8/19/2013

[pol] PRISMを通して見えたアメリカ、不誠実の国

Edward Snowdenの暴露に端を発したPRISMの件で、今更ながら思うところを少し。

本件を端的にまとめると、米国家安全保障局(NSA)が2007年から長年に渡りGoogle(Youtube含む),Microsoft,Facebook,Apple,Yahoo!,AOL,Skype,PalTalk等の米国に拠点を持つ大手ITサービス企業と結託してインターネット上の情報の相当割合を監視するプロジェクトPRISMを運営していた事実が元NSA職員のEdward Snowdenにより暴露された、というものですね。

発覚を受けて、フランスが即時廃止を求める等、諸外国からの反発を受けたものの、元よりPRISMに協力していた英国では適法との見解が出され、米国内では国民の過半数の支持を得て、また政府も公認を与えて開き直り、協力企業各社も事実上追認し、批判に晒されながら現在も運営は継続され、上記各社のトラフィックは引き続き当局の監視下に置かれているわけです。

さて。Snowdenの身柄を巡る綱引きや政府の監視に対する反発、擁護の各意見、その経過等については既に山ほど記事が出されていますから今更述べようとは思いません。ただ、米国外の一個人として、この件が持つ意味について、多少なりと思うところがないわけではないのです。

まず、本件PRISMプロジェクト自体の是非については、その国民の支持と政府の公認がある以上、その活動が米国内に留まる限り、外国人が特に何も言うことはないでしょう。国内政策なのですから、その国の人間が好きにすればいい事です。テロの防止を優先させるという理由にも、米国の現状を踏まえれば相応の妥当性が認められない事もない、ように思います。

しかし、対外的な関係に与える影響に関しては看過し難いところです。例えば、米政府の従来の姿勢、殊に中国等の諜報行為に対して公然と加えてきた非難等については、己の行為を棚に上げてよくもあのような非難が出来たものだと。正義も正当性も、米国が口癖のように使うFairnessも、全てが欠片も無かった事が明らかとなった今、極めて強い軽蔑の感を禁じ得ません。もはやこれから先、米国が"Justice"を主張しても、その言葉を信じる事は不可能に思われる程です。

協力した民間企業についても、政府と国家の安全保障という公共の利益のため、という理由にはそれなりの妥当性が認められますし、やはり各企業の施策なのですからするもしないも自由です。しかし、その膨大な、ほとんど全世界全ての顧客の信頼を裏切った事は事実なのです。ハッキングを不正と糾弾し、その対策が万全であり秘匿性は十分だとして顧客と契約しておきながら、全業務データを秘密裏に外部の監視に供する、これを裏切りと呼ばずして何を裏切りと呼ぶというのでしょうか。

当然その報いは小さいものではあり得ません。民間企業では特にクラウド等の顧客データを直接預かるサービスに対し、本件に伴ってEU圏の顧客が米国外のサービスに乗り換えるだけで年あたり兆単位の逸失が発生するとの見積りも出ているようですが、当然の結果と思われます。信頼出来ないサービスなど、使うのは何も知らない愚か者か、そうしなければならない絶対的な理由がある不幸な者くらいでしょうから。

もっとも、PRISMが未だ些かの修正を加えられる事すらなく、依然として稼働し続けているところを見ると、各企業も、そのような経済的な損失は認識した上で、それよりも監視への協力の方が重要だと考えているんでしょう。それならそれで一つの経営判断というもの、特に外部がとやかく言う筋合いは有りません。事業にとって殆ど致命的となるだろうその巨額の損失、また企業存続の基礎たる顧客の信頼までもを犠牲にした判断、その合理的な理解は極めて困難に思われますし、しかも、そのような判断を米国IT産業の殆ど全てと言ってもいい程の大企業群が揃って下している事実は、こうして眼前に突きつけられてなお信じ難く思われるところなのですが。

要するに、私個人にとって、本件の本質は、米国は政府も民間も、共に隣人や顧客に公然と裏切りを働き、露見した後も開き直って恥じることもない不誠実な人だらけである、その事を強く認識させられてしまった点にあるように思うのです。そして、その事に私は裏切られたと感じているのだと思うのです。思ったより強く。極めて残念な事ですが、私が信じていた米国は、もはや建前としてすら存在しないらしいのです。いいのです、それでも。所詮は他国、他人なのですから。自分の利益を全てに優先し、その為に他者を侮辱し、手酷く裏切っても、何も不思議はありません。ただ、残念なのです。米国も、中国と同じか、ある意味ではそれ以下と言うべき程に不誠実な国である、とそう認識せざるを得なくなった事が。

今にして思えばGoogleは当初から公言していました。ネット上に秘密など存在しないと。公にしたくない事は、そもそもネットや公共の耳目のあるところでしてはいけないと。長年非難を受け続けてきたその"Do Evil"を公認する事が、実はそれが、米国企業としては相対的にせよ最も誠実な態度であったとは、何という皮肉でしょうか。