先日発生した米Teslaの自動運転機能の誤作動による死亡事故の発生以降、自動運転を巡って世間に広がる恐怖と懐疑、それに対抗しようとする業界側のステマ的な擁護論が喧しいところですが、流石に放置しておけなくなったらしい国土交通省が、"自動運転は完全な自動運転ではなく、運転者は責任を持って利用しなければならない"的な、全く以って今更かつ意味不明なコメントを出しています。監督官庁として何も言わないわけにはいかないからって、それはないでしょうと。
現在実用化されている「自動運転」機能は、完全な自動運転ではありません!!
言うまでもなく、自動運転というのは、運転を自動で行う、すなわち運転作業自体を自動車に丸投げ出来る機能の事を指します。それに責任を持つというのはどういう事か。大雑把に言えば、誤動作をしないよう、常に注意・監視をし、兆候があればコンマ秒以下の瞬時に察知してマニュアルに切り替え、事故を回避する、という事になるでしょうか。そうだとすると、運転手は常に自分が運転しているものとして周囲の状況を把握し続け、瞬間的に操作を奪えるよう、手足をペダルやハンドルに掛けて状況毎に各々の動作の準備をしておかなければなりません。であれば、自動運転と通常のマニュアル運転の違いは、個々のハンドルやペダルの操作の際、ドライバーが身体を動かすか否か位の違いでしかなくなってしまいます。そこまでするなら、却って面倒になるだけだから、最初からマニュアルで運転しておくべきだと思うし、それを自動運転と呼ぶのは実質的に矛盾しているとも思うのです。
そもそもの話、一般論として利用者が機器とその機能の利用にあたって責任を持つには、対象の機能、殊にその状況毎の挙動の特性と限界について十分に正しくかつ具体的な理解をしている事が前提になるわけです。いつどんな状況で正常に動作して、どういう時にどう誤動作するのか、それを把握していなければ注意のしようもありません。しかし、ただでさえ画像処理や電波技術の集積であり、世間ではAIの一言でまとめてそれ以上理解しようとする事すら稀な技術について、そのような十分な理解をし得る運転手がどれだけいるというのでしょうか。あり得ません。それ以上に、日々改変も加えられている真っ最中でもあるのだし、おそらく開発者自身ですら、正確に挙動を予測できない状況の方が多い位でしょう。
理解が及ばないものに責任の持ちようなんてないし、状況によって使い分ける事はもとより、オンオフの切り替えすら判断出来ない、というわけです。そのようなものは、盲目的に信頼して使うか、リスクを嫌って使わないか、その2択しかあり得ません。そこに、上記のように不完全なものだから頼らず責任を持って利用しろ、と言ったところで何の意味もないし、事実上、無条件の自己責任の強制と、利用禁止勧告の意味を持つものと解釈せざるを得ないのです。要は監督官庁としての責任逃れのための予防線的宣言でしかない、というわけですね。
もっとも、勧告を出した当の官庁側の担当者からしておそらくは一般人と同程度、すなわち自動運転について具体的に理解出来ていないのでしょうから仕方ないのかもしれませんが、それすなわち理解のないままさも理解出来ているかのような立場を装って勧告を出したという事で、それはそれで無責任極まりない話だと思うのです。あのような言い方では、まるで責任を持って利用する事が可能なように伝わって、それを受けた人は、正しく使えばいいんだ、と根拠もなく認識し、その正しい使い方とは何か、実際には何も理解しないまま漫然と利用を続け、当然のように事故を起こすだろうし、不安を感じる人は使わなくもなるだろうしと、結果として混乱するだけでしょう。責任を持てないなら使うな、位の言い回しでないといけないと思うのです。今自動運転が下火になると困る自動車業界に配慮したんでしょうが、公共の安全の確保に責任を持つべき立場からの勧告としては、極めて不適切と言わざるを得ません。
しかしTeslaはどうするのか。今のところは責任はドライバーにある、の一点張りですけれども、あの機能の万能性や完全性を主張するばかりな売り方をしておいて今更そんな建前が通用するわけはないのです。誤動作の可能性とその条件等についてドライバーへの具体的で十分な注意があったとは到底言えず、またそもそもドライバーが十全に管理し、誤動作時の事故を防止し得るシステムになっていない事は明らかなのですから。システムが事象を認識出来ない以上警告もないのに、しかも高速運転中につき何が起こるにしても一瞬の間に、自動運転に制御を預けて大なり小なり注意レベルを下げているドライバーに何が出来るというのでしょう。システムの基本設計思想からして欠陥があるのです。
技術の進歩には犠牲がつきもの、というような事を言う向きもあるようですが、論外と言わざるを得ません。その技術を一刻も早く普及させなければ膨大な人命が失われる、といったような、犠牲に釣り合うだけの理由があり、かつその開発・普及にはそのような方法しか取り得ないというのであれば格別、現状は、製品が高く売れるからと、単に検証も保証もないまま未熟な技術をぶっつけ本番で投入し、その当然に発生する短慮の報いをユーザーが被ってしまっている、というだけに過ぎないのですから。ユーザーの安全確保を何よりも優先すべき自動車メーカーとして当然の慎重さがあれば起こり得なかった死であり、到底容認する事など出来よう筈もありません。しかしその種の詭弁は少なくはないというし、どれほど破綻した思想と短慮があれば、そんな事が言えるのかと、愕然とするとともに、極めて残念に思う次第なのです。今からこの調子では、自動運転自体の先行きも怪しいものと言わざるを得ません。本件は、自動運転技術、ひいては自動車産業にとって、長く消えない呪いになるのではないでしょうか。
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