NY、Chicago、LA、London、Frankfurt、Rome、Sydney、Tronto、Hongkong、そしてTokyo。今のところ大半は規模もさほどなく、かつ平和的なもので、暴動というべき激しいものはRome等の極一部に留まっているようですが、範囲、規模は急速に拡大中で、もしこのまま継続拡大すれば、当然に過激化が予想されますから、各国の当局者は緊張を高めているところでしょうね。
しかし、どれも"bail people"とか、その目的、要求する内容として、金融業者とそれを支援し続けてきた政策並びに政府当局を非難しその改善を掲げている点は共通するのですけれども、それは一体具体的に何を求めるものなのか、何がどうなればその要求は満たされるのか、全く以ってはっきりせず、その点で意味不明に見えるわけで。その行く末と併せて、どう捉えるべきなのか色々ともどかしく感じさせるものであります。
古来から景気低迷時に必然的に発生してきたところの単に経済的困窮から政治的な救済を求める活動、その変化版のようにも見えなくもないし、それ以上の意味があるわけではないのかもしれませんけど。それならまあ経済対策をそれなりに打ち出せば解決する話なんでしょうけど、一応建前としては経済システムの修正変革を求める形ではあるし、色々と思惑がすれ違ってややこしくなりそうな気もします。
意味合い云々は措くとして、さしあたっての影響としては、デクシアの倒産、各種国債、またBNPバリバ等の格下げ、とほぼこれまでの金融危機対応と相似的なシナリオに沿った形で進められつつある欧州金融システムの破綻処理において、その到達点として当然に想定された筈の大規模な公的資金注入等公的な救済、それらに対して釘をさされた的な面で、リーマン時以上のハードランディング的な処理への方向づけが強まったところにありそうです。
この規模の不良債権に対し、清算してしまう形での処理の仕方は、歴史的にも世界恐慌を除いてほぼ未知の領域ではあって、色々と不安も多かろうし、これから当局と脅迫飛び交うせめぎ合いが展開されるであろう筈ですけれども、自由経済の原則から言えばむしろそちらの方が当然ではあるし、今の段階で一部とはいえ暴動まで発生する状況とあっては、説得は少なくとも相当な困難を伴うと思う筈、国によっては不可能である場合も多かろうと考えざるを得なくなったわけですし。
そう考えると、デモの位置づけも随分と進化したものだと、ある種の感慨も禁じえないところなのであります。やはり民主主義はこういう直接的なものの方が正当感が感じられますしね。NYのデモでAnonymousが主導的な役割を果たしていたり、LondonのデモにJulian Assangeの姿が見えたりするあたり、色々と怪しい感もありますけど、暴力等の違法行為に訴えない限りは別段問題も無いし、とりあえずしばらく注目です。
Buoyed by Wall St. Protests, Rallies Sweep the Globe