9/17/2011

[biz] フジテレビ・スポンサーへの抗議の行く末

その強引、過剰と評価される韓国推しに反感を持つ人達による、フジテレビに対する一連のデモですけれども。これまで不祥事等の度に発生していた散発的かつ一過性の不買運動等とは違い、フジテレビの主要スポンサーであるところの花王へのデモも交えつつ、最低限以上の規模を保ちながら継続的に実施されているとの事で、少々興味を感じた次第です。興味とか言うと怒られそうですけれど。

現在の状況としては、その活動について、外部メディアの報道・評価はほぼ皆無、当のフジテレビや花王の反応もなく、その発生元であるいわゆるネットの内部に閉じたものとなっている様子で、実際にフジテレビはじめとするメディアや行政に影響を与えたわけではないから、その意味でこれまで不祥事等が発生する度に起こった散発的な不買活動等と異なるものではなく、まだ注目に値するものとは言えない、といったところでしょうか。運動自体に誇張や煽りのような強引さを感じさせる要素も多々見られますし、このままフェードアウトすれば、従来通り社会的には無かったも同然で終わる程度の話のように見えます。

だから、このデモを含む抗議運動が興味を惹くとすれば、それは、その先に起こりうる事、すなわちその規模を縮小させず継続した時に、メディアや関連する企業、また行政に与える影響とその取りうるアクションの内容、またその意味合いにあるだろうわけです。

といってもそんなに複雑な話でもないだろうと思います。基本的に企業は、その経済的な利害を天秤にかけ、より利益のある方向へ動くし、そこに依存するメディアも基本的にそれに倣います。そして、今回俎上に乗っているフジテレビはマス向けの広告収入に依存し、その収益の源は広告効果に依存するスポンサーなのだから、その行動、判断の大部分は広告効果の有無、増減によって決定付けられます。従って、今回の抗議運動がその広告効果を有意に低減させる規模まで拡大すれば、当然に低減する効果・収益を回復させるため、スポンサー企業、またその要請を受けるフジテレビは、抗議運動を沈静化させるべきアクションを取るだろうし、そのアクションの内容如何によって運動は終了する帰結を迎える筈ですけれども、逆に規模がそこまで至らなければ、企業としては何らアクションを取らず、無視して終わりになるのですね。今現在は言うまでも無く後者の状況です。

従って、その成否は、その運動が企業に判断を迫る規模まで継続・拡大するか否かにかかるだろうわけです。けれども、この種の活動は、往々にして暴走しがちで違法性を帯びやすく、その結果としての内部崩壊や司法行政の介入を招き、挫折する事が多いのですよね。その点、デモの映像を見る限り、組織の形を排して自由な個人の集まりとしての形を崩さず、かつ牧歌的とも言える程に合法である事を前提に運営されているように見えるのですけれども、そうする事によって従来の典型的な失敗に陥る可能性を回避する意図があるようにも思われるのです。もしそうなら、デモを主導する人が弁えているという事なのでしょうね。そのあたり、存外上手く行くのかもしれないと思わせる部分があると思うのです。

しかし、それでもまだよくわからない部分も多々あります。特に、今回の運動のゴールである筈の目的が、韓国推しの排除という抽象的なものであって、何を以って達成・到達となりうるのか不明な点、またそれと関連して、対象が私企業であって、手段も経済的な不利益を直接的与える可能性がある、すなわち業務妨害性も多少なりと帯びているのだけれども、これがその規模を拡大した時に、その主張の曖昧性とデモ参加者の不統一性から、阻却事由としての具体的な公共性を十分認めうるかどうか今一つ明確でないように見えてしまう点には、懸念を禁じえないところであります。何分チャレンジングな試みなので仕方が無いんでしょうけれども。

結局のところ、現時点では可能性があるというだけで、まだ何も達成されてはいないし、これから達成されるのかも全くわかりません。しかし、上手く行けば、その先には、現状もよく言われるところのメディア支配等という不愉快な言葉とは真逆の、民主的な双方向性をメディアが徐々にでも備えていく可能性が感じられるし、長らく日本人の欠点として指摘されて来た、極端な受動性、非主体性を修正し、非暴力は保ちつつ、自身の社会を民主的に修正構築する手段の一つに繋がる可能性があるようにも思われるわけで、その意味で、幾ばくかの期待を禁じえない次第なのです。