やっぱり、と言うべきですね。Uberの自動運転車が人身事故を起こしてしまったそうです。
事故の発生した場所は米Arizona州Tempe、車種はUberが正式採用しているVolvo製XC90。Uber社のSafety driverが乗車した同車が、自動運転モードで走行中に、自転車で走っていたElaine Herzberg(女性、49歳)を撥ね、Herzberg氏は病院に運ばれたものの死亡してしまったとの事です。それ以外の詳細は今の所不明。
事故自体は、技術面で多少なりと実態を知っている者であれば遅かれ早かれ起こるだろうと予想されていたところではありますが、実際に目の当たりにするとやはり酷く陰鬱な気分になりますね。それも当然、自動運転技術が未成熟で不完全、危険を孕んだものである事は元より明らかな一方、あえて公道での実験を行う理由は単に新技術、新製品の開発に先んじたい、等という専ら経済的な事情に過ぎず、到底人命を危険に晒してまで行うべき必要性が認められないものなのですから。
自動運転技術、またそれを搭載した製品の先行開発、そしてそれが実現した際に得られるだろう先行者としての経済的利益、それに目が眩み、安易に公道実験に踏み切ったUberおよび当局には事故の発生に関して何らの正当性もなく、発生も十分に予見出来ただろう以上、未必の故意による殺人と言っても過言ではありません。必要でも何でもない、金に目が眩んだ馬鹿者達の、その短慮の犠牲になったHerzberg氏は完全な被害者です。Uberと州当局はこれからその賠償等を行わなければならないわけですが、その種の過失に対し、殊に人命が失われた場合には懲罰的に巨額の賠償が強制される米国での事ですし、その報いはおそらく小さいものでは済まないでしょう。つくづく愚かな事です。
この残念極まりない事件が、今後幾らかでも同種の無謀な試みに対する歯止めになるのかどうか。率直に言えば、多少懐疑や非難の声が強まるだろうものの、実質的にはあまり影響もないのかもしれない、と言わざるを得ないのが残念でなりません。とりわけ同技術の開発の中心であるCalifornia州等では、safety driverさえも要せず、完全に無人の状態での公道での自動運転車の走行を認めるという、狂気染みた制度の立法作業が進んでいると聞きます。
毎週の如く乱射による大量殺人が発生し、犠牲者の遺族らによる嘆きと抗議の声が上がろうとも、NRAはじめ銃機器メーカーらの経済的利益を優先し、被害の発生を一切抑制しようとさえしない米国社会の事です。自動運転車に関する巨大な経済的利益の前には、1人や2人犠牲者が出たところで、人命を優先するという考え自体が生まれない、あるいは生まれても封殺しようと政財界が動く可能性は残念ながら非常に高いのでしょう。
そうしているうちになし崩しに既成事実化を図り、気がついた時には自動運転車による殺人が日常になっている、そういう未来が見えるようです。そうなったとして、関連する自動車メーカーやIT産業等は潤うのかもしれませんが、同時に生まれるだろう大量の被害者の犠牲の上に成り立つその経済は果たして正当なものと言ってよいのか。個人的には極めて強い忌避感を覚えざるを得ません。
だって、そういう社会になったとして、自分に当てはめてみれば、道を歩く時、自転車に乗る時、また車に乗る時とか、公道に出る時は一々自動運転のエラーを警戒してビクビクしなきゃならないって事になるわけで、そんなの嫌ですし、それで撥ねられて死ぬ、なんて無駄死にそのものな末路はなおさら勘弁願いたいです。誰だってそうでしょう。でも、人が運転するより統計的に安全だ、とか詐欺染みた詭弁を弄しながら、そんな未来を目指して邁進してる人が沢山いるんですよね。残念な事です。絶対に安全、と言えるレベルになるまでは公道での実験もしないでほしいし、リスクを許容するにしても、少なくともその短慮を正してからにしろよ、と思わずにはいられません。
Self-Driving Uber Car Kills Pedestrian in Arizona, Where Robots Roam
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