11/29/2024

[note] ニュースの総ゴシップ化

ゴシップ。うわさ話。縁もゆかりもない他人についての、根も葉もない真偽不明の情報を、興味本位であげつらうもの。

ニュース情報の内にあっては、報道の対象となる公共の利害に関する事実と対極に位置付けられる、その大半が流布の正当性を欠き、それに伴ってプライバシーはじめ各種の人権侵害についてしばしば違法性を帯び、あるいは単なる虚偽・風説の流布として社会に害悪をもたらすもの。

昨今、そういう性質のニュース記事が増えているように思われます。それも、メディアの種類やニュースのジャンル等の区分を問わず、一般的に。

その種のニュースは、以前はその対象は芸能人を中心として、著名人の私生活に関する情報にほぼ限定されていました。マスメディアしか発信元がなかったのですから当然です。

しかし、近年はSNSを中心にYoutube等の動画サイトから各種のネット掲示板まで、多種多様な非マスメディアがニュースの伝達を担う場として隆盛し、マスメディアのシェアは相対的に低下を続けています。情報の種類・性質にもよりますが、多くの場合、非マスメディアで流れる二次以降の情報の情報流通に占める割合は圧倒的多数になっていさえします。

元々、ネット上の非マスメディアで流れる情報は、発信者と受信者がいずれも一次的な情報に接する事のない部外者であるために、その殆どが発信の時点で二次以降の伝聞であり、発信者の勝手な思い込み等の主観的な面も強く真偽の怪しい、すなわちゴシップ性が色濃いものです。

非マスメディア経由の情報が占める比率が増えるに従い、ゴシップ性の高いものの比率もそれだけ上がる。それは必然の結果です。しかし、それだけではない。

近年はマスメディアも含め、ニュースの流通プラットフォーム自体がネットへ移行しています。ネットがマスメディアと決定的に異なる点は、言うまでもなく、受け手側の各個人が個々のニュース(もしくはその発信元)を能動的に取捨選択する、という点です。

世に流れる情報はあまりに膨大であり、人間がその全てを見ることはおよそ不可能である以上、各個人は、基本的に自分の見たい記事しか見ません。見ることが出来ません。従って、ネット上のおよそ全てのニュースは、否応なく受け手の嗜好という容赦のない選別に晒される定めにあります。

どんな情報も、伝わらなければ無意味です。受け手に届かなければニュース事業は成立しません。受け手の興味を惹かなければそもそも見てもらえない以上、そこで最も重要なのは、記事の信頼性でも公共性の高さでもスクープ性でもなく、大量のニュースの中から受け手に選んでもらえるかどうかであり、その興味を惹けるかどうか、その一点に尽きる、という事になる。

興味を惹くためにはどうするか?

様々な試みが行われて来ましたし、今以て日夜絶えず行われてもいます。大手の新聞社等は、まず従来の紙媒体と同様に直接の閲覧料を徴収すべく独自の会員制サイトを作りユーザーを囲い込もうとしましたが、極めて限定的な効果に留まり、紙媒体の代替にはなりませんでした。次に大手のポータルと契約を結んで優先的な扱いを受けられる地位を手に入れ、こちらは概ね成功と評価出来るだけの閲覧者を得ているように思われます。しかし、ポータルの側が優越的な立場にある事から、そこで得られる広告収入等は十分なものとは必ずしも言えないようです。

それらの、情報流通の仕組み上の工夫による対処には、元より限界がありました。であれば、個々の情報の内容とその出し方を改良するより他に手立てはない、とそう考える業者が出たのも自然な流れです。興味を惹くにはどうするか、惹ける内容とはどういうものか、それらの検討がなされた結果、元々ゴシップをよく扱っていた週刊誌系を中心に少なからぬメディア事業者がゴシップに流れました。

今では、大規模な災害や政治的なイベント等の報道すべき題材が溢れている一部の時期を除き、何ら公益に関係しない、従って本来はニュースとも言えないような、取るに足りない単なる噂話や、現実性すらあやふやな予想・憶測、事実ですらない意義不明の一個人の感想や意見など、ゴシップ性の極めて強い情報がニュースとして当たり前に流されるようになっています。

その最たるものとして、スポーツ選手関連の報道が挙げられます。プロスポーツは興行であり、一事業者の私的事業に属するものです。その一環であるところの選手の情報は、本質的に芸能人の活動や生活の情報等と同種の、公共の利害とは無関係な、まさしくゴシップの代表と言えるものです。

にも関わらず、昨今では日々のトップニュースで政治・経済・社会の各種の公益に関する報道を差し置いて、いの一番に取り上げられるのです。それに辟易する人も多数発生し、知りたくもないのに強制的に情報に晒される事をハラスメントとして非難する人まで少なからず生まれている始末です。ネットニュースは勿論、従来型のマスメディアですら例外ではありません。

これは、ニュースの重要度・優先度が、受け手側の興味を惹く度合いによって決定付けられている事の象徴と言えるでしょう。つまるところ、今の社会にあっては、ニュースの本質とは話題性なのであって、内容は二の次なのです。換言すれば、内容は何でもいいのです。それが嘘であろうと。伝わる事こそが最も重要な点になっているのです。

まさしく本末転倒です。

見出しにも、"たった一つの"、"本当の"、"驚きの"、 "真実"、"ウソ"、などなど、胡散臭い誇張的な表現を用いるものが増えました。ネット普及以前は、一部の、信憑性が極めて低いとされるゴシップ系の週刊誌等でしか見られなかったようなそれらが、ニュースサイトでは報道記事と区別される事なく、同列のものとして並べて表示されています。そして、アクセス数の上位にはむしろ通常の報道記事よりゴシップ系の方が遥かに多くランクインするのです。

アクセス数の多さ少なさは、そのまま収益の高さ低さに直結します。でっち上げの記事より、一次情報に近く、裏取り等も行う報道機関等の記事の方が遥かにコストは高い筈ですが、受け手の興味を惹かなければ、その胡散臭い記事よりも劣った収益しか得られません。

結果、マスメディア等の側も、収益を得るために、ゴシップ記事に負けない程に受け手の興味を惹くような外観を個々の記事に備えさせる必要に迫られる。かくしてマスメディアの発するニュースも、ゴシップのような外観を呈するに至るのです。

その上、受け手の獲得競争は、ニュースの発信から撤退しない限り、際限なく続きます。最初は外観の調整から始まったそれは、あっという間にエスカレートするでしょう。何せ競争相手は殆ど無限にいるのです。総量も膨大。溢れるゴシップに埋もれないよう対抗するには、こちらも量が必要。以前のように一つの記事に時間をかけてもいられない。となれば、情報の質は犠牲にせざるを得ない。

そして、マスメディアの発する情報にも大量のゴシップが入り込むようになります。

背に腹は代えられない。以前であれば、報道機関の倫理等で歯止めがかけられていたそれも、事業の存続のためには仕方ない、と正当化されるでしょう。明らかな犯罪以外は何でもやる。やらなければ生き残れないのだから。製造販売業等のその他の事業者と同じです。メディアの営む報道事業の公共性がいかに高かろうと、あくまで私の事業である以上、競争に晒された時点でそれは殆ど必然の成り行きなのです。

結果、溢れ返るゴシップ記事。ゴシップでない記事も、見出し等はゴシップと区別が困難なものが当たり前に流れ、もはやニュースサイトは総ゴシップ化してしまう。虚偽と事実が渾然として区別も困難になり、何を信じていいのかもわからなくなる。

それは、事実を伝える事で公益に資する、という本来のニュースの社会的機能が失われるに等しいのではないか。すなわち、ニュースの死と殆ど同義なのではないのか。 

まだ完全にそうなったわけではないようには見える。しかし、既にその時は目前に迫っているのではないのか。あるいは実質的には既に一線を越えてしまった後なのではないか。昨今のニュースの有り様を見ていると、そのような事を考えてしまうのです。

11/25/2024

[note] デマの沼に沈みゆく社会

今回はデマの話です。長いです。多分今まで書いた記事の中で最長。

要点だけ言えば、"陰謀論的なデマが盛んに流れるようになってしまった昨今、悪影響も甚だしくて遺憾な限りだけどどうしようもない、残念"というだけの話です。興味を持つ人なんていないでしょうけど、それでもいいという奇特な方はどうぞ。では。

 

Demagogy。主に政治的な目的の下、意図的に流布される虚偽情報の事です。単なる流言飛語を指す事も珍しくありませんが、要するに嘘です。

嘘なんて普通はすぐにそうとわかるし、真に受けて行動すれば馬鹿を見る事になる。周囲にも馬鹿なやつだと軽蔑される。相手にもするべきではない。

世間一般的に、そういうものだと思われて来た、筈です。殆ど誰もが、情報として、あるいは実体験を通じて、多かれ少なかれ理解しているでしょう。嘘をつくのは悪い事だし、嘘に騙されるのも良くない事だと。デマなんて無視されて、あるいはそれを流した者もろとも軽蔑されて終わりだと。

しかし、近頃では必ずしもそうではないようなのです。

近年、やけにデマが流れる事が増えたと思うんです。特に陰謀論的なものが。いえ、増えたという表現は控えめにすぎるかもしれません。何か不祥事や事件が起きると、ほぼ決まってどこそこの組織の陰謀だとか、情報操作だとか、何の根拠もなく無関係な第三者を非難し、容疑者らを擁護し、被害者や告発者を貶めようとする言説が飛び交う様を目にするようになりました。公然と。

それどころか、別段事件とも言えない、単なる日常的な利害関係の衝突や意見の相違でしかないような些細な争いにも、外国や官僚、宗教団体、果ては架空の勢力やらまで持ち出して、その陰謀だと断定さえする言説が公然と流れる始末です。何らの具体的な証拠も根拠もなく。もちろん合理性もない。

そして、それを真に受け、真実だと信じ込み、その扇動に加わる人が多数派になる、等という極めて遺憾な事態さえ起こっているというのです。

リテラシー教育の敗北とでも言えばいいんでしょうか。そういう面はあるでしょう。しかしそれだけで済むような、そんな単純な話とも思えません。

デマも情報、流す人、流した人が現実にいます。彼ら彼女らが、上記のようなデマを流す理由は容易に想像できます。金銭を主とする、その利益のためです。デマが流れるのは決まってネット上の情報サイトです。その多くは広告収入がほぼ唯一の収益源で、そこに記事等を提供するライター等も含め、その提供する情報に多数の人の注目を集める事が事業の主たる目的になっています。すなわち、多数の人の興味を惹く必要があるわけで、そのためにデマを利用している、それだけの事なのだろうと。

それは事業なのですから、瞬間的な興味を惹起するだけでは足りず、ある程度の継続性がなくてはなりません。そのためには、嘘だと見破られ難く、かつ嘘だとわかっていても興味が惹かれ、また信じたくなるような内容が適切であり、その条件を満たすものとして解となったのが陰謀論的なデマ、という事なのでしょう。

では、その陰謀論的なデマがなぜこのように社会現象と言えるだろうまでに広まるのか。そこを理解するには、その性質を明らかにする他はありません。

デマはでっちあげであり、嘘です。その真偽を明らかにするには、一般にそれと対立するところの真実に相当する命題との比較を必要とします。無論、詳細に比較するまでもなく一目瞭然な事も少なくありませんが、情報によっては、各種の機密やプライバシーに関するもの等、その性質上秘匿性が高く、真偽の検証が困難なものもあります。

陰謀論の主たる対象はまさにそのような秘密に類する情報です。本来、不特定多数は知り得ないもの。秘匿情報。そのような話は元々の性質として広く流布される必然性が低い筈です。何せ秘密なのですから。

逆に言えば、秘匿性が高いはずの情報が広く流布されるという事は、その時点で虚偽の可能性が非常に高いと言えるのです。しかし、実際にはデマとして成立しています。これは、まさにその秘匿性によるものだと思われます。その理由は以下の通りです。

デマが成立するために必須の条件として、その非真実性が(一目瞭然レベルで)証明されない、という点がある事に異論はないでしょう。一般人が前提情報なしに一見して嘘と断定出来ない、という事です。そうでなければ、そもそも殆ど真に受ける人が生じず、流布されないでしょう。その意味で必須の性質と言うべきものです。

秘匿性の高い(筈の)情報は、この点に合致します。

この種の秘匿情報に関するデマは、およそ完全なでっちあげにならざるを得ません。通常デマを流す側は実際に情報に接する当事者ではない以上、真実を知っている筈がないのですから当然です。しかし、完全な嘘であっても、その判定に必要な、対立命題であるところの真実自体が秘匿されているが故に、その虚偽性が明白には否定され難いのです。

さらに、真実の流布による否定を考慮する必要がなく、その内容全てを創作できる、つまりでっちあげられるという事は、デマの内容を流布者が何らの制約も受けず自由に調整出来るという事であり、すなわち内部的な矛盾をあらかじめ解消出来るという事でもあります。

それによりデマ自体の内容のみによるその真偽の判定が困難あるいは不可能になる。すなわち、その真偽の判別には、デマ以外の情報による整合性等の検証が必要になるわけです。それには多かれ少なかれ一般教養的な知識が必要になるし、手間もかかる。その種の知的活動に慣れた人なら息を吸うようにこなせるそれらも、一般の人にとってそのハードルは決して低くはない事もあるでしょう。こうして、デマはその完全な虚偽性の隠蔽に成功するのです。検証さえされなければそれらしく聞こえる話を、真実だと錯覚してくれる、騙されてくれる人が大勢いるのですね。

というわけで、秘匿情報を称するデマの内容は、必然的にでっちあげ、すなわち架空のものになるわけですが、無論架空のものなら何でもいいわけではありません。例えば神や宇宙人など、現実味が全く無いものを持ち出しても、流石にそれを広く信じてもらえる可能性は低いでしょう。(ゼロではないにせよ。)

ここに陰謀論が嵌まり込みます。必ずしも友好的とは言えない外国、上位官僚のような権力を持った組織、独自の価値観を持つ宗教団体、主義主張傾向の類似する個人の集団など、その陰謀を実行する動機と能力を持っていると設定し得る、しかし実際には存在せず、それでいて即座に否定されづらい程度にその確認が困難な、すなわち秘匿情報と同じ性質を持つような主体。デマの内容と矛盾しないように選ばれたそれは、デマの主題と調和し、内部的な整合性をもたらし、それがデマの自己完結的な真実味を強めるのです。

それらの架空の勢力の意図は、理論的には何でも良い筈ですが、ほとんどの場合は社会的な悪事が設定され、必然的に勢力の性質は社会悪的な属性を帯びる事になります。理由は色々考えられますが、端的に言えばこそこそと公の耳目から隠れて行われる活動である以上、その方が動機として自然で、人々に受け入れられやすいという事なのでしょう。後ろめたくないのなら公然と活動している筈だ、秘密にしているのは悪事だからだ、という理屈なんでしょうね。(空論と評する他ないような稚拙な理屈ですが。)

知られざる架空の勢力が企む架空の悪事。あらゆる面で嘘しかないけれど、嘘同士が整合している、ただそれだけの理由で真実味が出る。その意味で、陰謀論ほどデマの対象として都合がいいものもないのでしょう。これを隠された真実、等と称して流せば、そのように受け取ってもらえるというわけです。

さて。かくしてデマは生み出されて広まり、流布者は多数の信者を獲得して、サイトは広告収入で潤い、承認欲求は満たされ、愉快犯は流される人々を見て笑い、各々の経済的、政治的な目的も達成されるだろうわけですが。それらが不当な利益であるという点は別にしても、それら利益を遥かに超える損害、悪影響も生じます。

元より、デマを信じる事自体は個々人の内心に留まる限りは各人の自由です。ですが、実際には内心に留まらず、しばしば行動となって周囲・社会に直接的な影響を及ぼします。何せデマの多くが陰謀すなわち悪事に関するものなのですから、それに対する反応は反発的になり、必然的に攻撃性をも帯びやすくなります。正義の戦士になるとかいうやつですね。そしてその自己正当化された正義感に基づく行動は、誹謗中傷や謂れのない非難、諸々の妨害行為、時には暴力等という形を取り、直接間接に無関係な人が不当な被害を被ってしまうわけです。勝手に悪の組織認定された向きも含めて。

そのような事態は当然ながら許される事ではありません。多くの場合は刑法上の犯罪にも該当します。しかしながら、デマにより影響を受ける人はあまりに膨大であり、当然被害者も多数かつその実害の態様も多岐に渡り、事態の変化の速度も極めて速い事もあって、司法上の対処は極めて困難です。そのため被害を被る側にはそれを予防ないし防止する術がなく、少なくともそのデマが流布している間は、その被害を甘受せざるを得ない状況が続く事になる、というのが現状です。事後の対処にしても、かろうじて直接的な被害のあった場合に、その内の少数につき発信元の開示からの民事訴訟等の手続等を取り得る程度ですね。殆どの場合、損害賠償の請求すら困難です。

デマに流されている人にはその自覚はなく、根拠も整合性もない陰謀論を信じ込んでしまい、陰謀を企み不正を行う敵勢力と戦っているつもりなのであって、それを否定する言説はそれがどのようなものであれ陰謀の一環と捉えて拒絶してしまう状態なのです。要するに聞く耳を持たない。敵と看做されたが最後なのですから、被害者側からはどうしようもありません。

それどころか、デマを信じる彼ら彼女らは、内容の如何によらず、その事について批判を受けるとそれに反発します。その際、自分達は根拠もなくデマを信じ込んでいるにも関わらず、しばしば批判の根拠となる具体的な証拠の提示を求め、その一方で全く証拠性も信頼性もない動画等を根拠と称して自己の正当性を主張します。その動画の情報はなぜ信用出来るのか、少しでも自身の認識の実情とその根拠を省みて検証すればそこに何ら証拠性がない事は明らかなのにも関わらずです。

しかも、彼ら彼女らは、相互にデマを補強し合いさえします。私だけじゃない、仲間は大勢いるじゃないか、というわけです。そのような状態の彼ら彼女らに、客観性というものは存在しません。説得力もありません。自分の、自分たちの信じたい事、信じている事が真実であり、それに反するものは全て間違いなのだと。程度の差こそあれ、そのような状態になっています。周囲に同意や共感を求め、敵を排除し、団結を強める事もある、という事です。

ここに至って、デマを一種のカルト、すなわち宗教と同一視する事が正当化し得るわけです。宗教の一般的な概念になぞらえれば、デマは教義、ないしは神託であり、それを流した者は伝道者であり、そこに記された悪事を行う者は忌むべき悪魔であり敵、自身は神託に導かれた敬虔なる下僕。そのように表現できるでしょうか。

しかし、この宗教には、決定的に欠けているものがあります。神です。一体彼ら彼女らにとっての神は誰で、一体何処にいるのでしょうか? 

流布者ではないでしょう。流布者はあくまでデマすなわち教えを伝える役割を担っているに過ぎません。陰謀論?それも違います。彼ら彼女ら自身は陰謀論自体を認識すらしていません。では自分たち自身が神か?そうだとすればその精神は破綻していると言わざるを得ませんが、あるいはそうなのかもしれません。社会的な正義という抽象的な概念を神格化し、自らをそれに与する者ないし体現者としてその行いを正当化する。そういう見方も可能かもしれません。

眼前に晒された悪に対し、自ら正義の鉄槌を下すもの。その行いは純然たる私刑であり、法治国家にあっては違法行為に他なりません。それを公然と行い得る権限を持つのは法の授権を受けた司法機関のみであり、私人に過ぎない一般人にその権利はない。にも関わらず私刑に及ぶのであれば、そこには法を超える根拠が必要になります。

彼ら彼女らは、無意識の内に、自らを、法の上位にあるもの、すなわち神に等しいものと位置付け、正当化しているのではないでしょうか。自分が正義、すなわち法であり、個別の事件につきその正当性を担保するのがデマだというわけです。無論、そのような文字通りの狂人染みた思想を持っているというわけではないでしょうが、多少なりと類似した性質の論理に基づいて行動しているのではないかと思われるのです。

かくして、人はデマに流される。デマがその目的を達した後も、一度発生したその流れは止まらず、人々は流され続ける。一つのデマが終わろうが終わるまいが、毎日のようにデマは発生し続け、その度にまた流される。時にそれは濁流となって無関係な、何の罪もない人々を飲み込んで傷つけ、溺死させ、その生活を破壊する。流された者は戻らず、破壊されたものが修復される事も、償われる事もない。時に流れは合流してその勢力を拡大し、土地を汚染し、あるいはそこに住む人もろとも水没させる。残されるものは何もない。

常識も倫理も論理さえもデマに飲み込まれる、そんな社会でいいのでしょうか。いいわけはない。だけれど、止められない。デマの沼、いや濁流に飲み込まれゆく社会を前に、傍観者として無力感と絶望感を抱く日々なのです。

11/14/2024

[pol] インフレに翻弄される米国、その先に待つもの

米国の選挙が(ほぼ)終わりました。共和党の完勝という形で。

要因はもちろん多岐に渡りますが、本質的には激しいインフレに伴う一般市民の生活苦に起因する民主党政権への不信任によるものと思われます。

現大統領Joe Bidenはインフレにはほとんど無力だった上に認知症による醜態を晒して失望を深め、その後継として擁立されたKamala Harrisもその主張が理念優先で具体性に欠け、実生活の改善を期待し得るものではなかった事で、今まさに生活に苦しんでいる層から決定的に見放される事になったのでしょう。

また、大統領選では通常は現職が知名度で勝り、実績をアピール出来る分有利なところ、知名度は圧倒的にTrumpの方が有利であり、現職の副大統領であるHarrisは、やろうと思えば今すぐ政策を実行出来る立場にありながら何もしようとしない、従って実績は皆無な上に期待も出来ない、との評価を覆す事が出来ず、むしろTrumpの方が有利な状況でした。

結果、その母体である民主党もろとも不信任を突き付けられた、とそれだけの事なのだろうと思われます。インフレ下では現政権は負ける、というセオリーに従った、至極当然の結果と言ってよいのでしょう。

それで、要するにインフレを何とかしろとの米国民の意思を受けてTrumpと共和党は次期政権を担うことになるわけなのですが。。。正直言って、彼ら彼女らが、それが果たせると本気で考えている人はどれくらいいるんでしょう。

周知の通り、米国の物価は、ここ数年で2倍3倍と急激に上昇しています。ただでさえ自由経済下での物価の制御というのは困難極まりない話ですし、一度インフレしたものを元に戻すのはとりわけ困難というか、ほとんど不可能なのです。それも今のような状況を修正するなど、どうすればそんな事が出来るのか、想像するのも難しい。

そもそもの話、Trumpと共和党はインフレ対策についてはほとんど何もコミットしていません。明言しているのは、移民の排斥と関税を増やす事だけです。それらは(安価な)人的リソースの減少並びに輸入品価格の上昇を招き、インフレを加速させる方向にしか作用しないでしょう。

また、Elon MuskがTrump支援者の代表のような立ち位置にいますが、彼は常にTesla株をはじめとした(自己の有する)各種資産の評価額の上昇を図り続けるバブルの申し子であり、すなわちインフレを主導する立場の人間です。今回のTrump支援も、(EVバブルの終了で陰りが見え始めていた)保有資産の価値を維持する事がその主たる目的の一つだったと見て間違いないでしょう。そんな彼が政権の中枢にいて、インフレの抑制が図られるわけがありません。

結局のところ、インフレに苦しむ一般市民が、その苦しみから現政権に失望して不信任を出したわけなのですが、反射的に信任を受け、次の政権を担う事になった共和党とTrumpは、インフレを修正するどころか、さらに悪化させるだろうとしか考えられないのですね。

そして、その想像が現実になった時、当然に再び政権に失望するだろう多くの米国民は、次は一体どうするのでしょうか。また今回と同じように共和党に不信任を突きつけ、漫然と民主党政権に回帰するのでしょうか。それとも、誰にもどうする事も出来ないという現実に絶望し、もはや期待する事すらしなくなってしまうのでしょうか。

いずれにせよ、大した違いはないのかもしれません。結局のところ、人々の抱える苦しみを取り除く事は誰にも出来ないという事なのですから。そして、その苦難が厳しさを増す一方で、苦難とは無縁の、圧倒的少数派の資産家達はその富を膨張させ続けるのです。自由の国アメリカ、その名の下に。

[pol] Old man leaves. Who comes next?