9/20/2013

[biz] 中央リニア建設批判、その周囲に漂う無責任

東京オリンピック開催決定に伴い、開通前倒しを求める声が急噴出した中央リニア、それに伴いそもそも論的なリニア建設批判がオリンピック反対論とセットで展開される記事も散見されるこの頃。少し思う所などを。

かような批判については、当然というか殆ど反射的に激しい反発が起きて、理屈も何もあったものではない罵詈雑言が飛び交ってしまって見るに耐えないわけですが、それはさておき。

リニア批判の骨子は、要するに採算性と安全性、その2点に対して疑義があるというもので、それ自体はもっともな話というべきでしょう。つまり関空の二の舞的な先行きに対する危惧ですね。

まず採算性については、構造的に人口の大幅な減少、地方衰退が進む日本にあって、都市間移動の需要総量は増えるどころか減少する事が相当に予想され、しかもその需要を東海道新幹線と分け合う形になる以上、建設維持費を中心として固定費部分の売上に対する比率は大幅に上昇する可能性が非常に高いだろうわけで、絶対に失敗する、とまではいかずとも、かなり分の悪い賭けである事は否定出来ないように思われるところです。

次に安全性については、世界でも例の無い地下高速鉄道の長距離路線で、それも大規模地震の頻発する日本でのものとあって、建設から運用まで、あらゆる部分で技術面の膨大な不確実性があるわけで、そのリスクが極めて高いものである事に疑いを容れる余地は無いように思われます。リスクが高ければ、事前事後の両面でそれだけコストは跳ね上がりますから、只でさえ覚束ない採算性がさらに危うくなる影響も無視出来ません。

それでも一私企業の事業であれば、分の悪い博打を打つのも勝手ですが、仮に失敗した場合、流石にJRに倒産されるわけには行きませんから、実質的に政府、また国内経済がその損失を担保する事になります。それは容認出来ない、とするのが大半の批判の趣旨のように見えます。その理屈はステレオタイプなもので、概ね万人が理解出来るところでしょう。

しかし、これは全て今更の話です。そのようなリスクがある事は、少なくともJRは十分に認識していて、だからこそ速さに特化することで新需要の創出を目指し、かつ中間駅も乗降機能に特化する等設計も簡素化し、自治体の介入も排して、事業全体のコストとリスクの抑制も図っているのだろうわけで。今更それらの具体的な設計を全て無視して、大雑把なそもそも論のみによって批判を加えるのは、流石に無責任と言わざるを得ないように思われるのです。関係者からすれば、呆れつつ辟易としているところでしょう。

確かに時代は変わりました。東京オリンピックも、衰退期に入った日本の状況にあっては、前回のような成長効果を望むべくもないでしょう。新幹線とリニアを重ねて見たくなる気持ちもわからないではないし、オリンピックとセットで論じられるのもある程度は自然な事なのでしょう。ただ、オリンピックと中央リニアの建設とは、時間的にも場所的にも意味的にも、そのスコープは全く異なる事業であって、それをまとめて無駄と断じて批判する向きには、流石に無理があると思うし、同意はし難く思うわけです。まとめて必要とする意見にもまた同意できませんが。

勿論リニアに大きなリスクがある事は事実ですが、JRはそれを承知で、かつそれなりの具体的な勝算もあって挑戦しているのでしょうから、それは失敗の可能性を減じるよう、支援すべきところだろうと思うのです。むしろ問題と言うべきは、東京オリンピックに合わせて建設前倒し、とか無謀な意見を出す人が沢山いる事かもしれません。その具体的なリスクを少しでも考えたことがあるならそんな事は到底言えない筈で、つまりそれだけ公然と無責任な事を言える人達が大勢いるという事の証左です。批判されるべきは、そういう無責任さだと思うのです。そういう意見でも数が多ければ多かれ少なかれJRに対する圧力、負担になり、リスクを増やす結果になってしまうのですから。

とか、そんな風な事を思う次第。 個人的には、オリンピックは無駄だと思うけど、リニアは頑張って事業的に軌道に乗せて欲しいなと思います。