6/12/2016

[pol] 舛添知事の汚職追求を不毛にする法と社会の齟齬について

舛添都知事の汚職の件ですけれども。表面的な部分もあるにせよ、ここまで四面楚歌というのも今時珍しい、とある意味感心してしまうのです。

個々の行為は正直言って真面目に議論するのも馬鹿馬鹿しいようなしょうもない話ばかりです。それへの知事のおよそ真実味の欠片も感じさせない釈明もどきを含め、いずれも論外である事は間違いないけれども、議員は無論一般職員も似たような行為は程度の差こそあれ日常茶飯事と言っていいだろうところ、そんな事まで一々議会はじめ社会全体で大々的に取り上げてたらキリがないし、本来的にかかずらわっていられないようなものなわけです。

単発であればそれなりに非難を受けた後で謝罪なり返金なりで始末がつき得る筈の行為が、当人が認めたものだけでも少なくとも数十件以上も積み重なり、それが結合してマクロ的に一つの看過し難い重大な汚職犯として認識されてしまった結果ということなのでしょうか。そうであれば、個別の行為は、法的にはともかく、個々の市民の認識はじめ社会的な意味ではもうどうでもいいのであって、その是非や個別の釈明等は既におよそ意味を成さないものになったのかもしれません。

ならば、本件にありうべき始末も、個々の行為への処理を重ねるのではなく、全体に対する総括的なものになる他はないだろうと思われるわけです。すなわち、個々の行為は致命的ではない以上それが数多くあっても許され得る、として失職を回避するか、個々の行為は致命的ではないものの、その頻度と常習性から到底許されないものとして排除されるか、その2択になるでしょう。

法的には、前者の可能性も当然にある筈です。刑法的には、複数の罪が集合した場合の評価はその中で最も重い罪を基準として、それに何割か加重される程度のものですから、致命的でない罪がいくら多数集まろうともその評価はさほど飛躍的に変わるわけではありません。民事的には賠償額は累積的に増えますが、それでも賠償さえすればそれで始末が付くものには違いないわけです。従って、法的には失職を回避する道もあり得ると解釈すべきところなのでしょう。けれども、現実的にはその立場からの擁護はほぼなく、後者すなわち排除を求める意見ばかりになっています。本件はそこに齟齬があると言えるでしょう。そしてその齟齬が、本件を殊更面倒なものにしているように思われるのです。

社会的な評価は致命的、しかし法的には致命的とは言い切れず、非難がどれほど加えられようとも、具体的な個々の行為に基づいて法的に辞任・退任を強制する事は困難、というわけです。この状態がそのまま現在の議会等での非難や追求、それに対する知事の対応について感じられる不毛さの原因なのではないでしょうか。

そうであれば、個別の行為に対する非難や追求は、意味がないわけではないものの、一定以上については実質的に意味があるとは言えないのでしょう。従って本件の始末を付けるには、個々の行為の追求以外の手段による他はないだろう以上、知事の立場そのもの、すなわち委任者たる市民の不信任による他はないのではないでしょうか。

無論リコールには相応のコストが必要になるところ、議会が不信任決議で引導を渡せば省略出来る話だし、可能ならそれが望ましいんでしょうけれども、今の所議会はそういう話には消極的な感じのようです。参院選直前で色々と面倒という事情があっても、法的に実行可能になり次第、とか時期を定めて予告する位は普通に出来る筈なんですけどね。何故それをしないのか、と考えると、やはり自民・公明ら与党系はこの期に及んで知事への支持を捨てられない、という事なんでしょうか。元々担いだ側ですから仕方ないんでしょうけれども、担いだ責任と手のひらを返す責任と、どちらも負いたくないという思惑の結果が今回の対応だとすれば、いささか姑息に過ぎると言わざるを得ないわけです。せめて自分たちで進んで始末を付けるのが最低限の責任と言うものでしょうに。

というわけで、さっさとリコールの準備なり、議会の不信任なりするべきだと思うのです。あの知事の、それが理解されると本気で思っているのかと耳を疑わざるを得ない、人を小馬鹿にしたような妄言とか、もういい加減みんな聞き飽きたでしょうしね。