11/21/2025

[note] 情報の偏りがもたらすdiscommunication

どうにも話が通じない、というか。

話の前提となる事実や状況についての認識がかけ離れていて、コミュニケーションを取るのに困る事がなんだか増えたような気がするんです。

それ自体は、もとより立場も来歴も知識も異なる人同士であれば起こって当然の事ではあるんですが、基本的にそういう齟齬はパーソナルな事柄を中心に起こるもの、な筈です。そうであれば別に困りません。むしろそういう齟齬があるからこそ人同士のコミュニケーションに意味が生じるとも言えるでしょう。

困るのは、それ以外の場合、殊に客観的な事実や状況について深刻な齟齬がある場合です。

単純な勘違いや記憶違い位なら指摘すればそれで済むのですが、何がどうしたのか、明らかに事実と異なる認識を、しかも強固に持っているようなケースが以前より増えたように思うのです。

そのような場合は、訂正は極めて困難、あるいは不可能です。宗教における教義とまでは行かずとも、それに近い困難さを感じる事もあります。

以下、国際的な話の場合を例に取って述べます。

国際的な話題の場合、当然ながら国や地域、またそれらの関係についての知識・認識が前提として必要になるわけですが、これがどうにもおかしい。

とりわけ、他国と日本との関係については、天動説的というか、まるで日本が常にその中心かその付近にいるかのように考えている、としか思えないような言動をしばしば耳にします。

具体例で言えば、最近の日本と中国の台湾を巡る関係悪化についての話で、中国の総領事が高市総理に対して過激な発言をした件について、"世界が見ている中であのような暴言、恥ずかしくないのか"、とかそういった言葉が出てくるのです。

こちらは、世界が見ている?何を言ってるの?と困惑する他ないわけです。

本来言うまでもない話だと思うんですが、どの国の人も、自分達に直接関係しない他国の話など気にも留めません。日本のメディアや一般市民にしても、例えばインドとパキスタン、あるいはイギリスとフランス、またイスラエルとイラン、近隣ではタイとカンボジア、そういった他国同士が多少関係を悪化させた時に、それに興味を持って注目する人、注目した人がどれほどいるでしょうか。

ああそう、大変だね、と一応事実を認識した上で聞き流すならまだ関心を持っている方で、大半はそもそも気にも止めなかったでしょう。

当然です。他人事なのですから。 そしてそれは、そのまま他国の人が日本について取る態度でもあるのです。ああそう、大変そうだね。私達に関係ないなら、どうぞご勝手に。

他国間の事に関心を持ち、注目するのは、自分達に直接関係する、それも現に関わる必要がある場合のみです。米国で言えば、Ukraine-Russia、Israel-Arab諸国のような場合ですね。実際に戦争をやっている地域が幾つもあるのに、口喧嘩や貿易規制程度で一々注目する意味もないでしょう。

実際、件の日中の関係悪化についての米国での報道での扱いは微々たるものでした。"日本が中国を怒らせ、制裁を課されている"、という記事がworldカテゴリの中で取り上げられただけです。トップニュースはEpstein filesの公開に関する話題やICEの不法移民摘発等、国内のニュースが大半を占め、そこに時折IsraelやUkraine-Russiaの話題が入り込む位でした。日中の問題自体、注目などされていない。関係記事を漁れば詳細も知ることも出来なくはないでしょうが、わざわざそんな事をする物好きはほとんどいません。

米国は台湾問題については当事者に次ぐ、比較的関係の深い立場の国ですが、その米国ですらそのような扱いです。世界が見ている、などとはとても言えないでしょう。

いわんや総領事の発言をや。そんな事は日中両国内の話でしかないのです。しかるに、上記の世界が見ている云々の発言は、世界に恥を晒している、という視点から、すなわち欧米各国等の他国も含めた国際世論という、ありもしない立場から発せられているように聞こえました。そして、国際的に間違っているのは中国の対応であり、従って国際世論は日本の味方な筈だから、各国の協力も得られるだろう、というような前提で話していたのではないかと思うのです。この辺りは私の推測ですが、そのように解釈しなければ理解し難いように思われたのですね。

私としてはそんな事は他国にとっては関係ない、というか今回の件はもっぱら日中間の問題だから、現状の日中双方の立場と関係を踏まえて日本は中国に対してどう対処すべきか、とかそういう話をするべきだと思うのだけれど、相手の寄って立つ前提、問題に対する視点からして噛み合わないものになってしまっていて、発言に窮してしまった、というわけです。

話を続けるのは困難だと思ったので、その時の会話はそこで打ち切りにしました。コミュニケーション失敗です。

話を戻します。このところ、上記と似たような、ありもしない前提からされる発言を聞く機会が増えたように思います。これが偶然なのか、必然なのかは判然としません。

ただ、こと上記の、日本が各国から常に注目され、重視されている、という認識については、国内メディアというかネットも含めた日本人向け報道の傾向が影響しているのではないか、と思う事はあります。

元より日本の国内メディアはとにかく日本が関係する事しか報道しない、という傾向が非常に強い性質があります。自国の関係する話題を優先する事自体は万国共通ではありますが、日本のメディアは特にその傾向が強いという事はしばしば指摘される所です。

その傾向は、海外の事柄についても貫徹されています。とにかく日本が関係した事しか報道しない。そして、その報道に際しても、基本的に日本の視点からしか見ないし、見せない。相手の視点が取り上げられるとしても、それは日本に対するアクションがあった時、すなわち日本に注目した時の事しか取り上げられず、その他の事は最低限に留める。なお、ポジティブなアクションがされた場合は殊更に取り上げる、と万事そんな調子です。第三者的な視点など皆無です。

するとどうなるか。 

結果として、日本向けの報道・記事に載る海外各国とその人々と関係する事柄は、およそ全て日本がその中心にいるか、重要で密接な関係を持ち、あるいは特別視される、"常に承認されている"姿ばかりが取り上げられ、報じられる事になるでしょう。

それに晒された人が、当然の結果として、海外各国、またその日本との関係はそういうものなのだ、と錯覚するようになる。一方でそれ以外の、日本とは関係ないところで営まれる各国の日常は全て捨象されてしまう。そのような姿が主たるものと思い込む。

そういう、日本語メディアのもたらす弊害、言ってしまえば一種の洗脳こそが、認識の齟齬の根本的な原因なのではないか。

各国の実態を知っていれば無論ありえないし、そうでなくとも、日本向けでない各国の報道を多少なりとでも見ていれば起こり得ない話です。私自身、本当にそんな事が起こるのか、との疑念を禁じ得ないところではあります。しかし、考えれば考えるほど、そういう事が起こっているのではないか、という思いが消えてくれないのです。

そしてそのような現象は、日本と海外の関係に対する認識だけではなく、その他の、あらゆる事柄で起こりうるでしょう。溢れ返る情報に溺れ、そこで取り上げられた部分や側面だけが全てとされて、捨象された事柄・部分・側面等は存在しないものとして扱われてしまう。恐ろしくも病的。SFホラーのような話です。

まあ、実際にそうなっているのだとしても、どうする事も出来ないのですけれども。メディアは受け手が見たい情報を報じるものなのだし、多くの人がそういう情報を求めているというのなら、誰にもどうする事も出来ないでしょうから。表現の自由の行き着く先が、そのようなディストピア染みた情報に支配される世界だと言うのなら、それは皮肉な話ですね。

そこでは、情報に流されない、従って錯覚に溺れる事が出来ない人は、理不尽な疎外感を抱えて生きる他ないのでしょう。嫌な世の中になっていく、と一人で嘆くのがせいぜいでしょうか。残念なことです。