7/22/2024

[pol] Old man leaves. Who comes next?

ようやく、です。Joe Bidenが次期大統領選からの撤退を表明しました。お疲れ様でした。

後継指名は当然に副大統領のKamala Harris。人気がない、Trumpには勝てない、と言われ続けて来た彼女ですが、そういったよくない評価は、そのBidenの影に控えるべき立場から来る制約によるところもあったでしょう。

選挙までさほど日数はありませんが、Harrisはこれから制約のない立場で、先頭に立って自由に言葉を発する事が出来るようになります。そこで、自らの、国民を導く指導者たる資質を証明できるならば、逆転の可能性は残されているでしょう。

そもそも、Trumpはあまりにも瑕疵にまみれた候補です。年齢もBidenと大差はなく、その主張に合理的な根拠はなく、社会に無用の争いや対立、また混乱を招き、自身も在職時から今まで収監されていないのが不思議な位の紛争を抱えてもいます。Trump自身の人気は健在ですが、多くの人にとって、未来を託す事の出来る、その期待を持てる候補ではない事も疑いようのない事実でしょう。

年老いた、過去の栄光に縋る老人を選ぶより、不確かでも未来を切り開く事を望む人は数多くいます。彼ら彼女らは、これまでの大統領選には殆ど絶望していたでしょう。長く続いた閉塞を打ち払い、人々の期待に応え、アメリカを、世界を導くに足る指導者としての姿が示される事を望みます。

もっとも、まだHarrisで確定したわけではありませんけどね。しかし誰が出るにしても同じ事です。 偉大なるアメリカに幸いあれ。

[pol] Joe Bidenに救いあれ

7/12/2024

[pol] Joe Bidenに救いあれ

Joe Bidenに決断の時が迫っています。迫っている筈なのです。もしかしたら、本来訪れるべきだったその時は既に過ぎ去っているのかもしれません。しかしまだその決断はなされていません。果たしてその時は来るのでしょうか。だとしたらどのような形で?

彼の歴代最高齢での大統領就任から3年余り、その間にもしばしば明らかな加齢に伴う認知症から来る痛ましい姿を見せ続け、殆どの人がもはや次の4年には耐えられないだろうと予感し、そして先日のDonald Trumpとの公開討論で全世界に無残な姿を晒した事で、公然と立候補を取りやめるべきだと支持者からも主張されるようになった事は周知の通りです。

もはや人の名前を覚える事も、正確に思い出す事も出来ず、公の場にあってさえ頻繁に自失の態を見せるようになった彼に、指導者としての責務を果たす事を期待するのは酷と言うより不可能です。 

何より、誰もが知る通り、大統領選では競争相手、比較相手がおり、例え本人が万全かつ支持層が強固であったとしても相手の評価と情勢如何でギリギリ勝てるかどうかというシビアな選挙です。民主党支持層ですら公然と不安を覚えるような状況で、Trumpを上回る票を集められるわけはありません。その意味でBidenはとっくに詰んでいます。議論の余地もありません。

しかし、そんな状況でも、本人は未だ撤退しようとはしていません。少しでも迷いを口に出したり弱気な態度でも見せたりしようものなら、その時点で終わってしまう事がわかっているから、撤退を決断するその時までそのそぶりは見せない、それは当然の事ではあります。そして、そのあまりに重く残酷な決断をするにも相応の時間が必要、それはその通りなのでしょう。

ただ、彼のあのあまりにあまりな衰えぶりを見るにつけ、不安を感じずにはいられません。そもそも彼は本当にそういう、撤退を検討するにあたっての合理的な判断、そのための多岐に渡る要素を総合検討するといった、合理的な思考が出来ているのでしょうか。出来る状態なのでしょうか。

認知症は、本当に残酷なものです。程度の差こそあれ、その名の通り自分の置かれている状況を認識出来なくなるのですから。抗う事も許されず、時に世界で一番大切な人の事すら容易く永遠に奪い去ってしまう。認知症に侵された彼は、一体どこまで自分の置かれている状況、殊に周囲の人の彼に対する評価を把握出来ているのか。おそらく短期記憶は壊滅的で、長期記憶の部分もかなり破損が進んでいるようですから、もはや彼がリーダーシップを取れるとは思われていない、その現状を把握出来ていなくても全くおかしくはありません。むしろ正確に把握出来ているわけはないでしょう。

今の彼は、現在を正確に認識出来ず、壊れつつある過去の記憶によって立つだけの、まさに全てに別れを告げ、人生の終わりを迎えようとしている一人の老人に過ぎません。その、彼に残された、公僕としての仕事に一生の大半を捧げた記憶から、大統領としての、あるいは大統領候補としての責務を全うせねばならないとの、殆ど妄執のような思考に取り憑かれて、そこから抜け出せなくなっているだけなのだとしたら。

彼には、もはや大統領選からの撤退を、撤退せざるを得ない自らの現状を、認識する事すら出来なくなっているのかも知れないのです。そんな彼に、社会は容赦なく大統領としての責任を課し、再選を目指す候補としての振る舞いを要求し、それに応えられない彼を、その振る舞いをあげつらって批判するのです。だとしたら、それはなんと言う残酷な事なのでしょうか。

その悲劇の責任は、もはや彼にはありません。その年齢から、彼がそうなるかもしれないと知っていながら現在の状況に追い込んだ周囲の責任です。この上は、速やかに彼が解放され、他の多くの老人と同じく、心安らかに人生の最期を迎えられるよう、その周囲の者がケアするのが責任というものでしょう。もちろん簡単な事ではないでしょうけれども。

それで彼の代わりの大統領候補を今から立てるのは大変でしょうし、Kamala Harrisをはじめ、その代替として名前の上がる候補は誰一人として全米で広範な支持を得られるとは考えられず、高確率でDonald Trumpに負けるでしょうが、それも致し方のない事、言ってしまえば自業自得だと思うのです。

他の候補者達が名乗りを上げない、上がらないのは、負けるとわかっているから、Trumpに負けたらキャリアやイメージに傷が付いて今後の戦略上好ましくない、とかそういう理由で、Bidenに敗北を押し付けようとしているのかもしれません。そうだとしたら、卑劣と断ぜざるを得ません。そんな卑怯者が大衆の支持を受ける事は未来永劫ないでしょう。

Highlights from Biden’s high-stakes news conference

 <追記>

それから粘る事しばらく。Bidenは次期大統領選からの撤退を表明しました。一安心と言っていいのか。お疲れ様でした。

[pol] Old man leaves. Who comes next? 

7/11/2024

[note] シャレにならない(かもしれない)石丸氏

先日都知事選に出ていた石丸伸二氏が、その後のメディアへの露出時の言動を巡って各所で話題になり続けているようです。

取り上げられ方は、その話をはぐらかす詭弁的な応答をネタにして茶化すもの、話し相手によって露骨に態度を変える様を指して眉をひそめるもの、そして大半の相手を見下しつつ小馬鹿にしたりして貶めようとする様を非難するもの等、様々ですが、いずれにも共通するのは、到底肯定的なものとは言えない事です。

もちろん全てではなく、ごく一部に共感を示す人もいますが、明らかに少数で、その他の大勢からは石丸氏のそれと同様の扱い、すなわち否定的な反応か無視かを受けています。

公職に就いていたもの、就こうとしたものとして、その言動が注目され、また広く厳しく批判にさらされるのは当然の事ではありますが、行き過ぎはしないか心配になるほどです。もっとも、私自身も先日否定的な評価をブログに書いたのであまり言えた口ではないのですが。

今の所、当の本人はあまり気にした様子でもなく、むしろ嬉々として批判する人達を小馬鹿にし続けているようにも見えますし、実際のところ問題はないのかもしれません。

ただ、彼の言動を嗜めるとか、擁護しようとしたりする味方とか、つまりは仲間とか友人的な人が皆無なのですよね。肯定的になるにしても一部の発言に限って理解を示すとか位がせいぜいです。第三者的な立場からの擁護すらほとんどありません。という事はつまり、ほとんどの人が、他人事としてではなく、自ら石丸氏とその言動について否定的な感情を抱いているということなのではないでしょうか。もしこんな人が近くにいたら到底受け入れられない、といった類の。

そこから推測される事は、要するにこの人はこれまでずっとこうやって、ひたすら自分の衝動のままに周囲の人を意味もなく攻撃し続けて、誰の事も理解しようともせず、当然の結果として距離を置かれ、言ってしまえば嫌われて生きてきたのだろうという事です。直接関わったわけでもなく、選挙とそれに関連する報道を通じて見聞きしただけでこれだけ嫌われるのですから、直に接してあのような言動を浴びせられればどうなるか、それはあまりにも想像に容易いことです。

誰からも距離を置かれる、嫌われる、というのは、場合によってはいじめのような状況になる事もあったかもしれません。しかしそれを非難する事は出来ません。誰彼構わずあのような振る舞いをしていれば、そうなる事は当然の結果と言う他はないのです。それでも今なおそうしているのだから、きっと彼自身かけらも気にしてはいないのでしょう。あるいは人と馴れ合うような真似は死んでもしたくない、位にさえ思っているかも知れません。

だったら何故人と関わる仕事に就こうとするのか、あまつさえ全体の奉仕者たるべき公務員、しかもその責任者になどなろうとするのか、という疑問も生じますが、もしかしたら真逆で、権力を得て人を見下したい、苦しめてやりたい、気に入らない人を排除してやりたい、とか考えているのかも知れませんね。安芸高田市長時代の振る舞いはまさにそんな感じでしたし。

つまりパワハラや権力の濫用こそがしたい事で、それが出来る権力者になりたいから首長に立候補した、とか。そうだとしたら最悪なのですが、ある程度辻褄は合ってしまうのがなんとも。自己満足以外に何の意味もないというか社会的には害悪にしかならないし、第一基本多数決の論理で動く政治の場で周囲の支持もなしにそんな事をしようとしても、自分が排除されるだけでしょうに。

とはいえ、孤独であろう事は間違いないし、ある種の痛々しさも感じずにはいられないのです。少なくとも、面白半分で茶化したり、いくら嫌悪感があったとしても人格への批判を無制限に加え続ける事には、健全な社会の倫理からの躊躇いがあってしかるべきでしょう。

個人的には、そもそも彼は誰もが目にするようなメディアには出てほしくないですね。子供の教育にもよくないと思います。子供が彼の真似をしたりすれば、彼のように友人を無くすだろうし、下手をすれば社会に適応出来なくなってしまいます。シャレになりません。youtubeで動画を配信する位ならフィルタ等で目に入らないように出来るので、それ位に留めておいてもらいたいと思います。多分無理なんでしょうけれども。

 [pol] 大山鳴動した都知事選

7/10/2024

[pol] パワハラ告発者を逆ギレの末に殺した兵庫・斎藤知事と維新

やはり維新の人間だったか、というか。兵庫県の斎藤知事と維新所属議員が人を死なせたようです。胸糞の悪い話ですが一応。

経緯はさんざん報道されているので省略しますが、簡単に言えば、県職員相手に散々パワハラをし、それを元県幹部職員に告発され、事実無根の嘘八百だとして告発者に逆ギレし、あまつさえ罵詈雑言を浴びせていたところ、告発に事実が含まれている事が明らかになり、それ以外の点についても告発内容の真偽を問うために地方自治法100条に基づく委員会が県議会に設置され、追求の手続きが進められていたところ、まさにその開催直前になって証人として出席する筈だった告発者が死亡したという話です。

おそらくは自殺、という事ですが、自殺か他殺かはさておき、その原因が斎藤知事はじめ維新議員のパワハラ告発・100条委員会開催に向けての、告発者たる元県幹部職員への対応というか仕打ちにある事は殆ど疑いようがない状況です。

というのも、当該委員会の審議等は裁判に準ずるものであり、証人の出頭義務や偽証への罰則等も法定されているため、当然ながらその権限を目的外に濫用する事は許されないところ、維新所属の議員は告発書以外の、告発書と共に押収された告発者のプライバシーに属する事項についてもいわゆる黒塗りをせず公開し、審理の対象にしようとしたのだそうです。

これは純然たる人権侵害に他なりません。もちろん違法です。そもそもの前提として、100条委員会の喚問は刑事事件のそれにも等しいものです。証人には出頭義務があり、各種書面の提出義務もあり、黙秘権も制限されます。この場で上記のような事が証人に対してなされる、というのは、例えれば、刑事事件の裁判で、その告訴者が証人として出廷するとして、事件とは何ら関係のない、証人のプライベートな事柄の開示を被告弁護人が求め、あまつさえ裁判長がそれを認めたようなものです。ありえません。公の裁きの場を何だと思っているのでしょうか。

それを知った告発者は、プライバシーへの配慮すなわち告発に関係ない事項の非開示を求め、しかし聞き入れられず、追い込まれていたとのこと。当たり前です。公益性も正当性も何もない、単なる報復のために、そのプライベートな事柄を、公の、しかも証言の拒絶も許されない裁きの場であげつらわれ、理不尽な人格的非難を知事と維新から受けるだろう事になった告発者の心情は察するに余りあります。まさしく絶望と言うにふさわしいものだったでしょう。それこそ自殺を選んでも何ら不思議はありません。

被害者が亡くなった後、これはまずいと思ったのか、慌てて委員会の方では告発書の記載内容以外については非公開とし、審理の対象からも外す旨緊急決議を行ったそうですが、無意味です。委員会側の、特に唯一その公開を求めていたと言われる維新所属議員の泥縄の言い訳・取り繕い的な保身に出たものである事は疑いようがありませんし、むしろその卑劣さに吐き気がしますね。謝罪の言葉もありません。議員云々以前に、およそ人間の所業ではないと言わざるを得ませんね。

当の斎藤知事については何をか言わんや。自分が殺したも同然の相手に、お悔やみを、とかどの口が言うのか。人にお悔やみの言葉を述べる前に自分の行いを悔いるべきです。そして、本当に悔いているというのなら死んで詫びればよろしい。誰も止めませんよ。ショックを受けた?何に?自分が人殺しになってしまった事にですか?何を今更。

代表の馬場しかり、維新はゴロツキやらチンピラが政治やってるようなものとはよく言ったものです。よくこんなのが住民の、国民の代表になろうとするものですね。それをもてはやす人も含め、悔い改める必要があるんじゃないでしょうか。

これは関係ない蛇足ですが、先日終わった都知事選で、もし石丸氏が当選していたら、似たような事が起きていたのかもと思わずにはいられません。ぞっとします。もっとも、彼には維新のようなそのパワハラに加担し擁護するような仲間はいないので、ここまで酷いことにはなりにくいだろうとは思いますけれども。 

斎藤知事のパワハラを告発した兵庫県元幹部が死亡 百条委員会出席で紛糾していたプライバシー問題 

[pol] 大山鳴動した都知事選

7/09/2024

[pol] 大山鳴動した都知事選

東京都知事選が終わりました。

首都とはいえ、あくまで一地方自治体の首長選挙であって、それ以外の地域の住民には基本関係ない話の筈だったのですが、それ以外の地域でも国政選挙であるかのような報道されっぷりでした。その事に多少の違和感はあります。

が、地方選挙の中では群を抜く注目度・影響度がもたらす副作用として、それもある程度までは自然な事だったと言えるでしょう。選挙広告の目的外利用や選挙妨害のような、多分に今後他の地域の地方選や国政選挙にも波及しかねず、それ故に規制の是非が議論され得るだろう事象もありましたし。

しかしそれ以上に、蓮舫氏と石丸氏という特徴的な対立軸を象徴する候補が立候補していた事がその過熱の主たる要因であったのだろうと思います。往々にして単に著名人であるというだけの候補が乱立し、単なる人気投票と化す事も珍しくない都知事選ですが、その2人は程度の差はあまりに大きいにしても、他分野の著名人というわけではなく、いずれも元より政治家として認識されている候補でした。結果、本命・対抗ともに全員が政治家同士の対決という構図になったのです。人気投票の要素は副次的なものとなりました。

この違いは大きいものでした。何故かというと、「現状に不満はあるが、それでも政治の素人はダメ」と考える、投票に関心は十分にあるが消極的に現職か、いなければ最有力候補に投票していた層に現実的な選択肢が出来たのです。実際、小池氏の得票は前回より数割減少し、石丸・蓮舫両氏の得票の合計数は小池氏を上回っています。

これはもちろん歓迎すべき変化です。単に選択肢がないために消去法的に信任を受けるだけの無意味な選挙とは意味合いが全く異なります。況や、人気投票とは比べるべくもありません。無論、有力候補が数人増えたところで、その体現しうる選択肢の軸はたかが知れていると言えばその通りではあるのでしょうが、単なる消去法よりは随分とマシです。

実際問題としては、現職が一定以上の支持を受けている場合等に、その選択肢が現実性を持つには対立候補は一人でなければ共倒れになるという問題もあります。これはジレンマですが、一発勝負の現行の選挙制度の下ではどうにもなりません。決選投票制を導入する他に解決の方法はないように思われます。選挙コストは上がりますが、私は必要なコストだと思います。

話が逸れました。かように、今回の選挙は地方選と言えども現在の日本国内で行われる直接選挙の最も重要なものとして、あるべき姿を指し示すいい選挙だったのではないでしょうか。こういうのを見ると、首相についても直接選挙による公選制を導入したくなりますね。もちろん議院内閣制の(ほぼ)廃止、すなわち憲法の大幅な改正が必要なので、現実問題としておよそ不可能なのですけれども。

ところで、今回の選挙の結果について、負けた側では色々敗因等の分析がなされています。個人的にはあまり意味はないと思いますが、石丸氏、蓮舫氏についてそれぞれ一点だけ触れておきます。

まず蓮舫氏。彼女については、当初対立候補の筆頭と目されていた氏が3番手になったという点が注目されています。それを受けて、その所属団体であるところの立憲民主党では、蓮舫氏や立憲民主党は支持されていないのかと落胆する向きも多数出ているようです。

が、これは的外れだと思います。今回の選挙を通じて、蓮舫氏や立憲民主党の側に、殊更これまでの実績やそれに基づく評価を大きく変動させるような要素はありませんでした。ではなぜこうなったのかと言えば、それは蓮舫氏とその属する立憲民主党という組織の元々の立ち位置によるものであると言う他ないでしょう。

すなわち、氏も立民も、元々、批判票の受け皿になる、という以上の評価を受ける存在ではないからです。これまでも、おそらくこれからも、現状に不満があって、現職等を支持したくない人の消極的な選択肢、その中での(それなりに)相対的な優位を得ているに過ぎないのです。

であるから、他に選択肢が現れれば、そしてそれが積極的な選択肢として成立し得るならば、元より消極的な選択肢が太刀打ちできる筈もなかった。これはただそれだけの話です。仮に石丸氏が立候補していなければ、おそらく蓮舫氏は善戦していたでしょう。場合によっては当選していた可能性も否定出来ません。そうであれば、自身の関係ない要素に左右される、あまりにも不安定な立ち位置と言わざるを得ません。

蓮舫氏というか同党については、その消極的で脆い立ち位置を、積極的な支持を受ける確固たるものに変える事が出来なければ、おそらく今後の選挙でも同じ事になるでしょう。つまり、他に有力な選択肢が現れれば支持されず、現れなければ与党への支持の有無・程度に結果が左右されるのです。いずれにせよ、そこに立民自身の寄与するところは殆どないでしょう。

従って、次の衆院選で立民が勝利する可能性は十分にあります。維新は未だ積極的な選択肢とは言い難く、むしろ万博絡みを中心に将来性への期待さえも失いつつあるようですから。ただ、仮にそうなったとしても、おそらくそれは全く長続きしないでしょう。与党への批判だけを頼りに票を得ても、それは党や政権への支持とは言えません。そんな党が与党になる、という事は、すなわち票を失うという事を意味します。そしてすぐさま議席を、政権を失う。元々実質的な信任がないのだから当然の事です。

そんな見え透いた、誰にとっても不幸にしかならない未来を回避するには、彼ら自身が責任を持って積極的な支持を受けられるだけの、すなわち与党よりよい政権、行政組織を構築・統括し、立法・行政ともに他者に左右されない絶対的な信任を得るに足る実体を備える他はありません。

今更そんなことが可能なのか、正直不可能なのでは、と思わざるを得ませんが、それでもそうするしかないのです。でなければ、実質的に選択肢にはなり得ないし、文句を言う口だけの無責任な人たち、といった不名誉な評価も拭えないでしょう。汚職や不正行為も、単に政権を担っていないから出来ないし追求もされにくいというだけで、自民議員のそれよりマシかというとそんなわけはないでしょうしね。むしろ自民より酷くなる可能性も小さくはないでしょう。評価出来るところが全くない、というわけでは無論ないのですが。それでは全然足りないのです。

次に石丸氏。彼については、色々と批判もそれへの反論も激しくなされています。パワハラ気質だとかアスペだとか、色々言われてもいるようです。どれも自治体の首長たるべき者として、問題なしというわけではありません。しかし、個々の点は、程度問題もあるにせよそれ自体がさほど大きな問題とは思いません。行政を担う者としては、その職務を全うする事が最も重要なのですから。極論すれば、違法の性質を帯びない限り、仕事が出来るならそれ以外は二の次です。

逆に言えば、仕事に支障が出るような点があればそれは問題と言わざるを得ないわけです。で、彼の場合はどう見ても仕事、すなわち行政機関の運営が出来るようには思われないのです。何故か?およそ人と協力する事が出来ないだろうからです。

彼の振る舞い、特に言動を見る限り、彼はそもそも他者とコミュニケーションを取る能力に深刻な障害を抱えています。なぜその言葉を受けてその応答なのか、相手が理解出来ず困惑する事態も頻繁に起こっています。

行政機関は言うまでもなく人の組織です。行政機関の事務の相手も地域の住民を中心とした人です。その運営において、何よりも必要なものはコミュニケーションの能力です。多種多様で時に複雑な人々の話を理解し、適切に対応出来なければならないのですから。そこで誤れば、場合によっては人命にも関わります。当然ながら、この点を軽視する人は、少なくとも自治体の首長としては失格です。

翻って、石丸氏はかなり極端な理想主義者のようです。やり取りを見ると、何事につけ「こうあるべきだ」という理想があって、それに沿わない発言があると、そのやり取りのコンテキストを無視してその点を批判し出します。

確固とした理想がある事、それ自体は美点と言えるでしょうが、状況によらずそれに拘り、話の本題をも無視するようでは本末転倒というもの。しかも石丸氏にはその理想やそれに拘る理由を相手にわかるように説明する気もなく、また相手の事を理解する気もないのだから、相手にとっては普通に(常識的な言葉で)話をしていた筈なのに、わけもわからず突然非難を受けるだけの状況に追い込まれるわけです。文字通り話になりません。

そんな彼が行政組織に入り、決定権や指揮権を持つとどうなるか。確実に機能不全を起こすでしょう。本来そんな事にかかずらわっていてはキリがないというかそんな暇はない筈の些末な事にこだわって時間を浪費し、無駄に事務を停滞させ、組織内の人員を疲弊させ、事務の遅延・遅滞により地域に損害を生じさせ、住民に不満を生じさせるでしょう。議会・議員と協力関係はかけらも築けず、最初から決定的に対立し、予算・人事の承認すらままならなくなるでしょう。

組織・設備等の改廃を独断かつ安易に強行しようとし、地域社会にリスクをもたらす可能性も小さくはないでしょう。もっともこの点については、偶然成功する場合もあるかもしれません。が、多数の経験豊富なスタッフによる行政組織の施策と素人の賭けとでは常識的に考えてそのリスクは比較になりません。相対的に悪い結果になる可能性は極めて高いでしょう。

そして必然的にその過程で受けるべき膨大な正当な非難と、それ以上に膨大な理不尽な非難を受け、その尽くと対立し、何もできなくなるでしょう。

そんな未来が見える、それが彼の決定的な問題だと思うのです。もちろん、実際に職につけばそれなりに現実的な対応をするようになるのかもしれませんが、今の時点ではその期待を持つ事は出来ません。単なる希望的観測による妄想に過ぎないのですから。

以上、簡単にと思いつつも長々と考えを巡らせてみたわけですが、結局のところ、小池氏の再選は妥当だったのだろうと言わざるを得ないですね。学歴詐称問題だとか、公約無視だとか色々非難は受けていますが、知事として最も重要な実績、すなわち安定的に知事職を全うしてきた事実はやはり何よりも重かった、それだけの事なのでしょうから。いかに知名度や話題性、そこそこの対立軸があろうとも、それを凌駕するのは容易ではないのです。

結果としては、大山鳴動して鼠一匹、いや狸一匹か、な感じではあるので、無駄に騒ぎすぎだとの思いも消えませんけどね。それでは。