死刑判決に付いた異例の反対意見という事で、一応目を通してみたわけですけれども。要するに被告の精神的未熟性について審理不十分として差し戻しを主張しているんですが、無理やりにも程があると思うのですよ。無論、極刑たる死刑を適用するにあたっては、およそ考えうる限り関係する全ての事情、殊に阻却事由については事実の調査と併せ審理を尽くす必要がある、それは当然の事です。しかし、反対意見にあるような事実についてはむしろ執拗とも言える程審理されていたし、自然、量刑判断に際しても最初から主たる要素の一つであったわけでね。仮にも最高裁判事がそのような基本的な部分で審理状況を誤認した筈はないし、判事の恣意的、個人的な意図によって発したものと疑わざるを得ないところです。
率直に言えば、死刑廃止論者が、事実関係如何によらず死刑回避を指向するが故に、おそらくは自身でも不合理と知りつつあえて死刑判決を破棄する理由をでっち上げたようにしか見えないわけで。もし真実そうであるならば、それは到底容認し難い話で、そのような恣意的で卑劣な振る舞いを憚らないような人物は法の代行者たる判事として甚だ不適格と言わざるを得ません。
死刑を巡って緒論対立がある事は当然、反対論者には信条として譲歩し難い部分があるのもごく自然な事ではあるでしょうが、それでもそれを云々すべきは司法の場ではなく立法の場であり、少なくとも個人的な主義主張の発露としての偏りある行為が容認される範囲に限られる筈です。死刑廃止論が現実的に少数意見であるが故に、それら本来の場で意志が実現出来ず疎外される事情はあるのでしょうが、だからと言って司法の場にその偏った判断を持ち込むなど論外、職権の濫用も甚だしく、当該判事は不信任相当と判断せざるを得ない、とそのように思う次第です。しかし信任投票はまだ大分先の話だし、まず不信任にはならないだろうしで、無念であります。もっとも、本件に関しては私の誤解かもしれないし、そうであれば気にする必要も無いんですけど。