うーん。地裁レベルではありますが、成年被後見人に選挙権がないとする公職選挙法第十一条の規定に違憲判断が出たとのことで。本規定は形式的には民主主義国家における基本的権利の剥奪に他ならないし、人権原理主義的な観点からは自然な判断なんでしょうけれども、被後見人は法的に言えば当然ながら意志能力自体がない、事理を弁識する事が出来ない建前ですから、従って選挙に必要な判断も不可能な筈なんですよね。すなわち被後見人にとって選挙権は行使が原理的に不可能な権利であって、それを制限されたとしても実質的に侵害にあたる筈もない一方、仮に意志無能力者が選挙権を得てそれを行使するとすれば、それは必然的に他人による代理行使になってしまう弊害がある、その点を考慮すれば剥奪措置は妥当であり必要、とそういう昔からの確立された根拠に基づいて置かれている規定なわけで。それを人権侵害だと言うのは全く以て筋違いに思われる話なわけです。何故今更、との疑念も否めません。
もし原告に選挙に必要な判断能力、意志能力があるというのなら、それは被後見人とされた事が間違いなのであって、その能力の程度に合わせて保左か補助に切り替えるべき話です。被後見人の方が詐欺にあった時等に強力な保護があって安心とかそういう判断があるのかもしれませんが、もしそうならその判断自体が間違っているという事ですね。
被後見人から一律に選挙権を剥奪している点を問題視する意見も、同様に筋違いというべきものでしょう。被後見人はあくまで事理を弁識する能力に欠けている人であって、そうでない、選挙行為が出来るような人は元々対象外だし、一度審判を受けたとしても、回復しているのであればその審判は取り消されるべきものです。被後見のまま意志表示が可能とする、その破綻した論理にこそ問題があるものと言わざるを得ません。
人権を原理的に捉える、殆ど信仰しているような人達には、そういう理屈などどうでもいい事なのかもしれませんけれども、あまりに不合理な主張を公然となされれば社会にとって負担になるわけで、甚だ迷惑な話です。多分に高級審ではひっくり返るだろうとは予想されるだけになおさら。どうにかならないものでしょうか。ならないんでしょうね。
成年後見制度利用、選挙権奪うのは「違憲」 地裁判決