9/20/2024

[pc] Ubuntu22.04LTSから24.04LTSへのアップグレードに伴うDNS周りの障害について

 色々、そう色々ありましたが、実施してきました。22.04LTSから24.04LTSへのアップグレード。それもserver版です。正確には24.04.1へのアップグレードですが。

致命的バグが発覚したために一旦取り下げになっていた24.04.1へのアップグレードパスですが、それほど時間を置く事もなく再開されました。ので、ストレージをまるごとバックアップしていざ実行。普通にdo-release-upgradeです。

結果は一応成功。しかし当然のように問題がいくつも発生しました。以下にその中でもひどかったものを2点抜粋します。いずれもDNS関連です。

1.  ローカルホストの名前解決に失敗

 これは意味がわからないかもしれません。私も意味がわかりません。具体的には、アップグレード後に、sudo等の、おそらくはホスト内の特定プロセスにアクセスする際にローカルホストのIPにアクセスする類の操作の際に、遅延が生じ、ローカルホストの名前解決に失敗した旨のエラーを吐くようになったのです。その結果、各コマンドの実行の度に何十秒から遅延するので、まともに作業が出来ません。改めて書いても意味がわかりません。何で・・・?

 まあ、バグに理由を求めても仕方ありません。解決方法は簡単です。/etc/hostnameと/etc/hostsを修正するだけです。

/etc/hostnameの方は、私の環境ではなぜかホスト名の前に謎の文字列が数文字追加されていました。余計な文字列を削除してホスト名だけに。

 それでも解決しなかったので、/etc/hostsの、localhostが記載されているところ(127.0.0.1と::1のところ)にローカルホスト名を挿入しました。これで解決。

 しかし何なんでしょうね。ホスト名の名前解決のルーチンにバグが入ったっぽいですけど、何でそんな事になるんだろう。

2. DNSの機能不全

 こちらはだいぶ深刻です。全ての名前解決に失敗するようになったのです。アップグレード直後は問題なかったのですが、そこから一度アップデート->再起動をしたらその後から発生するようになりました。もはや何も出来ません。推測される原因は、24.04LTSではDNS関連はsystemd-resolvedに移行しているのですが、その辺のアップグレード(もしくはコンポーネントそのもの)に不具合がある、という事なのだろうと思うのですが。

 なお、先にアップグレードしたクライアントPCでは同様の問題は生じていません。ここから考えられる事としては、クライアントPCではネットワークインターフェースはイーサネット1つのみですが、当該サーバーでは複数のネットワークインターフェースを有しているのでその辺りが原因じゃないかと推測されます。

 補足すると、今回採用されたsystemd-resolvedでは、複数のネットワークインターフェースがあってそれぞれdhcp等で別のDNSが割り当てられる場合、デフォルトで各々のDNSを参照するようになっているのですが、そのルーティング等が上手く動作していないんじゃないかと。また、この他にGLOBALのDNSサーバも設定できるようになっています。チェックしてみたところ、GLOBALも含めいずれのDNSサーバーも有効な状態でした。にも関わらず名前解決は失敗するのです。わけがわかりません。が、考えてもどうにもなりません。何なんでしょうね。

 解決方法は、本来的にはsystemd-resolvedの設定修正等で解決するのが正攻法だと思うのですが、そのやり方は色々試したものの今の所成功していません。ので、差し当たり従来のresolv.confに戻しています。手順は簡単ですが、一応記載しておきます。以下の通り。

2-1. /etc/resolv.confの書き換え

 /etc/resolv.confは、24.04のバージョンではシンボリックリンクになっています。ので、リンク先を別のファイルに変更します。例えばresolv.tmpfix.confというファイルにするなら、

 $ sudo ln -sf /etc/resolv.tmpfix.conf /etc/resolv.conf

等とした上で、/etc/resolv.conf(/etc/resolv.tmpfix.conf)に従来の通りにDNSサーバーを書き込みます。

 例: nameserver 8.8.8.8 nameserver 1.1.1.1

 ※上記は、cloudflare提供のDNSサーバー(8.8.8.8,1.1.1.1)を設定する場合

 普通は各々適切なDNSがあるでしょうからそれを設定します。

そしてDNSを再起動。(別にしなくてもいいかもしれません。念の為)

 $ sudo systemctl restart systemd-resolved.service 

これで一時的にDNSが復旧します。

なお、DNSが設定されているかどうかを確認するには、下記コマンドを使います。

 $ resolvectl status

他にも色々問題はありますが、とりあえず大きなものはこの辺り。お疲れ様でした。

[note] Ubuntu24.04.1がようやくリリース

<追記>

さらに別のPCでひどい目に。

[pc] Ubuntu22.04LTS->24.04.1のアップグレードが途中で落ちた 

9/06/2024

[note] 不相応は不幸の元

だと思うのです。

何かというと、秋篠宮悠仁親王の進学先についてなんですけれども。東大にAOで推薦入学するつもりとかいうアレです。

筑駒にほとんど裏口同然で入学し、さらに東大にAO枠で推薦入学する。真偽は定かではありませんが、それが本当なら、事実として学力面の客観的評価抜きで入学する事になるわけです。

勿論、皇室特権云々の面からの非難も免れませんし、それはそれで相当な問題ですが、それ以前の問題として、そんな無理して東大に入ったとしても、純粋な能力が追いついていなければ、ついていけないんじゃないでしょうか。

というのも、このクラスの、純然たる学力面でのトップクラス層というのは、タイプは様々ですが、皆一様に頭がいい人ばかりです。理解力は抜群で、かつ頭の回転は早く、いわゆる一を聞いて十を知る、を当たり前に出来るし、その上学ぶ事について貪欲です。要するに、才能があって、努力も出来る。そんな人ばかりです。

そして、東大や京大のようなトップクラスの大学というのは、基本的に各分野での次世代を担う研究者や開発者の卵が集う場所です。特に理系はそうです。

勿論、東大卒、京大卒という肩書に一定の価値があるのは事実ですし、その取得を目的とする人がいないわけではないでしょうけれども、それはあくまで結果に過ぎません。学問を追求し、最先端の研究開発を担い得るレベルまで到達するというのは、言うまでもなく特別な事です。相応の、特別な能力を備えた人が、さらにその人生を捧げる程の努力をして初めて成し得るのです。そこまでしてもなお夢破れる事も当然にありますが、その逆はない。そのプロセスなしに結果だけを求めて得られるような甘いものではないのです。

高校での勉強、また大学入試というのは、その常人では到底ついていけないだろう大学での制限・制約の一切ない難解かつ膨大な勉学、またその後の研究開発等の仕事を成し得るだけの素養、知的能力面の前提を備える人を選別しているに過ぎません。実際、筑駒の生徒レベルであれば、大学入学は目標ではなく、その先にある本当の目標を目指すための、ただの通過点と捉える子が殆どでしょう。 

筑駒等の最上位の進学校は、そういう、実体を備えた文字通りの知的エリートを目指す、才能も意欲もある学生達が集い、各々の目指す未来に向けて競い合って勉学に励み、元より非凡な能力をさらに高め合う場所です。そのような環境にあって、その目指す所を考えれば、大学入試など乗り越えて当然のものな筈です。

実際、入試の問題には大学以降では知っていて当然の基礎的な内容しか出題されません。それも、高校までの学習内容を元に解けるように調整されています。その大学に入るなら、それが解けるようでなければいけない、その基準を示すものです。

にも関わらず、その受験そのものを回避しようとする事自体、適正がない事の証明でしょう。必要な水準に達していれば解けるように調整された入試問題を解く事すら出来ないのに、どうしてその後の、入試とは比較にもならない、大学以降での高度かつ果てしない勉学や研究活動をこなしていけると言うのでしょうか。

どの分野でもそうですが、能力の差、適正の有無というのは残酷です。人は平等ではない、その事を厳然たる事実として現実に突き付けられるからです。とりわけ、誰もが子供の頃から最低限は平等に機会が与えられ、そこで他者との比較を余儀なくされる学力の差は最も残酷なものと言えるでしょう。

どうにかしようとしても、どうにもならない。不可能。その最たるものが、個々人の知的能力の差というものです。秋篠宮悠仁親王の進学先とその方法を巡る一連の問題は、結局のところ、その残酷な事実を受け入れられない周囲がなまじ(事実上の)権力を持っているがために、その政治的権力によってその絶望的な格差の壁を回避させようとして起こった悲劇、という事のように思われるのです。

そんな無理をしても、誰にとってもいい事はありません。無論、本人にとっても。

想像してみればいいでしょう。分不相応な期待、立場を押し付けられ、最上位の進学校に放り込まれて出来る筈のないレベルの学問をこなす事を求められる。当然出来ない。しかし周囲は当たり前に出来る。同級生とは理解し合えず、その立場も相俟って腫れ物扱い。同情する者もいれば、軽蔑する者もいる。いずれにせよ互いに尊敬し合うような対等な関係は望むべくもない。もちろん、陰口は数え切れず。推薦入試関係では、そのあまりの不平等・不公正から憎悪の対象にすらなっているかもしれません。

地獄です。しかも、その格差は先に進めば進む程広がっていき、最終的に研究者等になれば、各人の生み出す結果が全てになるのです。皆が同じ道を歩んでいるように見える高校位なら、裸の王様のように気づかずにいられるかもしれませんが、各人で道の分かれる大学以降ではそれも不可能です。いつまでも一人、皆が遥か以前に乗り越えた壁の前で取り残されるだけになるでしょう。

そして残るのは、権力の濫用によって不正に手に入れたと評価されるだろう学歴だけです。それは名誉とはなり得ず、むしろ拭い難い汚点として認識されるでしょう。憲法の改正がない限り、将来の天皇、日本の象徴となるだろう人がです。立場上、忘れてもらう事さえ出来ません。

もっとも、そういうあれこれが全て外野の妄想で、実際には十分な能力があり、一般入試を受験して普通に合格する、というなら何の問題もないわけですけれども。その場合は、全て杞憂だったという事になります。残念ながらその可能性は極めて小さいでしょうけれども。もしそうなら、今のような状況にはそもそもなっていなかったでしょうから。

何事も、分相応にして、無理はしない事です。権力はそんな常識も歪めてしまうのだという事を突き付ける一件だと言えるでしょう。少なくとも周囲は目を覚ますべきですね。

9/05/2024

[note] 長く続けたソシャゲを見限った

※ 本項は、純然たる私的な話題です。

ふと気まぐれに始めてから6年以上。結構長いこと続けていたソシャゲに、先日とうとう見切りをつけた。

理由は色々とあるが、詳細は改めて書く程の事でもない。要するに飽きたという事だろう。多分。

思い返せば、始めた時もなんとなくだった。当時、既にギャンブル顔負けに数多の中毒者を出し、社会問題にもなっていたそのソシャゲの仕組みにふと興味が湧いた、それだけだった。

それから、当初抱いた興味は早々に満たされたのだが、周囲の狂騒はまだ続いていた頃の事、まだ何か先があるかも、と若干の期待を抱いてしまったのが運の尽き。ずるずると、意外に長い間付き合いを続けてしまった。費やした金銭は年当たり数千円、総計でも2万かそこらと中毒には程遠いが、時間については一日当たりはわずかでも塵も積もれば、でそれなりに使った。自然、多少なりと愛着も湧いていた筈だが、夢中とまではいかなかったと思う。

それで、先日とうとう、その残っていた僅かな期待も綺麗に解消された、というわけだ。

終わりは本当に唐突だった。ああ、もういいや。そう思って、最新の、公開されたばかりのメインストーリーのテキストを読まずにスキップした、その瞬間だった。

それまで、どれだけ使いまわしやパクリ、身内の悪ふざけ的な駄文に満ちた、読む意味が無い事が明らかな枝葉末節のテキストでも最低限流し読みでも目を通していた。なのに、最も読み甲斐がある筈のメインストーリーを飛ばした。

しかもそのストーリーのライターは、そのソシャゲの元になったIPの作者、いわゆる原作者というやつで、そのライターの書くメインストーリーは、当然ながらそのソシャゲのコア中のコア、一番の売りと言って然るべきものだった。他のプレイヤーからは、それを読まないなんて、何のためにこのゲームをやってるの?と言われるに違いないものだ。

にも関わらず、それをスキップした後に、しまったとかいう後悔や、プレイヤーとしての義務に背いた罪悪感といった類の感情が一切湧いてこなかったのだ。もちろん読み返す気など欠片も起きない。それを自覚した時に、ああ、終わったんだと、そう悟った。だから辞めた。

元より、ソシャゲは所詮ゲームだ。やる義務はなく、やる事によって得られる利益の類もない。それどころかやる意味もない。むしろ、世間一般の常識的な向きからは、変人や変態、異常者の類として見られる事もしばしばだ。辞める事で得られるメリットはあっても、デメリットはない。少なくとも対外的には。

だから、喪失感の類は全くない。失望感もない。恋が冷めたというのとも違う。ただなんとなく繰り返していた習慣を、やらなくなった。それだけだ。

ついでに言えば、解放感もない。それで空いた時間は、既に他の作業等で埋まっているからだろう。それに何の違和感もない。ソシャゲなんて最初から無かったかのようだ。

なるほど、本当の終わりというのは、こういうものなのだろうか。結局のところ、その体験だけが、そのソシャゲを長い間プレイし、自然と辞めるに至った事で得られた経験、その中で唯一特別なものと言えるのかもしれない。 それに何の意味があるのかはわからないけれど。