7/12/2016

[pol] 鳥越俊太郎の都知事選出馬に漂う不安

ついにこの時が来た、というべきか、来てしまった、というべきか。都知事選、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が立候補する運びになった、とのことだそうで。

かつて選挙の度にその出馬が取り沙汰された筑紫鉄也亡き後、彼のポジションを乗っ取ったかのようにリベラル寄りジャーナリズムの象徴的立場に収まり、知名度の面ではおそらく今以って最高の位置にある彼は、それだけで十分に有力候補足りえる事は疑いようもないところです。一度限りの選挙なら、これほど有力な候補もそうそうないでしょう。

しかしその一方で、おそらく彼ほど不安を感じさせる候補者も少ないだろうのも間違いないでしょう。彼は紛れもない理想論者であり、かつ当然に現実の問題への対処を求められる公的立場に就くにあたって、欠くべからざる諸々の架橋的な理論面・経験面の準備は全くと言っていいほど無いに等しいように見えるわけです。とりわけ、これまで立候補及び政界に身を投じた経験がない、という点は、致命的な失敗の実績がない、という意味で選挙にはポジティブな意味合いも帯びる面はあるかもしれないものの、現実との乖離が著しい程の理想論者、という彼の性質と合わせれば、当然ながら不安要素の最たるものの一つと認識されるでしょう。年齢とそれに伴う健康面の不安も無視出来ませんけれども。

彼がメディアの取材で語ったとされる立候補の動機が、先日の参院選の結果、改憲の可能性が高まったため、というのにも、動機に対する手段の選択において当然あるべき論理的思考を欠いている事は明らかですし、仮に就任したとして、彼の政治的な判断と現実の対応に生じるだろう齟齬を想像させられて、非常に不安を覚えざるを得ないわけです。何故改憲への信任の意味合いも明らかにあった参院選には出ず、それが決してから、本来的に国政には関係ない地方自治体の首長選に出馬するにあたって改憲云々を理由の第一に持ち出すのか、全く以って意味不明で、理解のしようもありません。自治体の運営への意欲が十分にあること、それが何よりもまず必要な、前提としての資質であり、少なくとも改憲云々より先に来るべき動機でなければならない筈なのです。

その辺の齟齬を鳥越氏が自身で認識しているのか否かはさておき、内心には氏なりの考えもあるのだろうし、判断するのは有権者なのだから、動機が何であれ選挙で選出されればそれで正当化されるとも言えるし、決定的な問題とまでは言えないのかもしれません。しかし、氏を担ぎあげる側の態度についてはいささか看過し難いところです。与党側が分裂とはいえ強力な候補を擁立しようとしている現状、対抗するには純粋に知名度で負けないだけの候補が必要で、元々選択肢は殆どなかったところに鳥越氏の立候補の受諾を取り付けられたのだから、上記のような不安は二の次という事なのでしょう。しかし、仮にも自治体の長を務めるからには、本来欠くべからざる為政者の資質をなおざりにして、肝心の自治体の運営自体には経験もなければ意欲も十分とは言えない人物を担ぎ上げて後は知らない、というのはやはり無責任というものだと思うのです。まさに資質の面で前任者達が続けて辞職に追い込まれた後の本件なのですし。

などと言っても、あれよという間に氏の立候補は既定路線になってしまったようです。もう引っ込みがつかない、というのなら、せめてこれから、出来る限りの実務にあたるための準備が出来るよう、その体制を整え、維持出来るよう、担ぎ上げた側は責任を持って面倒を見てもらいたいと思う次第なのです。しかしやっぱりこれだけ不安が先に立つ有力候補というのも珍しいですね。難儀なことです。

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