福島第一原発の事故に関して告訴された東京電力関係者及び当時の政府首脳42人について、全員不起訴の決定が東京地検より発表されました。
その理由は予測可能性が認められない、というもので、そこまで含めて事前予想、報道の通りの結果ではあるのですけれども、当然もしくは妥当の結論、というよりはむしろ不起訴にするとすればこれしかない、という極端に偏った構成に思われます。しかも本結論に至るにあたって家宅捜索すらしていないというのでは、検察には端から捜査も立件もする意志が全くなく、告訴団の不承諾も折り込んで、検察審査会に丸投げしたものと考えざるを得ません。それは責務放棄に他ならず、極めて残念な限りです。
本件容疑、すなわち津波対策懈怠の過失については、少なくともその有無に関してはほぼ議論の余地すらなく認められるし、その予測可能性も、試算はあった以上、不可能であったとまでは当然には言えないでしょう。過失性を阻却する理由には試算に現実味が無かった事が挙げられていますが、それが事実であれば、注意義務の程度も一般のそれとは全く異なる、極限までの高度性が要求されて当然な事業にあって、その漫然とした認識こそが最たる過失とも考えられます。どの点を取っても看過し難い疑義が認められるところ、一行政機関に過ぎない検察の裁量による免責が許されるべきものとは到底考えられません。
いや、行政機関だからこそのこの判断というべきなのかもしれません。事案の規模や相手の面子からすれば、面倒さ加減は恐ろしい程だし、今後の出世から生命の安全まで、色々危ぶまれる事も必至、その困難さを前にしては保身に走りたくなる気持ちも分からないではないところです。与党の幹事長からして東電の関係者ですしね。しかし、如何な困難があれ、この空前とも言える被害を前にしてのその安易な判断には、いくら何でもそれはないだろうと、強い呆れと軽蔑を禁じ得ないのです。
無様にも程があろうこの体たらく、ここ数年で信用が地に堕ちた検察組織としてはむしろらしいと言えなくもないとも思われますが、しかしそこから挽回しようとする姿勢の欠片も感じられないというのでは、もう検察制度、組織自体が不用とする見方もさらに強まるだろうし、保身に走ったつもりが逆に組織ごとリストラされました、とか裏目な先行きもありそうで、いやそれは別に構わない、むしろもうそうやって一度潰して作り直した方がいいんじゃないかとすら思う次第なのです。こんな事を考えさせられてしまう時点で、やはり実に残念な話なのですけれども、それも現実、致し方のないところなのでしょう。
ともあれ、検察への批判等は本件に関しては既に別の話、これから審査会、また多分に起訴相当の議決がなされた後に訴訟を担うだろう方々には、検察のように困難に屈する事無く、法の正義の実現に寄与されん事を願います。
福島第1原発事故:不起訴 検察異例の会見