月5日は最新のブラックマンデーに(多分)なりました。日本が世界の歴史に残る(かもしれない)よ、おめでとう!

というわけでブラックマンデーです。もっとも下落は先週末から始まっていたので、オリジナルのブラックマンデーと比較するのは適切ではないかもしれませんが、まあ株価・為替相場の変動幅が格段に大きい点で本日の方が決定的な感はありますから、間違いというわけでもないでしょう。

きっかけは、先週末の米国の雇用統計で失業率の大幅な悪化が出た事です。そこから当然のように米国株は下落し、元々予想されていた秋頃の利下げの見込みにつき確信を抱いた向きが大勢を占めた事からドル安が起こり、その直前に日銀による利上げ実施と今後の追加利上げ見通しの発表がなされていた事と相まって、ここ数年の円安と歩調を合わせて、主に日銀の投信の購入による公的資金と近々でのNISAの拡充による無知な一般人の資産をも吸い込んで膨張を続けていた国内株式市場及び為替市場のバブルが諸共に一気に弾けた、というわけですね。

日銀は投信の購入を既に縮小していましたから、買い支えがなく、また今後もない見通しである事も明らかであり、それが底が抜ける要因になった事も疑いようのないところでしょう。

何より、バブルはいつか弾けるもの。そしてその膨らみが大きければ大きいほど、弾けた時の反動は大きくなる、それが形になって現れたという事です。つまり、極めて合理的な結果という他はないわけです。

なのですが、取引関係者は当然に阿鼻叫喚です。とりわけ、信用取引をしていた、また今もしている向きはとんでもない地獄になっているでしょうね。ここまで変動が大きいと、買いも売りも読み切る事はほぼ不可能でしょうし、いわゆる落ちてくるナイフを掴んだ哀れな者も多かろうと思います。一時的に利益を出す幸運に恵まれた者もいるでしょうが、ここまで無茶苦茶な動きだと、何人たりとも参加し続ければいつかは破滅が避けられないでしょうし。常識的にはポジション解消のリスクオフ一択です。

一方で、取引云々は別にしても、単純に株価の大幅な下落は、当然ながらその権利者にとって金融資産の減少を意味します。株式を担保にした取引については、すべからく追加担保を求められるか、あるいは差し替えや清算を余儀なくされる事になるでしょうし、多くの企業が保有株式について評価損の処理を迫られます。

それは大手金融機関や日銀も例外ではありません。というか今や日銀がその影響を受ける筆頭です。日銀が購入した投信は大半がまだ含み益がある状態だとは思われますが、今後の下落の程度次第では、利上げで日銀が債務超過になる前に、株式の評価損で債務超過に陥りかねないわけです。本格的な利上げもこれからだというのに。一体日銀はどうなってしまうのでしょうか。まさか本当に破綻してしまうのでしょうか。日銀が公的資金のお世話になる、とか冗談みたいな話が本当になるのかもしれません。そんな資金をどこからどうやって持ってくるのかは知りませんが。

しかしまあ、見事に弾けたものです。馬鹿は死んでも治らないというか、バブル崩壊を経験しておきながら、再発を防ぐどころか目先の利益に見事に目が眩み、アベノミクス等と寝言を言ってバブルを膨らませる事に全力を尽くし続けた日本政府と日銀、それに全力で乗った金融界隈の面々、そしてそれに粛々と従った多くの日本国民、みんなほんとアホばかりです。それらの全てが自らの浅はかさと欲深さの報いを存分に受けるのかと思うと、清々しい思いがしますね。

とはいえ、諸々の市場に直接の関係を持たない第三者としては、馬鹿馬鹿しくも非情に興味深い一大事象ではあります。その行く末を、高みの見物的に観察させてもらうとしましょう。さしあたってはどこまで広がるのか、そこに注目ですかね。

7/22/2024

[pol] Old man leaves. Who comes next?

ようやく、です。Joe Bidenが次期大統領選からの撤退を表明しました。お疲れ様でした。

後継指名は当然に副大統領のKamala Harris。人気がない、Trumpには勝てない、と言われ続けて来た彼女ですが、そういったよくない評価は、そのBidenの影に控えるべき立場から来る制約によるところもあったでしょう。

選挙までさほど日数はありませんが、Harrisはこれから制約のない立場で、先頭に立って自由に言葉を発する事が出来るようになります。そこで、自らの、国民を導く指導者たる資質を証明できるならば、逆転の可能性は残されているでしょう。

そもそも、Trumpはあまりにも瑕疵にまみれた候補です。年齢もBidenと大差はなく、その主張に合理的な根拠はなく、社会に無用の争いや対立、また混乱を招き、自身も在職時から今まで収監されていないのが不思議な位の紛争を抱えてもいます。Trump自身の人気は健在ですが、多くの人にとって、未来を託す事の出来る、その期待を持てる候補ではない事も疑いようのない事実でしょう。

年老いた、過去の栄光に縋る老人を選ぶより、不確かでも未来を切り開く事を望む人は数多くいます。彼ら彼女らは、これまでの大統領選には殆ど絶望していたでしょう。長く続いた閉塞を打ち払い、人々の期待に応え、アメリカを、世界を導くに足る指導者としての姿が示される事を望みます。

もっとも、まだHarrisで確定したわけではありませんけどね。しかし誰が出るにしても同じ事です。 偉大なるアメリカに幸いあれ。

[pol] Joe Bidenに救いあれ