悪い方に半端ない感じの東芝さん、あっさりメモリ事業の売却に踏み切ってしまいました。
いやこれどうなの。どう理解すればいいの?と困惑させられてしまいました。というのも、東芝がその主力としている事業は周知の通りこのメモリを含む半導体事業と電力関連事業です。無論後者は今回の窮地に至った主要因であり、その中核たる原子力関連事業について、少なくとも収益性の面では最早事業としての体を成していないとも言える惨状にあるところ、メモリ事業は東芝に残された唯一の主力事業であり、東芝そのものと言っても過言ではない程の、換えの効かない事業である筈です。
そのような事業を、本体から分離し、1/5程度とは言っても売り払ってしまう、というのは、それは身売りをするに等しい、あるいは東芝という企業体にとって致命的とも言える措置であるわけですが、それを今期の決算における債務超過を回避するという、目先の資金目的のためだけに、あっさり決定してしまったわけです。
そして、問題の原子力を中心とする電力関連事業は本体に留まったままです。従って今回の決定は、事業戦略の観点から見れば、原子力事業と半導体事業を天秤にかけ、原子力事業を取ったという事に他ならないわけで。周知の通り、原子力事業の状況は今後の見通しも含め壊滅的であり、本件によって今年度の損失を穴埋めしたところで、来年度以降も業績を回復させる見込みはなく、再び巨額の損失を生じる可能性はむしろ高いものと見られており、事業としての収益性、安定性、継続可能性、どれをとっても論外というしかない状況にあります。誰が見ても半導体事業とは比較にもならない、その事に疑問の余地はないのにも関わらず、真逆の選択に安易に踏み切ってしまったというのは、事業の継続を放棄するに等しい、まさに驚愕すべき愚かな決定と言えるでしょう。裏切られた株主はどんな気持ちなのでしょう。
他に柱があるというのなら、まだ正当化の余地はあったでしょう。しかし、家電も医療機器も、昨年までにその都度生じた損失の穴埋めのための金銭に替えられてしまっており、既にありません。目先の資金調達が重要でない筈はありません。しかし、一時的に債務超過になったとしても、破綻しなければ企業は存続出来るし、仮に破綻したとしても、継続可能な事業がある限り、再生も可能な一方、逆に事業を売り払う事でその実体を失ってしまえば、継続も再生も不可能になってしまうのです。今の東芝にとって、メモリ事業は、企業の継続に不可欠な筈のものでした。たとえ債務超過に陥り、一旦上場廃止になってでも、その後再起を果たすためには絶対に必要な同社に残された唯一の、それだけは手放してはならない、そういう類の事業である筈だったのですけれども。。。いやはや。こんな場当たり的に売り飛ばしてしまうとは。
思えば、本件に絡むここ数年の東芝の事業売却は、全て目先の資金調達のためだけに行われたものばかりでした。東芝にとって、既に事業というのは、単なる商品と何ら変わりない、金銭と同視すべき交換価値的なものとしか映っていないのでしょうか。本当は、それらの事業こそが、東芝という事業体すなわち自分自身そのものである(あった)筈なのですが。
いずれにせよ、既に決定はなされてしまいました。撤回される可能性はまずもって皆無、である以上はもはやその決定の是非を云々しても意味はないのでしょう。KKRらファンドの商材となるのか、WDやSAMSUNGら同業や関連業種の他社に吸収されるのか。それともCANONら新規参入組に引き継がれるのか。いずれにせよ、来年度以降の東芝は、不良事業たる原子力を本業とし、その他にはインフラ事業と、あと他社に劣るITサービス事業を持つに過ぎず、もはや成長の見込みはおろか持続すら危うい斜陽企業に落する事は必至です。既に数年後の整理・清算を想定する向きも少なくありません。果たしてその通りに消滅の道を辿るのか。誰も想像出来ない何かが起きて、電力事業が復活するような事があり得るのか。そんな都合のいい話なんて期待するだけ愚かな事だろうと、冷めた目で見るより仕方ない話だろうと思いつつ。
[過去記事 [biz] 東芝の原発事業減損再び]
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1/28/2017
1/26/2017
[pol biz] 中国の歴史捏造疑惑をビジネス上の戦略に取り入れたアパグループ
中国人によるインバウンド消費の終了とか、ナショナリズムによる国家間の分離主義の台頭やら、色々と象徴的な感じがするところの、アパホテルの南京事件否定書籍設置の件についてです。
既に周知の通り、本件は同ホテルを含むアパグループ経営者の元谷外志雄氏が藤誠志名義で執筆した著作「理論近現代史学II」を客室に設置した事によるものです。同著作は、南京大虐殺に対し否定的な見解を取っており、これが中国政府の見解と真っ向から対立するものであることから、その反発・非難を招き、当然に撤去の要求も受けたところ、これを拒否したことで、その対立が決定的なものになったというものです。なお、今以ってその対立は継続中で、概ね膠着状態に入ったように見えます。一旦まとめるにはいいタイミングなのかな、と。
当然の帰結として、中国ではその撤去を強制すべく、殆ど同ホテルの利用を禁止する類の措置が採られ、また同ホテルの予約サイトへのDOS攻撃も実行されて一時予約不能になったりしていたようですが、これらの中国側からの活動は功を奏することなく、アパグループの姿勢を硬化させ、また報道を通じてその主張を広く鮮明に知らしめただけの結果に終わっています。
さて。本件は色々と際どいラインを通っているものですから、端から見ているだけでもハラハラさせられます。そもそもそれなりの規模を持つ法人事業者が、その事業を通じてこの種の政治的主張に関わる措置を採る事自体が稀な事から、前例に倣って理解する事も困難だという事情もそこに一役買っているのでしょう。そのような話ですから、本件を理解するにあたっては、原則として個々の事情を具体的に把握した上で、理論的な分析を積み重ねる他ないわけです。しかしその際どさから、その理解における少しの違いが、結論における是とする側と否とする側への分かれ目になってしまう怖さがあるように思うのです。国家間の話だし主義主張の話だしで、もとより是非両論あって当然なのですけれどもね。
ともあれ、順に検証してみましょう。まず、問題の書籍自体についてはどうか。結論から言えば、準拠すべき国内法に照らして違法なところはない、と言うべきでしょう。元谷氏が上記著作を執筆したこと、またその中で南京大虐殺の存在を否定する見解を述べた事、そしてそれを書籍として発行した事は、全て合法です。というよりむしろ、それらの行為は表現の自由として日本国憲法の保障するところであって、内容の修正・撤回や発行の禁止等を強制する権利は誰にもないし、元谷氏側にそれらの要求に従う義務はないのです。なお、当然ながらアパグループは書籍自体については法的には何の関係もなく、法人として責任を負うことはありません。
では、著作をホテルの部屋に設置した点についてはどうか。書籍それ自体が合法である限り、その客室への設置を禁ずるものと解される規制は存在せず、事業者の自由に委ねられているところであり、従ってこれも原則として合法です。ただ、その目的が違法なものである等の特段の事情がある場合は違法となる余地はあるでしょう。実はこの点に関連して、少々際どい話が出ていました。それは、アパホテル側が出した声明として流布され、後に同社によって否定された"中国人の予約は受け付けない"という旨の発言です。
本発言は明らかに宿泊の拒否を表明するものですが、営業者が宿泊を拒否し得る要件は旅館業法で定められており、国籍・人種等は当然ながら該当しません。そのため、中国人である事を理由とする宿泊拒否は、違法となります。このことから、本件書籍の設置が、本発言と同様の意図、すなわち中国人の宿泊拒否を目的としてなされたものである場合には、やはり旅館業法違反として違法性を帯びるものと言えるでしょう。流石にその辺はアパ側も理解していて、本音はどうあれ否定する外なかったのでしょう。
この点は本当に際どい感じです。このような書籍の設置が、中国人に対する事実上の拒否とも解しうる事は周知の通りであるわけですから。しかし、それはあくまで事実上の話であって、宿泊やその予約自体を拒否しているわけではない事、また本書籍は経営者が公に発行した書籍であり、専ら宿泊拒否目的のために作成されたものではない事、大多数の中国人は日本語で書かれた本書籍を読む事が出来ないため、拒否の意図があったとしても伝わらず、実際の宿泊に際して本書籍による中国人への拒否自体が不能と言えるだろう事、また客室への同様の書籍の設置は今回に始まったものではなく、同ホテルで以前から常態的に行われている措置である事、等からすれば、宿泊拒否の意図が窺われる事は否定されないにせよ、今回の書籍の設置をもって、ただちに中国人の宿泊を拒否するものとは解せられない、と言う外ないように思われるところです。
結論はやはり合法というべきでしょう。しかし実際には中国人を排除する効果があるわけで、おそらくは意図的だっただろうところ、本来違法である筈の特定国籍人のみの排除を合法的に成功させた事には、脱法的な側面はあるにせよ、上手くやったものだと、ある種の感嘆を抱かざるを得ないのです。それ以上に、よくこんな怖い事するなとも思うのですけれども。既に発生しているソフト的な攻撃は無論、物理的な攻撃の標的になる可能性は非常に高いだろうし、そこまで行かずとも、機会損失は無論としてそれ以上の事業面の著しい困難に直面する可能性もあって、一歩間違えば、というより何も間違わなくても問答無用で破滅しかねないレベルのリスクを負っているわけですから、普通なら、大手と言えども一私企業グループに負えるようなものではないように思われるのですけれども。。。元谷氏はよく平気ですね。氏の事は何も知りませんが、きっと経営者じゃなかったら靖国通りで街宣車乗り回してただろう、的な人物なんでしょう。そうでもなければ、どうしてこんな無茶を為し得るというのでしょうか。
問題は、このあまりにも有効な排外措置が、他の事業者等へも広がるのか否かです。実際のところ宣伝にもなるでしょうし、そこそこ広まる可能性は低くなく思われる一方で、右翼的な言説・活動自体への忌避感も相当なものがありますから、どうなるとも予測する事は困難です。が、そもそもこの種の、歴史問題周りの行為を中韓との距離を取る為の手段として利用する、というのは日本政府が近年よく行なっているところでもありますし、これから時間をかけて忌避感が薄れていく可能性もないではないのかもしれません。
いずれにせよ、本件で一種のタブーが破られた、と言っていいのでしょう。それも二重に。一つは、政治的な問題、それもナショナリズムに関する対立を公共的な性質の強い、民間の大手事業者の事業に持ち込んだ、という点。もう一つは、インバウンド消費の主たる顧客として半ば特別視されてきた中国人を、その受け手の業界であるにも関わらず、敢えて排除する姿勢を公にした、というものです。
それは、経済的な合理性というだけでは説明し得ない、というよりそれを犠牲にしてでもナショナリズムを優先する、国家を主体とした分離主義の現れと解釈すべきなのでしょう。分離主義は既に欧米での政権においてその隆盛が明らかになっているところですが、それが政治のレベルに止まらず、民間にも波及している事を示すもののようにも思われるのです。これが、一過性のものに過ぎないのか、それとも引き返す事が困難な、決定的な社会の転換の始まりであるのか、それは現時点では知りようのないところです。ただ、その違いは、あまりにも重大なものなのであって、それがどちらとも判じ得ないというのには、やはり不安を覚えずにはいられないのです。
さしあたっては、改正と称する憲法の形骸化・無効化が実現されるか否定されるかが一つの焦点になるでしょうか。自民党の草案は、尽く人権を国家及び公権力に劣後させ、さらに公権力の拡大を図る、あまりにも酷いものです。それが全ての国民の意思でなされるならそれはそれで仕方のない事なのでしょうけれども、そんなわけはないだろうところ、それでも、国家を第一に据え、国家を守るための軍隊を作り、個々人の人権は国家の利益の前に全て犠牲とされる、戦前・戦中の悪夢のような社会が再び訪れる事になるのか、その可能性が小さくないという、陰鬱たる現実を、今回の件は改めて感じさせるものでもあるように思われてならないのです。
[関連記事 [biz] わずか1年で終了したインバウンド消費、その甘過ぎた見込みと減損の責任の所在]
既に周知の通り、本件は同ホテルを含むアパグループ経営者の元谷外志雄氏が藤誠志名義で執筆した著作「理論近現代史学II」を客室に設置した事によるものです。同著作は、南京大虐殺に対し否定的な見解を取っており、これが中国政府の見解と真っ向から対立するものであることから、その反発・非難を招き、当然に撤去の要求も受けたところ、これを拒否したことで、その対立が決定的なものになったというものです。なお、今以ってその対立は継続中で、概ね膠着状態に入ったように見えます。一旦まとめるにはいいタイミングなのかな、と。
当然の帰結として、中国ではその撤去を強制すべく、殆ど同ホテルの利用を禁止する類の措置が採られ、また同ホテルの予約サイトへのDOS攻撃も実行されて一時予約不能になったりしていたようですが、これらの中国側からの活動は功を奏することなく、アパグループの姿勢を硬化させ、また報道を通じてその主張を広く鮮明に知らしめただけの結果に終わっています。
さて。本件は色々と際どいラインを通っているものですから、端から見ているだけでもハラハラさせられます。そもそもそれなりの規模を持つ法人事業者が、その事業を通じてこの種の政治的主張に関わる措置を採る事自体が稀な事から、前例に倣って理解する事も困難だという事情もそこに一役買っているのでしょう。そのような話ですから、本件を理解するにあたっては、原則として個々の事情を具体的に把握した上で、理論的な分析を積み重ねる他ないわけです。しかしその際どさから、その理解における少しの違いが、結論における是とする側と否とする側への分かれ目になってしまう怖さがあるように思うのです。国家間の話だし主義主張の話だしで、もとより是非両論あって当然なのですけれどもね。
ともあれ、順に検証してみましょう。まず、問題の書籍自体についてはどうか。結論から言えば、準拠すべき国内法に照らして違法なところはない、と言うべきでしょう。元谷氏が上記著作を執筆したこと、またその中で南京大虐殺の存在を否定する見解を述べた事、そしてそれを書籍として発行した事は、全て合法です。というよりむしろ、それらの行為は表現の自由として日本国憲法の保障するところであって、内容の修正・撤回や発行の禁止等を強制する権利は誰にもないし、元谷氏側にそれらの要求に従う義務はないのです。なお、当然ながらアパグループは書籍自体については法的には何の関係もなく、法人として責任を負うことはありません。
では、著作をホテルの部屋に設置した点についてはどうか。書籍それ自体が合法である限り、その客室への設置を禁ずるものと解される規制は存在せず、事業者の自由に委ねられているところであり、従ってこれも原則として合法です。ただ、その目的が違法なものである等の特段の事情がある場合は違法となる余地はあるでしょう。実はこの点に関連して、少々際どい話が出ていました。それは、アパホテル側が出した声明として流布され、後に同社によって否定された"中国人の予約は受け付けない"という旨の発言です。
本発言は明らかに宿泊の拒否を表明するものですが、営業者が宿泊を拒否し得る要件は旅館業法で定められており、国籍・人種等は当然ながら該当しません。そのため、中国人である事を理由とする宿泊拒否は、違法となります。このことから、本件書籍の設置が、本発言と同様の意図、すなわち中国人の宿泊拒否を目的としてなされたものである場合には、やはり旅館業法違反として違法性を帯びるものと言えるでしょう。流石にその辺はアパ側も理解していて、本音はどうあれ否定する外なかったのでしょう。
この点は本当に際どい感じです。このような書籍の設置が、中国人に対する事実上の拒否とも解しうる事は周知の通りであるわけですから。しかし、それはあくまで事実上の話であって、宿泊やその予約自体を拒否しているわけではない事、また本書籍は経営者が公に発行した書籍であり、専ら宿泊拒否目的のために作成されたものではない事、大多数の中国人は日本語で書かれた本書籍を読む事が出来ないため、拒否の意図があったとしても伝わらず、実際の宿泊に際して本書籍による中国人への拒否自体が不能と言えるだろう事、また客室への同様の書籍の設置は今回に始まったものではなく、同ホテルで以前から常態的に行われている措置である事、等からすれば、宿泊拒否の意図が窺われる事は否定されないにせよ、今回の書籍の設置をもって、ただちに中国人の宿泊を拒否するものとは解せられない、と言う外ないように思われるところです。
結論はやはり合法というべきでしょう。しかし実際には中国人を排除する効果があるわけで、おそらくは意図的だっただろうところ、本来違法である筈の特定国籍人のみの排除を合法的に成功させた事には、脱法的な側面はあるにせよ、上手くやったものだと、ある種の感嘆を抱かざるを得ないのです。それ以上に、よくこんな怖い事するなとも思うのですけれども。既に発生しているソフト的な攻撃は無論、物理的な攻撃の標的になる可能性は非常に高いだろうし、そこまで行かずとも、機会損失は無論としてそれ以上の事業面の著しい困難に直面する可能性もあって、一歩間違えば、というより何も間違わなくても問答無用で破滅しかねないレベルのリスクを負っているわけですから、普通なら、大手と言えども一私企業グループに負えるようなものではないように思われるのですけれども。。。元谷氏はよく平気ですね。氏の事は何も知りませんが、きっと経営者じゃなかったら靖国通りで街宣車乗り回してただろう、的な人物なんでしょう。そうでもなければ、どうしてこんな無茶を為し得るというのでしょうか。
問題は、このあまりにも有効な排外措置が、他の事業者等へも広がるのか否かです。実際のところ宣伝にもなるでしょうし、そこそこ広まる可能性は低くなく思われる一方で、右翼的な言説・活動自体への忌避感も相当なものがありますから、どうなるとも予測する事は困難です。が、そもそもこの種の、歴史問題周りの行為を中韓との距離を取る為の手段として利用する、というのは日本政府が近年よく行なっているところでもありますし、これから時間をかけて忌避感が薄れていく可能性もないではないのかもしれません。
いずれにせよ、本件で一種のタブーが破られた、と言っていいのでしょう。それも二重に。一つは、政治的な問題、それもナショナリズムに関する対立を公共的な性質の強い、民間の大手事業者の事業に持ち込んだ、という点。もう一つは、インバウンド消費の主たる顧客として半ば特別視されてきた中国人を、その受け手の業界であるにも関わらず、敢えて排除する姿勢を公にした、というものです。
それは、経済的な合理性というだけでは説明し得ない、というよりそれを犠牲にしてでもナショナリズムを優先する、国家を主体とした分離主義の現れと解釈すべきなのでしょう。分離主義は既に欧米での政権においてその隆盛が明らかになっているところですが、それが政治のレベルに止まらず、民間にも波及している事を示すもののようにも思われるのです。これが、一過性のものに過ぎないのか、それとも引き返す事が困難な、決定的な社会の転換の始まりであるのか、それは現時点では知りようのないところです。ただ、その違いは、あまりにも重大なものなのであって、それがどちらとも判じ得ないというのには、やはり不安を覚えずにはいられないのです。
さしあたっては、改正と称する憲法の形骸化・無効化が実現されるか否定されるかが一つの焦点になるでしょうか。自民党の草案は、尽く人権を国家及び公権力に劣後させ、さらに公権力の拡大を図る、あまりにも酷いものです。それが全ての国民の意思でなされるならそれはそれで仕方のない事なのでしょうけれども、そんなわけはないだろうところ、それでも、国家を第一に据え、国家を守るための軍隊を作り、個々人の人権は国家の利益の前に全て犠牲とされる、戦前・戦中の悪夢のような社会が再び訪れる事になるのか、その可能性が小さくないという、陰鬱たる現実を、今回の件は改めて感じさせるものでもあるように思われてならないのです。
[関連記事 [biz] わずか1年で終了したインバウンド消費、その甘過ぎた見込みと減損の責任の所在]
1/17/2017
[law] 過去の検査結果改竄疑惑の高まる豊洲汚染
無理なものを無理と認めて諦める。それだけの、誰もが日常的に行っている至極当然の事が、公の事業であるというだけでこれほどまでに面倒な事になってしまうのですね。
中央卸売市場の豊洲移転の件、地下水検査で従来の検査結果と比較して桁違いの汚染度を示す結果が出たそうで大騒ぎです。シアンまでも検出されたとか。検査が全くの誤りであったというのでもない限り、移転は中止とせざるを得ないものであることは間違いありません。いやまあ、それがなくても絶望的だったんですけれども、これで息の根も止まったかなと。
移転の是非に関する結論に議論の余地はほぼないだろう一方で、これまでの検査結果、特に新知事就任前までは全く環境基準に抵触するものすら無かったところから今回の結果へと転じた理由については現在のところそれを判ずるに足る証拠はなく、様々な憶測が飛び交っています。
あり得る原因としては、およそ次の3つのいずれかとなるでしょう。
1.知事選前後に地下水が汚染された(検査結果は全て正確)
2.以前の検査結果が誤っていた
3.今回(及び前回)の検査結果が誤っている
さてどれだ。
まず3.は一番無さそうに思われるところです。以前とは比較にならない注目が集まっている中、故意にしろ過失にしろ、ここまで極端な誤検出が起こりうる可能性は極めて低いでしょうから。特に検出に困難があるような特殊な物質でも何でもないですしね。
となれば、1.か2.という事になるわけです。まあ本来なら検査を事実として1.と考えるべきところなのでしょう。が、何せこれまでの経緯が経緯です。都を筆頭に当事者がほぼ全員移転の実行に利害を有していて、その致命的な障害となる汚染の検出を忌避しており、一方で検査機関への圧力による結果の改竄も可能というか極めて容易であった、という事情を考慮すれば、2.の、それも悪意に基づいたものとの疑いを排除する事は出来ないように思われるところです。
しかし、もし実際に改竄等があったというのなら、一気に本件が刑事事件になってしまうのですよね。これまでの疑惑とは質が違う話で、歴代担当者は無論、都そのものも刑事的な追求を免れないでしょう。もっとも、余程の確固たる証拠が出ない限り、当人達は認めないでしょうし、司法も動けないだろうところ、当事者は当然に隠蔽に走(ってい)るでしょうから、実際に逮捕・起訴までがなされる可能性はさほど高くないだろうとも思われるわけですけれども。
とはいえ、都は3.の可能性が高いと言い張って再検査をするとしているわけで、現状はそれ以前の段階なのですけれども。まあ、検証する事自体は別段悪い事ではないでしょう。ただ、これまでの検査には何ら疑義を付けなかったのに、都合の悪い結果が出た時に限って否定に走る、というのはやはりあまりにも愚かしい事だと言わざるを得ないし、そもそも検査自体を疑うというのなら、過去の検査結果も同様に再検証が必要という事になるわけです。それに必要な過去の検体は保管されているのでしょうか?まさか廃棄してたりしないでしょうね?ともあれ、多分にいわれのない追求を受けるだろう検査機関の担当者にはご苦労様です。ありもしない不手際が無かった事を証明しろと言われる事ほど理不尽な事はないのですけれども、主観的な、自分達にとっての都合の良し悪しで客観的な結果を左右しようとする都の阿呆な面々は、その阿呆さ故に自分達がどれだけ阿呆なのか理解する事も出来ないのでしょうし、関わってしまった自分の運のなさを嘆くしかないのでしょう。無論、もし共犯だったというのなら、自業自得という事になるわけなのですけれども、さて。
[関連記事 [law] 東京中央卸売市場の豊洲移転頓挫に]
中央卸売市場の豊洲移転の件、地下水検査で従来の検査結果と比較して桁違いの汚染度を示す結果が出たそうで大騒ぎです。シアンまでも検出されたとか。検査が全くの誤りであったというのでもない限り、移転は中止とせざるを得ないものであることは間違いありません。いやまあ、それがなくても絶望的だったんですけれども、これで息の根も止まったかなと。
移転の是非に関する結論に議論の余地はほぼないだろう一方で、これまでの検査結果、特に新知事就任前までは全く環境基準に抵触するものすら無かったところから今回の結果へと転じた理由については現在のところそれを判ずるに足る証拠はなく、様々な憶測が飛び交っています。
あり得る原因としては、およそ次の3つのいずれかとなるでしょう。
1.知事選前後に地下水が汚染された(検査結果は全て正確)
2.以前の検査結果が誤っていた
3.今回(及び前回)の検査結果が誤っている
さてどれだ。
まず3.は一番無さそうに思われるところです。以前とは比較にならない注目が集まっている中、故意にしろ過失にしろ、ここまで極端な誤検出が起こりうる可能性は極めて低いでしょうから。特に検出に困難があるような特殊な物質でも何でもないですしね。
となれば、1.か2.という事になるわけです。まあ本来なら検査を事実として1.と考えるべきところなのでしょう。が、何せこれまでの経緯が経緯です。都を筆頭に当事者がほぼ全員移転の実行に利害を有していて、その致命的な障害となる汚染の検出を忌避しており、一方で検査機関への圧力による結果の改竄も可能というか極めて容易であった、という事情を考慮すれば、2.の、それも悪意に基づいたものとの疑いを排除する事は出来ないように思われるところです。
しかし、もし実際に改竄等があったというのなら、一気に本件が刑事事件になってしまうのですよね。これまでの疑惑とは質が違う話で、歴代担当者は無論、都そのものも刑事的な追求を免れないでしょう。もっとも、余程の確固たる証拠が出ない限り、当人達は認めないでしょうし、司法も動けないだろうところ、当事者は当然に隠蔽に走(ってい)るでしょうから、実際に逮捕・起訴までがなされる可能性はさほど高くないだろうとも思われるわけですけれども。
とはいえ、都は3.の可能性が高いと言い張って再検査をするとしているわけで、現状はそれ以前の段階なのですけれども。まあ、検証する事自体は別段悪い事ではないでしょう。ただ、これまでの検査には何ら疑義を付けなかったのに、都合の悪い結果が出た時に限って否定に走る、というのはやはりあまりにも愚かしい事だと言わざるを得ないし、そもそも検査自体を疑うというのなら、過去の検査結果も同様に再検証が必要という事になるわけです。それに必要な過去の検体は保管されているのでしょうか?まさか廃棄してたりしないでしょうね?ともあれ、多分にいわれのない追求を受けるだろう検査機関の担当者にはご苦労様です。ありもしない不手際が無かった事を証明しろと言われる事ほど理不尽な事はないのですけれども、主観的な、自分達にとっての都合の良し悪しで客観的な結果を左右しようとする都の阿呆な面々は、その阿呆さ故に自分達がどれだけ阿呆なのか理解する事も出来ないのでしょうし、関わってしまった自分の運のなさを嘆くしかないのでしょう。無論、もし共犯だったというのなら、自業自得という事になるわけなのですけれども、さて。
[関連記事 [law] 東京中央卸売市場の豊洲移転頓挫に]
1/10/2017
[biz law] VW米法人の規制対応部門責任者逮捕
年末年始を挟んで、Volkswagenの試験チートプログラムを用いた環境性能詐欺、通称dieselgateの周辺が俄に騒がしくなっているようです。
リコールの部分的な承認があったり、米当局への罰金額等が決着に近づいていると報じられたりする一方、仏等EU域内でも集団訴訟が提起され、本件を巡る責任の具体化が一気に進みつつあった中、米国でVWにおける本件の窓口役を務めていた、同社の規制対応部門のトップであるOliver Schmidtが米FBIに逮捕されたんだそうで。
流石にこれは当然の結果というべきでしょうか。何せSchmidtは、2014年頃に本疑惑が浮上して以来、繰り返し開かれた当局の調査や尋問等においてその回答役を務め、そこで繰り返し技術的な問題であり虚偽ではないとして言い逃れを続け、最終的に追い込まれてその答弁が全て虚偽であり、故意の不正であった事を認める醜態を晒した当人であり、従って虚偽答弁・報告という直接的な証拠が存在し、個人として最も罪に問うことが容易な人物だったのですから。
これから同容疑者への尋問等を通じてより内部的な部分への捜査が進められる事になる事は間違いなく、それによって少なくとも経営層の容疑は相当な所まで具体的に把握されるだろうところとなりました。この手の事件において捜査が極めて早い米国にしてはやはり非常に時間がかかった印象が強いところですが、同氏クラスの人物の逮捕というのは間違いなく本件捜査における最重要局面の一つであって、そこで得られるだろう証拠ないし情報は決定的な意味を持つものが期待されるであろうし、またそうそう何度も繰り返し得るものでもない事から、おそらくはそこで期待し得る成果から想定される展開、経営陣や実働部門への追求、あるいは芋づる式の摘発等、その準備に相応の時間がかかったのであろうかと推測されるところです。そうであれば、刑事的な処理の事前準備はほぼ完了しているのでしょうから、これを契機として一気に摘発が進められる事になるのでしょう。
そして、刑事的な処理が進めば、それに伴って未だ不明確な責任の所在も明らかになって行く筈ですから、民事的にも、ユーザからの損害賠償請求、告発、また株主からの代表訴訟等が提起されていく事になるのでしょう。ようやく、本件の実情が具体的かつ公に追求されるようになる、という事です。司法的にはまさにこれからが本番、というわけですが、そこでどんな惨状が曝け出され、どんな教訓が見出され得るのか、やはり興味を抱かずにはいられないのです。
ところで、Volkswagen社は業績的には回復しているんだそうで。極めて意外に感じられるところはありますが、無論これは賠償等が表面化していない、すなわち会計的に損失を先送りしているから、というだけの事なわけですけれども、その辺の責任が具体化する前に潰れて有耶無耶になるという事態を避けられるという意味で、一応は歓迎すべき事と言えなくもないのかもしれません。
しかし、Diesel亡き後の技術的柱のない同社の話ですから、そもそも安定して事業を継続する力があるのか否かは別問題なわけで。いくらDieselの代わりの柱が必要だと言っても、そこに今更EV推しとか。。。あくまで環境をメインコンセプトとする、という事なのでしょうけれども、本件によって、VWが言うcleanはもはやdirtyとしか思えなくなってしまっているというのに、それでもその路線というのは、ちょっと正気を疑わざるを得ないのですよ。そもそも需要も桁が幾つも違うし、Dieselの代わりには成り得ないと思うのですが。自動運転にしても、Teslaよりヤバそうな予感しかしませんし。ともあれ、かように意味不明な状況のメーカーが販売台数世界一というのは、世の中の不条理を具現化しているようにも感じられるところですが、さてこれからどうなることやら。
F.B.I. Arrests Volkswagen Executive on Conspiracy Charges in Emissions Scandal
[過去記事 [biz law] VWディーゼル車に排気ガス適合試験での不正プログラム使用発覚]
リコールの部分的な承認があったり、米当局への罰金額等が決着に近づいていると報じられたりする一方、仏等EU域内でも集団訴訟が提起され、本件を巡る責任の具体化が一気に進みつつあった中、米国でVWにおける本件の窓口役を務めていた、同社の規制対応部門のトップであるOliver Schmidtが米FBIに逮捕されたんだそうで。
流石にこれは当然の結果というべきでしょうか。何せSchmidtは、2014年頃に本疑惑が浮上して以来、繰り返し開かれた当局の調査や尋問等においてその回答役を務め、そこで繰り返し技術的な問題であり虚偽ではないとして言い逃れを続け、最終的に追い込まれてその答弁が全て虚偽であり、故意の不正であった事を認める醜態を晒した当人であり、従って虚偽答弁・報告という直接的な証拠が存在し、個人として最も罪に問うことが容易な人物だったのですから。
これから同容疑者への尋問等を通じてより内部的な部分への捜査が進められる事になる事は間違いなく、それによって少なくとも経営層の容疑は相当な所まで具体的に把握されるだろうところとなりました。この手の事件において捜査が極めて早い米国にしてはやはり非常に時間がかかった印象が強いところですが、同氏クラスの人物の逮捕というのは間違いなく本件捜査における最重要局面の一つであって、そこで得られるだろう証拠ないし情報は決定的な意味を持つものが期待されるであろうし、またそうそう何度も繰り返し得るものでもない事から、おそらくはそこで期待し得る成果から想定される展開、経営陣や実働部門への追求、あるいは芋づる式の摘発等、その準備に相応の時間がかかったのであろうかと推測されるところです。そうであれば、刑事的な処理の事前準備はほぼ完了しているのでしょうから、これを契機として一気に摘発が進められる事になるのでしょう。
そして、刑事的な処理が進めば、それに伴って未だ不明確な責任の所在も明らかになって行く筈ですから、民事的にも、ユーザからの損害賠償請求、告発、また株主からの代表訴訟等が提起されていく事になるのでしょう。ようやく、本件の実情が具体的かつ公に追求されるようになる、という事です。司法的にはまさにこれからが本番、というわけですが、そこでどんな惨状が曝け出され、どんな教訓が見出され得るのか、やはり興味を抱かずにはいられないのです。
ところで、Volkswagen社は業績的には回復しているんだそうで。極めて意外に感じられるところはありますが、無論これは賠償等が表面化していない、すなわち会計的に損失を先送りしているから、というだけの事なわけですけれども、その辺の責任が具体化する前に潰れて有耶無耶になるという事態を避けられるという意味で、一応は歓迎すべき事と言えなくもないのかもしれません。
しかし、Diesel亡き後の技術的柱のない同社の話ですから、そもそも安定して事業を継続する力があるのか否かは別問題なわけで。いくらDieselの代わりの柱が必要だと言っても、そこに今更EV推しとか。。。あくまで環境をメインコンセプトとする、という事なのでしょうけれども、本件によって、VWが言うcleanはもはやdirtyとしか思えなくなってしまっているというのに、それでもその路線というのは、ちょっと正気を疑わざるを得ないのですよ。そもそも需要も桁が幾つも違うし、Dieselの代わりには成り得ないと思うのですが。自動運転にしても、Teslaよりヤバそうな予感しかしませんし。ともあれ、かように意味不明な状況のメーカーが販売台数世界一というのは、世の中の不条理を具現化しているようにも感じられるところですが、さてこれからどうなることやら。
F.B.I. Arrests Volkswagen Executive on Conspiracy Charges in Emissions Scandal
[過去記事 [biz law] VWディーゼル車に排気ガス適合試験での不正プログラム使用発覚]
1/01/2017
[biz] 相変わらず暴走事故等の相次ぐTesla、果てなき無謀
Teslaの自動車が暴走事故を起こしたとして、またしても訴訟が提起されたそうです。今回の被害者たる原告はJi Chang Son氏、同社製SUVのModel Xをガレージから徐行発進させたところ、突然加速して自宅に突っ込み、壁等を破壊しつつリビングまで到達してしまった、とのことで、損害賠償等を請求しているそうです。なお、同訴訟の提起に際し、NHTSAに報告されている7件のModel Xの暴走報告を指摘し、それらを併合した集団訴訟としての取り扱いを請求している、とのこと。
これに対し、Teslaは100%ユーザの操作ミスによるものである、といつもの通りに自社の責任は一切認めない旨の主張をしているそうです。
無論、第三者からすれば、原告とTeslaの主張のいずれが正しいのか、あるいはいずれも正しくないのか、その正誤は判然としません。通常の発進時にアクセルをベタ踏みするミス、というのはいささか不自然に思われるし、仮にそうだとして、Tesla車にもれなく備わっている筈の衝突防止機能は何故動作しなかったのか、というあたりには一般に疑問を感じるであろうとは思われるところですが、それを判断する事実を知り得ない以上、考えても意味のない事なのでしょう。
そういう事実の検証は司法の手続を待つ他ないとして。もとより、Tesla車はAutopilotはじめ各種の自動的に動作する類の機能を登載していて、しかしそのほぼ全てが技術的に実績もなく未熟な事も周知の通りであり、殊にその安全性について極めて強く懸念を持たざるを得ない状況にあるわけです。
そして、実際にこれまでも自動運転絡みで誤動作による暴走ないし事故を度々起こし、死者すら発生させて来た、という悪い意味での実績は十分にある一方、その度にTeslaは今回のそれと同様の対応、すなわち問題なしだとか、事故率は高くない等として責任逃れの強弁を弄し、殆ど修正もしないまま、危険の放置ないし拡大を続けて来た事も周知の通りなわけで、そのあえてリスクを侵す悪意に満ちた事業展開上の振る舞いからすれば、必然的にTesla側の瑕疵を強く疑わざるを得ないところです。
特に、今回の対象であるModel Xは、2015年にリリースされてから、上記の通り暴走等の不具合の報告が頻繁にされているモデルでもあります。既に訴訟も発生しており、上開きのドアが誤動作で開閉してユーザの妻と他の車を殴り飛ばした事故の損害賠償訴訟では、実質的にTeslaが敗訴する形での和解が成立しています。販売台数比で言えば事故率は低いとは決して言えず、世界で一番安全なSUV、という同モデルの売り文句は殆ど詐欺のようにしか感じられないわけですが、それはさておき。
無論それら以前の事例は間接的な証拠に過ぎないわけですけれども、全く無視する事もまた出来ず、従って一般にTesla側の主張を直ちに受け入れる事は到底出来ないものと考えざるを得ないだろうところ、本件訴訟についても多かれ少なかれそのような作用が働くでしょう。通常の自動車メーカーであれば元々そのようなリスクは負わないようにするものですから、これは殆どTesla特有の問題と言うことができるでしょう。
これは偶然そうなった類のものではなく、同社が事業展開を優先し、それと引き換えにあえてユーザを危険に晒すリスクを許容した必然の結果と言えるでしょう。その判断は妥当か否か、それは解釈の仕方、基準によるとしか言えないのでしょうけれど、危険に晒される側としては一般に本来許容出来ないレベルに達しているように思われるところです。従来通りの開発方法に倣えば事前に防止される性質のものである事もそう感じさせる要因の一つなのでしょう。
要するに無謀の結果という他ないわけです。その無謀が、犠牲者が増える前に改められるよう願いたいところですが、これまでの経緯に照らして、同社がその傲慢で危険な事業運営のやり方を改める事は、残念ながら強制力によって禁止されない限り、おそらくないのでしょう。せめて、他社が追従することのないよう願う次第なのです。しかし、それも難しいでしょうか。実際、メーカーではありませんが、Uber(+Volvo)のように、世界で最もリスクを許容する米当局の規制すら無視して自動運転車の運用を強行した例も既にあるわけですし。全く以って恐ろしい話です。
Tesla Model X owner claims car accelerated on its own and crashed through a wall
UPDATE 1-Tesla owner files lawsuit in California claiming sudden acceleration
Tesla Settles Model X Case Over Alleged Design Flaws
Uber's self-driving cars quit California and leave for Arizona on the back of a self-driving truck
[関連記事 [biz] あっさりハックされたTesla Model S、晒された致命的リスク]
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これに対し、Teslaは100%ユーザの操作ミスによるものである、といつもの通りに自社の責任は一切認めない旨の主張をしているそうです。
無論、第三者からすれば、原告とTeslaの主張のいずれが正しいのか、あるいはいずれも正しくないのか、その正誤は判然としません。通常の発進時にアクセルをベタ踏みするミス、というのはいささか不自然に思われるし、仮にそうだとして、Tesla車にもれなく備わっている筈の衝突防止機能は何故動作しなかったのか、というあたりには一般に疑問を感じるであろうとは思われるところですが、それを判断する事実を知り得ない以上、考えても意味のない事なのでしょう。
そういう事実の検証は司法の手続を待つ他ないとして。もとより、Tesla車はAutopilotはじめ各種の自動的に動作する類の機能を登載していて、しかしそのほぼ全てが技術的に実績もなく未熟な事も周知の通りであり、殊にその安全性について極めて強く懸念を持たざるを得ない状況にあるわけです。
そして、実際にこれまでも自動運転絡みで誤動作による暴走ないし事故を度々起こし、死者すら発生させて来た、という悪い意味での実績は十分にある一方、その度にTeslaは今回のそれと同様の対応、すなわち問題なしだとか、事故率は高くない等として責任逃れの強弁を弄し、殆ど修正もしないまま、危険の放置ないし拡大を続けて来た事も周知の通りなわけで、そのあえてリスクを侵す悪意に満ちた事業展開上の振る舞いからすれば、必然的にTesla側の瑕疵を強く疑わざるを得ないところです。
特に、今回の対象であるModel Xは、2015年にリリースされてから、上記の通り暴走等の不具合の報告が頻繁にされているモデルでもあります。既に訴訟も発生しており、上開きのドアが誤動作で開閉してユーザの妻と他の車を殴り飛ばした事故の損害賠償訴訟では、実質的にTeslaが敗訴する形での和解が成立しています。販売台数比で言えば事故率は低いとは決して言えず、世界で一番安全なSUV、という同モデルの売り文句は殆ど詐欺のようにしか感じられないわけですが、それはさておき。
無論それら以前の事例は間接的な証拠に過ぎないわけですけれども、全く無視する事もまた出来ず、従って一般にTesla側の主張を直ちに受け入れる事は到底出来ないものと考えざるを得ないだろうところ、本件訴訟についても多かれ少なかれそのような作用が働くでしょう。通常の自動車メーカーであれば元々そのようなリスクは負わないようにするものですから、これは殆どTesla特有の問題と言うことができるでしょう。
これは偶然そうなった類のものではなく、同社が事業展開を優先し、それと引き換えにあえてユーザを危険に晒すリスクを許容した必然の結果と言えるでしょう。その判断は妥当か否か、それは解釈の仕方、基準によるとしか言えないのでしょうけれど、危険に晒される側としては一般に本来許容出来ないレベルに達しているように思われるところです。従来通りの開発方法に倣えば事前に防止される性質のものである事もそう感じさせる要因の一つなのでしょう。
要するに無謀の結果という他ないわけです。その無謀が、犠牲者が増える前に改められるよう願いたいところですが、これまでの経緯に照らして、同社がその傲慢で危険な事業運営のやり方を改める事は、残念ながら強制力によって禁止されない限り、おそらくないのでしょう。せめて、他社が追従することのないよう願う次第なのです。しかし、それも難しいでしょうか。実際、メーカーではありませんが、Uber(+Volvo)のように、世界で最もリスクを許容する米当局の規制すら無視して自動運転車の運用を強行した例も既にあるわけですし。全く以って恐ろしい話です。
Tesla Model X owner claims car accelerated on its own and crashed through a wall
UPDATE 1-Tesla owner files lawsuit in California claiming sudden acceleration
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