東京五輪が終わりました。コロナウィルス蔓延への唯一と言ってよかっただろう有効な対策であったところの市民の危機意識とそれによる衛生観念を消し去って。
それらの失われた意識というのは、自らを律する、倫理的なものでした。倫理に類する意識というのは、一度箍が外れれば二度と元には戻りません。後の祭り、の意識すら生じるかどうか極めて疑わしいと言わざるを得ない、破滅的な状況です。
私個人は、五輪には一切興味もありませんでしたから、開会から閉幕まで、競技の中継、録画等を含め、動画としての五輪情報には一切触れませんでした。テレビは元々見ない生活ですし、ネット上の主たる情報源についても、他の報道等に混じって、記事等の見出し、またそれに付随する静止画像が目に入った程度です。その記事を開かない限り、詳細に触れる事はありません。とりわけ、youtubeはじめ、動画サイト等では全く見かけませんでした。権利関係が厳格に管理されていたからでしょう。それ自体は少なくとも五輪によって不快な動画像の視聴を強制される事がなく、通常通りの精神的に平穏な生活を送る事が出来た、という意味で私にとって喜ばしい事でした。
しかし、五輪自体の不快な情報とは離れて過ごすことが出来ても、それによる悪影響、すなわち危機意識の消滅に伴うコロナの壊滅的な拡大とそれによる医療崩壊と患者・死者の増加については、無論の事無関係ではいられません。
この状況を招いた政府、東京都等の自治体、それに群がったメディア各社等の主犯というべき連中については、憤懣の念を禁じえません。といって、怒ったところでどうにもならないのですが。文字通り、もう終わった事なのです。