もうね。見てらんないのですよ。こういうリスクだらけのプロジェクトに臨むにあたっては、起こり得る事象、シナリオとか、仮説は全て洗い出して、その全てに対して破綻を避けられるように保険をかけながら進めるのが当然で、想定外等という言葉は死んでも口にしてはいけないのに、当然に起こる事象一つで破綻して、次善の策すら見出せないとはね。リソースがないってんならともかく、金も人手もある筈なのにさ。
もっとも、世間には似たような光景が嫌と言うほどあるわけですけれど。例えば、企業における研究開発の現場では、多くの新人が、自分の浅薄な思い込みやら無知から、リスクを無視したり過小評価し、悪化する状況にあっても当初の方針やら建前に固執して、時間を浪費した挙句、どうにもならなくなって破綻する、といった同様な醜態を見せるものです。それ自体は珍しくもなんともありません。ただ、多くの場合、指導役は当然にそういう可能性を経験から予想して、尻拭いが出来るように手当てしておくものだから、全体としては破綻しないのに対し、本件の東電においてはその機能が全く無い、そこは致命的な相違ではあります。
思い込みを捨て、裏づけの取れた事実のみと向き合い、起こり得る事象全てを把握した上で、その全てに対応する手段、手続きを見出し、状況の変化も取り込んで更新修正し続けながらミッションを遂行する、そんな事は技術者、またその組織としての仕事の基本中の基本です。その基礎が全く欠けている事には愕然として失望せざるを得ないし、同様の失態を演じた多くの新人、素人に対して向けられるそれと同様に、軽蔑と怒りを禁じえないのです。
ただ、新人の失態については、ある程度教育的な必要コストとして承知している事が殆どですし、そのような事情もない本件、東電とその下請けメーカー、その監督をする政府関係者に対する感情は桁違いに大きいのですけれども。
あとね、新人の場合の経験からすると、こういう泥沼に入った時って、当人ももう無理って大体分かってるものなのですよ。それまで安易に無責任な見通しとか計画というか願望を色々言っちゃってるし、失敗を認めたくないから、引くに引けなくなってるってだけで。今回のも多分に似たようなもの、それが分かるだけに殊更気分が悪いのです。お前らいい加減にしろよと。責任者の面々とか、よく恥ずかしげもなく生きてられるものだと、ある意味感心します。
新人相手なら徹底的に責任やら追及して人格も全否定する所ですよ。あれだけ出来ます、出来そうですって言って、私が心配しても相談しなかったよね?もう時間ないよ?どうするの?出来ませんでした、なんて今更言って、それで済むと思ってるの?済むわけないよね、じゃあ責任持って実現しなさい、出来ないならクビだよ、君も私も、って。新人の仕事ならそうやってみっちり叱った後で引き取れるけど、東電のは誰も引き取れないし、もう終わりですかね。
福島第1、汚染水浄化を停止 「再開 見通し立たず」