10/25/2016

[law] 宇都宮連続爆発、家裁手続において被告の権利は保護されているのか

宇都宮で元自衛官の老人男性が白昼公園で爆発物を用いて自殺し、巻き添えで怪我人が複数発生した件ですけれども。徐々に経緯等の事情が明らかになりつつあるところ、法制度との関連で少しばかり思うところもありますので、軽くまとめておこうかと思います。

まず事実から。当該男性は当地在住の栗原敏勝、72歳。元自衛官で、妻と娘の3人家族。自宅から大量の花火の残骸が見つかった事から、その花火から取り出した火薬を用いて製造した爆発物を用いて今回の爆発を起こしたものと推測されています。爆発物には多数の釘等の金属片が込められており、明らかに殺傷力の確保が意図されていた事も判明している、とのこと。爆発は当人が自殺した公園ベンチ、その近くの駐車場の車、自宅の3箇所で起こされ、本人は死亡、車はその他近くの車2台を巻き添えにして焼損、自宅は全焼するとともに、本人の近くにいた通行人数名を負傷させています。本人以外の死人はなし。

その実際に本人を死に至らしめた爆発物の殺傷力の高さ、同時に3箇所で爆破を成功させた確実性に比して、他人の被害は怪我人数人に留まった点から、無差別殺人の意図はなく、主たる目的は自身の自殺と、その財産たる自宅建物及び車の破壊にあっただろう事が推測されています。その意味で、現時点では怪我人の発生について殺人未遂罪には該当せず、傷害罪が成立するに留まる可能性が高いものと考えられるところです。また、自宅建物と車の爆破については、周辺に延焼した事から、現住建造物等放火罪及び非建造物等放火罪が成立するでしょう。

これらは、間違いなく重罪ではあります。ただ、その手段の苛烈さと比すれば、その被害は相対的に小さいものに留まったと評価する事も可能でしょう。当人は、ブログの記事上で、秋葉原や南仏ニースでの事件のように、車両で人混みに突っ込むような行為に言及した事もあったというのですから、そのような大量殺人に至る手段の選択を思い留まった点は、社会にとって不幸中の幸いだったとも言えるかもしれません。

ただ、今回の主たる結果であるところの自身の自殺と、自宅建物と車の破壊とだけが目的であったとするなら、わざわざ3箇所に分けて爆発させる必要はなく、自宅内でまとめて実行する方が余程容易であっただろう筈で、目的と手段の間にズレが認められます。そこからは、そのような手段を採るだけの特別の理由、一般的には他者への当てつけや顕示欲等の存在が窺われるところですが、本件に至るまでの経緯を見ても、必ずしもそのような理由の存在が否定されるわけではないようです。

というのも、 当人の残したブログ等の記載に曰く、

・娘が精神病(統合失調症)に罹患
・娘の治療等につき妻と対立(妻は宗教的治療を主張?)
・妻は宗教に傾倒し、退職金2000万を費消
・娘を措置入院させたところ、妻がDVと訴え、シェルターへ駆け込み
・精神障害者の相談員をしていたが、不適格な行為を理由に解任される
・妻からDVを理由とした離婚訴訟(調停?)提起
・家裁に自身の主張を全面的に排斥され敗訴
・離婚訴訟全面敗訴に伴い、財産分与のため自宅・車の差押のち競売決定
・全財産ほぼ喪失の一方、年金があるため生活保護不可

等の記載があり、全体を通じて不当な扱いである旨不満が述べられています。その文書は率直に言って論理性に欠ける、稚拙かつ半ば支離滅裂にも感じられるものであって、その精神の健全性にも疑問を抱かせ、そのため真実性にも疑義を抱かざるを得ない面はありますが、その真否はさておき、当人の主観としては、家族と社会、およそ自分以外の全てに裏切られ、お前など死んでしまえ、と言われているように感じ、生きる理由を見失って絶望を感じていただろう事を読み取り得るものでした。

元自衛官という経歴と併せ、国家・社会を守るために生きてきたとの自負があったのなら、尚更のこと裏切られた等と感じる事も、一般的に言ってあり得ないものではないでしょう。その一方で、頻繁かつ大量の書き込みが存在する事から、ある種の自己顕示欲、その発露に対する積極性が比較的高く、また習慣化してもいる人物だっただろう事が示唆されます。これらの発信に対する積極性とその内容からすれば、自身を裏切った家族や社会に対し、その不満の発信としての当てつけ等を図った可能性も、それなりにあり得べきものと言えるでしょう。

無論、そのように特異な精神的傾向が存在し、多分にそれに起因して上記の犯行に至る状況に追い込まれた、というような事情があったとしても、それが放火や傷害等の罪を正当化し得るものではなく、情状の判断に影響を及ぼす可能性があるに過ぎない事は明らかです。ただ、上記の経緯のうち、決定的だっただろうDV認定から離婚調停に係る家裁の判断については、看過し難い問題があるように思われるのです。

というのは、広く周知されている通り、DV関連や離婚調停等、家庭裁判所で取り扱われる訴訟や調停の手続においては、その多くについて非訟事件につき後見的な立場を取るためとして、裁判所及び裁判官、ないし調停委員に、通常の裁判より強力な裁量権が与えられています。また原則非公開につき、一般に客観的性や公平性の保証につき不備が生じやすい面もあります。調停委員による偏った判断や思い込み、それに基づく暴言等も、本来ならあってはならない事ですが、非公開である時点でその防止は十分とは言えず、委員の性向や状況等により、しばしば起こり得るものであろう事は否めません。無論、控訴すれば公開の法廷で争う事も可能になるわけですが、委員の判断は裁判所の判断であり、それには従う他ないものと思い込んで(思い込まされて)しまう事もあるでしょうし、実際問題として一般人には困難な面は多いでしょう。

そして、最大の問題点として、とりわけDV等急迫の危険を理由とする裁判・調停の場合、その危険が存在しない事を証明し得るだけの余程の事情が無い限り、被害者の保護が優先される、という事情も存在します。すなわちそもそも公平な判断がなされる事自体が殆ど期待し得ないのです。しかも、仮にその判断が偏った不当なものであったとしても、一度調停が成立してしまえば、差押や競売も実行出来てしまうのですね。そして、経緯はどうあれ、その財産への強制執行がなされた事が、今回の自殺及び破壊行為を決断させたものと考えられるのです。

本件において、加害者側とされる栗原敏勝が家裁における調停ないし裁判の結果を承服していない事は明らかですし、本来なら上級審に進み、公平性を担保された公開の法廷における審理の下で判断を仰ぐべき案件であっただろうところ、その手続きは取られず、本人は家裁での結果が最終的な司法判断であると考え、それが今回の破滅的な自殺を含む一連の行為の契機になったものと考えられます。そうであれば、一連の経過を通じて、弁護士等を介さず自身で臨んだとされる家裁での審理、決定の手続きの際に、彼の権利の保護は十分に図られたのか、その本件事件において決定的な意味を有するだろう点について、大いに疑義があるように思われるわけです。少なくとも、その点だけは明らかにされなければならないし、もし保護が図られていなかったというのであれば、それは到底看過し難い法の不備であり、許されざる不正義といわざるを得ないだろうと。

それらの事情につき、客観的な検証に耐えうるような情報は未だ公開されず、彼の残した記録の事実性も疑問視されるところ、これらの推測がどこまで真実なのか、判断する術はありません。彼の行為が犯罪である事も事実です。ただ、現時点で、彼をただの狂人として扱い、全ての責を帰し、それで完結するものとして本件を扱う事は、到底相当とは言えないだろう、とそう思うのです。

<故栗原敏勝の残したブログ>

bwssf171のブログ
精神障がい者の子を持つ夫婦の多くは悲劇の連鎖が絶えない。
このまちが好き! 栃木県 宇都宮市 雀宮

なお、facebook等は利用不可になっているようです。